相撲では褌(まわし)が緩んで見えてはならないものが見えてしまうと、行事が力士に負けを宣告する。これを「不浄負け」と呼ぶそうだ。いわゆる四十八手に含まれる技の名前ではなく、規定に基づく一種の反則負けである。
このところ世間は不浄負けを宣告されてもおかしくないケースでいっぱいだ。
日大アメフト部の反則タックル問題では、タックルした選手が監督による指示であったことを会見で告白、関東学連がそれを認めて監督・コーチを永久追放にあたる「除名」処分を下した。現役選手もこれに呼応して「監督・コーチらに頼り切り」だったことへの反省を綴った声明文を出した。監督やコーチ、上級生には絶対服従であるはずの大学体育会では出てこない、出てきてはいけない証言や証拠、声明が次々と出てくるのだから、これも不浄負けといえよう。
アマチュアスポーツのひとつの反則がこれほどの世間の耳目を集めるのは、それが息苦しい日本社会の暗部を象徴していて、世間の誰もが「ある、ある」と共感する部分が多いからだろう。
押っ取り刀で大塚吉兵衛学長が会見に出てきて謝罪したが、どこか屁っ放り腰で、不浄な部分――前監督・コーチの責任については口を濁した。主体的に問題を解決する権限も意欲も持たない人物が会見を開いて火に油を注ぐ結果になったのは、日大では、学長よりもエラくて怖い相撲部監督出身の田中英寿理事長が君臨しているからだ。
早い話が学長はお飾りにすぎず、相撲部とアメフト部を支配する田中体制の恐怖政治の下で、ガバナンスが利いていないのだ。反則タックルどころか、これまで理事長と暴力団との癒着が本誌を先駆けとして、週刊文春、NHKなどで報じられても、組織に自浄能力が働かない。内田監督や井上コーチの居直りは、この田中体制を支える「背後の闇」があるからで、あの木で鼻をくくったような会見も、徳洲会を散々しゃぶった 週刊新潮、フォーカスの元記者が、いまは日大の「裏広報」を務めているからだ。週刊新潮の日大報道が今ひとつ冴えないのは、この元記者を「忖度」しているとしか思えない。
タックル問題について日大では第三者委員会を立ち上げて真相究明に当たるという。しかし、こうした組織では第三者委員会を立ち上げても、往々にしてその構成メンバーは日大の息がかかった利害関係者だったりするから油断できない。笑いものになっている危機管理学部にしても、亀井静香元衆議院議員のキモいりで警察OBの天下り先として日大が設けただけに、田中理事長をお白洲に引きずりだすどころか、警察まで日大に抱きこまれて捜査がねじ曲げられてしまう懸念がある。
他方、政界でガバナンス不全に起因した不浄負けと言えば、枚挙に暇がない。
加計学園問題では愛媛県が「安倍晋三首相が獣医大学はいいねと発言した」とする文書を公開。森友学園問題では、交渉記録や決裁文書を財務省が国会に提出したが、黒塗り部分が簡単な操作で見えるようになっていた。自衛隊の日報問題でも不都合な真実が次々と露見している。いずれも不浄負けである。
日本人が最近になって獲得した新たなメンタリティーなのか、こうなると「内部告発した者勝ち」になって、告発者はさらに増えるだろう。自らが疑惑の火薬庫になった安倍首相は当分、破棄したはずの官邸面会記録がどこかでリークされるのではないかと、針のむしろで政権運営を強いられるに違いない。
本誌が2年前から追及してきたオリンパスの贈賄疑惑でも、決して外部に見られてはならない決定的な内部資料が本誌に寄せられ、これを先日、HP上で公開した。
オリンパス米国現法の代理人弁護士が「資料を返却せよ」と脅しとも懇請ともつかない内容証明を送りつけてきた代物である。海外の読者から「この件に関して英語版の資料はないのか」とせっつくような問い合わせが来たこともある。株主総会を控えたこの時期に、最も見られたくない英文資料を、もっとも見て欲しくない米司法省と証券監視委員会、外国人投資家に晒されたのだから、これも不浄負けのはずだ。
しかし、本来なら恥ずかしいはずの不浄負けを恥と思わず、土俵から降りようとしない人々は多い。オリンパスも内部資料公開から10日余過ぎても、何のリリースも適時開示もない。否定談話すら出せず、凍りついているのだろうか。JPX・東証も明らかな適時開示ルール違反にお咎めなしか。このシカトのスクラム、日大執行部と似ている。それなら、見えてはならない不浄な事実をもっと暴こうか。