教師力向上への道。アラフォー教師の徒然日記

30代後半の小学校教員。大学院修学中。そこでの学びやこれまでの実践の振り返りを綴っていきます。

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特別支援教育を進めるための認知心理学の知見

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 概論的な授業を2年次の今、受講しています。去年落としたのか?と思われるかもしれませんがそうではないのです(*'ω'*)。学部時代もあったような気もするのですが隔年開講の講義がいくつもあるため、1年次では受講することの叶わない講義もたくさんあります。(余談ですが、昨年度前期取り忘れた講義が隔年開講のため、なんと大学院の間には取れないことが判明・・・・。免許に関わるので放送大学で修了後とろうかと思っています(>_<))。

 この概論では特別支援教育に関わるアラカルト料理的な講義のため、おおまかに知るにはとてもいいなと思っています。その講義の中で認知心理学の知見から特別支援教育の捉えがあったので、自分で調べたこととも合わせまとめてみたいと思います。

 

認知心理学特別支援教育で見る

4つのレベルで理解

 発達障害に限らず人間の活動を理解するには4つのレベルがあるといわれます。

  1. 生物学的レベル
  2. 認知的レベル
  3. 行動的レベル
  4. 主観的レベル

です。

 生物学的レベルとは生理学的、脳科学的観点から見るということです。脳の器質的、機能的障害、遺伝子レベルが含まれます。

 認知的レベルとは、情報の入力、処理、出力のそれぞれの段階で見ていくやりかた。入力の段階で間違っているのではないか、処理の仕方で上手く統合できていないのではないか、出力が独特なものになっていないか、そのような見方です。

 行動的レベルとは、ざっくり言えば外在化され他者から見える状態になっているところで考える立場。DSM-5もその診断基準は行動レベル。一般的に行動レベルによって診断が下されていると思われます。(ですから医師によっても診断名が違ったりすることがあります。)

 主観的レベルとは本人が持っている感情に焦点をあてます。行動レベルで周りから困難さが見えても本人は感じていいないということもあります。逆に行動レベルでは特異な点はないけれど、本人がものすごく困難を感じていることもあります。

 小学校現場で理解することができるのは主観的レベル、行動的レベル、認知的レベルでしょうか。

認知のプロセス

 認知心理学は、パソコンの情報処理にヒントを得、そこから人間の認知を考えていくところもあるため、認知のプロセスもパソコン上の処理と似ている部分があります。

認知 - Wikipedia

(認知そのものについては上にリンクを貼っております)

 人間の認知プロセスも大きく4つ

  1. 注意
  2. 入力
  3. 情報処理
  4. 出力

です。外界の刺激に対して「注意」を向け、身体の感覚器(視覚、聴覚等)を通して注意を向けた情報を入力し、その時点での目的に合わせた処理を行い(記憶、思考等)目的に合わせた出力(ことば、動作)を行います。

 入力・処理の困難な例はモノの形を上手くとらえることができなかったり、図形の方向や同じ、違うといった見分けができなかったり、図と地の区別がつかなかったりいわゆる弁別能力という部分です。人間が発達しく過程の中で

  • 弁別能力・・・違いを知る

というのは1つの観点です。学校現場に例をとれば、同じ子どもを見ていても能力が発達している教員はより細かく子どもについて語ることができます。

そしてもう一つは

  • 大きなくくりができる

という観点です。先ほど挙げた弁別の例ですが、「弁別能力」と大きな枠で捉えるのもまた発達と言えるでしょう。

 相貌失認という障害がありますが、これは人の顔が弁別できない障害のことです。我々は人の顔を見るときにざっくり「顔」として入力します。だからこそ、一度会った人の顔を再度みれば「ああ、〇〇さんだ」と弁別することができます。しかし顔としてまとまった入力、処理がされなければ、個別のパーツで入力され、全体としての「顔」を処理することができなくなり、結果として顔を弁別することができなくなります。「1つの顔」として認識できないのです。

注意への支援

 注意への支援、学校現場では極めて重要です。人間のワーキングメモリには限界要領が指摘されており、注意を向けていないとあっというまにワーキングメモリ内の情報が消去されてしまいます。また注意が散漫になると認知的負荷の増大も考えられ、本来の課題に向けるべきワーキングメモリの容量が狭められてしまいます。

 工夫としては講義の中では3点上がりました。

  • 興味関心の活用
  • 意欲を高める工夫
  • 余計な刺激の除去

 3つを俯瞰してみると「視線を誘導するための工夫」と考えられます。私は「視線」に関する研究を行っていますが、「視線」はその人の「思考」や「情報処理の仕方」が現れます。外界の刺激に対して何かしらの情報を読み取ろうとしたら「視線」を一定時間そこに留める必要があります(専門用語で「停留」といいます。)。つまり、学習であれば、注意をひかせたい部分に視線を停留させるための工夫といえます。

 意欲を高める工夫の中では、見通しの提示や短い学習サイクル、課題終了後のご褒美等が挙げられました。短い学習サイクルは大賛成です。45分じっくり授業をすることも意味があるとは思います。しかし教室内の子どもたちのワーキングメモリはある研究におれば4歳くらいの開きがあると指摘されます。6年生の教室であれば中学2年生と小学4年生が一緒にいるような感覚です。それが何の手立てもなしに45分間授業をすれば・・・一見静かに落ちついて授業を聞いているように見えても認知プロセスが起きているかどうかはわかりません。

 ちなみに、余計な刺激の除去がどれほど効果があるのか、エビデンスは乏しいようです。

入力への支援

 入力の段階で困難があるとそのあとの認知プロセスに大きく影響します。私は目が悪く眼鏡をかけます。眼鏡によって情報の入力を支援してもらっています。感覚的にはそれと同じことです。

  • 見やすくする
  • ハイライト/音声化

これらが紹介されました。白地に濃い字体に読みにくさを感じる人もいるようです。もしそういう人がいるのなら、例えばプレゼン資料は紺色に白地で書く、目立たせたいところは黄色というような工夫があると支援につながるでしょう。写真資料であれば、拡大したり色付けをしたり、注意を向けてほしい部分に制限をかけることも有効です。

 字体についても、私も昔そういうところがあったのですが、明朝体等で書かれると微妙な太さの違い、停め方を正確に真似しよう、したくなることがあります。そうなると入力はできてもその後の処理が滞ります。丸ゴシックのような文字が見やすいのかもしれません。

 最近は読み上げソフトや、ハイライトをつけてくれるソフトもあります。見にくい文章でもハイライトがあるとかなり読みやすくなります。

 小学校現場ではよく「構造的な板書」と言われ、子どもの発言や要点を上手くまとめることが要求されます(あっ 私はです。私の周りではです。)しかし、それもちょっと立ち止まって考える必要があります。板書される文字や図が増えれば増えるほどそれを写す作業も増えます。そして細かく写したくなる子もいます。写すことに注意が向けば友達や教師の話に割かれる注意資源は減り、注意が向けられずそれらの情報が抜けてしまいます。また、黒板の情報が多ければ何を、どこをノートに写したら良いのか混乱が生じてしまう子もいます。

 これまで良とされてきた黒板の書き方が本当にいいのか、それも見直す必要があるのかもしれません。

 

 今日はここまで。最後までお読み下さりありがとうございました。