〔PHOTO〕三浦咲恵
メディア・マスコミ 芸人 インタビュー

「一発屋」を消費してきたすべての人に山田ルイ53世が伝えたいこと

元売れっ子たちの「その後」

一発屋芸人列伝』。「雑誌ジャーナリズム賞」の受賞作であり、一発屋芸人にインタビューを重ねたこの本を貫くのは著者の強烈な「義侠心」である。辞書的に言えば「正義のために弱い者を助けようとする心」(日本国語大辞典)にあふれている。

著者、「髭男爵」山田ルイ53世は「ルネッサーンス!」で一世を風靡した一発屋芸人である。彼の義侠心はどこに向かうのか。

それは一瞬で消費され、世間を笑わせるのではなく、世間から笑われる対象になってしまった同じ「一発屋芸人」だ。より正確には、一発屋の生き方であり、芸の技術を世間の嘲笑や蔑みから助けだそうと試みている。

一発屋についてまわるのは「どうせ……」という言葉だ。「どうせ、芸も考えも浅はか」「どうせ今も大したことをしていないんでしょ」に抗いながら、山田ルイ53世は読者に問う。

一発屋を弱い者と扱い、「どうせ……」で切り捨てていいのか?と……。

(取材・文:石戸諭/写真:三浦咲恵)

『一発屋芸人列伝』著者の山田ルイ53世さん

本を書いた一番の動機は「私怨」

5月、梅雨を先取るようなじめっとした雨が降った日にインタビューはセッティングされた。

《あまり偉ぶらないほうがいいと思っているので先に言っておきたいんですけど、この取材は同じ芸人で、同じ一発屋芸人というアドバンテージがあるとは思っています。そこは得したな、という思いの方が強いです。

確かに書くときの距離感は難しかったです。一発屋が一発屋を取材しても、距離感が近ければ変にかばい合いになってまうし、逆に同じ仕事をしているのに離れ過ぎてもおかしい。》

挨拶のときの豪快な笑いは一転、大真面目な顔で取材の難しさを語った。

その顔は、お笑い芸人というよりジャーナリスト、もっといえば昭和の匂いを漂わせる無頼の「ジャーナリスト」そのものである。

「ハードゲイ」でブレイクしたレイザーラモンHGを描いた章のなかに、この彼のスタンスを明確に示す一文がある。引用しよう。

「耳を澄ませば、
『ピチャ、ピチャ、ピチャ……』
と水分多めの音が聞こえてきそうだが、この連載の目的は、勿論傷の舐め合いなどではない。そもそも、我々の負った傷は、唾液程度で癒える軽傷でもない。
一発屋は、本当に消えてしまった人間なのだろうか。
否である。
彼らはいまこの瞬間も、もがき、苦しみ精一杯足掻きながら、生き続けている」
 

一度はテレビで見ない日はない、というくらいまで売れっ子になった芸人たち。その生き様は多様である。

例えば、地方営業に活路を見出した「テツandトモ」、一発屋芸人の集まりを主催するHG、資格を生かして再ブレイクを狙うムーディ勝山と天津・木村――。

彼らの再チャレンジを語る山田さんの筆はリスペクトにあふれている。しかし、本を書いた動機はそれだけではない。むしろ、自身そして同じ境遇にある芸人が抱えている強い思いにあった。

《本を書いた一番の動機は「私怨」ですよね。

いまのテレビで、一発屋芸人の扱われ方の定番は最高月収を聞くってやつなんですよね。あの時、月になんぼ稼いでました、今はなんぼです。それでお茶の間が「え〜」って驚くっていうあれですよ。

その中に芸の話ってないでしょ?

一発屋はその才能や力量や努力、生み出すまでの歴史に対する評価が低すぎるし、売れた時をピークに年々低くなるんですよ。これはいけないって思ったんです。

芸人自らが「これはすごいんやで」って声高に解説するのはみっともないっていうのは自覚しています。

お茶の間の人たちにそんなことを全部理解してほしいとか、すごいと思ってくれなんて言うつもりはないですよ。そんなことは考えなくていいんです。

でもね、一発屋の芸は軽くみられているんですよ。誰でも真似できるように思われている。本当は簡単に真似なんかできないじゃないですか。》

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