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日大アメフト問題の根源にある「日大総長抗争50年史」

彼らが「絶対に責任を取らない」ワケ

半世紀前までさかのぼる「因縁」

関東学生アメリカンフットボール連盟は、5月29日、日本大学アメリカンフットボール部の内田正人前監督、井上奨前コーチを、アメフト界からの追放を意味する除名処分とし、タックルをした宮川泰介選手とチームを今季出場停止処分とした。

警視庁調布署は、殺人タックル事件の捜査に着手。試合映像の分析を始めるとともに、日大職員などから参考人聴取を行なっているが、関東学連の方が先に「内田、井上両氏が主犯」という結論を出した。

「傷害罪での立件なので、実行行為者の宮川君の処分は避けられない。だが、彼は罪を認め反省しているので、逮捕の必要はないし、処分も寛大になるだろう。むしろ、口裏合わせをして否認している内田-井上コンビの罪は重く、このままだと逮捕は免れず、共謀共同正犯での立件は免れない」(警視庁捜査関係者)

 

それにしても内田氏は、自らの指示が明白な案件で、メディアと国民の総攻撃を受けながら、なぜここまで突っ張るのか。

私は前回、5月24日の記事で、そこにあるのは内田氏の「ドンの田中英寿理事長を、自分が“盾”となって守るという思いだ」と書いた(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55796)。

では、田中英寿理事長とはどういう人物で、日大のトップでありながら、なぜここまで沈黙を守り続けているのか。それを知るには、日大50年の抗争史に踏み込まねばならない。

半世紀前、全国の大学で学生運動が盛んになり、デモが繰り返されていた。そのとき最も先鋭的だったのが日大だ。大学側の20億円の使途不明金の発覚を機に、秋田明大氏が率いる日大全共闘が、古田重二良会頭(当時のトップ)を退任に追い込んだ。

日大は当時、団塊の世代の受け入れで拡大戦略を取っており、それが劣悪な学習環境やマスプロ教育のに対する学生の不満につながっていたが、古田会頭は大学新聞のチェック、安保闘争参加者の処分など、強権支配で乗り切ってきた。それに対する反発が、経営陣の腐敗発覚と反体制運動の高まりのなか一気に盛り上がったのが日大闘争で、当時、最も先鋭的な学生運動だった。

その頃、相撲部で活躍していたのが田中氏である。67年、3年生の時に学生横綱となり、69年には卒業して日大に就職、体育助手兼相撲部コーチとなった。全共闘と対峙した古田会頭は、日大法学部学生時代は柔道部主将として活躍。その体育会支配を続けてきたわけだが、田中氏もまた体育会学生、助手として、古田体制を支えてきた。