DIGITAL LOVE & PEACEな未来へ:編集長から読者の皆さんへ

05.31 19:04 WIRED

『WIRED』日本版の編集長に6月1日、松島倫明が就任した。テクノロジーとそのカルチャーが、ぼくたちの日常ばかりか地球をも包み込もうとしている2018年という時代に、新生『WIRED』日本版は何を目指し、実現し、そして社会に実装していくのか。読者の皆さんへの最初のメッセージであり、次のステージに向けた決意表明となるエディターズレターをお届けする。

学生時代、地元の自由が丘駅南口の改札を出ると青山ブックセンターがあって、そこにうず高く積まれていた創刊まもない日本版の『WIRED』に出合ったときのことを、ぼくはいまだに覚えている。

学生生協でMacintoshを初めて買ったころで(パソコンオタクだった兄に「アップルはもうすぐ潰れるからやめておけ」と言われたんだっけ)、『WIRED』の蛍光に輝くその誌面は、何かまったく新しいことが始まっているのだと、ぼくに語りかけていた。「DIGITAL LOVE & PEACE」というタイトルでぼくが卒論を提出するのはそれから間もなくのことで、それはパーソナルコンピューターが1968年を起点とするカウンターカルチャーから生まれたことを論じたものだった。

『WIRED』は1993年のその創刊において、ぼくらが〈デジタル〉というテクノロジーを手にしたことを、人類が〈火〉というテクノロジーを手にしたことの文明的インパクトに比肩させ、そこから生まれつつある新しいカルチャーや可能性を、ぼくたちに真っ先に提示してきた。そこにはカウンターカルチャーの理想主義が色濃く受け継がれていたし、同時に、来るべき「ニューエコノミー」への胎動と興奮が生々しく誌面に踊っていた。

つまりは、テクノロジーによって人類が次のステージへと歩を進めるのだという、楽観主義に根ざしたワクワクする〈未来〉へのヴィジョンを提示してきた。

テクノロジーとの共生の道を探る

名著『火の賜物』においてハーヴァード大学の霊長類学者リチャード・ランガムは、ヒトが火というテクノロジーを利用したのではなく、火そのものがわれわれの脳を増大させ、ヒトへと進化させたのだと説いている。その同じ〈火〉が、ときに大自然を焼き尽くし、生命を奪い、人間の制御の手を離れて(あるいは制御のもとで)大惨事を引き起こすことを、人類と地球はこれまで幾度となく経験してきたはずだ。

そして同じことがテクノロジーについても起こっていることを、いまや誰もが知っている。ヒトの脳を拡張させ、ヒトの進化を促すデジタルテクノロジーが、同時にあらゆる局面で大惨事を引き起こしていることを。

この2018年という時代において『WIRED』が変わらずあの〈WIRED〉であるためには、ぼくたちはここから出発しなければならない。

もはやカルチャーにとどまらず、政治・経済・ビジネス・公共・ライフスタイルのすべてにフロントラインを構えるデジタルテクノロジーという〈火〉を、ぼくら人間は傲慢にも制御しようとするのではなく、互いに共生する道を探っていかなくてはならない。なぜなら、『WIRED』US版の創刊編集長であるケヴィン・ケリーが著書『テクニウム』で描いた通り、テクノロジーと人間は共進化しているからだ。

その道筋を照らし、エキサイティングでときに困難なその方法を提示することが、『WIRED』の使命だとぼくは考えている。

たとえば1968年に「LOVE & PEACE」を唱えたカウンターカルチャーの担い手たちは、科学とテクノロジーが工業化社会を完成に導き、人間すらも部品のひとつとして組み込んで、核兵器や戦争、環境破壊を通して人間とこの地球を圧倒しようとした時代にあって、人間の側にある、人間を疎外しない、〈適正なテクノロジー〉を標榜した。

ヒッピーたちのバイブルだった『ホール・アース・カタログ』は、人間性を取り戻すためのツールを紹介するカタログだったわけで、そこで紹介されたパーソナルコンピューターとは、そもそも国家や大企業が特権的に所有していたコンピューターという巨大テクノロジーを大衆一人ひとりの手に取り戻すために生まれたものだった。

それはちょうど、〈自由〉というものがテクノロジーの野放図な進歩からではなく、自立共生的(コンヴィヴィアリティ)なツールからしか生まれないというイヴァン・イリイチのメッセージとも共振するし、だから尊敬してやまない前編集長の若林恵さんは、『WIRED』日本版においてイリイチをことあるごとにぼくたちに突きつけてきたのだと、改めて思う。そして、問題の核心が、そこにあるのだ。

パーソナルなコンピューターによって個人が拡張され、それがネットワークによって世界中で繋がることで、情報はフリーになり、あらゆるものがシェアされ、分散化され、脱中心化され、人々による共感のネットワークが広がり、社会は自立共生的なコモンズ(共有地)に至るはずだった。インターネットという脱中心化された情報のネットワークによって、知識や情報が誰にも独占されず、分散化したコミュニケーションによって新しい経済が到来するはずだった。

だけれど、現実にいまぼくたちが目にしているものは、まさにこのインターネットによって、ひと握りの超巨大テック企業が、データという新しい知識とコミュニケーションを独占している事実だ。

ぼくたちは失敗したのだろうか? それともまだ、〈未来〉は到来していないだけなのだろうか?

その問いに軽い既視感を覚えるのは、それがカウンターカルチャーの目指した未来だったからであり、まさにいま同じ夢が、ブロックチェーンという〈信用のインターネット〉によって、初めて真の分散化され脱中心化された社会が到来するのだという触れ込みで再び語られているからだ。

でも当然ながら、そんな社会が本当に来るのかはまだ誰にもわからない。その分散化された人々の〈信用〉をプラットフォームで束ねるデジタル・レーニン主義国家の足音は、すぐお隣からすでに聞こえてきているはずだ。

地球が壊れるのなら、イノヴェイションは必要だ

『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたピーター・ティールは、「未来とは現在とその時点との差分だ」と言っている。つまり、ゼロから1を生み出すような大きな質的変化が起きない限り、これから何年経とうがそれは〈未来〉ではありえない、ということだ。ティールに言わせれば、こうした変化は「テクノロジーによるイノヴェイション」からしか起こりえない(それに対比されるのが、1をnへと増やしていくグローバリゼーションだ。もはや均質なグローバル化を地球環境が支えきれないことが明らかな以上、人類にはゼロイチの解決策が必要というわけだ)。

つまり未来とは、待っていれば来るもの(来るはずだったもの)ではなく、常にぼくたちがイノヴェイションを起こして選び取っていくものだということになる。だとしたら、ぼくらはどんな〈未来〉を望むのか? 『WIRED』とはいままでもこれからも、そうした問いそのものであり続けるだろう。

デジタルテクノロジーが人間の共感の届く範囲を拡張し、社会構造の質的変化を起こす未来を、たとえば文明批評家のジェレミー・リフキンは「限界費用ゼロ社会」として提示している。あるいはぼくが学生時代に『WIRED』の傍らで愛読していた思想家の柄谷行人は、近著『世界史の構造』において経済の交換様式に注目し、貨幣と商品を交換する「不平等/自由」な資本主義社会から、「平等/自由」な、まだ名もなき社会構造へのアップデートを図式化している。

柄谷はそれを理念的なものだとしているけれど、デジタルという新たな交換様式は互酬性で、潤沢さに根ざした再分配が可能で、多様な仮想通貨によってあらゆるモノが交換されていく。つまりはあらゆる交換様式を束ねて、その次の社会構造へとぼくたちを導いていく。

先に挙げた『WIRED』US版創刊編集長のケヴィン・ケリーが著書『〈インターネット〉の次に来るもの』で鮮やかに描いたように、デジタルがもつ特性は不可避的にその方向を指し示している。そして、ぼくがここで敢えて〈DIGITAL LOVE & PEACE〉を楽観的に語るのは、ケリーに言わせれば、その変化が「まだ始まったばかり」だからだ。『WIRED』はこれからもその変化を見届け、自由で平等な次の来るべき社会のヴィジョンを提示していくはずだ。

『WIRED』という〈ムーヴメント〉へ

これまで『WIRED』は、常にマジョリティによるカルチャーではなくサブカルチャーに注目し、ときとしてそれがスーパーカルチャーになるのを支えてきた。既存の体制の側ではなく、新しいムーヴメントを始めようとする人々の側を応援してきた。安易に答えを提示するのではなく、誰もが見過ごしている根源的な問いをメインカルチャーに突きつけ、周縁にあって、次の時代のイノヴェイションを起こそうとする若者たちがメインステージへと躍り出るのを応援してきた。

いまや、『WIRED』が体現してきたこの価値を、社会のあらゆる局面に実装するときが来た。『WIRED』はもはや単なるメディアではない。社会に真にポジティヴなイノヴェイションを起こすインキュベーション機能だ。そのために、スタートアップとグローバル企業、ミレニアルズとエスタブリッシュメント、アイデアと人、テクノロジーと身体性、ヴィジョンとリソースの橋渡しをし、実現するためのハブとなって、アクチュアルなプレイヤーたちと共に、次の時代を切り拓いていく。

DIGITAL LOVE & PEACE。

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松島倫明|MICHIAKI MATSUSHIMA
1972年生まれ、東京都出身、鎌倉在住。一橋大学にて社会学を専攻。1996年にNHK出版に入社。村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、2004年から翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどを幅広く行う。2014年よりNHK出版放送・学芸図書編集部編集長。手がけたタイトルに、デジタル社会のパラダイムシフトをとらえたベストセラー『FREE』『SHARE』『MAKERS』『シンギュラリティは近い』のほか、15年ビジネス書大賞受賞の『ZERO to ONE』や『限界費用ゼロ社会』、Amazon.com年間ベストブックの『〈インターネット〉の次に来るもの』など多数。18年6月、『WIRED』日本版編集長に就任。

夜の深海生物たちが海中で繰り広げる「美しいダンス」

05.30 19:00 WIRED

太陽の光から遠く離れた海の暗い深みのなかでは、無数の生物が暮らしている。夜になると、彼らは食べ物を求めて海面に向かって上がってくる。それは素晴らしいダンスだ。彼らが行うこうした毎日の移動は、地球上で最も大規模な生物移動とも言われている。

海洋写真家のスコット・トゥアソンは、しばしばその現場に立ち会っている。深海生物やプランクトンたちがレンズの前を通りすぎる様子をとらえられるよう、カメラを携えてだ。

クラゲに乗るタコ、マングローヴの葉でサーフィンを楽しむシマアジ、交尾するシーバタフライのカップル。「ほとんどすべてのダイヴィングが、いままで見たことのないものに近づく機会を与えてくれます」と彼は言う。

トゥアソンが父親から初めて防水カメラをもらったのは30年前のことだった。それ以来彼は、フィリピンで水中写真を撮り続けてきた。

5年ほど前、トゥアソンはすべてを見尽くしたような気がし始めていた。しかし、夜の開放水域で初めてボートからバックロールエントリー(船べりに腰かけた状態から海へ入っていくダイヴィングのやり方)に挑戦したときのことだった。その瞬間、彼の目の前には神秘的な新しい世界が広がった。「岩礁の近くで昼間にダイヴィングをしていたら、この光景は見られません」と彼は言う。

ストロボの光で美しく輝く生物たち

海が穏やかな夜、トゥアソンはウェットスーツを着て撮影道具一式をボートに積み込む。岸から数マイル離れると、ボートのエンジンを切り、65フィート(約20m)のナイロンロープを下ろす。ロープにはおもりと撮影用ライト、浮きがつけられている。

防水ケースに入れられ、ストロボ2台を取り付けられた「Nikon D5」を持って、海に潜る。生物たちはストロボの光に近づき、闇のなかで宝石のように輝く。彼は誰も驚かさないように、ゆっくりと静かに彼らのほうに移動する。「クラゲのなかには、ストレスを受けると触手を引っ込めて丸くなってしまうものもいます」とトゥアソンは言う。

クラゲの触手と傘の間に挟まって身を守るアジの稚魚、胸ビレの下にヒメイカをかくまうトビウオなど、ありとあらゆる色彩豊かなキャラクターたちが泳ぎ過ぎていく。トゥアソンは、次に何が現れるのかわからない「黒い世界」に、少し緊張し、少し興奮しながら身を置く感覚が大好きだ。

「夜の海が見せてくれるものは、たとえそれが何であれ、いつも贈り物なんです」と彼は語った。

TEXT BY LAURA MALLONEE
TRANSLATION BY HIROKI SAKAMOTO/GALILEO

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生物の記憶は、RNAを移植すれば「移し替え」できる

05.30 18:00 WIRED

ある生物から別の生物に記憶を移し替えることは可能だろうか? そんなことはSFのなかの出来事のように思える。しかし現在、わたしたちは人工記憶の合成と呼べる行為の実現に少しずつ近づいている。

事実、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の生物学者グループは、ほかの標本で訓練されたアメフラシのRNA(リボ核酸、遺伝情報に限らず情報を運搬する分子)を移植することで、訓練の記憶も移転できることを発見した。研究論文の著者たちによれば、これは非常に有望な事実だ。

将来的には心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対する新しいアプローチを開発したり、アルツハイマー病のような神経変性疾患が原因で失われた記憶を回復させたりすることができるようになるかもしれないのだから。

RNAが記憶をコピーする

デイヴィッド・グランツマン率いるUCLAの生物学者グループは、何匹かのアメフラシにある特殊な訓練を課した。20秒ごとに1回ずつ、計5回の軽い電気ショックをしっぽに与えたのだ。これは24時間後に再び繰り返された。

訓練の目的は、この動物の防衛的収縮の反射を向上させることだった。防衛的収縮とは、攻撃を受けた際にダメージを抑えるために行われる本能的な反応である。

そして実際、再びこの動物を刺激することによって、研究者たちはアメフラシが“敏感”になったことに気づいた。防衛的収縮が、平均50秒持続したのである。一方、訓練を受けなかったグループの収縮が持続したのは約1秒間だった。

この結果を得て、生物学者たちはアメフラシからRNAを採取した。訓練されたアメフラシから抽出されたRNAは、訓練されていない7匹に移植された。そして同じことが反対のグループのRNAに対しても行われた。

そしてこれらは移植されたあと、電気ショックにかけられた動物たちと同じような振る舞いを始めた。訓練されたことがなかったにもかかわらず、移植を受けたアメフラシは防衛的収縮を平均して40秒持続させたのである。これに対して反対のグループでは、何の変化も見られなかった。

学術誌『eNeuro』で発表されたこの研究には、アメフラシの感覚細胞や運動ニューロンに対する試験管内実験も含まれている。実際に訓練を課された動物は、感覚細胞がより反応しやすくなることがわかっている。

研究者たちは、この状態が特殊なRNAの存在によるものかどうかを検証したかった。そして結果はその通りだったのだ。訓練されたアメフラシのRNAと接触していると、培養された感覚細胞はより反応しやすくなっていた(しかし、運動ニューロンはそうならなかった)。

人間へ応用できる可能性も

RNAは細胞のメッセンジャーだ。これはDNAに貯蔵された遺伝子情報のコピーであり、タンパク質の合成を可能にする。しかしそれだけではない。もはや何年も前から、科学者たちは細胞が適切に機能するために非常に重要なほかの機能も知っていた。

例えば、遺伝子発現を制御する役割がそうだ。RNAが変化すると病気を引き起こす可能性があるのだという。そして今回の研究により、RNAに関する知識はさらに広がった。これが記憶のメカニズムにもかかわっているらしいことを発見したのである。

さらにグランツマンによると、この研究は記憶がシナプスのレヴェルだけでなく、ニューロンの核の中にも貯蔵されていることも示しているのだという。

これはアメフラシに対する実験にすぎず、人類とは大きく異なる生物だと反論する人もいるかもしれない。しかし、グランツマンによれば、アメフラシは(人間の1,000億に対して約2万の細胞で構成される神経系をもつにすぎないにもかかわらず)記憶のメカニズム研究のための最も優れたモデルとなる動物のひとつなのだという。実際、そのメカニズムはわたしたちのものと似ている。

わたしたちは長い道のりのスタート地点に立っているだけである。だが、研究者たちは結果が実に有望なものであると考えている。

ひょっとしたらそれほど遠くない将来、病気で記憶を失った人の記憶を回復させたり、PTSDによる機能障害を治すための新しいアプローチを開発したりできるようになるかもしれない。とはいえ短期的には、まずどのようなタイプのRNAが記憶の運搬を司っているか特定することから始めねばならないだろう。


TEXT BY MARA MAGISTRONI
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI

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「赤ちゃんの泣き声」を“翻訳”するアプリ

05.30 11:00 WIRED

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のコンピューター神経心理学者アリアナ・アンダーソンは、第1子を出産したときに新米ママのご多分に漏れず、赤ちゃんの泣き声をどう解釈していいのかさっぱりわからなかった。どんな泣き声、どんなわめき声も、出産後の脳には緊急警報のように響いたのである。

だが第3子が生まれるころには、いつのまにか赤ちゃんの「言語」を難なく解せるようになっていた。アンダーソンの耳は、赤ちゃんの泣き声のうち、どれが「おなかがすいた!」を意味し、どれが「おむつを替えて!」にあたり、どれがもっと深刻な状況、すなわち痛みを伝えるものなのかを学習していたのだ。

それと同じことができるように、アルゴリズムをトレーニングできないだろうか。アンダーソンはそう考えた。

5年後、1,700人を超える赤ちゃんと無数の泣き声の分析を経て、アンダーソンの人工知能(AI)翻訳機が完成した。「Chatterbaby」と呼ばれるこの無料アプリは、周波数の変化や「無音と音」の比率のパターンを解析し、赤ちゃんが泣いている理由を親たちに教えてくれるというものだ。

現時点ではアプリのヴォキャブラリーはごく限られており、空腹と不機嫌と痛みとを区別できる程度である。だが、このアプリを使う人が増えれば増えるほど、赤ちゃんの脳で起きていることを正確に解釈できるようになるはずだ。

自閉症発覚までの知られざる「格差」

このChatterbabyアプリは、新米の親や耳の聞こえない親、あるいは単に途方に暮れて睡眠不足になっている親たちを助けるためだけのものではない。膨大なデータを収集することで、泣き声のパターンの不規則性が自閉症のシグナルになりうるのか、そしていつの日か、泣き声をもとに自閉症を診断できるようになるのか、その可能性を探るためのツールでもある。

「脳の多様性」は、子どもの脳の発達が始まった瞬間から存在する。だが、自閉症スペクトラムのどこかに当てはまりそうな子どもが、そのうちのどれに分類されるかを特定するまでには、何年もかかることも珍しくない。

特に、歴史的に医学研究施設が対象にしてこなかった貧困層などのコミュニティでは、その傾向が強い。人は一人ひとり違うが、早い時期に独自のニーズに応じて励まされて世話をされた子ほど「定型発達」の世界でうまくやっていける点では、医師も教育者も意見が一致している。

アンダーソンは、ほとんどの自閉症研究が社会経済的に恵まれた白人層で実施されている点を指摘したうえで、「わたしたちは研究室を実際の子どもたちがいる場所に持ち出そうとしています」と語る。有色人種の子どもが自閉症と診断される時期は、一般に白人の子どもと比べて1~2年遅い。「こうした医療格差に対応するための手始めは、より良質なデータを集めることです」とアンダーソンは言う。

泣き声だけで機械学習モデルを構築

そこで登場するのが、Chatterbabyだ。このアプリの使用にあたっては、赤ちゃんの親は研究同意書に署名する必要がある。これにより、アプリを通じて記録された音声ファイルをUCLAが収集し、個人を特定できないようにしたうえで、HIPAA(Health and Insurance Portability and Accountability Act:医療保険の携行性と責任に関する法律)に準拠したサーヴァーで保存することが可能になる。

ユーザーにはアンケートへの記入も求められている。このアンケートは、発達状況が標準とは異なる可能性が高い乳幼児の特定に役立つものだ。例えば、視線回避や頭を打ち付けるなどの行動は、手がかりになる可能性がある。また、自閉症スペクトラムと診断された第1度近親者(親子、兄弟姉妹)がいる場合も、遺伝的要因から自閉症の可能性は高くなる。

このアンケート調査は、子どもが6歳になるまで毎年実施される。また、Chatterbabyアプリを通じて、2歳を超えた幼児用のオンライン・スクリーニング・ツールも利用できる。このため不安をもつ親が、かかりつけの小児科医とともに追跡調査をすることも可能だ。

Chatterbabyのすべてのコンテンツは、英語とスペイン語の両方で提供される。アンダーソンのチームは、そうしたすべてのデータと音声ファイルを組み合わせて、泣き声だけをもとに各種の自閉症を予測できる機械学習モデルを構築する計画だ。

あらゆる生理学的データを統合して読み解けるか

これは野心的な目標である。ブラウン大学の「危険因子をもつ子どもに関する研究センター(Center for the Study of Children at Risk)」の心理学者、スティーヴン・シャインコフなどの自閉症研究者は、泣き声のなかに神経学上の強力な手がかりがあることを実証している。とりわけ、泣き声のピッチ、勢い、響きといった音響的特徴に潜む手がかりは有力だ。そうした特徴は、専用のソフトウェアを使って視覚化し、定量化することができる。

だがそうした手がかりだけでは、おそらく診断を下すには不十分である、とシャインコフは指摘する。それよりも、声、行動、そのほかの生理学的データの組み合わせをすべて、ひとつのモデルにまとめるほうが有望だろう。「これらの異質な情報を統合することは、まさにAIと機械学習が真価を発揮できる分野です。ほかの方法では意味を読み解くことが難しいでしょう」と、シャインコフは語る。

そして技術的な可能性はあるかもしれないが、自閉症診断を幼い時期に下すことの有効性には疑問があるとシャインコフは釘を刺す。そうした時期の能力や課題の詳細は、解明されたとはとうてい言えない状態だからだ。

「偽陽性の誤診に危険がないわけではありません」と、シャインコフは言う。「(偽陽性の診断により)親の子どもに対する考え方や触れあい方が変わりますが、それ自体が子どもの発達に影響を与える可能性があるのです」

AIベースによる自閉症診断の分野はある程度進んでいるが、それに比べて脳の発達が通常とは異なる子どもの支援方法を巡る研究は大きく後れをとっている。また、利用可能な支援リソースの社会分布には偏りがある。

こうした現状では、アルゴリズムだけでよい結果を社会全体に行きわたらせることはできない。だがアルゴリズムが、その手始めになる可能性はあるだろう。


TEXT BY MEGAN MOLTENI
TRANSLATION BY CHISEI UMEDA/GALILEO

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世界初のワクチン接種は「人類の勝利」をもたらすか

05.30 08:30 WIRED

エボラ出血熱の致死率は50パーセントを超える。そしてコンゴ民主共和国では、この感染症は悲劇的なまでによく知られている。1976年にウイルスが発見されてからこれまでに、同国では8回もエボラ出血熱の大流行があった。

そして現在、9回目のアウトブレイクが発生しつつある。感染例は疑いのある症例も含めると46件に上り、死者は26人に達している。

今回のアウトブレイクが過去のものと違うのは、感染例のうち4件は都市部で確認された点だ。コンゴ共和国との国境に近い西部のムバンダカという人口100万人超の都市で、首都キンシャサとの交通の便もいい。つまり、都市での感染拡大という恐ろしい事態が起きる可能性がある。

NPOの「国境なき医師団(MSF)スイス」のミカエラ・セラフィニは、「農村部なら接触者は10人程度で済むかもしれませんが、都市部では発症後の2日間で50〜60人と接触する可能性もあります。結果として深刻な影響がもたらされるのです」と語る。

しかし、違いはもうひとつある。今回はワクチンが存在するのだ。

リングワクチン接種の実施という挑戦

現地の医療従事者や感染性廃棄物の処理に当たる人などを対象に、5月21日から「rVSV-ZEBOV」と呼ばれるエボラワクチンの接種が始まった。今後は感染者と接触した人や、2次接触者にも接種が行われる。リングワクチン接種と呼ばれ、緩衝ゾーンをつくることで感染拡大の阻止を目指す手法に基づく接種プログラムの実施も予定されている。

ワクチンは厳密にはまだ臨床試験段階にあり、アウトブレイクにおける接種プログラムの展開も初めてとなる。このため、医療関係者は被害を食い止めるだけでなく、ワクチンが感染拡大という現実の状況でどれだけ効果があるかを調べたいと考えている。

セラフィニは「医療的に正しく適切なことが行われなければならない研究の段階にあります」と言う。「対象者にはきちんと説明したうえで、ワクチン接種の同意を得なければなりません。同時に、臨床実験のプロトコルについて訓練を受けた専門家が必要となります。アウトブレイクのような緊急時において、こうしたことを確保するのはかなりの難題です」

世界は過去の悲劇から学んできた。2014年に起きたパンデミックでは、13年後半にギニアで最初の症例が報告された。感染はその後、西アフリカ全土に広がり、1万1,000人以上が死亡したとされる。

しかし、科学者や医療関係者はここから重要な教訓も得た。治療や隔離施設の運営についての効果的な方法を学び、迅速な検査、そして防護服や医療手袋などの装備の重要性を理解したのだ。

最有力視されていたワクチン

一方で、エボラ出血熱そのものの研究も進んでいた。アメリカは冷戦期に、旧ソヴィエト連邦がエボラを生物兵器として利用するのではないかとの疑念を抱いた。このため、陸軍感染症医学研究所(USAMRIID)では1980年代からワクチン開発の取り組みが進められており、西アフリカでの大流行までに10以上の異なるアプローチによる研究が行われていた。

なかでも有力視されていたのが、水疱性口炎と呼ばれる感染症を引き起こす水疱性口炎ウイルス(VSV)に手を加えたワクチンだ。USAMRIIDはカナダ公衆衛生庁と協力し、VSVの糖タンパク質遺伝子を、ザイールで発見された特に悪質なエボラ出血熱を引き起こす種類のエボラウイルスのそれと置き換えた。

rVSV-ZEBOVというワクチンの名前を見れば、すべてがわかるようになっている。遺伝子ヴェクター[編註:組み替えDNAを運び込む役割を果たすもの]が組み替え(recombinant)VSVで、ザイール(Z)のエボラウイルス(EBOla Virus)と闘うことを目的としている──というわけだ。

このワクチンはネズミなどのげっ歯類やサルには非常に効果があった。開発に携わったテキサス大学医学部ガルベストン校のウイルス学者トム・ゲイスベールは、「VSVワクチンは明らかに最も有望でした」と言う。「ほかのワクチンはたいていの場合に複数回の接種が必要でしたが、VSVワクチンは1回の接種で有効になります」

パンデミックという“好機”

西アフリカでのパンデミックは、ある意味ではチャンスでもあった。世界保健機関(WHO)は関係機関と協力して、リングワクチン接種で1次接触者と2次接触者にワクチンを与え、rVSV-ZEBOVの実験を行うことができたからだ。

感染が拡大する状況でワクチンを試すのには複雑な問題がある。なぜなら、効果を見るために対象者をワクチンを接種するグループと接種しないグループに分けることには、道義的な問題があるからだ。

潜在的に命を救える手段があるなら、潜在的な感染者にそれを与えないわけにはいかないだろう。このため、特定のグループには接種の時期を遅らせるという方法がとられた。

最終的には4,000人以上が接種を受け、誰もエボラに感染しなかった。ただ、ワクチンの接種が行われたときにはパンデミックは収束に向かいつつあり、ピーク時よりは感染の脅威がはるかに低かったことも事実だ。

rVSV-ZEBOVの生産を請け負う製薬大手のメルクは、コンゴに7,500回分のワクチンを寄付した。一方、子どもへの予防接種の普及を進める「Gavi, the Vaccine Alliance」は、ワクチン接種プログラムの運営に100万ドル(約1億900万円)の支援を行なっている。

ただ、こうした支援を生かすには、ワクチンを接種すべきなのは誰なのか特定する必要がある。まず「接触者」を正確に定義し、それに該当する人を探し出して、rVSV-ZEBOVがどのようなワクチンなのか説明し、同意を得た上で摂取を行う。そして接種後もフォローアップして、実際に効果があったのか確認しなければならない。

ワクチンの温度管理という課題

同時に、ここで素晴らしいことが起こった。ギニアの医療チームが、トレーニングや検査業務などにおける協力を申し出たのだ。ボストン大学国立新興感染症研究所の感染管理所長ナイード・バデリアは、「西アフリカが専門知識を提供しようとしているのです。南と南の協力です。過去にアウトブレイクを経験した医療関係者たちは、そこから得たものを共有することができるでしょう」と話す。

ただ、今回は事情が少し異なる。都市部での感染コントロールには利点もある。昨年に農村部でエボラ出血熱が流行した際には、赤道直下の気候の下、ワクチンの温度を15〜25℃に保ちながら長距離を移動しなければならなかった。医薬品の温度管理は今後も続く課題だ。家庭用の冷蔵庫を使えば0℃前後に冷やしておけるが、これを維持するには安定した電力の供給が必須になる。

ワクチンはWHOの「専用の運搬車」で、アウトブレイクの中心地であるムバンダカとビコロに設置した冷蔵設備まで運ばれる。セラフィニによると、rVSV-ZEBOVは8℃以下であれば数日は保存が可能で、多少は時間的な余裕が生まれる。

農村部では人の移動は限られているため、感染は遠くまでは広がらない。これに対し、都市部では人の移動が激しいだけでなく人口密度も高く、接触の機会は増える。バデリアは「接触者と見なされるグループ全員を把握するまでは、決めの一撃を放つことはできないのです」と説明する。

それでも、ワクチンの存在によって今回のアウトブレイクは、過去のそれとは違うものになっている。まだ臨床試験段階ではあるが、「わたしたちはこれまでに使ったことのないツールを手にしています。感染症との闘いのダイナミクスが変わっていくのです」と、バデリアは言う。

「いま大切なのは、現地で感染者を見つけることです。そしてワクチンの保管方法、接種プログラムの策定と実施、その後のモニタリングといったことにどう取り組むかが課題になります」

これは新しいゲームである。そして参加者は、ルールを学ばなくてはならないのだ。


TEXT BY ADAM ROGERS
EDITED BY CHIHIRO OKA

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「チップ脆弱性」の脅威は終わらない

05.30 07:30 WIRED

今年1月に騒がれていた「Meltdown」と「Spectre」というCPUの脆弱性を覚えているだろうか。ハードウェアレヴェルの問題で、サーヴァーやデスクトップからタブレット、スマートフォンに至るまで、あらゆるデヴァイスでハッキングの恐れがあることが明らかになった。

問題の脆弱性は、CPUの高速化に用いられるごく一般的な方法に起因するもので、メーカーは慌てて修正プログラム(パッチ)を配布した。しかし、その影響でチップの処理速度が低下するといった“二次災害”も発生している。

同時に大きな懸念もあった。MeltdownとSpectreはまったく新しいタイプの攻撃に対する脆弱性で、専門家は将来的に同様のセキュリティホールが見つかる可能性があるとの見方を示していたのだ。

そして今回、実際に亜種が発見された。

マイクロソフトと、グーグルのセキュリティーチーム「Project Zero」は5月21日、「Speculative Store Bypass (SSB) Variant 4」という新たな脆弱性を公表した(「Variant」の1と2はSpectre、3はMeltdownに分類される)。この脆弱性はインテル、AMD、ARMのチップで問題が確認されている。

悪用された場合は通常ならアクセス不可能なデータを読み取ることができる。攻撃はブラウザの広告表示に使われるJavaScriptの特定のモジュールなどから実行が可能だという。

またしても処理速度の低下が問題に

マイクロソフトによると、SSBのリスクは「低度」で、インテルもハッカーがこの脆弱性を利用した痕跡は見つかっていないとしている。また、ブラウザーを含む一部のシステムは、MeltdownとSpectre向けの前回のパッチで対応できているが、半導体メーカーとソフトウェア企業はSSB専用の修正プログラムを提供する方針だ。そして、前と同じパフォーマンスの低下という問題が見込まれている。

この問題について、インテルのレスリー・カルバートソンは声明で、「セキュリティ関連の問題は多くの場合において、どうなるか予測が可能です。これには前回に起こったことも含まれます」と説明している。

ソフトウェアのアップデートでは、影響を軽減するためのSSBの保護はデフォルトでは無効になっている。だが、「有効にした場合、全体的なパフォーマンスにベンチマークスコアで2〜8パーセント低度の影響が出ることが確認されています」と、カルバートソンは指摘する。

現在使われているプロセッサーは、処理命令を事前に推測して先に実行しておく「投機的実行(speculative execution)」と呼ばれる技術を採用する。一連の問題はすべて、この投機的実行を悪用したサイドチャネル解析の脆弱性だ。ハッカーは投機的実行のプロセスでデータを保護する仕組みの欠陥を突いて、データにアクセスしようとする。

こうした攻撃には、比較的単純なソフトウェアとファームウェア(ハードウェア内のメモリに記録された組み込みソフトウェア)のアップデートで対応が可能だ。しかし、チップの基本的な動作を調整する「マイクロコード」を変更する必要があるため、ソフトウェア開発者はマイクロコードの修正に関しては半導体メーカーに頼ることになるだろう。

安全性か、処理速度か

一方、ユーザーはアップデートごとに、それをインストールするかどうかを考えなければならない。なぜなら、攻撃の危険性を減らすには処理効率を犠牲にすることになり、システムが遅くなる可能性があるからだ。

MeltdownとSpectreの修正プログラムでは、実際にパフォーマンスの低下が起こった。SSBの危険性はそれほど高くないとされており、ユーザーはパッチを含むアップデートをインストールする前に、マイナスの影響を天秤にかける可能性もある。

マイクロソフトは昨年11月にはSSBを巡る調査を始めていたと明らかにしている。この時点でMeltdownとSpectreの問題も明らかになっていたが、問題を公表したのは1月になってからだった。また3月には、投機的実行のプロセスを悪用した新種の攻撃を見つけた場合、25万ドルの賞金を出すと明らかにしている。

ほかにもグーグルやインテル、多くのセキュリティ企業などが、同様の問題の発見に取り組んでいる。この種の欠陥への対応の複雑さと、メーカーが発表する修正プログラムへの依存度の高さを考慮すれば、SpectreとMeltdownでの経験はSSBに効率的に対処するうえで役立つだろうと、専門家は指摘する。

長期にわたる影響への懸念

商用のLinuxディストリビューションなどを提供するRed HatでARMの設計主任を務めるジョン・マスターズは、「まだ調査を始めたばかりで、『投機的実行だ、何が問題なんだろう』とつぶやいていました」と話す。Red Hatはセキュリティ業界の共同作業の一環として、SSBの調査結果に早くからアクセスが許されていた。

「SpectreとMeltdownは大きな問題でしたが、今回はこれが起こっていたことが幸いしました。SSBでは以前に学んだことを生かして、アップデートをより簡単にするために多くの努力がなされています」

専門家によると、この種の攻撃に関する詳細な研究が進めば、それだけ投機的実行に絡んだ新しい問題が起こる可能性は低くなっていく。また業界関係者は、SSBが大惨事につながることは恐らくないという事実に安堵しているだろう。

しかし、今回のようなセキュリティホールは、相当数のデヴァイスが長期にわたって影響を受ける点にその危険性がある。脅威を完全に取り去るには、脆弱性が見つかったチップを内蔵するデヴァイスを、ほかの安全なチップが搭載された新しいデヴァイスと徐々に交換していくしかない。

このプロセスには年単位の時間がかかる。そしてその間、これらのデヴァイスは、ニッチではあるが成功すれば確実に効果がある攻撃の脅威にさらされ続けるのだ。



TEXT BY LILY HAY NEWMAN
EDITED BY CHIHIRO OKA

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6年かけて製作した「ミレニアム・ファルコン」の操縦席

05.29 19:00 WIRED

「スター・ウォーズ」ファンの世界には、いわゆる普通のファンだけでなく、ちょっとカテゴリーの違うファンがいる。コスプレイヤーや、Funko(ファンコ)のフィギュアを全部そろえる人、あるいは「クロール(映画のオープニングで流れる、舞台背景を説明した文章)」を暗唱する人と、さまざまだ。

グレッグ・ディートリックもそのひとりだ。彼はアラバマ州ハンツヴィルにある自宅ガレージで、6年という年月を費やして「ミレニアム・ファルコン」の象徴的なコックピットの実物大レプリカをつくり上げたのだ。

5月4日は「スター・ウォーズの日」(映画の中のセリフ「May the Force be with you」にちなんでいる)だが、2018年の5月4日はただの記念日ではない。ディートリックがミレニアム・ファルコンのフライト・コンソールをつくろうと決心したのが、6年前のこの日だったのだ。

ファンたちも大盛り上がり
ディートリックは6年前、「スター・ウォーズの日」から数日後に、自分の計画を「rpf.com」に投稿した。「RPF」は、スクリーンに映った家具などの備品や小道具を本物そっくりにつくることに情熱を注ぐファンたちの情報交換の場だ。

ディートリックは当時を振り返りながら、こう語る。「模型の画像を投稿していたら、誰かが『コンソールをつくるなら、後ろの壁もつくるべきだよ』と言ったんです」。すぐにほかの人たちもこれに同調し、ディートリックは近いうちに光速で飛ぶことは絶対にないプロジェクトにどっぷりとはまることになった。

ディートリックのような「ファルコン通」なら、自分がつくる「コレリアンYT-1300軽貨物船」のレプリカは、8歳のときにスクリーンでこれが飛び去って行くのを初めて見て圧倒されたのと同じくらい、忠実なものにしたいと思うはずだ。

当時の映画制作者たちは、航空機用安全装備メーカーであるマーチンベーカーが製造した「Mk.4」型の射出座席に手を加えて、誰もが欲しがる人気のコックピット操縦席へと変身させた。彼らが座席をどのように変更したのかを知りたいと思ったら、映画の映像をキャプチャーした膨大な画像を、聖書のように大切に扱いながら研究し、それを教えてくれる制作画像を探し当てようとするはずだ。実際に映画制作者たちは、飛行機のスクラップを大量に買い込んでいた。

スター・ウォーズの世界に工業デザイン的な雰囲気を与えている、さまざまな部品を組み合わせた「グリーブリー」(市販のプラモデルのパーツなどを使用して撮影用プロップのディテールを追加すること)は、「ケッセル・ラン」(惑星ケッセルへの航路)を12パーセク(39光年)で飛べる宇宙船を本物らしく見せるための鍵だ。

“宇宙最速”のガラクタの塊に数千ドル
ディートリックは、いくつかのグリーブリーについては5回以上つくり直していて、宇宙最速のガラクタの塊を仕上げるのに数千ドルをつぎ込んでいる。これはディートリックだけのものではない。実物大のファルコンというプロジェクトには、世界中のファンの情熱が注ぎ込まれている。参考にするために、ファルコンの内装と外観をデジタル3Dモデルでつくったり、オリジナルのグリーブリーを探し当てたり、飛行機に乗ってビルドパーティに駆け付けたりといった、たくさんのファンたちに支えられてきた。

最新情報は、このプロジェクトのFacebookページに投稿されている。同じ街に住む仲間のジェイク・ポラッティは、電子工学のスキルを生かして数百個のライトを取り付けた。アナログスイッチでオンオフできるこれらのライトは、フライトコンソールから光を放ち、レーダーユニットの裏で明滅する。

現在、コックピットはほぼ完成している。「ハン・ソロかチューバッカ、あるいはランドかレイを座らせれば、飛ばせるかもしれません」とディートリックは言う。だが、これはまだ始まったばかりだ。上の動画で、彼らが何を計画したのかをぜひ観てほしい。そしてもちろん、この言葉を贈ろう。フォースと共にあらんことを!


TEXT BY PATRICK FARRELL
TRANSLATION BY MIHO AMANO/GALILEO

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受粉させるロボットは、ハチの代わりに実りを増やせるか

05.29 17:00 WIRED

食べることは好きだろうか? 例えば、りんご、みかん、ベリー類。わたしたちがこうした食べ物にありつけるのは、ハチとその驚くべき受粉媒介能力のおかげだ。

しかし、日頃の感謝の意を表するかたちとしては残念なことに、人間は衝撃的な数のハチを殺している。われわれはハチの生息地を破壊し、農薬を通じて彼らに毒を盛っているのだ。

これと並行して、世界人口は急激に増加している。つまり、ここできちんと行動できなければ、いまより多い人口のための食糧を、いまより少ない送粉者に用意してもらわなくてはならない状況に陥るのである。

ただし、これは“生きた送粉者”の話だ。

ウェストヴァージニア大学の温室には、「BrambleBee」という名のマシンがいる。いまこのロボットは、受粉期を迎えたブラックベリーの周りを移動しながら、花を揺らす技術を学習しているところだ(ブラックベリーは自家受粉する。このため、ハチやロボットは花を揺らして花粉を飛ばすだけで受粉につながるのだ)。

BrambleBeeはハチの代替ではない。しかし、人間が増え送粉者が不足している世界においては、こうしたロボットが食料供給の助けになる可能性はある。

「LiDAR」とブラシで受粉をサポート

BrambleBeeの仕組みは、自律走行車のそれに似ていなくもない。

例えば、このロボットには「LiDAR(ライダー)」が搭載されている。レーザーを照射することによって、BrambleBeeは温室内の3Dマップをつくるのだ。

いまのところ、BrambleBeeは花の代役としてQRコードを探しているが、もう少しで本物の花の写真も撮れるようになるという。

ブラックベリーの低木の列の間をウロウロしたら、BrambleBeeは自分の“腕”がなるべく多くの花に届く道順を考える。木の前に立ったら、腕についたもうひとつのカメラを使って、その木のさらに高解像度な3Dマップをつくる。

BrambleBeeの腕の先端には、3Dプリントでつくられた小さく柔らかいポリウレタン製のブラシがついている。ある花が受粉に適していると判断すれば、BrambleBeeはブラシを使って花を優しくはたく。こうすることによって、花粉が雄しべの葯(やく)から雌しべへと移動するのだ。

ちなみにこのロボットは、どの花を揺らしたかも覚えていられる。このため、温室で花が育つのに合わせて何度も作業できるのだ。

受粉補助以外の作業への応用も

この方法は、ハチに仕事をしてもらうよりも確実にコストがかかる。また、この方法を通じて虫たちは食べ物を得られるわけでもない。ただし、BrambleBeeはハチからは得られないあるもの提供してくれる。データだ。

「つぼみから果実まで各ステージを認識できるとすれば、どの程度の品質でどのくらいの収穫量が見込めるかがわかりますよね」と、ウェストヴァージニア大学のロボット工学者で、このシステムの開発者であるユー・グは言う。

もしBrambleBeeが受粉という繊細な作業を行えるのであれば、道具を変えて植物のほかの世話をすることだって理論上は可能だろう。例えば、ハサミで不健康な花を切りとるといった作業だ。

ハチの協働者として役目

しかし再度言うが、これはハチの代替とはほど遠い。地球上には20,000種類以上のハチが生息している。そして彼らはそれぞれ、花粉を集めるためのユニークな身体構造と戦略をもっている。

「1億年近い時を経て巧みに進化してきたハチたちを、人間がつくった1つのロボットが超えることはありません」と、ミネソタ大学の昆虫学者であるマーラ・スピヴァックは言う。「われわれはハチを代替する方法ではなく、ハチを守る方法を考えるべきなのです」

加えて身長の低いBrambleBeは、アーモンドのような樹木作物には使えない。自家受粉しない作物も厄介である。人間にはまだハチが必要であり、彼らを守るための政策や研究が欠かせない。

もうひとつ、大きなインパクトを与えるためには受粉ロボットを大量に生産しなくてはならない。

「ハチの個体数減少を補うために、食糧生産で受粉ロボットが大きな役目を果たす未来というのはかなり想像しづらいでしょう」と、ハーヴァード大学の生物学者であるジェームズ・クロールは言う。クロールは、ハチにQRコードを貼り付けカメラでトラッキングすることによって、ハチの群れ行動のダイナミクスを研究している。

「ミツバチ以外に加え、何千種類ものハチが穀物生産や生物学的多様性の維持に不可欠な役割を果たしているのです」

しかし、受粉促進のために養蜂家から農家へとハチの巣が貸し出されるように、BrambleBeeが農家にレンタルされたり、温室でフルタイムで働いたりすることもあり得るだろう。

仮にハチとロボットが一緒に働くときにも、ハチを傷つける可能性のある小さな受粉ドローンに比べれば、BrambleBeeはそれほど混乱を起こさないかもしれない。

人類はたしかにハチを保護すべきだ。しかし、今後も食糧を確保していくために、未来の農家はロボットの手のひとつやふたつ借りてもいいのかもしれない。


TEXT BY MATT SIMON
TRANSLATION BY ASUKA KAWANABE

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子どもの成長にAlexaは悪影響?

05.29 11:00 WIRED

いま子どもをもつ親たちが抱えている、かつては存在しなかった現代的な心配のひとつとして、ヴァーチャルアシスタントがしつけの面で子どもにどんな影響を与えるかという問題が挙げられる。

お話を朗読してほしいとアマゾンの「Alexa」に注文し、ジョークを言ってほしいと「Googleアシスタント」に命令するのが習慣になれば、礼儀正しく気遣いのできる立派な大人としてのコミュニケーションが身につかず、偉そうに命令ばかりする、いけ好かない人間に育ってしまうのではないか。

こうした懸念があまりに広がったため、アマゾンとグーグルは揃って5月半ばに声明を発表した。発表によれば、両社のヴォイスアシスタントは、子どもたちがリクエストの最後に「お願いします」をつけ、丁寧な頼み方をするよう促すのだという。

Alexaの新製品「Echo Dot Kids Edition」は、「優しく頼んでくれてありがとう」と子どもに礼を言う。近く発売のGoogleアシスタント「Pretty Please」は、子どもの頼みを受け入れる前に、「魔法の言葉を言ってね」と念を押す。

しかし心理学者の多くは、子どもたちがヴァーチャルアシスタントに丁寧に接することは、親が考えているほど深刻な問題ではないと考えている。むしろ、これは“おとり”のようなものかもしれないというのだ。

子どもはきちんと区別できている

ヴァーチャルアシスタントがますます性能を高め、会話力を増し、広く使われるようになるだろう。アシスタントを備えたデヴァイスの数は、そのうち人間よりも多くなると予測されている。

これに伴って心理学者や倫理学者は、「Alexaで子どもが威張り屋になるのでは?」という心配より、もっと深い、より繊細な問いを投げかけている。そして親たちにも同じように考えてほしいという。

「わたしが初めてヴァーチャルチャイルドをつくったときは、批判や反対意見にたくさん晒されました」と、カーネギーメロン大学のヒューマンコンピューター・インタラクション・インスティチュートに所属する名誉教授であり、発展心理学者のジャスティン・キャッセルは言う。彼女は児童用AIインターフェイス開発の専門家でもある。

キャッセルはマサチューセッツ工科大学(MIT)在籍中の2000年代初頭、等身大で生きているように動くヴァーチャルな子ども「サム」を使い、人間の子どもが認知能力や社会性、行動面での能力を磨くことにどう役立てられるかを研究していた。

「子どもは本物と偽物の区別がつかなくなるのではないか、と評論家から懸念の声があがりました」とキャッセルは振り返る。「ヴァーチャルチルドレンと本当の人間の子どもとの違いを見極められなくなるだろうと」

ところが、サムが本当の人間だと思うかどうか尋ねると、子どもたちは呆れた表情を浮かべ、本物のはずがないじゃないか、と答えた。そこには一点の迷いもなかった。

実際のところは誰も確信をもてない。だからこそ研究の価値はあるとキャッセルは主張する。

だが彼女は、いまの子どもたちはデヴァイスを埋め込んだデジタルな「親友」のヴァーチャルな性質に順応していくのではないかと考えている。さらにその方向で考えれば、そのデジタルな仲間に対して礼儀正しく接するべきときと、そうでないときとを見分けられるようになるのではないか、と。

子どもは世界をカテゴリー分けするのが得意だと彼女はいう。彼女によれば、子どもたちが人間と機械を区別していられる限り心配はいらない。「それこそわたしたちが子どもたちに学んでほしいことでしょう──声を出すものすべてにお礼を言うようになってもらいたいのではなく、人間には感情があることを知ってほしいのではありませんか?」

ヴァーチャルアシスタントとは議論ができない

なるほど、その通りだ。しかし、「Google Duplex[関連記事]」の場合はどうだろう?

これはグーグルが新たに開発した、人間そっくりの声で電話をかけてくる人工知能(AI)だ。確かに問題は複雑になるとキャッセルはいう。人間の声か機械の声か区別できないなら、相手は人間と想定すべきだろう。人の気持ちを傷つけてはいけないからだ。

しかし真の問題は礼儀ではなく開示である。AIは自らがAIだと明らかにするよう設計されるべきだ。

さらに、子どもがAIと接するうちに出てくる影響は、相手が人間ではないと認識できるかどうかを超えて、はるかに深刻なものになるかもしれない。

「その種のデヴァイスが子どもの行儀の悪さを助長するのではないかと親が心配するのは当然でしょう。ヴァーチャルアシスタントをからかうようになったり、生意気な言葉を使うようになったりするかもしれません」と、ミシガン大学の発達行動学を専門とする小児科医、ジェニー・ラデスキーは言う。

彼女は米国小児科学会の出したメディア向けガイドライン最新版の共著者でもある。「しかし、子どもの認知発達のような面にかかわる問題のほうが大きいとわたしは思っています。つまり、情報を消化し、そこから知識をつくっていく力にかかわる問題です」

例えばヴァーチャルアシスタントと接することが、実際には子どもの学習のためには役立っていないかもしれないと考えてみよう。

ここに挙げた「Echo Dot Kids Editon」の広告映像では、最後に女の子がアンドロメダ星雲までどのくらいの距離があるのかスマートスピーカーに尋ねる。カメラが引いていくと同時に、Alexaがスラスラと答える声が聞こえてくる。「アンドロメダ星雲までの距離は253万7,000光年です」

親には、これが素晴らしい未来に思えるかもしれない。Alexaは大人の知らない質問にも答えてくれる! しかし、ほとんどの子どもは、単に情報を受けるだけで学習するものではない。「子どもは挑まれて学ぶのです。親やほかの子、先生に問いかけられ、そこから賛成したり、反対したりしながら議論を発展させます」

ヴァーチャルアシスタントには、まだそういうことができない。そこで子どもと一緒にスマートデヴァイスを使う親の重要性が浮き彫りになってくる。少なくとも当面、その状況は変わらないだろう。

親の教育は不要になる?

しかし、デジタル「執事」たちが、人の脳を活性化させるような気さくな会話ができるようになるのは、思いのほか早かった。

5月半ばにグーグルが発表したところによると、同社のスマートスピーカーは命令を受けてから数秒間は内容を覚えた状態でいられるようになるという。それによって、「ねえ、Google」「オーケー、Google」と呼びかけなくても、自然な会話が続けられる。

さしあたりこの機能によって、ヴァーチャルアシスタントは文脈に沿った質問に答えてくれるようになるだろう(例えばジョージ・クルーニーの主演映画を教えてくれと言ったあとで、彼の身長はどのくらいかと尋ねると、Googleアシスタントは「彼」がジョージ・クルーニーのことだと認識できる)。論理的なやりとりにはまだ遠く及ばないものの、会話形式によって問いかけから学ぶ方向にはしっかり進んでいる。

もしかしたら、さらにその先まで行くかもしれない。「囲碁[関連記事]やチェスのように、子どものしつけも機械のほうが上手になるのでは──という疑問が出るのは当然だと思います」と、自律型知的システムの倫理に関する「IEEEグローバルイニシアチヴ」の代表を務めるジョン・ヘイヴンズはいう。

「もし子どもが、『両親が家にいてくれるのはありがたいよ。生物学的には親のおかげでこうしていられるんだから。でも、パパはダサいおやじギャグばかり言うし、ママはちょっと干渉しすぎ。だからほんとは機械から知識や知恵、洞察力を教えてもらうほうがいいと思うんだ』なんて言い出したらどうします?」

誇大妄想に聞こえるかもしれない、とヘイヴンズは笑う。まだ来ない未来の「もし」に基づいたシナリオについて憶測を巡らせているのだから。

だがもっと近い時期ならどうだろう? 親の仕事を機械に委ねるようになって、子どもが親よりAlexaのほうが頼れると判断する日が来てしまったら、どうやって仕事を取り戻せばいいのか? 例えば、三角法を教えてもらうならAlexaのほうが確実だと、子どもが考えるようになったら?

個人情報に関する懸念も高まる

話を聞いたほかの専門家たちも、子どもにヴァーチャルアシスタントを与えることの長期的影響については、いまから真剣に考え始めても時期尚早とは言えないという。

「この種のツールが素晴らしく役立つ場合もあると思います。親がいつでも十分な時間をとれるとは限らないし、そういったときに代役としてさっと質問に答えたり、物語を聞かせたりしてもらえるでしょう」と、小児科医のラデスキーは言う。「しかし、そうすることで、親子で一緒に楽しめる経験をも奪われかねないことを親にも考えてほしいのです」

ラデスキー、キャッセル、へイヴンズは、ほかにも親が考えるべきことがあるという。インターネットに接続したおもちゃに個人情報の問題[関連記事]が絡んでくることを、どの程度まで子どもが理解しているか。遊びに行った友達の家ではどのようなデヴァイスの使い方をしているのか、ほかの家族のデヴァイスがどこまで子どもの情報を収集できるようになっているのか。

言い方を変えれば、さまざまな事実を教えてくれたり娯楽を提供してくれたりするアルゴリズムを、子どもたちが概念としてどうとらえるのか、ということだ。そのアルゴリズムは子どもたちを楽しませるだけでなく、子どもたちについての情報を集めるし、もしかするとそれを使って利益を得るのかもしれない。

「実際のところ、ロボットやヴァーチャルアシスタントをめぐる社会構築について、子どもとじっくり話し合ったことのある人は非常に少ないのです」とラデスキーは言う。

おそらく親はそちらのほうを考えるべきだろう。リヴィングルームに置かれたスマートスピーカーに、子どもたちが「ありがとう」「お願いします」と言えるかどうか、という問題よりも。



TEXT BY ROBBIE GONZALEZ
TRANSLATION BY YOKO SHIMADA

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「GDPR」は、あらゆる企業の経済活動に変化を迫る

05.29 07:00 WIRED

わたしたちはずっと前から、グーグルやフェイスブックは何をどれだけ知っているのか疑問に思ってきた。そして自分たち以外に、自分の個人情報にアクセスできるのは誰なのだろうか、と。

だがテック業界の巨人たちは、こうした問いに明確な答えを示すつもりはまったくないようだった。なぜこの広告が表示されているのかといった非常にシンプルなことですら、謎のままだったのだ。

ところが、プライヴァシーを巡る欧州連合(EU)の新しいルールのおかげで、このパワーバランスに変化が生じようとしている。

5月25日に施行された「一般データ保護規則(GDPR)」では、消費者にデータ収集を行なっていることを知らせるだけでなく、どのようなデータを集めているのかを明示し、許可を得ることが求められている。これまでのように細かい字で書かれた利用規約では不十分なうえ、同意しなければサインアップできないようなシステムも許されない。

企業は今後、収集する個人情報の内容とその利用について、明快かつ簡潔に説明しなければならない。氏名、住所、位置データ、IPアドレス、ウェブやアプリの利用を追跡できる情報などを取得する場合、収集を行う理由と、そのデータは個人の行動を記録するのに使われるのかを明確にする必要がある。また、消費者は企業が保管するデータにアクセスする権利、不正確な情報を修正する権利、およびアルゴリズムによってなされた決定を制限する権利を得る。

このルールはデータを処理する場所に関係なく、EU加盟28カ国の個人を保護する。つまり、『WIRED』のようなパブリッシャー、銀行、大学、「フォーチュン500」に名を連ねる大企業の大半、ウェブやデヴァイスやアプリなどを通じてユーザーを追跡するアドテク企業、そしてシリコンヴァレーのテック大手が影響を受けるのだ。

「機密性の高いデータ」の収集に厳格な条件

EUの政策執行機関である欧州委員会はウェブサイトで、規制の適用範囲として以下のような例を示している。

ソーシャルネットワークは未成年のユーザーが投稿した写真について、ユーザーから削除を求める請求があればそれに従い、同時にその写真を使っている検索エンジンやその他のウェブサイトにも削除するよう依頼する必要がある。

また、カーシェアリングサーヴィスを提供する企業は、利用者の氏名、住所、クレジットカード番号、障害の有無といった情報を得ることは構わないが、人種について質問することはできない。GDPRの下では、人種、宗教、支持政党、性的指向といった「機密性の高いデータ」の収集には、より厳格な条件が適用されるからだ。

GDPRは施行前から、企業が行う個人情報の収集やデータの取り扱いに変化を促してきた。グーグルは昨年6月、パーソナライズ広告のために行なっていた「Gmail」のメールスキャンを停止すると明らかにしている(ただし、グーグルはこの決定はGDPRとは無関係で、法人向けの有料サーヴィスとの調和を図るためと説明している)。

なお、GDPRはEU域内の規則だが、たいていの企業は全世界を対象に変更を行なっている。そのほうが地域ごとに異なるシステムを採用するより容易なためだ。

ネットにおける既存の経済システムを覆す好機

影響を受けるのは大手企業にとどまらない。広告分析プラットフォームを提供するDrawbridgeは今年3月、デジタル広告について消費者の同意を得られるかが不透明だとして、EU事業を縮小すると発表した。

データ管理・分析のAxciomは、投票記録から車両登録までさまざまな情報源から集められた7億人以上の個人情報を扱うが、アメリカおよび欧州事業でオンラインポータルを改定している。Acxiomでデータ倫理を統括するシーラ・コルクラシュアは、GDPRは「世界全体の向こう10年のデータ保護に関する方向性を定めるものになるでしょう」と話す。

こうした動きとは別に、同意と管理と説明を重視するGDPRの姿勢を受けて、消費者はオンラインでの“監視”についてより深く考えるようになるだろう。プライヴァシー保護を訴える活動家たちは、企業のやり方を変えさせるための武器として、この新しいルールを使おうとしている。

一言でまとめるとすれば、GDPRはネットの世界における既存の経済システムを覆すチャンスなのだ。インターネットの商業利用が始まって以来、企業はデータ収集とその収益化を熱心に進めてきた。しかし、EUの消費者はここに来てついに、オプトアウトの負担ではなく、オプトインの自由を手にした。GDPRによって、消費者の信頼を築くことに経済的な見返りが生まれるのだ。

ニュースクール大学でメディアデザインを教えるデヴィッド・キャロル准教授は、GDPRは何も考えずにただ利用規約に「同意する」をクリックするのではなく、「ユーザーとデータと企業の関係性を再構築する真のチャンス」を提示するものだと説明する。キャロルは活動家たちが集めたデータに基づいて「調査が行われ、企業は説明責任を果たす必要が出てくる可能性もあります」と話す。

企業は消費者の「価値」を評価する

透明性とアカウンタビリティーの重要性は、かつてないほど高まっている。以前はサーヴィス規約が何を言っているのかまったくわからなくても、それを受け入れるか深く悩む必要はなかった。同意さえすればそれで済むし、ネットを使っているときにいつもわずらわしい広告が付きまとってくるマイナスの側面さえ我慢すれば、あとは特に問題ないように思えたからだ。

しかし、わたしたちはここ数年、個人情報などのデータがさまざまな問題を引き起こすのを目の当たりにしてきた。マイノリティーの抑圧、白人若年層の急進化、社会の分断を招くための政治的信条の悪用──。データをうまく利用すれば、選挙結果すら左右することができるのだ。

デジタル権の活動家で研究者のウルフィー・クリストルは、「日常生活における企業からの監視」と題した報告書のなかで、ユーザーの行動を支配するのにデータがどのように使われているかを図入りで解説している。ネットで目にする商品やアクセスできるサーヴィスは事前に制限され、買い物から金融サーヴィスまで、いくらで利用できるかは消費者の力の及ばない場所で勝手に決まってしまう。クリストルは「企業はクリックごとに、その消費者が価値のある人間かそうでないかを見つけ出そうとしているのです」と言う。

GDPRで保護される権利の大半はEUではすでに確立されたものだが、法的な強制力はなかった。しかし今回の施行により、全加盟国で権利が標準化され、規制当局が違反に目を光らせることになる。

悪質な違反者には、最大で前年の売上高の4パーセントの罰金が課される。フェイスブックなら16億ドル(約1,750億円)、グーグルに至っては44億ドル(約4,813億円)だ。

消費者が支払う“対価”への不安も

もちろん、GDPRへの批判もある。EU流の保護主義の強化で、独占禁止とプライヴァシー保護を理由に巨額の制裁金を課して、アメリカのテック大手を抑え込もうとしているというのだ。

消費者が払うことになるかもしれない“対価”を指摘する声もある。Acxiomのコルクラシュアは、「無料コンテンツと無料の知識」を支えているのはデータ産業だと話す。「サイトの大半を無料で閲覧できるのは広告収入のおかげで、それがなくなれば企業は課金するしかありません」というのだ。

また、潜在的な抜け穴も存在する。企業は「正当な利益」など限られた特定の理由があれば、データ主体の同意なしに個人情報を処理することが認められているのだ。欧州委員会によれば、これには郵便物、電子メール、オンライン広告を通じた「ダイレクトマーケティング」が含まれる。

しかしその場合も、企業側はデータ利用を巡る消費者の希望を尊重し、GDPRで保護されるその他の権利を侵害してはならない。EUは「Eプライヴァシー指令」と呼ばれるデジタルコミュニケーションに関する一連の指針の法制化を進めており、実現すれば、個人情報の収集はデータ主体の同意があった場合のみ、法的に可能になる。

欧州各国の43の消費者団体が加盟する欧州消費者連盟で法務責任者を務めるデヴィッド・マーティンは、テック企業のロビイストたちはGDPRの解釈に影響を及ぼし、法令の文言を弱めようと働きかけていると警鐘を鳴らす。

企業はGDPRを避けては通れない

そうだとしても、GDPRを避けて通ることはできない。欧州におけるフェイスブックのユーザー1人当たりの収入は、昨年に8ドル86セント(969円)となった。前年比での伸びは41パーセントと、世界のほかのどの地域よりも大きい。

フェイスブックの個人情報副責任者であるロブ・シャーマンは『WIRED』US版へのコメントで、「今年はすべてのユーザーがFacebookでのツールやプライヴァシー管理における改善を目にすることになります。ユーザーがより強いコントロールを手にし、データがどのように使われているのか理解するために、フェイスブックは何ができるのか。GDPRを超えたところでも模索しています」と説明している。

一方、グーグルは17年のブログポストを引き合いに出した。ここには検索や「Gmail」、広告およびアクセス解析サーヴィスなど「ヨーロッパで提供するすべてのサーヴィスでGDPRを遵守することに全力を傾けています」と記されている。

プライヴァシーの保護を訴える団体は、GDPRによって自分たちが必要としているさまざまなデータを入手することが可能になると考えている。

法のもつ拘束力により、企業のデータ関連の活動が制限された例は過去にもある。オーストリアの弁護士でデータ保護の活動を続けるマックス・シュレムスが13年にフェイスブックを相手に起こした集団訴訟では、欧州司法裁判所は企業がEUから米国に個人情報を移送する際に根拠としていた「セーフハーヴァー協定」について、無効との判断を示している。

この裁判はまだ係争中だが、シュレムスは昨年11月に「None Of Your Business」という非営利団体(NPO)を立ち上げた。これはGDPRの導入を追い風とした動きだ。団体のホームページには「高度な専門知識と強い意欲をもつ弁護士およびIT分野のエキスパートからなるチームで、フェイスブックやグーグルといった大手テクノロジー企業に立ち向かう」とある。

消費者は権利をどこまで行使できるのか

一方、数学者で個人情報管理をサポートする「PersonalData.IO」の共同創設者のポール・オリヴィエ・ドゥヘイエは、イギリスのデータ保護法を利用して、Facebookユーザーがケンブリッジ・アナリティカの入手した個人情報にアクセスするのを手助けした。ドゥヘイエはGDPRが施行されたことで、この問題についてさらに多くの情報を得ることができると期待している。

GDPRの影響は究極的には、消費者がどれだけ積極的に新しい権利を行使するかにかかっている。プライヴァシーへの関心は高まる一方で、広告除去ソフトやVPNの利用は米国だけでなく世界的に広まりつつある。

そして企業は、この動向に敏感に対処している。Mozillaは昨年8月、プライヴァシーを強化したモバイル向けブラウザ「Firefox Focus」の提供を開始した。9月にはアップルが「Safari」にトラッキング防止機能を追加している。

市場調査会社フォレスター・リサーチの主任アナリスト、ファテメ・カティブルーは、データ収集を巡る慣行はさらに革新的になっていくだろうとの見方を示す。ウェブサイトに仕掛けられているクッキーやトラッカー、広告サーヴァーの数を知れば、消費者は大きなショックを受けるだろうと、彼女は言う。

昨年8月にイギリスの消費者を対象に行われた調査では、51パーセントが「GDPRが施行されれば何らかのかたちで新しい権利を行使する」と回答した。そのうち最も多かったのは、データの削除要請だ。カティブルーは「消費者は個人情報を削除するよう求めることで、攻撃的に侵略してくる企業を“罰する”ことができると感じているようです」と話す。

企業はいかに消費者の合意を得るのか

ただ彼女は同時に、GDPRによって人気のあるネットサーヴィスからユーザーが離れていくような事態は起こらないだろうとも指摘する。消費者は無料サーヴィスと引き換えに自分に関するデータを差し出す必要があることを理解しており、ネットでの利便性を犠牲にするつもりはないというのだ。

「GDPRによって、消費者がこれまで知らなかった個人情報を巡る策略が浮き彫りになるでしょう。ただ、フェイスブックのような企業が大きな報いを受けることはないと思います」

企業がどのような内容の同意を得ようとするかも重要だ。パブリッシャー向けにアドブロックの回避サーヴィスを提供するPageFairは9月、トラッキングに関するアンケートを行なった。「サイト運営者によるトラッキングのみは認める」「自分が利用するサーヴィスにどうしても必要でない限り、すべてのトラッキングを拒否する」といった選択肢があったが、参加した300人のうち、すべてのトラッキングを受け入れると回答したのは5パーセントにとどまったという。

マーケティング会社のCriteo(クリテオ)は、はるかに控えめなものを計画しているようだ。デジタルマーケティングメディア「Digiday」のある記事では、Criteoが試験的に運用しているトラッキングに関する告知バナーが紹介されている。それによると、「ページ上のどのリンクでもクリックすれば、自動的にCriteoのユーザーフレンドリーでサイトをまたいだトラッキングテクノロジーに同意したことになる」という内容の(もちろん実際の文言は異なるが)小さなポップアップがページの下の方に表示されているという。



TEXT BY NITASHA TIKU
EDITED BY CHIHIRO OKA

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