告白すると、最近「残酷な天使のテーゼ」を聴くたびに、こっ恥ずかしい気分になる。
こんなのが良くアニソンのトップを飾っているものだ。
これ、名曲か??
あと、某脚本家が、「私は引きこもりだったのにあんな名作を書くことができました!」ってわざわざ本まで出して、それがドラマ化されるという。
そうだね、そりゃ書けるよね、そしてあんな内容になるよね。
要はそれが、今のアニメの現状なのだろう。
簡単に言うと、「厨二病」の病巣なのだ。
「厨二病」がいかにアニメを蝕んできたかを最近ずっと考えていて、それと並行して高畑勲研究を(今更だが改めて)進めていて、頭を悩ませている。
改めて、「厨二病」とは何か。
ウィキには、「思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング」とあるが、それに「承認欲求を満たすための社会的な手段を持たない」というのを付け加えるべきだろう。
すなわち「思春期などに代表される、承認欲求を満たすための社会的な手段を持たない人間が空想や嗜好を歪に膨らませ、自己愛で周囲が見えなくなる病」のことだ。
かつてアニメ界は「厨二病」をこじらせたヒキオタ達のカウンターの場だったのが、今や変に持ち上げられて「スノビズム」が蔓延している。
そうなると理論武装で社会と対峙し、知性や理性を磨いてきたオタク達は途端にタガが外れ、「引きこもり万歳!」みたいな歪な自己讃辞の作品を作り、それまで絶賛されるようになった。
もう、末期である。
「自分がいかに(誰にも認められた訳でもないのに)上等な存在か」を示したいだけの根拠のまったくない「全能感」の発露だ。
そのためにアニメを利用しているに過ぎない。
因みに僕が「厨二病」でない(なかった)のは、承認欲求がそもそもないというのか、あると言われたりするのだが、どうも自覚がないのだ。
いや、ちょいちょい承認されてたと言える。
中学はまぁアホみたいに猛勉強して一目置かれてたり、合唱指揮を始め卒業式の指揮までやったり、表舞台に出ていたし、高校でも生徒会をやったり舞台演出をやったり吹奏楽の指揮をやったり、大学ではアニメ同好会と吹奏楽部と美術部とを行ったり来たり、たまにバンドをやったり、まぁことあるごとにコミュニティの第一線に担ぎ出されることが多かった。
引きこもる暇がなかった。
個人的には「クソォ―オタクをバカにしやがって!いつか見返してやる!」という怨念を溜め込んでいたのだが、どうも上手く周囲に懐柔されたというのか、オタク以外の友人も多かった。
それで承認欲求が満たされていたかと思えばそうでもないのだが、まぁなんとか心の平穏は保てていたのだろう。
「厨二病」はなかなか発症しなかったのだ。
それが業界に入って一変した。
「厨二病」の巣窟に入るやいなや、僕は「厨二病」を発症したと言える。
なんとも皮肉だ。
それまで「厨二病」をそないに発症しなくても上手くやってこれたものだから、反動も大きかったのだろう。
もう本当に、気が狂いそうになる。
日に日に(業界の)人間が人間に見えなくなっていった。
そもそも僕は「厨二病」というキチガイ病棟に入るべき人間ではなかったのかも知れない。
実際あった話だが、自分の精神状態を診てもらおうとガチの精神病院に行って、「ここは貴方のような人が来る場所ではないですよ」と追い返されたことがあった。
アニメ業界も最初に追い返してくれたら、今の僕にはならなかったのかも知れない。
僕がこの業界で「厨二病」となったのか?
僕以外が「厨二病」なのか?
どうしても答えのでない疑問なのだが、ひとつ解るのが、やはり僕と今の業界は、感覚として相容れない部分が大きいのだろう、ということだ。
そんなのを「残酷な天使のテーゼ」を聴く度、思う。
もう一度訊くが、これ、名曲か?
「厨二病」の吹き溜まりみたいな曲だぜ??