短期集中連載:ハリルホジッチの遺産 第3回
4月9日、日本代表監督を解任されたヴァイッド・ハリルホジッチは日本サッカーに何を残したのか? W杯開幕前にあらためて考えてみたい。第3回はこの解任劇が日本サッカーの未来を考えれば正しい選択とは言いがたい、と主張する結城康平氏が登場。テーマは、代表監督の「解任基準」とは何なのかだ。
文 結城康平
■理解されなかった、ハリルホジッチの戦術的長所
相手チームを地道に分析して、罠に追い込む。ハリルホジッチの戦術的意図は複雑ゆえにわかりにくく、万人受けするスタイルではなかった。しかし、90分という試合全体をコントロールする組み立てにおいて、彼の能力が傑出していたのは事実だ。アジアを出れば大半のチームが格上という状況を考慮すれば、日本代表のサポーターも期待のレベルを明確化しなければならない。
彼の戦術的長所は、アルジェリア代表時代から変わらない「多様な戦術的パターンの使い分け」にある。特に、守備組織を恣意的に動かすことによって相手の攻撃を誘導し、守備戦術の使い分けによって仕留める形は十八番だ。英紙『ガーディアン』に戦術分析を寄稿するマイケル・コックス氏が「守備戦術を巧みに使い分ける、極めて優秀な戦術家」と評するように、ハリルホジッチの戦術眼はずば抜けている。
その複雑な戦術が、個々の戦術的な引き出しが多いとは言えない日本代表に合致するのか。ハビエル・アギーレの後を急きょ継いだことで、準備期間は不足していないか。個人的にハリルホジッチに抱いていた最大の不安は、そこにあった。
しかし、2017年8月31日のアジア最終予選・オーストラリア戦のパフォーマンスで日本代表は見事な守備形態、守備戦術の使い分けを披露した。[4-3-3]のスタイルで試合に入った日本を相手に、オーストラリアは両ウイングのポジショニングでセントラルMFを左右に引っ張り出す動きを狙う。ウイングが3センターの片方を外へと誘導し、狙うはトップ下のロギッチ。それに対し、ハリルホジッチは右サイドの浅野を中盤まで下がらせることで[4-3-3]ゾーンを[4-4-2]ゾーンに可変。使えるはずのトップ下のスペースが2ボランチに埋められ、左サイドでは高めの位置に残った乾がカウンターの起点となる。
さらに、思うように攻撃が形にならないオーストラリアを相手に、ハリルホジッチはハイプレスを仕掛ける。守備から主導権を奪い、混乱に陥るオーストラリアを翻弄した。数試合前にポゼッション重視の3バックへと舵を切ったオーストラリアの分析も完璧で、期待を裏切らない内容だったと言えるだろう。
リトリートとハイプレスの使い分けは、基本的にどのような監督でも可能なことだ。終盤でリードしていれば、交代選手としてDFを増やすことでシステムを変更することも珍しくはない。ただ、「あえてスキを作っておいてから守備戦術を変更し、90分の中で相手の読みを外し続ける」ことが可能な指揮官は希少であり、彼らのような監督は一発勝負の国際大会では結果を残しやすい。一方、そうした戦い方は戦術的な練度を必要とすることもあり、数人の選手を試しながらの採用は困難だ。同時に情報漏えいは致命傷になり得る。
上記の理由から、国際親善試合では、ハリルホジッチの最も得意な守備組織の使い分けと駆け引きは見られない。だからこそ、国際親善試合やE-1(東アジア選手権)の結果だけでハリルホジッチを評価すべきではなかった。「コツコツとチームを作り、親善試合の延長戦上にW杯を置く」タイプとは、明らかに異なるのだ。
日本の戦力を冷静に考えた時に、レバンドフスキやマネのように「圧倒的な個人技で打開できるエース」が存在しないこともあり、「情報戦に強く相手の読みを外せる監督」は勝利の可能性を高める選択肢としては間違っていない。そう考えれば、ハリルホジッチのようなタイプの指揮官を理解する試みの方が足りなかったのかもしれない。
■「日本らしいサッカー」の幻想
日本サッカー協会は「日本らしいサッカー」に固執しているが、結局のところ具体性のあるスタイルについては見えてこない。ボールを繋ぐスタイルを目指そうにも、育成年代でビルドアップのメソッドと駆け引きを仕込めていない状態では机上の空論だ。
これは日本の選手の能力うんぬんの問題ではない。サッカー協会が「日本らしいサッカー」を明確に定義し、育成年代への落とし込みを的確にサポートし、指導者教育に投資しているのであれば、主張にも正当性がある。しかし、現状はあくまでも「耳触りの良い」キャッチフレーズに過ぎず、そのようなサッカーを目指す土壌も整ってはいない。
理想を目指すためには着実なステップが必要で、ベルギーやアイスランドのような新興国は徹底的に強豪国の育成から学ぶことを通して実績を積み上げてきた。ハリルホジッチの解任により、「海外から学ぶプロセス自体を軽視すること」にならないかという懸念は大きい。実際、ハリルホジッチは代表候補者に求めるスキルを明確化し、日本サッカーに足りないものに徹底して向き合っていた。J2でもスペイン人監督が結果を残しているように、日本人に欧州的な指導が合わないというのも幻想だ。 サッカーの歴史が浅い日本が、最先端から学ぶことを恥じる必要があるだろうか。
「日本人の特性を引き出すサッカーを目指す」、という大きな目標については否定するつもりはない。ただ、それは監督を日本人にすれば解決するものでも、一朝一夕で作り上げられるものでもない。草の根からの地道な改革、育成年代や指導者教育への投資、海外の最新知識を学び続けることを積み重ねた結果として、日本人らしいサッカーは可能になるはずだ。
さらに「俊敏性を生かすのであればショートカウンターを採用すべき」とハリルホジッチが主張するように、「日本人の特徴を生かすスタイル」というのは人によって解釈が異なるものだ。明確な定義と、地道な積み上げがなければ、「日本サッカーの日本化」は単なるガラパゴス化でしかない。
■「コミュニケーション不足」というブラックボックス。
今回の解任劇が内包する最大の問題は、監督を解任する明確な基準を失ってしまったことである。
今回の例を見てもわかるように、「コミュニケーション不足」という理由は外部からの可視化が不可能な「ブラックボックス」でしかない。外部から「コミュニケーション不足か否か」を知る方法はメディアからの断片的な情報だけになっており、エビデンス(根拠)としては説得力を欠く。
選手のコメントやハリルホジッチの会見、協会の主張にも食い違いが見られる。今後、指揮官を解任する際にコミュニケーション不足という曖昧な理由で解任することが可能なのであれば、どのタイミングでも協会が監督を解任できるようになってしまう。明確な理由が不要で、協会は責任を問われない。それもW杯の2カ月前という常軌を逸したタイミングでの解任を、「ブラックボックス」の中で完結させようとする姿勢は危険極まりない。
さらに、コミュニケーションとは双方的なものである。選手と監督のコミュニケーション不足をすべて監督の責任とするのは、権力構造を考慮しても難しい。マネジメントに問題がある監督が、ハリルホジッチ監督のような実績を得られるかというのも疑問だ。
状況として、「選手と揉めた場合は、監督が追い出される」という前例が生まれたことで、歪んだ構造が生み出されたのは間違いない。選手は反乱を正当化しやすくなり、完全に世界の常識からは外れた方向へと進む。コミュニケーションを優先するのであれば、限られた選択肢をさらに絞って日本人監督を選ぶことになる。JリーグやACLで圧倒的な実績を残した日本人監督が登場したのなら理解できるが、「日本人だから」という理由で選んだ監督で、世界の舞台を戦えるのだろうか。日本人指導者の抜擢は、選手としてW杯や海外リーグを知る世代が十分な教育を受け、実績を残した後でも遅くはない。
例えば、解任が戦術的な理由であれば技術委員会が役割を果たすべきだろう。協会主導の対戦チーム分析や長期的強化計画とハリルホジッチの戦術に噛み合わない部分があり、それを明確に説明できるのであれば、(かなりイレギュラーではあるが)解任の理由になり得る。
もしくは、ノルマとなる結果が出ていないのであれば解任となる。フレンドリーマッチの結果に固執するのであれば、それを契約内容に含んでしまえばいい。その条項を含んで、多くの監督に断られることになったとしても、互いに遺恨が残る結果にはなりづらい。すべてをブラックボックスに放り込み、見えない場所で判断をしていてはガバナンス面での進歩はない。同時に、代表の強化を目指す長期プランも、今回の突発的な解任劇によって信頼性の薄れた絵空事になってしまった。
日本代表、メディア、サポーターのすべてにハリルホジッチという指揮官を理解しようというアプローチが足りず、世界的に評価されている優秀な監督を失ってしまったことは遺憾の極みだ。そして、このような過ちを繰り返さない仕組みがいまだに存在しないことにも、絶望感を覚える。
W杯の結果ではなく、未来の日本サッカーのために、解任の是非は議論され続けなければならない。圧倒的な速度で進歩する世界のフットボールに追いつき、追い抜くためには、後退している場合ではないのだから。
短期集中連載:ハリルホジッチの遺産
第1回:ヴァハよ、元気か?息をしてるか? その後のハリルホジッチ(文/長束恭行)
第2回:日本代表にゾーンDFは必要か? 河治良幸×五百蔵容 対談(1)
第3回:ハリル解任の真の悲劇はW杯以後。日本代表は「解任基準」を失った(文/結城康平)
第4回:河治良幸×五百蔵容 対談(2)…5月31日(木)公開
第5回:河治良幸×五百蔵容 対談(3)…6月1日(金)公開
第6回:河治良幸×五百蔵容 対談(4)…6月2日(土)公開
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