生まれたのは戦後間もない1947年
ピッチャーの星野君は同点で迎えた最終回、監督から、先頭打者を「バントで二塁に送れ」と命じられた。納得はできなかったが、監督の命令にそむくことはできない。バントのつもりでバッターボックスに入ったが、姿勢を少し変え、二塁打を打った。この一撃が勝利を決定的にし、チームは選手権大会への出場を決めた。
翌日、監督が選手たちを呼んで話した。
「僕が監督になったとき、相談してチームの規則を決めた。いったん決めた以上は、厳重に守ってもらう、チームの作戦として決めたことは、服従してもらわなくてはならないという話もした。だが昨日、僕は面白くない経験をした。僕は、昨日の星野君の二塁打が気に入らないのだ。チームの統制を乱したことになる」
チームメートが助け舟を出したが駄目だった。「いくら結果が良かったからといって、ルールを破ったという事実に変わりはない。チームの統制を乱した者をそのままにしておくわけにはいかない。僕は今度の大会で星野君の出場を禁止したいと思う」
星野君はじっと涙をこらえていた。
「星野君の二塁打」が発表されたのは戦後間もない1947年だった ※画像はイメージです
ネット上で「日大アメフト問題と重なる」
道徳の教科書では「集団生活における規律やそれを守ろうとする姿勢の大切さ」を考えさせると位置付けられているが…… ※画像はイメージです
削られたセリフとは……
「異存ありません」。星野君の答えは削られていた ※画像はイメージです
作者が伝えたかったこと
日大アメフト部の選手の会見には大勢の報道陣が集まった=2018年5月22日、東京都千代田区、山本裕之撮影
出典: 朝日新聞
選手のように振る舞えない、だからこそ……
- 前へ
- 次へ