[特集]和菓子

和菓子はいつの時代でも愛され親しまれてきた日本の伝統です。
長い歴史の中で育まれてきた製法や技術は、文化のひとつにもなっています。
北勢地区は和菓子店が多いとされ、独自の和菓子文化を築いてきました。
その背景や現代の和菓子の発展などをご紹介します。
歴史と風土が織り成す和菓子処北勢地区は、全国でも有数の和菓子店が多い地区です。
東海道五十三次の宿場町として栄えた桑名・四日市には昔ながらの和菓子店が現存しており、中には多くの人に親しまれている銘菓を世に出した老舗もあります。

和菓子の分類と種類

一口に和菓子と言ってもその種類は幅広く、大別すると生菓子、半生菓子、干菓子に分類され、さらに焼き物、蒸し物、流し物、練物など作業工程別に細かく分けられています。

全国的にも多い和菓子店

桑名市・四日市市がある北勢地区は和菓子店が数多く点在し、その店舗数は全国でもトップクラスにあります。その理由として挙げられるのは、江戸時代に東海道が整備され、桑名・四日市には宿場が設置されたことにあります。特に桑名は宮宿に次ぐ2番目の規模を誇り、物流拠点でもあったことから多くの旅人が行き交う街道沿いには茶店が建ち並び、茶と菓子で旅人の空腹を満たしました。こうした茶店が旅人に出す茶菓子を競うようになり、和菓子店として発展しました。
また、当時は豪商の間で茶の湯が流行し、それに伴って茶菓子の需要も高まっていました。物流が盛んな北勢地区には多くの商人が集まっていたとともに、京の文化の影響を受けて、趣向を凝らした菓子が次々と入ってくるようになり、この地で菓子職人が育っていったことも大きな要因となっています。

今に伝える和菓子の系譜
北勢地区では稲作が行われていた他、桑名は米の集積地として全国から米が集められ流通していました。このため餅米を使った菓子が多く作られるようになり、長餅や饅頭を中心に和菓子文化が形成されていきました。長餅としては四日市の永餅、桑名の安永餅が、饅頭では京都から伝わった都饅頭などが当時の味覚を今に伝えています。今では同じ都饅頭でも、各店で独自の味や製法などを追求し、それぞれオリジナルの作風を創り出しています。
明治時代になると、茶の湯を嗜む商人たちが多くなり、一部の豪商ではお抱えの和菓子店を持つようになりました。茶席では華やかな和菓子が来客の目に止まるため、和菓子店も腕を競って独創的な和菓子を次々とあみ出していきました。これらは創作和菓子として現代にも引き継がれ、四季折々の風物詩をモチーフにした和菓子などが作られるようになりました。