敏感の彼方に

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【お節介投稿】「2度目の人生」で「生きる意味」を教えてくれる子ども

この記事は約5分で読めます。

 

以前、先輩に衝撃的な歌を教えてもらいました。

 

私は子供が嫌いです」から始まる伊武雅刀さんの「子供達を責めないで」(作詞:秋元康)という一曲です(ここでは長くなるので、この記事の最後に歌詞全文を引用します)。1983 年のリリースです。

 

一方、1年ほど前に流行ったこの本によれば、

 

1982 年以来、日本の子どもの数(0~14 歳人口)は、35 年間連続で減り続けているんだそうです。

 

まるで、このことを予見していたかのような「子供達を責めないで」ですね。おそるべき、秋元康さん。

 

時代背景がよく分からないので、この曲の歌詞をそのまま受け取ればよいのか、皮肉と受け取ればよいのか、あるいは何かの教訓として受け取ればよいのかは分かりませんが、直球であれ変化球であれ、子どもというのはその「無邪気さ」から、いつの時代も少なからず忌避の対象となるみたいですね。

 

自分の経験でも、確かにこの曲の通り、子育ては大変です。

 

ただ、「大変」で思考停止するのもアレなんで、お節介の限りを尽くして、子どもたちが教えてくれることをいくつか書いておきたいと思います。

 

そもそも、こうやって「子どもは何かを教えてくれる」と考えること自体、子どもが教えてくれたことのように感じる今日この頃です。

 

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子どもを持つと、2回目の人生が始まる

中学生のムスメAは、この夏1カ月、アメリカのユタ州でホームステイする予定です。

 

ステイ先は、子どもが6人(!)もいる大家族で、すでに同学年のホストとメールでやり取りを始めています。

 

昨日も、このようなメールが先方から届き、

I'm so excited to meet you!  I'm so excited for you to come stay with us this summer!

A little about me:

I love Harry Potter.  I love to sing.  I'm not great at playing the piano but I'm learning and I'm teaching myself so it's kind a hard.  I love to play the ukulele.  I plan on doing track in high school.  I'm very crafty.

And yah I think that is about it. I cannot wait to meet you and am so excited!!!

ムスメは辞書を引き引き、四苦八苦しながらも嬉々として返信の文面を考えていました。

 

そんな彼女を見ていて、素直に「うらやましいな」と感じました。この年代で知り合い、文通し、出会い、相性が良ければ、国境を越えた一生の友人になるんじゃないでしょうか。

 

ボクも外国人との文通やホームステイなどに興味を持った時期はありましたが、結局そういう機会に巡り会うことなく、今に至っています。

 

でも、子どもを持てたおかげで、2度目の人生として、自分ができなかったことを一緒になって体験できています。ステイ時に紹介するアルバムを一緒に作ったり、喜ばれそうなお土産を買いに行ったり、メールの文面を一緒に考えたり、とても楽しいです。

 

あまり首を突っ込むと、間違いなくウザがられますので、ほどほどにしないとダメですね。

 

子どもを持ち、「生きる意味」を改めて考える

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人生の大先輩が陶芸にドはまりしています。

 

70 歳まで汗水たらして働き、その自分へのご褒美として、2年通学して陶芸を本格的に勉強した後、自分で製作して展覧会に出品したり、近所の教室で教えたりしています。

 

その姿は嬉々としていて、「あぁ、大人時代を必死に駆け抜けて、上手く子ども返りできたんだな」と思わせてくれます。

 

過去記事『大人脳で考えても答えの見つからない「生きる意味」は子どもの中にある』にも書いたように、遊びや自由が制限された大人の世界から完全に解放され、遊びや自由という「子供らしさ」を手に入れた状態です。

 

人間は上手く立ち回れば、「子ども(自由)」⇒「大人(不自由)」⇒「再び子ども(改めて獲得した自由)」という理想的な変遷をたどれるものなんだな、と改めて感じます。最初から自由な子どもよりも、不自由を経験した上で獲得した自由ですから、たぶん最強でしょう。

 

ボクもこうありたいなと思いつつ、子どもを持つことで改めて考えられるようになった「生きる意味」を、いつも心の隅っこ置くようにしています。

 

 

その他の教訓

子どもを持つ前とは変わったな、と思うことは、ほかにもあります。

 

たとえば、承認欲求です。

 

承認欲求は、多かれ少なかれ誰にでもあるものですが、承認欲求の権化のような子どもが目の前に現れると、自分の承認欲求などちっぽけなものに感じられ、以降は、承認欲求を満たす側の役割を演じるようになります。そのうち、承認欲求を満たしてあげることで、自分の承認欲求も満たされているような気分になり、「まぁ、いっか」となりました。

 

あとは、「こだわり」ですかね。

 

子どもに関わっていると、ただでさえ時間を奪われるのに、それ以上何かにこだわることは至極困難です。そのうち、「何にもこだわらなければいいんじゃないか?」と思うようになり、少なくとも子どもと接する間は、こだわりなんて捨ててしまいました。

 

もう、スッキリです。

 

子どもが教えてくれること「子どもの役割って?」

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子どもは、2回目の人生のきっかけとなってくれる存在です。子どもが何人もいれば、3回目、4回目、5回目・・・のきっかけにもなります。

 

2回目以降の人生は、「大人」という不自由極まりない状態で「生きる意味」を見失いがちな中、子どもに接することで得られる人生ですから、子どものように生きる意味を考える大きなきっかけにもなります。

 

子どもに期待しすぎなのかもしれませんが、子どもというのは、大人に「生きる意味」を教えるために生まれてくる、と最近になって考えるようになりました。それぐらい、子どものエネルギーは、大人のそれをはるかに凌駕していますからね。

 

どんな子どもでも、これだけは親に教えてくれます。「子育てって、大変」ということです。これすらも、「生きる意味」を考える大きなきっかけになります。というか、きっかけにしないと勿体ないです。

 

 

子供達を責めないで

最後に、伊武雅刀さんの「子供達を責めないで」があまりに秀逸なので、引用します。

 


子供達を責めないで

 

私は子供が嫌いです

子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で

前向きな姿勢と無いものねだり 

心変わりと出来心で生きている

甘やかすとつけあがり放ったらかすと悪のりする

オジンだ 入れ歯だ カツラだと 

はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ

私ははっきりいって絶壁です

絶壁です!

 

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない

人生の深みも 渋みも 何にも持っていない

そのくせ下から見上げるようなあの態度

火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児

そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ

 

私は思うのです 

この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと

大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう

私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています

 

わたっ・・・私は子供が嫌いだ!

ウン! 私は子供が嫌いだ!

子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか

いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです

身勝手で み・・・ 足が臭い!

エビフライ ハンバーグ カニしゅまい

コーラ 赤いウインナー スパゲティナポリタン

好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする

泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ

 

スクスクと背ばかり高くなり  

定職もなくブラブラしやがって

逃げ足が速く いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ

あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ

何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちのつぶらな瞳だ

 

そんな子供のために 私達おとなは何もする必要はありませんよ

第一 私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか

これだけ子供がいながら ひとりとして感謝するものはいないでしょう

だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ

ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ

 

子供はきらいだ! 子供は大嫌いだ! 

離せ 俺は大人だぞ!

誰が何といおうと私は子供が嫌いだ

私は本当に子供が嫌いだ!

私は 本当に 子供が嫌いだー!

 

ホント、いい歌です。・・・「歌」なのか?

 

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