20年ぶりの信濃町
先日、神宮球場に野球を見に行った。
久しぶりに電車に乗ったんだけど、
満員電車で毎日通勤している人って凄いなぁってしみじみ思った。
俺には絶対無理だな。人が多くて酔っちゃうよ。
それはさて置き、神宮球場に行くのに信濃町の駅を乗り降りした。
いやぁ~信濃町なんて駅に来るのはそれこそ20年ぶりくらいかなぁ。
学会本部に来てた頃もほぼ車で来てたし、
電車で信濃町駅に来るなんてホント久々。
新宮球場と逆方向に向かって行く人たちはいかにも学会員ポイ人ばかり。
何だろうね。老若男女問わずあの「創価臭」はすぐに分かるよね(笑)
で、帰りに駅のホームで電車を待っていると、ホームの広告看板が
全て・・100%創価の広告で埋まっている。
創価関連以外の一般の企業や店舗の広告看板は一切なし。
JRはこのご時世に駅の看板広告が売れて嬉しいだろうけど
あれじゃ、創価以外の企業は絶対に看板出さないよな~。
あんなところに看板出したら「創価関連企業」って絶対に思われるよ。
まぁ、一般の野球帰りの人たちは、そんな看板に見向きもしてないけど
俺はそれをみていて正直気持ち悪くなった。
あれだけの看板数だと、ざっと見積もっても信濃町の駅のホームだけで
年間数千万円の広告費を払っているんだろうな。
もっとも、駅の看板なんて可愛いもんで創価はラジオ・TVなど
様々なメディアでCMしているから、そうした年間の広告宣伝費は数十億円単位なんだろうね。
でもさ、そんなお金を使って一体どんな効果があるんだろう。
ひとつは、金を使うことによる経済効果?
それとスポンサーとしてメディアをコントロールできるといったような効果か?
なんにしても、創価の言うところの「広宣流布」の効果はないのは明らかだ。
創価のCMを見て創価に入会する奴なんていないだろうし
創価のイメージアップなんてまったくしていない。
その証拠に日本創価学会の会員数は全く増えていないし
公明の比例票も選挙の度に減っている。
つまり創価の実施している広告活動は、
本来の広告としての効果はほとんどない。ってことだね。
普通の会社だったら、効果のない広告活動に大金をつぎ込むことはしない。
ところが創価は平気で意味のない広告に大金をつぎ込んでいる。
その原資はすべて会員さんの浄財である。
こんな意味のない広告宣伝に毎年数十億円も使うわけだ。
これって誰も「おかしい」って思わないのかね。
こんな事に大金使うぐらいならば、以前も記事にしたが
広布部員さんには聖教新聞を無償にしたり
聖教の配達を外部発注したり
もっといえば、財務は3年に1度にしたり
他に会員さんのために金を使ったらどうかと思う。
毎年毎年、会員さんからあらゆる手段で金を巻き上げて
湯水のように使いまくる。
詐欺師と同じで「自分の金じゃない」から何も考えずに使えるんだろうね。
そもそも、広宣流布に「CM」や「広告」は必要なのか?って話なんだけどね。
そのことについて大作センセの改定前の人間革命には、
【或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだーと。何と浅はかな言であろうか。
俗にいう、PRなど学会には絶対に必要ないのだ。これこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。 正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである】
と書いてある。
昔、これを読んだときは正しくその通りだと思った。
大聖人仏法を広めるのは、小賢しい策ではないと。
創価がもっとも大きくなった時代には創価はメディアなんて使わずに
会員ひとりひとりの「信心」で大聖人仏法を広めたんだ。
それに、現代では「メディアは第4の権力」と言われいる。
それを利用することは、「権力」を使って法を広めることと同じだ。
それは大作センセが人間革命で書いたように、大聖人仏法を下す行為なのである。
そしてこれまた大作センセがいうように、多くの新興宗教や悪質な企業宗教の手段だ。
信濃町駅のホームにずら~っと並んだ創価の広告看板は
自ら、「私達は悪質な企業宗教です」と広告しているようなものである。
もっとも、世間の多くの人たちは創価を「悪質な企業宗教」と認識しているし
事実、大聖人と無関係な団体のくせに大聖人を騙っているのだから
悪質な企業宗教なのは間違っていまい。
「悪質な企業宗教・創価学会」をアピールする。
という目的でCM・広告をしているのならば
十分、広告費以上の効果は上げていると言えなくはないが
それでも、会員さん達の浄財をこんなくだらない事に使うなんて
会員のことなんて「これっぽっち」も考えていない人達が
創価という悪質な企業宗教を運営しているんだなぁって思った。
まぁ、20年ぶりの信濃町駅は想像以上に気味が悪かったので
次に神宮に行く時は、地下鉄で外苑前から行こっと。
にほんブログ村
久しぶりに電車に乗ったんだけど、
満員電車で毎日通勤している人って凄いなぁってしみじみ思った。
俺には絶対無理だな。人が多くて酔っちゃうよ。
それはさて置き、神宮球場に行くのに信濃町の駅を乗り降りした。
いやぁ~信濃町なんて駅に来るのはそれこそ20年ぶりくらいかなぁ。
学会本部に来てた頃もほぼ車で来てたし、
電車で信濃町駅に来るなんてホント久々。
新宮球場と逆方向に向かって行く人たちはいかにも学会員ポイ人ばかり。
何だろうね。老若男女問わずあの「創価臭」はすぐに分かるよね(笑)
で、帰りに駅のホームで電車を待っていると、ホームの広告看板が
全て・・100%創価の広告で埋まっている。
創価関連以外の一般の企業や店舗の広告看板は一切なし。
JRはこのご時世に駅の看板広告が売れて嬉しいだろうけど
あれじゃ、創価以外の企業は絶対に看板出さないよな~。
あんなところに看板出したら「創価関連企業」って絶対に思われるよ。
まぁ、一般の野球帰りの人たちは、そんな看板に見向きもしてないけど
俺はそれをみていて正直気持ち悪くなった。
あれだけの看板数だと、ざっと見積もっても信濃町の駅のホームだけで
年間数千万円の広告費を払っているんだろうな。
もっとも、駅の看板なんて可愛いもんで創価はラジオ・TVなど
様々なメディアでCMしているから、そうした年間の広告宣伝費は数十億円単位なんだろうね。
でもさ、そんなお金を使って一体どんな効果があるんだろう。
ひとつは、金を使うことによる経済効果?
それとスポンサーとしてメディアをコントロールできるといったような効果か?
なんにしても、創価の言うところの「広宣流布」の効果はないのは明らかだ。
創価のCMを見て創価に入会する奴なんていないだろうし
創価のイメージアップなんてまったくしていない。
その証拠に日本創価学会の会員数は全く増えていないし
公明の比例票も選挙の度に減っている。
つまり創価の実施している広告活動は、
本来の広告としての効果はほとんどない。ってことだね。
普通の会社だったら、効果のない広告活動に大金をつぎ込むことはしない。
ところが創価は平気で意味のない広告に大金をつぎ込んでいる。
その原資はすべて会員さんの浄財である。
こんな意味のない広告宣伝に毎年数十億円も使うわけだ。
これって誰も「おかしい」って思わないのかね。
こんな事に大金使うぐらいならば、以前も記事にしたが
広布部員さんには聖教新聞を無償にしたり
聖教の配達を外部発注したり
もっといえば、財務は3年に1度にしたり
他に会員さんのために金を使ったらどうかと思う。
毎年毎年、会員さんからあらゆる手段で金を巻き上げて
湯水のように使いまくる。
詐欺師と同じで「自分の金じゃない」から何も考えずに使えるんだろうね。
そもそも、広宣流布に「CM」や「広告」は必要なのか?って話なんだけどね。
そのことについて大作センセの改定前の人間革命には、
【或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだーと。何と浅はかな言であろうか。
俗にいう、PRなど学会には絶対に必要ないのだ。これこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。 正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである】
と書いてある。
昔、これを読んだときは正しくその通りだと思った。
大聖人仏法を広めるのは、小賢しい策ではないと。
創価がもっとも大きくなった時代には創価はメディアなんて使わずに
会員ひとりひとりの「信心」で大聖人仏法を広めたんだ。
それに、現代では「メディアは第4の権力」と言われいる。
それを利用することは、「権力」を使って法を広めることと同じだ。
それは大作センセが人間革命で書いたように、大聖人仏法を下す行為なのである。
そしてこれまた大作センセがいうように、多くの新興宗教や悪質な企業宗教の手段だ。
信濃町駅のホームにずら~っと並んだ創価の広告看板は
自ら、「私達は悪質な企業宗教です」と広告しているようなものである。
もっとも、世間の多くの人たちは創価を「悪質な企業宗教」と認識しているし
事実、大聖人と無関係な団体のくせに大聖人を騙っているのだから
悪質な企業宗教なのは間違っていまい。
「悪質な企業宗教・創価学会」をアピールする。
という目的でCM・広告をしているのならば
十分、広告費以上の効果は上げていると言えなくはないが
それでも、会員さん達の浄財をこんなくだらない事に使うなんて
会員のことなんて「これっぽっち」も考えていない人達が
創価という悪質な企業宗教を運営しているんだなぁって思った。
まぁ、20年ぶりの信濃町駅は想像以上に気味が悪かったので
次に神宮に行く時は、地下鉄で外苑前から行こっと。
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