中村はこれが同じに見えるらしい。
大学のとき、セット仲間に中村というやつがいた。
そのときまで私はそういう人の存在を意識しなかったのだが、中村は色覚障害だった。
中村と打つときは赤牌に目印がついた雀荘にしか行かない。赤が判別できないのである。
「緑一色も俺わかんないんだよ。ソーズは全部緑だから(笑)」
中村は語り口も飄々としていて、あまり悲壮感を感じさせない。だから私たちも中村の苦労をそんなに想像しなかった。
先日たまたま中村の自宅付近の雀荘にゲストで行くことがあり、中村を誘ってみた。会うのは10年ぶりくらいだ。
私に会う前に、中村は麻雀の勘を取り戻すために都内の雀荘を回ってみたという。もちろん事前に店に電話をかけ、赤牌の判別が出来るかどうか尋ねてから行くのだ。十数軒も電話をして、赤牌に印がある店はほんのわずかだったらしい。
中村と久しぶりに麻雀を打つ。ゲストの店では、赤牌に油性マジックで丸印を書いてもらった。
中村は昔と変わらず器用に小手返しをしていた。本当に麻雀が好きなのだ。
学生の頃のセット仲間が四散してから打てていないのは、やはりフリーが色覚障害者にとって敷居が高いからだ。
「俺さ、小手返しの新たな技を開発したんだけどさ、見て見て」
中村が牌をくるくる回す。
「小手返しって普通180度回すから、見てると手出しがわかっちゃうよね。
俺はこう・・・、牌を360度回して、ツモ切りなのに敢えて手出ししたと思わせるんだ。
俺はこれをアラウンドザワールドって名づけたんだけど、どう?」
「・・・・」
多分自宅で一所懸命練習していたのだろう。しかし、最近では小手返しはどちらかというとマナー違反だ。競技麻雀なら手出しツモ切りを隠す行為は厳禁である。中村の雀荘の知識は十年前で止まっているのかもしれない。そう伝えると、中村は絶句していた。
さて、最近の全自動卓は、配牌が自動で出てくる。
「中村、最近やってなかったのならこれ驚きじゃないの?」
麻雀漬け生活の私は、卓を指して得意気に言った。
「ああ――、でもね・・・困るのが真ん中のランプなんだよね」
「え?」
最初は何のことだかさっぱりわからなかった。
「この卓さ、真ん中の赤ランプで東家の位置とか積み棒とか表示されてるんだよね。でも俺見えないんだよ」
中村は、黒背景に赤いランプの表示は非常にわかりづらいのだという。だから、親番が移動したときは、腕時計のフレームを回転させて自分で間違えないようにしている。積み棒は、自分の点箱内で百点棒を分けて覚えている。
「そうかー、だから俺がさっき親番で北をポンしたとき、中村がふいに腕時計を見たんだ」
「そうそう。だから、お時間気にしてるんですか?ってよく言われる(笑)」
当然のことながら、自分の点数も黒背景に赤字で表示されている。点数表示は最も望まれて追加された麻雀卓の機能であったはずなのに、今の時代に来てそれが見えないという状況が起こっている。
久しぶりに中村と会うまで、私は色覚障害の方の存在を忘れていた。中村は、周囲に余計な気を遣わせないよう、自分の苦労も笑い話にしてしまう。もちろん、自分からそういう場に行かないという選択をしてしまう人も多いだろう。中村だって事実雀荘から遠ざかっていた。
見えない方の困難や、私たちにそっとしてくれている配慮。真実が見えていないのは、私たちの方だったのである。
全自動卓は進歩したが、色覚障害の方にとってはむしろ退化していた。これは私たちみんなが意識しなければならない問題だし、変えていかねばならないことだと思う。
気兼ねなく、誰でも楽しめるカラーバリアフリーの麻雀を、私たちは目指していきたい。
「アラウンドザワールド!」
なんて軽口を言いながら。
どこでも楽しく打てるといいな、中村。
2
バリアフリー
ひりひりした勝負事としての麻雀だけでなく、コミュニケーションツールとしての麻雀に改めて思い至りました。
素敵なエッセイ楽しみにしています。
原作の質を維持するのは苦しいでしょうが、その矜持には頭が下がります。
頑張ってくださいね。
特銘貴房
2016-03-30 09:43:03
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