ブラック企業との闘いを決意するまで。

   

あの頃の私は確かに未熟だった。
ソフトバンクを辞めた後、様々な職場に行った。ハラスメントは、確かに社会的な問題で、多かれ少なかれどこの職場にも有り得ることなんだなとは思った。女性が男性のアシスタント的な役割に従事させられていたり、非正規社員には交通費も賞与もないのに、自己啓発的な言葉で鼓舞されて正社員の駒として、場合によっては責任重大な職務に就かされたりもした。
ソフトバンクの経験があったので、これは改善の見込みがないと思った職場に関してはさっさと辞める、但し泣き寝入りはしない、どう思われようと抗議して辞めることを信条としていた。我慢してまた精神的におかしくなってはいけないと直観力が働くようになったので、異動で改善出来るならするし、出来ないなら小さい会社ならば社長に直談判もした。その労力と、自分のやりがいを天秤にかけて、プラスにならないつまらない仕事ならば尚更未練はなかった。

非正規社員は、ソフトバンクで受けた「通過儀礼」のような「しごき」「かわいがり」上下関係のようなものを押し付けられることはなかったので、昇格が認められていない非正規だからこそ楽なのかなと、一瞬思ったがそれは違うのだと、あらゆる職場を観察してきて断定できる。
正社員だからといって、私がソフトバンクで浴びせられてきたような言葉を浴びせられている正社員などどこの職場にも居なかったからだ。
確かに人間関係の軋轢や、管理職ならば色んな主義主張を持った人間をまとめなければならない苦労、数字の重圧、そういったものがあることにはあった。
しかしソフトバンクのように過剰に上の者が下の者に圧力をかけ続けるというようなケースを見かけることはなかったし、転職した経験があってこそ、ソフトバンクの環境、勤続何年も経過した人間達が言っていること、やっていることはおかしかったと確信するようになった。
その意味でも私には時間が必要だった。
雇用に寄らない働き方を模索したこともある。自宅でHP製作の営業代理店でもやろうと、歩合制の求人募集に問い合わせをかけてしまった。派遣をとにかく辞めたい一心だったし、自分の営業力を試してみたい気持ちもあった。自分でやった分だけマージンを貰って、足りない分は他のアルバイトでもして賄えば良いと楽観視していた。
しかし、そこの社長は、最初は修行が必要だからと、 私にサインさせたのは、給料なし、社会保障なし、数万の補助費付の「正社員」というめちゃくちゃな雇用契約書だった。10時から18時勤務。でも、普通にやれば月2件は成約できる、そしたら30万にはなるからという見立てで、馬鹿な私はサインをしてしまった。
そこから自己啓発的な営業研修が始まった。テレアポ(詐欺トーク)と相手にノーと言わせないごり押し営業トークの研修だ。
さすがに私はそれは出来なかった、自分がやってきた営業トークでやっていくようにした。テレアポはすんなりと取れた。社長が同行しての営業が始まった。結局社長がほとんど喋り、即決を迫っていった。何件か成約していったが、
事務所のホワイトボードを移動させた時、自己啓発的な文字がびっしり詰まった張り紙を見てしまったこともあり疑問の気持ちは膨らんでいった。 結局、正社員だからと、朝普通に出勤させられて、18時まで働く。社長のお気に入りの浄水器の掃除もしなければならなかった。
車の中で、自分の恋愛体験や性体験を一方的に話されるようになった。私がストレス性の腰痛を発症した時には、「夜の生活に支障をきたすでしょ?」とか、それから何回も「腰どお?夜の生活が~」とか言われるようになった。
営業後は、ソフトバンクで受けた叱責のようなものではなかったものの、私に車から降りないように迫り、一方的に「こうしなくちゃいけない」ということを熱っぽく語られて恐怖だった。
結局私にどれぐらいのお金が入るかということも、簡単な計算式しか見せてもらえず、成約しても明らかにされることはなかった。
私はセクハラに抗議をした。社長が、自分の予定を共有しないのにも関わらず、 私が何かを聞きたい時に限って、どこに居るかも何をしているかも分からないのに、気分次第で自分の都合で一方的に指導してくることにも抗議した。
歓迎会と言っていたのに、行ってみると串焼き屋のカウンターで二人きりの予約が取られていたことも腹に落ちていなかった。
私がサポート事務の人に相談したら「社内の風紀を乱した」とされた。就業規則もないのに、「規則に違反した」、荷物を取りに行きたいと言ったら「出禁」 。
私が業務上の指摘(納期を守ってほしいとか情報共有をして欲しい)と言ったことを個人攻撃だと勘違いし、
「俺は今まで生きてきたのに、こんなことを人から言われたことはない」「お前は何もしていない人間だ」「俺には守るべき従業員、赤ちゃん、家族がいる人間だ」「それに比べてお前は何もやってないじゃないか」と、今まで散々私を評価しているフリをしていたのに逆切れして差別発言を朝から電話で浴びせてきたりした。
支払いに関してメールで教えてくれと言っても、会って話したいの一点張りで、私の自宅付近まで行くからと迫られた。「交通費がないんだから、行ってあげるよ」みたいに、こちらを気遣っているフリをして負担に感じさせようとしてくる手口を使われ、
心理的圧迫感は最高潮に達した。会う前に根拠をメールで示して欲しいという私とずっと押し問答になった。
私が手掛けていた顧客の案件についてはわざと納期を遅らされた。挙句の果て、「これはあなたの案件で、あなたは辞めるんだから、あなたが自己都合で辞めたからと返金して製作物を作らないようにしたいけど、いいか」迫ってきた。
私はあんまりだと思って号泣して、その場で弁護士ドットコムを使い手当たり次第電話をかけて弁護士を探した。会いたいと迫られている、家まで来てしまうから早く代理人を付けたいと恐怖を訴えた。 弁護士は、「会う必要ない」「拒否すればそれでいい」「約束のところに行かなければいい」と冷静な回答で、そこから先は法律相談を予約するように言われた。
しかし、予約は一週間以上先しか取れないところばかりだった。法テラスは10日先だった。
夜間まで受け付けているアディーレの兄弟みたいな大きな弁護士事務所が結局すぐ会ってくれることになった。 とにかく彼が頻繁に電話をかけてくることを止めさせたかった。誰でも良いから間に入って欲しかった。
子供が生まれたばかりだという彼を労基署、警察に通報したら、逆恨みされて何されるか分からないと感じて弁護士にした。
すぐに内容証明を送った。すると数日後、その弁護士事務所にやって来たそうだ。2回も。私の弁護士までをも説得してこようとしてきたらしい。
自分の置かれた立場を全く理解しておらず、私へ通報するなということや、他言するなという趣旨の条項を和解書に入れることに固執してきた。
こちらも要求もある程度飲ませて、私もある程度は妥協して飲んだ。向こうは清算書を出して、私の私物を返却し、業務の進捗度合いも明らかにしてきた。お金は弁護士事務所に振り込まれ、2割が手数料として差し引かれたものが私のところに来た。
それがたった一ヶ月弱の出来事だった。
世の中はベンチャーだ、友達と起業だとか言っているが、私のように人脈もない人間が自由な働き方を目指したところで所詮こんなもんなのだ。

個人の弁護士事務所にも勤務したことがあるが、散々だった。ブラック組織も困ったものだが、ブラック個人事業主も理が通じないため、論理的な解決というのは無理なのだ。
男尊女卑過ぎる日本社会がずっと辛かった。主張すれば頭を押さえつけられ、リクルートという会社では男の上司に「出来ない子の方が可愛い」と言われた。離職率がとにかく高く、非正規社員は低賃金の使い捨てだった。30後半にもなると、年齢差別に晒され、自主退社に追い込まれるような会社だった。
それもこれも他責は駄目、自責しろという自己啓発的な言葉で 社員を操ることによって、平然と行われている不当人事だった。
政治も悲惨だ。私はリベラルだと思う。全体主義が大嫌いで、個人を大切にする社会を願っている。労働で失敗した経験から、連合を受験し、民進党の選挙ボランティアにも熱中したことがある。市民の集まり、ネットの発信、あらゆるところに首を突っ込んでいった。
だけど、近づけば近づくほど、与党にはもちろん野党にも幻滅していった。結局、どこの誰しも日本人なのだ。本当に大切なこと、正しいことを追求しようという人は少ないと感じた。縁故で物事を判断し、権威に擦り寄るのは皆一緒だった。そして、反政権を掲げても、結局男性は女性差別的だった。
強烈な女性蔑視発言はしなくとも、女性が男性を支えるのが当たり前だと思っている、古典的なジェンダー観の持ち主が多かった。
ネット上ではマウンティングは日常茶飯事だった。政治の話をしよう、中国の話をしようと近づいてきては、結局私が向こうの意見を飲まないと、「女は愛嬌なんだ、笑顔が可愛い子が一番なんだ」「会社でも私出来ますなんて女は鼻っ柱が強くて使い辛い」「出来なくても笑顔が可愛い子が一番、お前みたいなキャリアウーマンっぽい奴は駄目だ」とか、会ったこともないのにDMで送ってくるおじさんも居た。
どこかで聞いたことあるような言葉だなと思い、既視感満載だった。
政治家と市民の集まりに参加した後のこと。選挙に出馬したことがあるという青年が私が女性の社会進出の話をしたことを受けて、「何故、女性らしさを捨てようとするのか?」「せっかくの女性らしさを~」「○○という本は読んだことがあるか」などと、私が改札口に入ろうとするまで、話しかけてきたのが本当にきつかった。
それでも動いてみて良かったこともある。勉強会のテーマは「民主主義」とか「人権」みたいなことだったとしても私がムキになるポイントはやはり労働問題なんだなと自覚することが出来たから。
その時は、電通の問題や、派遣社員の問題について話したと思う。みんなの話を受けて、政治家が「今の日本というのはその通りな状態です・・」というように話していた。
主催者は、「派遣の問題もそうだけれど、 結局、ブラック正社員に耐え切れなくなって非正規を自主的に選んでいる人もいる」というようなことを言っていたけれど、それも確かにあるだろう。
ネットで知り合った人ともそうやってリアルな交流に繋がっていった。
けれども、自分が労働問題に過敏になればなるほど、政治の動きは本当に辛かった。
森友学園問題の国会の質疑で、 安倍官邸は、安倍昭恵さんの秘書だった国家公務員に全責任をなすり付けようとしていた。
SNS上で反政権を掲げて発信している人達も、埒が明かない状況に痺れを切らして、上層部はもちろんのこと、「谷さえこ」さんのことまで責める人が出てきてしまった。
私の地元は花火大会が有名な地域なのだが、安倍昭恵氏は、休日の「谷さえこ」さんを引き連れて この花火大会に来たことがあるのを、市長のブログを見て知っていたので、他人事とは思えなかった。
末端を責めるのは無しにして欲しいと思った。上に絶対服従、逆らえない環境で働いてきた私は泣けるほど辛かった。
市民の集まりと、ネット上の知り合いの垣根が無くなれば無くなるほど、知り合いの知り合いは知り合い、みたいなことがどんどん増えて、リアルとネットの境目は無くなっていった。
「谷さえこ」を責める言説を繰り広げている人にツイッター上で抗議をしたら、更にその仲間のような人から、しつこいリプライを大量に受けた。それを見ていた私の友人も一緒になって怒ってくれた。
でもその友人の家族は、私を批判してきた人達と親しかった。
「末端を責める人のことは信用出来ない」それが私と友人の共通の意見だったはずだった。
なのに結局、私に「自分の家族にも話してみるよ」と言ってくれていたその友人が、何故かそのことを忘れ、私にその対立していた側の人脈を勧めてくるようになった自分の家族をたしなめることをしなかった。
てっきり分かってくれていると思っていた、私があちらの人達には賛同出来ないとしてきたことが全くその家族には通じてなかった。友人が家族に話しておいてくれると言っていたので安心していたのだが、嘘だったのだろう。
話しておいてくれなかったのかと聞いたら、短期記憶がなくなる性質だから覚えてないとのことだった。
私は本当に落胆したし、辛い気持ちでいっぱいになり抗議をしたら、結局私が感情的な人間だという風に解釈され処理されてしまった。
「あの人は人間的には良い人」だとか、 私に許容させようとしてきたことがとても不愉快だった。
押し付けてはいないと言い張り、一方的に「交流すべき」という風に薦められたことは自分の選択の意思を無視されたと感じて拒否感を主張しただけだ。そうして友人としての付き合いは終わった。
後日、共通の知り合いから聞いた。「あの子は何も成し遂げられない」と私のことを言っていると。
ああそうか。勉強会に誘ってくれたりした人達も結局私のことを下に見ていたんだなと、対等な存在だと見做していなかったんだな、主催者って偉いんだなと思った。
DMでは「トラウマに囚われているなんてどうなの?」とか「貴女は政治に向いていない」という言葉まで書かれてきたが、やっと腑に落ちた。
結局そのことに対しても謝っては貰えなかったし、 お金の清算をしなければならない件があったので書留で送って、終わった。
でも、その嫌な経験があってこそ思い知った。
政治を変えようとか市民運動に参加したところで、直接的に私のネックが解消されるわけじゃないし、リベラルとか左派とか言われる人達も結局、政治なのだ。マウンティングの世界なのだ。
政治を勉強しようと、政治塾に登録したこともあるが、一度聴いて嫌になった。「弁護士や記者が塾生に居て嬉しい」という長の言葉を聴いたからだ。だったら、一般に開放すべきではないはずだ。
でも、私はそんな風に、友人に「何事も成し遂げられない人間」と言われたので、逆に奮起することにした。
思い知らせてやると思っている。政治を変えることは確かに大切だが、それは長期戦の話。
私が何故そうやって下手に見られがち、仕事でもブラック経営者やブラック企業に引っかかりがちかというと、私にも何かにすがりたいという気持ちがあったんじゃないかそれを見透かされたのだと今なら分かる。
自分の問題から逃げ続けていては駄目だと思った。何かに没頭することによって、昇華させることが出来るなんて嘘だ。
ユニオンだけは私の話を対等に熱心に聞いてくれた。

 - ブラック企業

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