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(無題)

 投稿者:トロロッソ  投稿日:2018年 5月30日(水)01時33分54秒
  そういえば子宮頸がんの後遺症の患者さんどうなったのかな 松さんにはもう関係ない話でしょうか これ言うと組織で査問になっちゃう  

何?

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月30日(水)01時05分15秒
  「同盟題目」の投稿者「子路」は自分ではない
なりすまし?
なんだかなー
そんな事ばかりやっている人達がいるようだ

最近、フト思い出した事があります
10年位前、聖教に掲載されていた記事がありました
「創価教育池田研究所」を作るという記事

建物の概要も掲載されていたと思う
もう10年以上経っているが、完成したという話は聞かない
どうなっているのだろう?
 

公明の叙勲(嘲笑)

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月30日(水)01時01分26秒
編集済
  >叙勲ですが  投稿者:柿  投稿日:2018年 5月29日(火)20時46分18秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85027

国会・地方議員を問わず公明議員の叙勲受章は1998年、学会・公明の中でいわゆる
竹入問題が勃発する前はあまり問題視する者もいなく公然と行われていました。
白木や柏原に限らず、差別的な官僚の恣意的な叙勲制度に飲み込まれたまま
嬉々として受章された議員や元議員の数は相当いたものと思われ、中には叙勲祝賀パーティを
開くなどする愚か者もいたほどです。

竹入は同問題が表面化する1年前の1997年に「勲一等旭日大綬章」を受章していますが
竹入批判を深化する上で公明議員の叙勲問題が内部で取りざたされるようになり、徐々に
叙勲の問題性が水面上でも浮き彫りになり、その結果、実質上受章しないとの申し合わせ
が成立した現在に及ぶのではないでしょうか。

ただし竹入問題勃発以前だから受章に問題ないことはありません。叙勲が持つ職業の貴賎や差別、
官僚の恣意性、国会議員の位での慰撫等々は竹入問題勃発以前から存在するものです。
受賞者や関係者は現在及び後世からの汚名をかぶらないためにも早急に各都道府県
を通し内閣叙勲局に叙勲の返上を敢行すべきです。

なお本人死亡の場合も遺族・関係者が例えば「大切な勲章をこの先お守りする自信がない」等と申し出れば
正式な形での返上は容易に可能であると県当局からも聞き及んでおります。


公明叙勲、なぜ返上しない?させない?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月29日(火)22時24分15秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85036

なお党の現在の意向さえも省みず勲章保持に固執する受賞者・遺族へは以下の楽曲を贈呈
いたすところです。

「嘲笑」
デヴィッド・クロスビー
https://www.youtube.com/watch?v=DGu34C4Vezo
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月30日(水)00時56分4秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
今日は出掛けていて、ご一緒出来ませんでした
移動中に数分間、心の中で御題目をあげさせていただきました
ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月30日(水)00時38分13秒
編集済
  皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生に嫉妬する会長、幹部の方々が真面になります様に
おやすみなさい

※ ハンドルまちがいです
重複投稿になったため削除お願いします
 

党は松に叙勲の返上を迫るべき

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月29日(火)23時56分27秒
編集済
  >(無題)  投稿者:はらの人  投稿日:2018年 5月29日(火)18時27分59秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85020
>(無題)  投稿者:はらの人  投稿日:2018年 5月29日(火)21時26分39秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85030

事実とすれば、ドサクサに紛れたような受章ですね。
叙勲への考え方を既に明確に打ち出している党本部は松あきらに対して引退後も2016年まで党最高顧問を
務めた党に深く関係する者の責務として、
内閣府叙勲局に叙勲の返上をするよう迫るべきでしょう。

松が返上に応じない場合は党の内外に問題提起すべき事案とも考えます。


>人間革命の「征ちゃん」  投稿者:寄りP  投稿日:2018年 5月29日(火)22時49分20秒

だから前例を作らないためにも特別扱いの腐れ慣行は今切っておかなければならないものと考えます。


公明叙勲、なぜ返上しない?させない?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月29日(火)22時24分15秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85036

以下は後編集です。

公明の叙勲(嘲笑)  投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月30日(水)01時01分26秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/85044
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月29日(火)22時57分25秒
  23時に開始です。池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。よろしくお願いします。
また、病の同志、理不尽な処分を受けた同志にお題目を送ります。
 

人間革命の「征ちゃん」

 投稿者:寄りP  投稿日:2018年 5月29日(火)22時49分20秒
編集済
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E4%B8%80%E9%83%8E

奥様の従兄弟だからって、特別ってのは、いカンザキ。

って、当時問題にならなかったのでしょうか?


(追記)
わが忘れ得ぬ同志 第2回
白木義一郎さん・文さん夫妻
      ── 大阪支部の初代支部長・婦人部長
https://blog.goo.ne.jp/spnimanabu/e/84a96732da349b596d23eeaa33c9a4c2
 

上の上

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 5月29日(火)22時39分40秒
  ご支援ありがとうございます。
昭和54年問題を学習する資料として、広布第二章の指針を読み合っていきましょう。独り言さんも再度ご拝読くださいね。感想宜しく御願い申し上げます。

さてと、第一回目は昭和51年10月24日、北海道札幌文化会館での第39回本部総会です。
テーマは「永遠に仏法中道を進もう」
長文ですので、人間革命30巻同様に「上・中・下」と分けて、いやもっと細かく「上の上」とか「上の中」と分けて投稿しますね。インスタグラム写真は、後程●●●より投稿します。

もし、池田先生が会長のままであったなら?という視点と現在の創価学会を各自が検証する指導として、「広布第二章の指針」はベストです。「止めろ!」とか「古い話をするな!」「著作権侵害で訴える!」とかの恫喝投稿はお控えください。

各自が認識・評価して思考を深める次元のことですから、あくまでも小冊子からの抜粋引用となります。
以上の点を留意して学習していきます。

??????????????

広布第二章の指針第9集より抜粋

第39回本部総会

永遠に仏法中道を進もう

「教学の年」への門出となる本部幹部会を、初代会長牧口常三郎先生、第二代会長恩師戸田城聖先生が、ともに向学の志に燃えて青年時代を過ごされたゆかりの地・北海道で開催しえたことに、不思議の感を禁じえません。
私は何十回となく、いままでに北海道にまいりましたが、やはり初めてこの地を踏んだときの印象には強いものがあります。
   それは、昭和二十九年の夏、戸田先生といっしょに厚田村を訪れたときでした。
   先生は、出獄後、初めて故郷に帰られるとあって、まことに感慨深いものがあるようでした。私は二十六歳、先生が五十四歳のときです。
  太陽が青空に照り輝く、八月の暑い日でした。いまは道路も舗装されていて、この札幌から車で一時間ぐらいで行けますが、当時は、ほこりの立つ山道を疾駆し、石狩川も渡し船のため、三時間はかかりました。
   途中、とうもろこしをごちそうになったりしながら、少年時代の思い出をいろいろと語ってくださいました。
ー 当時、小学校の授業が終わると、担任の先生と一緒に、海岸沿いに海を見ながら歩いていって、ルーランの奇勝といわれるおもしろい形をした岩が海中に突き出ているところに行っては腰を下ろし、そこで先生に本を読んでもらったり、ゆうゆうたる日本海の水平線の彼方を眺めながら「あの海の向こうには、アジアの大陸があるんだよ。そこにもたくさんの民衆がいるんだ」と聞かされては、少年の大いなる夢をふくらませたりしていた。このような話をたいへんにうれしそうにしておられたことを、なつかしく思い起こすのであります。
    厚田村について、宿舎に荷物を置くと、戸田先生は私に「厚田村の様子を見てらっしゃい」といわれるので、私は、一人で海岸へ行ったり、厚田川のほとりを歩いたり、散策をしました。その第一印象は、貧しい小さな海辺の村といった感じでした。貧しく小さいといえば、当時の創価学会もほんとに小さな存在でしかありませんでした。社会においても「なんの学会ですか」と、その名を聞かれるぐらいのものでした。
   私は、厚田港の岬に立って、恩師の少年時代に思いをはせ、また、創価学会の未来を描きながら"今に見ていよ、十年後を見よ、二十年後を見よ"と、決意いたしました。また"庶民の団結こそが、世界の平和を生み出していくのだ"と、深く、強く自らにいいきかせ、ひとり大声で、日本海に向かって叫んだことを覚えております。

   感無量の想いや誓いを、いろいろ交錯させながら、東京に帰ってから、恩師の故郷を歌に詠んだのが「厚田村」の詩であります。

         権威の風に    丈夫は
          征けと一言     父子の譜

とは、そのときの私自身の決意でもありました。
    時移り星流れ、あれから二十二年、私は、あのときの戸田先生の年齢に少しずつ近づいている自分自身を発見し、いささか驚くとともに、あの青春の決意のままに、皆さん方ともどもに、ただ懸命に広宣流布の道を疾駆できえたことを喜んでおります。私にはなんの悔いもありません。


    昭和五十四年は、創価学会にとって、また一つの大きな節を迎える年でありますが、そのときは私は五十一歳。戸田先生が会長に就任された年齢であります。いよいよこれからであると私は思っております。皆さん方も、大いなる勇気と希望をもって、ゆうゆうと、ともどもに進んでいっていただきたいのであります。今後とも、どうかよろしくお願いします。(拍手)



創価学会の根本路線

「教学の年」の意義については、すでに活動方針、教学部長、北条理事長の話等に尽くされていますし、私もこれまで、あらゆる機会に申し上げてきましたとおりであります。
   いうまでもなく、創価学会の根本路線は、どこまでも正法の「信行学」の実践に尽きるのであります。
   その「信」の対象は、日蓮大聖人即久遠元初の南無妙法蓮華経如来たる御本尊であります。
「行」は、末法御本仏日蓮大聖人のおおせどおりの如説修行であります。
「学」ぶのは、日蓮大聖人の経典「御書」であります。ゆえに、勤行、座談会、教学の三つこそ、創価学会の絶対の柱なのであります。さらに、創価学会の運動の基調は、この信行学を根本とした、個人における物心両面にわたる幸福の実証であるとともに、社会全体の平和と文化の推進であります。

    これこそが、日蓮大聖人の「立正安国」のご精神であり、それを身をもって実践し、万年の未来へ鑑として残されたのが、初代会長  牧口常三郎先生、第2代会長  戸田城聖先生でありました。すなわち、創価学会は再三申し上げているごとく、仏法を基調とした平和・文化推進の団体なのであります。これ以外に仏法を社会に展開して昇華させていく道はありません。

    私もまた、この精神と路線を受け継ぎ、心血をそそいで実践してまいりましたが、創価学会員であるならば、永久に、この理念と実践の原点を見失ってはならないと、この席をかりて申し上げておきたいと思いますが、いかがでしょうか(拍手)


 

議員の勲章を賛嘆するかのような某氏の投稿をよんで

 投稿者:ただのおじさん  投稿日:2018年 5月29日(火)22時29分22秒
  初めて投稿します。ただのおじさんによる
ただの感想です。

御書に書いてある三位坊や
人間革命に書いてある藤原行正都議の故郷に錦を飾りさるの話を連想しました。

いずれも反逆した方々ですね。

くだらない投稿しないで、まず、自ら人間革命すべきでしょうね。
 

公明叙勲、なぜ返上しない?させない?

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 5月29日(火)22時24分15秒
編集済
  >政界転身者の叙勲   投稿者:寄りP    投稿日:2018年 5月29日(火)20時30分14秒

白木は1989年11月3日 - 勲一等旭日大綬章受章ですか。知りませんでした。情報ありがとうございます。彼はプロ野球投手としても実績を残していますが、まさか野球で受賞したのではありませんね。

それから
>柏原ヤス
>1987年、春の叙勲で勲二等宝冠章を受章する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E3%83%A4%E3%82%B9

現行の叙勲制度自体、官僚機構によるいわば位下付戦略であり職業差別を前提としたものといえましょう。

白木にせよ柏原にせよ在命中に学会や公明の内外からの公明政治家が叙勲される事への
問題点は知っていたはずです。
叙勲は本人はもちろんのこと遺族も含め後に受章を正式に国に返上することは制度上も可能です。
ひところ「いったん受賞したら返上は不可能」とのデマが流布されていたことが
ありましたが、叙勲局あるいは都道府県に問い合わせても返上は可能なことは明白です。

公明政治家の叙勲問題はすでに支援団体も含め党内でけりがついた問題です。党是に基づいても
受賞すべきではありません。しかしながらこの期に及んでも返上可能を知りながら返上しない受賞者や遺族関係者は少なからずいらっしゃるようですね。

 

紙芝居。

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月29日(火)22時20分51秒
  今の新人間革命。

まるで、紙芝居のようだ。
 

公明党と議員に対しての池田先生のご指導【如是我聞】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月29日(火)22時08分3秒
編集済
  本部幹部会等において池田先生から議員に対する厳しい指導が度々あったことは多くの方がご存知のことと思います。
同時中継では一部カットされていたかもしれませんが、
かなり厳しいご指導を繰り返されていたことは事実です。

如是我聞で記憶ベースではありますが下記に記します。
他にも聞いたご指導があれば投稿いただきたいと思います。
また、誤りがあればご指摘ください。

叙勲に対してこのような厳しい指導があったからこそ、草創期の大幹部で議員になられた方は皆さん、叙勲の辞退をされていたのではないですか。


(公明党幹部、国会議員が居並ぶ中で)

議員なんかちっとも偉くない。

偉いのは庶民だ。

学会員じゃないか。

誰のお陰で議員になれたと思っている。


全部学会員のお陰じゃないか。

なんだ。偉そうに。

議員なんかちっとも偉くない。

学会に全部やらせて。

(壇上の幹部に向かって)

議員を偉ぶらせるな。


(特に叙勲を受けた矢野に対して)

裏切り者だ。

なんで叙勲なんか受けさせたんだ。

矢野のあの野郎

偉そうにしやがって。
 

婦人部総会

 投稿者:昔の女子部  投稿日:2018年 5月29日(火)22時06分57秒
  あと 二日で 婦人部総会も終わり
みんな 大変な思いで されてるんだろうなあと 思います
我が家も 主人と相談して 年に一回来てくださる 婦人部の為に センターラグを新調しました。
私は ありのままでいいよ と 言いましたが 主人は せっかく来てくださるのだからと 新調しました。
お菓子と 来てくださる方の好きな 珈琲を用意して 総会を開催しました。
年に一回でも 来てくださることに 本当に感謝の思いでいっぱいです。
全国の 最前線の 婦人部が 日頃会えない 婦人部に なんとしてでも お会いしていこうと必死に頑張ってます。きっと 私のように 経済的困難でも なんとかし工面して 書籍を購入し 贈呈したり どこかのカフェに誘って 対話したかもしれません。
私は 愚痴っているのでは ありません。
ただ トップの 何人メインで集まったかなあ 何人 マイ総会かなあ と 数で 私たちを見ている方たちに 全国の 最前線の 婦人部は みんな必死で 戦ったのだということを 心底わかってほしいだけです。
 

異体同心の同心

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月29日(火)21時29分9秒
編集済
 



大白蓮華 №748 2012.4月号 16頁

異体同心の同心

「私は戸田先生が、火の中に行くならば火の中に行く。
左へ行けば、左に行く。戸田先生が、どんな悪口を言わ
れようが、人が何と言おうが、
私は付いて行くと決めた。 異体同心の同心とは、
どこまでも付いていくということです。言葉で言えば簡単
だが、心の奥底で覚知できたなら大変なことだ。戸田先生
と異体同心なら、戸田先生と同じ力が出るのだ。
もったいなくも、御本尊と同心となれば、御本尊と同じ力が
出るのだ。本当に決意すれば、私と同じ力がでるんだよ」
---------------------------------
日蓮大聖人様が大好き
牧口先生が大好き
戸田先生が大好き
池田先生が大好き
だから創価学会、SGIが大好きです
---------------------------------
 

(無題)

 投稿者:はらの人  投稿日:2018年 5月29日(火)21時26分39秒
  松あきらさんは旭日重光章を受けてます。この勲章の授与基準は「国務大臣、内閣官房副長官、副大臣???」とあります。
だから松あきらさんは、芸能活動で受けたのではなく、元経産副大臣として勲章を受けてると思います。新聞にも「元経産副大臣」と書かれてましたよ。
 

公僕と民間人

 投稿者:ロマン  投稿日:2018年 5月29日(火)21時23分42秒
編集済
  神崎代表(当時)の小泉総理(当時)への所信表明演説に対する質問の中にあります。
私も同意見です。
叙勲、褒章と言っても税金ですからね。
公明党以外でも辞退される議員はいます。
要は、何のために政治家になったのか?
名誉のためか?否か?

神崎代表質問
例えば、永年勤続議員への表彰についてであります。現在、在職二十五年以上の議員に対し、月額三十万円の支給と肖像画の掲額が認められ、五十年以上は、年間五百万円の功労年金が支給されることになっています。小泉総理は、在職二十五年の際、表彰を辞退されたと伺っていますが、私は率直に評価したいと考えます。私は、現在のような国会議員の永年勤続表彰は、この際、廃止すべきと考えております。(拍手)
→肖像画廃止。

 また、栄典制度については、昨年十二月二十二日、与党において、栄典法の制定を初め、叙勲の等級廃止や男女格差、官民格差の是正を図るなどについて申し合わせたところであります。その際、公明党は、受章対象者は民間人を基本とし、特に政治家は勲章、褒章の対象から除外すべきとの見解を明らかにしました。なぜなら、政治家は、公選によって選出されたこと自体が極めて名誉なことであり、公僕としてそれ以上の栄誉を期待すべきではないと私は考えるからであります。(拍手)
→過去に公明党のどのような人が授章されているか見てみると色々分かるかも。
竹入義勝、藤原行正、矢野絢也etc
 

末席2017様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月29日(火)21時21分28秒
  長文をお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
また、本音のご投稿に、心から感謝しています。

創価学会を嫌いなお気持ち、よくわかります。
自分は、創価学会を諦めていた時もありましたね。
実際、過去には無慈悲な創価学会を憎んでいましたから・・・

しかし、自分の命が憎悪に染まるのを実感したとき、新たな自分が発見できたのです。
このままではいけないと思うようになったのです。

創価学会の発迹顕本を真剣に祈り、学会の未来を考えるようになりました。


>本尊に迷い、教義もぐちゃぐちゃ、一番大切な生命の平等感は今の創価学会にはなくなってしまった。

正しい道に戻せるのか、宗門のようになってしまうのかによってもう一度リセットしていちからやり直す必要があるかもしれません。<

おっしゃる通りです。

創価学会に必要なのは『正しい道に戻す智慧』だと思います。
そのためにも、末席2017様のように、組織の問題点がわかる方の智慧が必要です。

原田会長と執行部に声を上げる方が、批判だけでなく、いかにして正しい道に戻すかを考え、智慧を結集した時に道が開けるのかもしれませんね。

今後も宜しくお願い致します。
 

叙勲ですが

 投稿者:  投稿日:2018年 5月29日(火)20時46分18秒
  私の身近な元公明党の地方議員(五期)さん、天皇陛下より勲五等旭日双光章をいただいてご自宅の座敷の床の間に、仏壇のお側で立派な額に入れて飾っていますよ。
数年前に八十八歳で亡くなられましたが。
この元議員さんは藍綬褒章もいただいていましたよ。
 

政界転身者の叙勲

 投稿者:寄りP  投稿日:2018年 5月29日(火)20時30分14秒
  有名どころの転身者だと、白木議員も1989年に叙勲受けてますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E4%B8%80%E9%83%8E

この時は、問題にならなかったのでしょうか?
他にもいるのでしょうか?
 

日大声明文

 投稿者:レジスタンス  投稿日:2018年 5月29日(火)20時25分31秒
編集済
  大切な仲間が追い詰められているのに、何も手助け出来なかった事
監督、コーチの言う通りする事が勝利する事だと自分で考えていなかった事

を反省する声明文を発表しました

大切な同志が査問、解任、除名されていることに何の疑問も怒りも感じない会員は?
会長、幹部の言いなりで、自分で何も考えない会員は?

今の日大問題、どう思っていますか?



 

叙勲ですが

 投稿者:  投稿日:2018年 5月29日(火)20時23分53秒
  毎年春秋に叙勲が報道されますが、叙勲の内定者ご本人には事前に受けるか否かの問い合わせが、政府から文書で届きます。
そこでご本人が文書で辞退されることもあります。
ご本人が「ありがたくお受けいたします」と文書で回答されることもあります。
叙勲をお受けになるか否かはあくまでもご本人の意思によります。
 

この人大丈夫?

 投稿者:えっ?  投稿日:2018年 5月29日(火)19時50分26秒
  何で叙勲を受けてはいけないのか知らんのか?
外野だから仕方なしか?爆
 

松あきらさん

 投稿者:外野手  投稿日:2018年 5月29日(火)19時25分12秒
  宝塚スターで俳優・芸能活動そのままやってたら、おそらく芸能活動で叙勲受けてた方でしょうから、別によろしんじゃないですか?

松さんの叙勲に対する文句があるなら、松さんに政治家への転進を勧めた新進党時代の関係者に言うのが筋でしょう。
 

脊髄髄膜瘤の障害に負けない小学2年生

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月29日(火)19時00分16秒
編集済
  2001年7月15日

<プロローグ>

【埼玉県・小川町】2000年(平成12年)12月、S・Eさん(43)=小川中央支部、
ブロック担当員=は、祈るような思いでスタートの合図を待っていた。比企郡小川町立小川小
学校の持久走大会。1年生の距離は800メートル。Sさんの見つめる先には、真っすぐ前を

にらみ、両足に装具をつけ、両手の杖を握りしめるM君(8)の姿が――。「ヨーイ、スター
ト」M君が、力いっぱい地面を蹴った。「マットン(M君の愛称)、頑張れ!」Sさんは力の
限り叫んだ。



93年4月13日、大きな産声が響いた。4人目のわが子の出産。しかし、医師や看護婦の動
きが慌ただしい。不安が広がった。脊髄髄膜瘤――本来、脊椎の中にある硬膜や脊髄が脱出し
、腰の付け根に瘤状になっていた。緊急手術……下半身マヒの可能性……覚悟してください…

…医師の声が遠く聞こえる。夫・Nさん(43)=ブロック長=が駆けつけた。わが子に付き
添い、すぐ埼玉医大へ。6時間におよぶ大手術。夕方、Nさんが病室に戻った。ぐったりした
まま唱題する妻の姿に、涙があふれた。「手術は成功したが、下半身に相当の障害が……」。
声にならない。夫妻は固く手を握り、「信心がある……」と互いに言い聞かせた。

<生命の鼓動>Sさんは、涙を振り払うように祈っては、搾乳して病院に日参。体いっぱいに
器具をつけ、眠っているわが子の姿に胸を締め付けられた。同志が唱題会を開き、励ましてく
れた。2週間後、わが子を抱き上げた時、初めてパッチリと目を大きく見開き、母を見つめた

。ギュッと抱きしめた。幼子の力強い生命の鼓動。Sさんの胸中に、“何があっても、この子
を守ろう!”との思いがあふれた。1カ月半で退院、リハビリへ。医師から「立つことは無理
かもしれない。ハイハイも不可能かも」と言われた。夫妻は題目を唱えながら、M君の腰や足
をさすった。最初は座らせても、すぐに倒れた。それが座れるようになり、やがて手をつき、

後ろ向きに進むようになった。“この子は、信心を教えてくれている!”夫妻は学会活動に励
んだ。活動に励むほど、M君の状態は良くなっていく。腹ばいになり、ひじを使って前に進ん
だ。2歳半を過ぎたころ、お尻が上がり、ひざを使うようになった。「ハイハイだ!」「マッ

トン、すごーい!」。家族は手を取り合って喜んだ。3歳半のとき、杖を使ってわずかに歩い
た。それを見た近隣の友人が「よかったね」と涙を流して喜んでくれた。M君の姿は周囲に感
動を与え、何よりもSさん夫妻に困難に立ち向かう勇気を与えた。

<母子の挑戦>

98年4月、M君は保育園に入園した。“いよいよ、外の世界への挑戦。私がもっと強くなる
ことだ”Sさんは、本紙の配達員になった。母子の挑戦の姿は地域に信頼を広げ、本紙の長期

購読を申し出る人が相次いだ。ある日、M君が突然、御本尊に向かい、題目をあげた。驚いた
Sさんは「マットン、どうしたの?」「楽器がうまくなるように祈ったの」と。「ママ、ベー
トーベンって知ってる?耳が聞こえないのに曲を作ったんだよ。すごいよね」保育園で、「よ
ろこびの歌」のピアニカの演奏を習っていたのだ。「マットンだって、足が悪くても、何だっ
てできるんだよ!」「そうだよね。ぼく、何でも頑張るから!」とニッコリ。その笑顔に、S

さんは、“いつの間にこんなにたくましくなったのか”と胸に込み上げる思いを抑えきれず、
感謝の題目をあげた。卒園が近づくころ、夫妻は何度も話し合った。小学校入学である。養護

学校を勧める声もあった。悩んだ末、思い切ってM君を連れて、小川小学校へ見学に行った。
「こんにちは!」。男の子に声を掛けられた。「足が悪いの?でも大丈夫!ぼく、今度6年だ
から1年間は面倒を見てあげられるよ!」“こんな温かい子がいる学校なら……”。ネームプ
レートを見ようとしたが、涙が込み上げ、文字がかすんだ。

<完走の日―>

学校は、段差をスロープにするなど整備をしてくれた。担任を申し出る教師も現れた。
Y。Y先生である。入学前の懇談――。「特別扱いはしません。“自分のことは自分でする”姿勢
を徹底します」との教師の言葉に、改めて厳しい現実に飛び込むことを実感した。SさんはM

君に語った。「たくさんの人の支えがあって、入学できるんだよ。こたえないといけないね。
1日も休まず、学校に行こうね!」「うん、絶対に休まないよ!」。母との約束に瞳を輝かし
た。授業時間は、わが子に追い風を送ろうと懸命に活動に。M君も母の心に、支えてくれる人

に、こたえようと頑張った。熱があっても「行くよ!約束したんだもん!」と。Y先生から
特別に出される算数の課題も、懸命に取り組んだ。



そして迎えた持久走大会――。今まで長距離歩行はしたことがない。練習でも、休みながら走
るのが精一杯だった。しかし、M君は、人知れず決意していた。“絶対に完走してみせる!”

と。級友から大きく遅れた。歯を食いしばって走る。校外へ。多くの父母が伴走。いつしか婦
人部の先輩も。校門で校長先生が拍手で迎える。児童から声援が飛ぶ。「マットン、頑張れ!
」「もう少しだ!」Sさん夫妻は、心の中で題目を唱え続けた。見事、完走。大きな拍手が笑

顔満開のM君を包んだ――。M君は、母との約束通り、一年間休まなかった。学期ごとにY
先生からもらった3枚の賞状は宝物だ。「たくさんの方に支えていただき、感謝の思いでいっ

ぱいです。これからも、信心根本で、すべてを乗り越えていきます!」とSさん夫妻。障害に
負けない、たくましい一家の姿は、これからも周囲に勇気と希望を送り続けることだろう。
 

(無題)

 投稿者:はらの人  投稿日:2018年 5月29日(火)18時27分59秒
  ここで話題になってないなですが、
元参議院議員の松あきらさんが、
春の叙勲を受けてました。
あれだけ公明議員は叙勲は受けないと
言っていたのにどうしてでしょうか。

 

簡単な話

 投稿者:のび太  投稿日:2018年 5月29日(火)17時14分24秒
  ミネルヴァさんのコメントが明快です。

「こういう誰にも信用されない、あからさまな大嘘を暴くために、中村愛媛県知事と加計孝太郎理事長を国会に呼べと野党は言うのだが、与党はそれを絶対に認めないのだ。
アベ首相や自公はすべてのウミを出し切ると豪語しているくせに、やっている事はまったく正反対。数の横暴によって嘘をつき通し、ゴマかす事しか考えていないのだ。」

いままで公明党の支援に快く応じてくれた良識あるひとが言ってました。
「いまの公明党は政権与党にしがみつくことがすべてに優先するんだな!」
本当に国民の疑念を払拭したいのなら国会招致すれば済む話。
私のところにも新潟県知事選の支援依頼がきたが、学会員を集票マシーンのように
扱うのもいい加減にしろと言いたい。


 

善につけ悪につけ影響力有り!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2018年 5月29日(火)16時09分0秒
  ミネルヴァの梟様が連日、解説して下さっている如く、日本の”国家主義””右傾化”がぎりぎりの局面までやってきていると懸念いたします。
SGの存在、影響力が、特に国政レベルでの”選挙”の際に、見える形で発揮されてしまう・・
SGの中での”議論””闘争”と違って、選挙の結果は、直ちに国民、社会に影響を与える。

自公が推すのが海上保安庁次長の花角英世氏(59)。野党統一候補が県会議員の池田千賀子氏(57)。
大きな争点は原子力発電所の存続。新潟県内はもとより、北陸、関東などSGは電話作戦などで、「反共産」を
唯一の拠り所として、自公候補の応援を推進と。

「嘘つきは首相の始まり・・」とも言われる政治状況の中にも関わらず、安倍首相はこの9月に行われる自民党総裁選での、3選を目指している。
この新潟県知事選で与党が勝つか、野党が勝つかで、ある意味、日本の針路が決まってしまうかも知れないのである。(自民党総裁選の方向に大きな影響がある)
息をするように嘘をつける、一国の首相とは、いったい何者なのだろう?
かねてから、池田先生は日本の国家主義、右傾化に警鐘を鳴らされてきた。「反共産」の一つ覚えで、全体の
政治状況もわからないまま、自公候補の応援に走るとしたら、それは”悪”に加担する行為ではないだろうか?

勿論、政治判断は各人、自由である。しかし、”言われるままに”自公候補だから・・という理由だけで、他県の知事の当落に関わることは、民主主義を愚弄する事になりはしないだろうか?
心ある学会員諸氏よ。「心して政治を監視しようではないか」!
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2018年 5月29日(火)13時43分3秒
  もとより、私の人生は未完である。未完なればこそ、人生の醍醐味は尽きない。これからが、私の人間革命の本舞台である。よし平凡でも、自分らしく、ありのままに歩みゆく以外にない、と決心している。  

飛翔こそ蘇生様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月29日(火)13時38分5秒
編集済
  ご同意頂きまして、誠にありがとうございます。

自分が創価学会を好きな理由は、会員の顔が見えるからかもしれません。
未来部から多宝会まで、多くの方の笑顔も涙も知っています。

『創価学会』という言葉を聞けば、今まで関わった部員さんの顔が心に浮かぶのです。
未来部から多宝会まで、たくさんお世話になり、お世話をしてきました。
部員さんのために上げた題目が、自分の命に染みこんでいます。

査問を受けて、一時的に創価学会を嫌いになった時期もありました。
自分や家族へのデマや批判中傷に、悲しい思いを重ねてきました。
しかし大切な同志の顔は忘れられません。

声を上げる目的は『会員の幸福』のため。
広宣流布も、師を守るのも、最終的には『会員(民衆)の幸福』に帰着するのが、自分の個人的な考えです。

だからこそ創価学会を見放すとは、今まで関わった部員さんを見放してしまうように感じるのです。










 

虹と創価家族様、今の創価学会は嫌いです。

 投稿者:末席2017  投稿日:2018年 5月29日(火)13時18分15秒
  虹と創価家族様

おっしゃることはある意味わかる気がします。
人生の大半を創価学会の庭で過ごしてきた身としては否定はできないです。イコール自己の存在を否定することですから。
でも、邪教と化した創価学会は嫌いでいいじゃないですか。

大切なことは、法華経、大聖人の仏法、池田先生の思想行動に脈々と流れるものをきちんと受け止め、ひろめ、受け継いでいけるかどうかであり、創価学会という団体がどうなろうがそれはどうでもいいことです。動機はどうあれそこにこだわったのが今の創価学会ではないでしょうか。

今は先生が創価学会におられて、見捨てておられないから、私は創価学会にとどまります。でも、将来はわからない。

本尊に迷い、教義もぐちゃぐちゃ、一番大切な生命の平等感は今の創価学会にはなくなってしまった。

正しい道に戻せるのか、宗門のようになってしまうのかによってもう一度リセットしていちからやり直す必要があるかもしれません。
 

ファシズム化阻止の瀬戸際

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月29日(火)12時57分49秒
  昨日の国会の様子を、ニュース番組をハシゴして色々見たが、アベ首相の答弁があまりにもヒドくて、もう笑うしかなかった。
ヘタな漫才より、100倍は笑えると思う。

アベ首相は、野党の至極まっとうな追及に対して、「それは、あなたが作ったストーリー。」(笑)みたいなクソ答弁をして大反発を招き、審議がストップしていた。(笑)

一方、加計学園の「首相と会ってもいないのに会ったと嘘をついて、交渉を有利に進めました」という、いわば「詐欺自白事件」。
こっちの方には一言も非難しないし、怒ることもなかった。

こんなのは、どう考えても有り得ない加計学園の大嘘だが、そういう事にしなければ首相が困るのだ。
2015.2.25.に加計孝太郎氏と首相が会った事を知られると、全ての嘘が大崩壊してしまうから口裏を合わせているだけだ。

しかし実際のところ、誰が嘘をついているのか、まともな国民なら簡単に判断出来ているはずだ。

こういう誰にも信用されない、あからさまな大嘘を暴くために、中村愛媛県知事と加計孝太郎理事長を国会に呼べと野党は言うのだが、与党はそれを絶対に認めないのだ。

アベ首相や自公は「すべてのウミを出し切る」と豪語しているくせに、やっている事はまったく正反対。数の横暴によって嘘をつき通し、ゴマかす事しか考えていないのだ。

こんな政治をいつまで続ける気だ。


6月10日投開票の新潟県知事選、もう期日前投票が始まっているようだが、また首都圏の学会員が、集票マシンとして大量動員されているはずだ。

沖縄名護市長選の時と同じ、いつものダーハラ執行部の手口だが、こういうやり方をマンマと成功させてしまうなら、創価学会員の罪はとんでもなく重いものとなるだろう。

今まで何度も言っているが、日本はファシズム国家になる一歩手前にまで来ている。

「秘密保護法」「安保法制」「共謀罪」と、すべて与党側の強行採決で成立させられた。
更にこの後「働き方改悪法案」「カジノ法案」も強行採決されるだろう。

このような状況下で自公を支持する事は、ファシズム国家の成立に協力するという事だ。
どこかで止めなければ、戦争と貧困が、いずれこの国を覆い尽くすに違いない。

大聖人と三代の師匠から破門されないという絶対の確信が持てる珍しい人以外、今の自公を絶対に支援するべきではない。今の自公など、民衆の敵に決まっているではないか!
現代の提婆達多どもに騙されてはならない。

一人一人の学会員が、どんな政治的信条を持つかは本来自由だ。池田先生がそう言われている。

今の自公を支持出来ない学会員が、野党を支援するのも当然自由だ。

自公を支援するなら勝手にやれ。私は今、野党を応援する。






 

虹と創価家族様

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月29日(火)12時54分25秒
  おっしゃる通りです。

そういう方向で生かしてもらいたいです。

そういう人がたくさん育ってもらいたいです。

善につけ悪につけ
創価を嫌うのは地獄の苦しみです。

苦しまずに道が開けるところを
見つけてほしいです。
 

創価学会が好きですか?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月29日(火)12時08分50秒
編集済
  まず前提として、原田会長と執行部に声を上げ、処分や除名を受けた方々は極善です。
その方々を攻撃したり、批判するわけでは御座いません。
ましてや権力に対し声を上げる事を、止めさせる目的でも御座いません。

自分も含め、命を点検するために書いています。
そのうえで、耳に痛いと思いますが、お読み頂ければ幸いです。


反対派の皆さんにお聞きしたい。
創価学会が好きですか、それとも嫌いですか?

最近ですが、『創価学会が嫌い』と受けとれてしまうような投稿を、SNS等でも多く見かけるようになりました。
『正義』の名のもとに、暴力的な投稿も増えましたね。

もちろん、この原因は原田会長と執行部の運営方針にあります。
池田先生の指導からブレた組織運営が原因です。
原田会長と執行部は、この状況を真摯に受け止め、自身のふるまいを正し、運営方針の見直しをして頂きたいと強く願います。

さて、創価学会が嫌いな方の投稿が、このままエスカレートしてしまうことを懸念しています。
学会に無理解の外部、愚痴や不満を持つ会員や未入信家族、未活動家の反学会の心を煽り、結果的に、信心や池田先生から遠ざけている状況を作ってしまうならば、本末転倒となってしまわないでしょうか。

また、反対派の方のふるまいを見て下さい。

広宣流布を祈るなら、一家和楽の家庭を築き、仕事や地域活動で地元に信頼の輪を広げ、苦難を乗り越え、幸福になる信心を目標にしているはずです。
生活に根差した実証をもち、地域に広宣流布を進めていらっしゃると思います。

しかし批判のみに終始し、『創価学会の発迹顕本』と『世界広宣流布』から、かけ離れてしまっては、池田先生の思いから遠ざかってしまわないでしょうか。
ましてや、ふるまいを他人に見せられないような状況では、何のための信心かわからなくなってしまいます。


さて、京都乃鬼様がご投稿された内容は大変重要だと思いますので、自身の点検のためにも再確認したいと思います。

~~~~~~~~
京都乃鬼新聞(弟子戒め三箇条③)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84503

>池田先生は辞任の際、こうおしゃったのだ。『創価学会は私を裏切った。しかし、私は創価学会を裏切らない』と。あなた方も私達も、師弟不二を貫くのならば、その勇気があるのならば、何があっても忍辱の鎧を着て「創価学会を恨まない」「創価学会を裏切らない」ことが大事ではないだろうか?<
~~~~~~~~


宿板で、師弟不二を論じられていますが、もし反対派で師弟不二という言葉を使うなら、創価学会を嫌いなままでいては、いつまでたっても師弟不二とは言えないと感じます。

以下は、池田先生が、入信間もない頃のエピソードです。

~~~~~~~
私は、入信間もない青年部のころ、悩みがありました。それは、周囲に立派な先輩が少ないということでした。終戦間もないころでありました。

 誠実さも慈愛もなく、ただ威張っているような壮年が多かったのであります。堕落した幹部もいた。陰で戸田先生を裏切っている幹部もいました。青年として、私は許せなかった。権威的で、真剣にやらない上に、後輩を大切にしない先輩が嫌いでありました。

 ある日、戸田先生は私の心を見抜かれて、「創価学会が嫌いなのか」と聞かれた。私が「その通りです」と実情を申し上げると、先生は一言、「それならば、大作、お前が本当に好きになれる創価学会をつくればいいではないか」と言われたのであります。

“良い人がいないというならば、君自身が偉くなればよいではないか。君自身が模範になればよいではないか”“鯉が竜に成長するにも、上から落ちて来る滝の圧力に逆らって、登り切ってこそ、竜になれるのだ。やりにくいところで、うんと苦労してこそ、人間も偉大な人になれるのだ”“先輩など、あてにするな。全部、青年が青年の責任で、理想の創価学会を建設していけ。それを私は期待しているのだ”そういう先生の心でありました。この明快な指針の通りに、私は戦いました。広宣流布の一切の責任を担って、猛然と一人、立ち上がったのであります。

「革命は死なり」の決心で、50年間、走り抜きました。そして今、全世界から顕彰される創価学会になりました。牧口先生、戸田先生が「世界の偉人」と認められる「証明のドラマ」を綴りました。

 私は今、青年部の皆さんに、この戸田先生の言葉を、そのまま贈りたいのであります。 そして、わが池田門下の君たちが、こぞって猛然と立っていただきたい。

 広宣流布に遠慮はいりません。よき先輩は尊敬しながら、悪い先輩は叱りつけて進めばよいのです。そして婦人部を大切にしながら、傲慢な仏敵は一人も残さず、屈服するまで責め抜いて、広宣流布の新しいうねりを無限に広げていただきたい。

【「青年部の時代へ」池田名誉会長のメッセージ(聖教新聞 1998-05-15)】
~~~~~~~


上記メッセージの内容は、現在の創価学会の状況とは、時代も背景も違います。
人によっては「この内容は、現在の組織状況に当てはまらない」と感じる方もいるかもしれません。

しかし、創価学会が嫌いになってしまっている反対派の方は、今一度、自身の命を点検して頂きたいと願う。

反対派の中で師弟不二と言いながら、創価学会を既に見放しているなら、池田先生のお心から遠ざかっているのではないでしょうか。

創価学会を見放したまま批判の声を上げるなら、職員の場合は組織内の権力闘争、職員でない場合は分派活動と見られてしまいます。

声を上げる目的が、池田先生の思いから外れては、先生を見失ってしまいます。
2006年以降の指導は、会員の幸福のために創価学会を守ることを指導されていると思うのです。
組織内権力者の悪を諫め追撃するのは、そのためです。

広宣流布を進めながら、創価学会を見捨てず、学会と共に生きる。
それは、処分を受けても、除名や退会されて外部となっても、出来るのではないでしょうか。

ある意味、友情と似ていますね。
『たとえ相手に裏切られようと、自分は絶対に裏切らない。』と、友情について池田先生から学んだ事を思い出しました。

声を上げるなら、『創価学会は私を裏切った。しかし、私は創価学会を裏切らない』という池田先生のお言葉から、師の心を自分の命に重ねて声を上げてこそ、師弟不二に近づけると思います。


以上になります。
長文を、お読み頂きまして、誠にありがとうございました。



(関連指導)
【第一回アメリカ青年研修会 平成三年十月一日(大作全集七十八巻)】
http://sgi-shiteifuni.com/?p=2379


 

ザナドゥ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 5月29日(火)11時15分49秒
  今日からセ・パ交流戦が始まる。今年もロッテの挑発ポスターが面白い。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00000001-wordleaf-base
『プロ野球交流戦、なぜ「セ・リーグ」が弱いのか』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180529-00222549-toyo-soci
DH制があるパでは常に打撃を磨いている選手が9人いるのに対し、セには8人しかいない。しかも投手は分業制が進んでますます打席が減り、練習も本気でせず、ベンチもチャンスで投手に打席が回るとゲッツーよりも三振の方がいいと考えてしまう。「機会」が多いか少ないか、これが上達、さらには勝敗にも大きく影響するということでしょう。

ようやく任用試験の勉強会を始めるらしい。池田先生が言われるような「剣豪の修行の如き教学の研鑚」ではなく、ただ打ち出しがあるからやってるだけの「打ち出しの教学」だからシカタガナイ。池田先生が本幹同中で「創価学会は“学”ぶ“会”なんだ!」と怒鳴られていた姿が忘れられない。戸田会長時代は会合の半分が教学の学習会だったとは、今を見れば信じられない。
「機会」がゴッソリ減っているのだから教学力が落ちるのは必然で、何も喋るネタが無いのだから「仏法対話」なんか出来る訳が無く、どこかの新興宗教みたいな勧誘にならざるをえない。

「機会」がたくさんあると思っていたでしょうね。受験する未入会の友人は。仏法入門なる本を買わせておいて随分前から誘われていたのですから。一般の人は日常的に仏法を学ぶ「機会」があるのだと勘違いした(?)だろうと、外部の気分を抜いていない私は思う。が、まぁ、いいでしょう。それよりも未来部出身者に初めて折伏を“してあげる”絶好のチャンスです。ただ「家の宗教」だから押し付けてやらせようとしているのではないのですよ、仏法は本物で、だから本当に祈りが叶うのですよ、とちゃんと教えてあげるチャンスです。

「『ダ・ヴィンチ・コード』原作者、宗教と科学技術の対立を描くワケ!」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180528-00000028-flix-movi
>トム・ハンクス主演の映画『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズの原作者で知られるベストセラー作家ダン・ブラウン氏が、最新作「オリジン」(KADOKAWA)刊行を記念して、デビュー後初めての来日を果たし、28日、都内で記者会見に出席。「オリジン」の題材に最新テクノロジーである人工知能(AI)を選んだ理由や、彼が一貫して追い求める「宗教と科学技術の対立」というテーマに対するこだわりついて、記者の質問に答えた。<
>科学技術への彼の信頼の背景には、幼少期に経験した宗教への疑問があるという。「敬虔なキリスト教徒の両親は、神が人類を創造したという物語をよくしましたが、学校の遠足で訪れた博物館には、人類は猿から進化したと展示がありました。どちらが正しいのか、地元の神父さんに聞いても、“そんな質問をしてはいけない”と言われた。私は、科学と宗教の二つの世界でずっと混乱し、両者の関係を追い求め、探求する手段を小説に見出したというわけです」とブラウン氏。さらに「神の領域と考えられていた例えば、雷などの現象は、いまは科学で説明できます。科学は、宗教の領域を狭めているが、逆にいえば、科学技術が今まで存在しなかった人間同士の相互接続をもたらし、言語の違う人同士のコミュニケーションを可能にして、新しい精神性の源になれるかもしれない。最新の量子力学と、古代“仏教”の世界観が似通っているのもいい例です。技術によって科学と宗教の関係の溝が埋まるかもしれない」と両者の関係への次なる希望を語り<

科学が仏法を証明しようとしている!
『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』は面白い。ドイツ人女性である著者スザンヌさんの不思議な功徳体験談から始まり、題目で脳波に変化が現れることから、「やっぱり!」と思わされ、唱題がますます楽しくなります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353

♪『オリビアを聴きながら』今日は。SGIメンバー?
https://www.youtube.com/watch?v=0NqmBgJuNVA
“誰も 危険を冒してまでは 行こうとしなかった場所 私達は 愛を知るようになったわ”
“人々は それをザナドゥと呼びますの”
“そして 今 目を開いて 見て 私達が作ったものは 本当 私達は ザナドゥに居る”
“百万ものライトが踊る そして そこにあなたはいるわ シューティング・スター”
“永遠の世界 そして あなたと私は ここに居るの 永遠に”
“ザナドゥ ネオン・ライトが輝く あなたの為に ザナドゥ”
“愛 古(いにしえ)のエコー あなたが知りたかった世界 それらは ザナドゥにあるわ”
“夢は 百万年の歳月を超えてやって来た 全ての涙をくぐり抜けて 生きてきた”
“ザナドゥに やって来た”
“ザナドゥ ザナドゥ ザナドゥの世界に”
“今 私はここに 今 あなたはザナドゥの近くにいるのよ”
『ザナドゥ』オリヴィア・ニュートン・ジョン
https://www.youtube.com/watch?v=cLi8fTlDEag
 

赤胴鈴之助 さま

 投稿者:庵下路メール  投稿日:2018年 5月29日(火)09時52分42秒
  今、ログインして昨日のみなさまの書き込みを読んでおりましたので、返信が遅くなりました。池田先生が「八重の相対」という言葉を使われたのですか?という私の問いかけに対しての、鈴之助さまの、書き込みと受け取りました。 そういわれれば、全く返す言葉もなく、私の挑戦的な書き方が悪かったと思います。ご容赦ください。
「五重の相対」という大聖人の仏法用語に対して「八重の相対」という言葉を持ってくることに、なんとなく違和感があったのです。 正直、今でもしっくりとこないのです。

ただ、もう一回、皆様の書き込みを読み直してみて思ったのは、「五重の相対」という言葉が、後世になって教学を体系的に学ぶためにつけられた言葉であることを考えると、八重の相対も、後に不二の弟子が池田先生の指導を体系的にまとめて、つけることも十分ありかなと、思えました。


何度も繰り返しますが、八重の相対の内容については、それを読んだときは、全くそのとおりと覚醒させられた気分なのです。


 

素晴らしきご境涯

 投稿者:独り言  投稿日:2018年 5月29日(火)09時43分16秒
  皆さんのお嫌いな食法餓鬼坊主も、ご批判されてはいかがでしょうか?  

(無題)

 投稿者:独り言  投稿日:2018年 5月29日(火)09時37分3秒
  インスタグラムは、広布第二章の指針へ新出発を切りました。  

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、インド・北海道総会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 5月29日(火)09時17分2秒
  おはようございます。原田怪鳥様、札幌市で、インド・北海道、青年三代城総会の開催、原田怪鳥様の御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

ナニやら? 植樹があったそうデスが、「嵐桜」のように原田怪鳥様の御都合か? 伐採されないようにしてくださぁ~い(笑)

また、原田怪鳥様の御説法も、あまり変わり映えのしない印象なのデスが、やれ躍進だっ!、と訴える前に、会員さんの励ましをお願いしまぁ~す(笑)


ところで、ネタが無いためか? 創価大学の運動部の活躍が紙面を賑わせてマスが、日大アメフト問題で小生も初めて知ったのデスが、

大学の運動部の活動は大学教育とは関係ナイんデスねぇ~(笑)

つまり、教育の一環としてではなく、同好会の集まりという扱いになってるのにはビックリしマスたぁ~(笑)

デスから、創価大学の運動部の方々がいくら活躍されようと、そのコトを機関紙で掲載するのは単なるプロパガンダってコトですかぁ~(笑)

たまたま活躍された方々を、機関紙で大々的に報道するのは、「創価」というブランドの印象操作になるかもしれませんねぇ~(笑)

今後、御一考されたほうがイイと思いまぁ~す(笑)


また、「珍・人間革命」も、誓願五十四になってようやく「お尋ね文書」に触れたワケデスが、

よく考えてみれば、昭和54年から平成3年まで、12年間を「上・下巻」に分けるとはいえ、一巻に収めるのは無理がありマスねぇ~(笑)

いかに原田怪鳥様の「30巻で終了デスッ!」という御意向とはいえ、執筆チームの皆さんの御苦労もお察ししまぁ~す(笑)

だから、ひたすら事実の羅列ダケで、小説らしい、主人公の心理描写や背景等も描くコト無く、世紀の駄作になっちゃってるんデスねぇ~(笑)

世間では、安倍総理の御意向とか、日大アメフト監督の御意向だとか、ナゼか?「御意向」が流行ってるみたいデスが、

原田怪鳥様の「御意向」は、果たして世間が原田怪鳥様に合わせているのか? 原田怪鳥様が世間に合わせているのか?

いったいどちらでしょうかぁ~(大爆)


まあ、どうせ合わせて頂くのなら、原田怪鳥様も安倍総理に合わせずに、池田先生に合わせて頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

(無題)

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 5月29日(火)09時16分47秒
  日寛教学否定して、日寛書の御本尊を認定本尊にして毎日拝んでいますからね。まっ、大誓堂は別として、今の創価学会員の自宅に安置している御本尊は、日寛書の御本尊様。
教学的整合性も、根本崇拝も何も無いから迷走しているのでは?誰も日蓮正宗へ戻れなんて言っていないのに、ビクビクして会員を疑い、サーモンジヨメイが大好きな患部ばかりになったから、益々御本尊様が形骸化すると同時に「祈り」が「記念日儀式」になっている。
先の投稿で、脱会するのに、御本尊にハサミをかけて学会本部へ送りつけた婦人の方の件、詳しく伺いました。大患部のお孫さんでしたよ。やはりって感じですね。
親や子も御本尊様の存在が、単なるステータスシンボルだったから、孫の代には大切なモノなんていう感覚もなくなる。祈りの対象、信仰の対鏡ではなくなっていたんですね。単なるお飾り信仰。朝は三ベン、夜は勘弁。立派な仏壇に、立派な御本尊が有る事がステータスの家系に生まれるとつまるところは、逃げ出したくてハサミを入れることになったという顛末です。南無南無南無~(><)
 

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 5月29日(火)09時15分26秒
  昨日より、
さる温泉地の別荘に、

先生の平和思想を守り、正義を叫んだが故に、迫害された宝の御夫妻を御招待。

先生の御令嬢御夫妻として接待させて頂いている。

140平米の、そこそこ広い部屋にて寛いで頂き、偉大な日蓮仏法の法味の一端を語らせて頂く。

夕刻には、もうひと家族が、御夫妻で来て下さり、歓談。

当初、御招待予定の御夫妻には、1泊して頂いた。

上品な御夫妻であられる。

嵐の迫害にも、

又、仲間内からの心無い言葉の暴力にも、笑顔で対応される見事な人間王者の御夫妻であった。

この健気な大聖人の子どもを、

先生の御子息、御令嬢を守らずして、

何処に広宣流布があるというのか。

恐縮され、帰ろうとされる御夫妻を何とかお引き止めし、ゲストルームにお泊り頂いた。

眼下に海を見下ろす抜群のロケーションは、御夫妻の御境涯そのものである。

世界は、物質文明の行き詰まり、

物への執着と追及が、人間生命を成長と無縁の、

否、人間生命を不幸へと導くものである事に気付き、

心の世界の開拓、人間復興への道を模索し始めている。

地球と言う?一個の生命体の上で、共存する生命同士は、
決して、別々の営みを成す事の出来ない運命共同体であり、

彼(か)を、犠牲にしての己(こ)の幸せは、あり得なく、

彼(か)の為に、道を照らす時、初めて己(こ)の行く手に光が注がれると言う真実が、

日蓮仏法の道理であり、
我が師・池田博士のお教えである。

オリビア・ニュートン・ジョンの

「Let go  Let God」を、友が送ってくれた。

シェアしたい。

偉大な仏法をたもち、

偉大な仏の道に入門しながら、

その瞬間瞬間に、迸(ほとばし)り、涌き出でる大歓喜の法味を味わい、

自らの思う通りの人生を、逆境を栄養源としていく「 常楽我浄 」の人生。

如何なる悪環境も、安安と善環境へと替える生命の力。

悪をも善に変える相対的人格の形成及び発現。

一兆分の一秒で生成される物質のコントロール。

などなど、

怒りや、嫉妬の感情に支配され、自分を失うのではなく、

戸田先生がおっしゃった、
「 我が心を、自由自在に操り、
怒っても、愉快に怒る生命感情 」の発現。

など、もうジッとしていても、思わずニマッてしまう、大歓喜の暴流。

その喜びの中で、

弱者救済の的確な手法と、

苦悩に喘ぐ人を見れば、共に嘆き悲しみ、

即、宇宙大の大慈悲で相手を包み喜びへと引き上げる無限の力、

悪に対しては、今までの穏やかな人間性を疑うかの如き、怒りと怒号?。

智慧明了(ちえ みょうりょう)
にして、多聞強識(たもんごうしき)、。

常に、快活であり笑顔を絶やさない、

生きる事の喜びに満ち溢れ、
接する人に喜び与える存在。

そんな師匠に一ミリでも近づきたいと願うばかりある。

ーー  ーー  ーー

歌手のオリビア・ニュートン=ジョン

70年代から活躍されていて、実業家でもある。

「Let go  Let God」
(直訳すると=神に任せなさい=意訳→時には自分の力ではコントロールできないことがある。

そんな時は、心配せず焦らず慌てず、必ず良い方向に向かうんだと確信する気持ちを強く持つ事)

この曲の中で、自ら「ナン ミョウ ホウレンゲキョ」と題目を歌詞として歌っています。


"OLIVIA NEWTON-JOHN CANTA NAM MYOHO RENGE KYO"
?https://youtu.be/FKs5F01gAbQ?
 

わが友に贈る 2018年5月29日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月29日(火)07時33分54秒
  真剣な勤行・唱題こそ
希望と幸福の源泉だ。
白馬が天空を駆ける如く
朗々と妙法を唱えよう!
満々たる生命力で前進!
 

相対の教義

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月29日(火)02時42分55秒
  まぁ、大事なところなので
言い負かした方が勝ちみたいなのではなく
丁寧に学び合ってみましょう。

私たちが一口に日蓮仏法と呼んでいるものの中身をよく見ると

主に伝教大師によって日本の公式になったベースの天台教学的な日本仏教
(例えば末法の始まりが1052年一択なのは、日本仏教特有の共通認識だったりする)
日蓮大聖人の御書に明確な唱題行とかの独自のもの
(の中にも広く認められているものと、宗派内でのみ認められているものがある)
後世に解釈がなされたもの
(五重の相対や六大秘法等)

等々がある。

五重の相対の重要性というのは
日興上人が選定された五大部の内で
人本尊開顕の書である開目抄から読み取られたものであり

日蓮宗にも少し違うものがあって五番目は
種脱相対でなく教観相対としているようだ。
(今、ウィキ見て、そうだっけってなった)

このうち、種脱相対を汲んだ日寛教学において
日蓮本仏教学は一応の完成を見る。

さて、戸田先生が言ったのは
信心は日蓮大聖人の時代
教学は日寛上人の時代へ帰れという事なので

その時点で、五重の相対は教義の内に入るが
八重の相対は教義の内に入らない感じになる。

一旦、時代を追ってみよう

教学は日寛上人→宗門外護→
世界広布見据えて唯授一人で日本の法主を崇めさせるの違うくね?
→怒られちゃったごめんなさい、池田先生を犠牲→池田先生一人正義の旗
→破門(魂の独立)→教義的混乱→スキャンダル合戦で時間稼ぎ
→大事なところは池田先生が保持したが倒れる
→多分、誰もちゃんと理解してないし、このまま日寛教学消しちゃわない?
→宮田「五時八経は現代では~・・・」日寛教学どころかベースの日本仏教からぐちゃぐちゃ

宮田氏の部分は論外としても
立たされている岐路としては日寛教学をどうするかというのは
差し迫った問題としてあって

丁寧にやらなきゃいけない問題なんだけど
「教義なんて後からどうにでもなる」という本部の姿勢
本部の意向に教義を合わせる本末転倒の機関になった教学部。

あてにならねぇ、任せておけねぇ。と思う。

日寛教学をどうするかの岐路として
日寛教学に原理主義的に戻るのか
日寛教学を削ったり捨てたりするのか
それともアウフヘーベンするのか。

そういう選択肢がある。

間違ってもビジネスベースのコンテンツ化を
言うまでもなく唯一正しいとほざくのは宗教の名折れだと思う。

アウフヘーベンするなら
そこに流れる日蓮大聖人の時代の信心の法をベースに
三代の会長の指導と日寛教学をするべきだろう。

私事になるが、法華経の智慧を学びながら
2001年に私は「師弟の道」と木炭氏に墨汁で大きく書いて掲げた。

その後の池田先生の指導で
ただの師弟の道ではダメで、師弟不二の道なんだと聞いて
ガビーンとショックを受けたのを覚えている。

で、師弟不二の道を分からないながらも目指していて
それはそれは苦しい難に遭いまして
「もうボクは創価を信じません」と言わざるを得ないに至ったのだが
その時に「あっ」と、仏とは何かの一分が解った気がします。

周囲には、組織信仰の人と、不二でないただの弟子の人はいても
本当に不二の人というのは居なかったのかもしれず
池田先生は、こんな小さな枠の視点では世界を見ていないのかもしれない。

まだまだ先があることを同時に私は感じたけれど
すぐには動き出すことは出来なかった。
時至らずだった。

で、時至って動き出し
この掲示板でアルベアさんをはじめ、すごい人たちに出会った。

師弟不二の道なんだというのは間違いなく池田先生の指導だし
私にとっても師弟不二の道の探求への切り替えは大きな転機だった。

そこで、日寛教学との相関関係はどうなるのか?

今、私は不二の道を実感することは
日寛教学も、池田先生の指導も
より深いところから解るようになってきているように感じる。

勉強して身に付けるものじゃなく
生命の在り方を思い出すことと符合する。

まぁ、言っても私の場合
こっち方面ばかりの特殊技能みたいなもので
全くままならない凡夫でもありまして

皆さんに学ばなきゃいけないことも多いのです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月29日(火)02時31分27秒
  文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。
今回は、日本と中国 です。

この対談集が、上梓されたのは、昭和47年です。
正本堂が建立された年です。

当時は中国は国連に加盟していませんでした。
その中国が、少し動くと世界に響くような大国であることも、事実です。

中国は毛沢東の指導によって、経済的にも、軍事的にも無視できない大国です。
この国を国際社会から、はじき出していくより、国連に加盟させてコントロールする方が世界の平和に
とって、有効であろうと、話し合いがなされました。

アメリカ社会も、いつまでもこの大国を野放しにしておくと、原水爆開発や、軍事力が恐ろしいことに
なると、考え出している情勢だったのです。

それと、アメリカ経済や外交が行き詰まり、何とか打開しなければならない事実・・・中国・米国関係
の平和的友好関係を望んでいるであろうと二人は意見の一致を見ました。

アメリカは経済的には、中国は新しい市場としての価値があると認め始めています。
 

文明・西と東   日本と中国 

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月29日(火)02時28分30秒
  文明・西と東

日本と中国

池田
 一九六八年のことですが、私は、日中の国交回復と中国の国連加盟を強く訴えたことがあります。
 中国は長い間、日本人にとって文化的母体でもありました。

 いまの中国は、七億以上の膨大な人口を擁しながら、国際政治の場においては、合法的発言権を与
えられておりません。
 それが無用の国際緊張の大きな原因にもなっています。

 わが国は、自由圏に属していますが、中国の隣国でもあります。
 中国に対する日本の態度がアジアの自由諸国と中国の緊張関係に、どれほど深い影響を及
ぼしているか、はかり知れないものがあります。

 その意味から、私は、日中の間に平和共存関係を打ち立て、親密な友好関係を結ぶことが、アジア
における平和の実現にとって、重要な条件であると信じているわけです。

カレルギー
 日中の平和共存は、世界の将来を決定するものであり、それを確立するために、あらゆる努力が払
われなければならないと思います。

池田
 日本は、現在まだ、中国を承認していません。
 この点で国内の世論も分かれています。
 あなたは、わが国がいまだに中国を承認していないことをどう考えますか。

カレルギー
 私は、日本政府が中国を承認しない理由は、日本や中国自身とは無関係な事情によると考えます。
 その事情には二つあります。
 ひとつはアメリカの態度、もうひとつは台湾の存在です。
 この二つが今日まで、日中国交の正常化を妨げてきたといえましょう。
 アメリカに追随せざるをえない外交姿勢と、台湾への義理が日本を逡巡させていると考えます。

池田
 日中関係を正常化するには、まず何から手がけるべきでしょうか。
 かつて、ドゴールが中国承認に踏み切ったいきさつなどから、いまの日本が学ぶとすれば、その教
訓は何でしょうか。
 もちろん、日本とフランスとは、それぞれ、歴史的、文化的、地理的関係が根本的に異なりますが・・・。

カレルギー
 中国承認については、フランスよりもイギリスやスイスの方が、ずうっと以前に踏み切っているこ
とを忘れてはなりません。
 イギリスもスイスも、世界でもっとも先進的な資本主義国です。

 それがいち早く、中国を承認し、北京に大使館を置きました。
 私は、これは非常に賢明な外交であったと思います。
 他の国々は、イギリスやスイスを見習わなければなりません。

 日本が中国と国交を正常化するためには、まずアメリカと秘かに協議すべきだと思います
ね。
 日本が中国と国交を正常化し、友好関係を結ぶことは、米中共存への道でもあります。
 おそらくアメリカは、日本が米中共存の橋渡しになることを望むに違いありません。

池田
 最近、いくつかの国が中国を承認しましたが、とくにカナダの場合、その経済に対するアメリカの
影響力が非常に強いことを考えると、カナダの動きは、アメリカの意志の反映であるともみられま
す。
 アメリカ自身も、やがて中国との国交樹立に踏み切るのではないでしょうか。

カレルギー
 かつて、今世紀のはじめに、ソ連が誕生したとき、その承認をめぐって、ヨーロッパ各国に非常な
反対がありました。
だが結局、世界はソ連を国際社会へ受け入れました。

中国の場合も、必ずそのようになると思います。

池田
 アメリカの場合、現在、経済政策、対外政策の行き詰まり打開のために、中国と和解し、ひいては
その巨大な市場へ進出しようとする関心が非常に強いと思います。

 そうした要素もからまって、中国の国連加盟実現は、もはや時間の問題という見方がなされていま
す。

カレルギー
 アメリカは、中国に新市場を開拓しようとして、強い関心を寄せています。
それは、1世代もたたないうちに、中国が世界の最重要市場のひとつになると予測されているからで
す。

 これは、日本が中国と友好関係を樹立できるひとつの理由にもなると思います。
日本は、地理的に中国に近いので、中国市場との関連性ではアメリカよりも有利な立場にあるわけで
す。

多分アメリカは、日本の産業が中国市場へ進出するのを、促進し、支援するのではないか、と思いま
す。

 国連加盟の問題については、私は、果たして中国が国連に入りたがっているかどうか、わかりませ
ん。
 中国が国連へ入りたいということよりも、国連が中国の加盟を求めているといった面の方が強いの
ではないでしょうか。



 
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月28日(月)23時42分36秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生に嘘をつき、裏切り続ける会長、副会長が
真面になります様に
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月28日(月)22時52分27秒
  23時に開始となります。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。
また、病の同志、理不尽な処分を受けた同志にお題目を送ります。
 

「 私の除名処分と二つのSGI」 補足 3/3 

 投稿者:おはようメール  投稿日:2018年 5月28日(月)21時54分17秒
編集済
  あとがき

 以上、私の除名処分の経緯と、SGI-USA組織の現況の幾つかを、記録として、ありのままに書きました。長文をお読みいただき、ありがとうございます。

 これからも、いや増して「おかしいものはおかしい、正しいことはあくまで正しい」と、声をあげ続けるつもりです。 弟子を名乗り、裏で師匠を裏切る内の敵、極悪とは、徹底して戦います。



 ここで、SGI-USA組織は、私を除名処分としましたが、私は、SGI-USAに対して瞋恚の心はありません。不軽菩薩の修行の意味が少しはわかるような気がします。虹と創価家族様が、「(声を上げる)最終的な目的は、会員の幸福のため、目前の一人を救うため。」と、おっしゃている通りです。


 そこで、私のこれからの人生の指標は、「師と同じ心」もつことです:

 即ち、「頼らない。自分が立ち上がる。同情もいらない。感傷もいらない。だれが励ましてくれなくてもいい。自分が決然と、そして朗らかに立ち上がって、自分を変え、周囲を変え、社会を変え、国土まで変えていく」のです。(「大白蓮華」2012年5月号、p.49:mission様、文献ご教示、ありがとうございます。)


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 ところで、私は、最近、SGI-USAの友と話す機会がある時、必ず、一つ質問することにしています。


(私)「SGIに二つあるのを知っていますか。」(友)「えっ?」

(私)「と云っても、SGIが二つに分裂したと云うわけではないですよ。今、SGIと云えば、ただ一つ、昨年施行された最高規範「創価学会会憲」に規定されるSGIです。そこでは、SGI会長は、創価学会会長の下に位置します。」

(友)「えっ?「会憲」も何も、知らなかった。そりゃ、ひどいじゃないですか。」

(私)「組織の秩序を保つことが第一目的の、いわば「組織主義のSGI」なんです。」

(友)「そうなんですか。」


(私)「ですから、私は、朝晩の勤行の際の御観念文で「広宣流布大願成就と、SGI万代の興隆を御祈念申し上げます。」とあるくだりで、必ず、「池田先生が命を懸けて築かれた「人間主義のSGI」の万代の興隆」と断って、ご祈念します。
  1975年、グアムでの「第一回世界平和会議」で、参加各国代表全員の賛同で結成され、そして、池田先生を会長に推挙した、あのSGI。そして、先生が命を削り、一人一人を激励し抜いて築かれてきたSGIです。間違っても、「組織主義のSGI」の万代の興隆を、祈ったりはしません。」

(友)「わかりました。私の心にあるSGIも、その「人間主義のSGI」ですよ。私も、今日から、そう云うふうに、祈ります。」

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 最後に、SGI-USAの蘇生への祈りをこめて、先生の北米・指導集「親愛なるアメリカの友へ」(p. 198) から一つ指導を共有したいと思います。この指導集には、1990年代始め、創価学会・SGIの大転換期に、「世界広布のモデルに」との、先生のアメリカSGIへの熱い期待が込められた数多くの指導が収められています。


 ラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)が書きとめた日本の民話「常識」という、物怪にだまされていた僧を、庶民の「常識」が救う物語についてです。この物語を紹介されたあと:


 「どんなに「知識」があっても、健康な「常識」(コモン・センス)がなければ、生かすことはできない。 建国の時、独立の時、アメリカを大きく支えたのも「コモン・センス」であった。「常識」がなければ、宗教は時に、「盲信」となり「狂信」となる。「盲信」「狂信」は、仏法ではない。

 「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(GZ 1169)---- 仏法というのは道理である。道理というのは主人(権力者)に勝つものである ----- と、大聖人は仰せである。


 また「真理は単純である」という言葉もある。反対に、「うそ」をとおそうとする人間ほど、わざと話をややこしくさせるような“へ理屈”を言うものである。--------------


 「正義は、現実に広宣流布を進めている人のもとにある」「人格のおかしい人は信心もおかしい」「くるくる言うことが変わるのは、ウソをついている証拠である」「話し合いに応じられず、威圧的なのは、何かごまかしているからであろう」


 こう見ていくと、当たり前の「道理」と「常識」さえあれば、こと足りるのである。民衆の常識で判断して、おかしいものはおかしいのである。

 いわんや、私どもには大聖人の御書という「明鏡」がある。その鏡に照らして、おかしいものには、絶対に従ってはならない。」
       (「カナダ・アメリカ最高代表者会議」9/30/1991、ロスアンゼルス近郊)

http://

 

併用でもよろしいのでは?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月28日(月)21時51分13秒
  八重の相対も分けるべきという論も、どちらも一長一短あるように感じるのです。

生涯広布&一筋兄弟さんもどうやら同じく感じてるようだけど、「八重の相対」は相対の論としてコンパクトにわかりやすくなってると感じております。
いやそもそも波田地さんはその趣旨で「八重の相対」の論を言われてるように感じたのだけども。

「わかりやすさ」では八重の相対がいいけれど、これからさらに100年後200年後と、そういう長い時間まで視野に入れると、「八重の相対」どころかもっとさらに増えていくことが予想できません?
そうした視野からすれば、分けるべきという論も理解できるんです。

今の段階で分けたほうが教義上正確なものと感じる反面、すでに「五重の相対」自体を消してるも同然の教義を学んできてる人には「分ける意味」を知る負担が増えてるぶん、それだけ理解のハードルが高くなってしまうんじゃないでしょうか。

どちらもそれぞれ一長一短あるし、このまま併用して「五重の相対とは分ける意味」を実感としてちゃんと理解できる人は分けた側の正確な教義を学べばいいでしょうし、相対論の全体的な「概念」の理解には「八重の相対」のほうがわかりやすいのではないでしょうか。

(僕個人は分けるのを支持したいけど、どちらがいいかは信仰する側の個人差が生じるんじゃないでしょうか。長期的にはいずれは分けた側が主流になると感じるのですが、現時点では併用でいいんじゃないかと感じるのです)

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

忘れ得ぬ同志2

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月28日(月)19時00分13秒
  NSP(ペルー)初代理事長

ビクトル・K・キシモトさん――

"ペルーの土"となった先覚者.

一生を何に捧げるのか。それによって人生の価値も深さも決まる。


ペルー日蓮正宗(NSP)初代理事長のビクトル・K・キシモトさんは、ペルー広宣流布に生命
を捧げ、文字通りペルーの土となった広布の先覚者であり、大功労者である。


彼との最初の出会いは一九六六(昭和41年)三月、ペルー初訪問の時であった。

宿舎のクリヨンホテルで代表と懇談し、記念撮影したおり、私は彼と握手を交わした。


身長一八○㌢という体躯と人柄の良さをたたえた温顔が印象深い。

彼が「私はペルー人が大好きです。ペルー広布にこの身を捧げます」と私に力強く語った一言
が、いまなお心に残っている。


私は健闘を祈り、ペルーの同志に歌を贈った。


『妙法の
健児の意気は
今ここに
黄金の種
広くまきゆけ』


ペルーはブラジルに次いで日本人移住が多い。

彼は一九一三年一月、沖縄・名護で生まれた。

農林学校卒業後、農場試験場に就職し農政視察の名目で南米に渡航。その後、ペルーの首都・
リマで兄とともに牛乳配達業を営んでいる。

入信は六十二年六月である。

大暴動、ペルー大地震、第二次世界大戦と幾多の試練を越え、これからという矢先にインフレ
が襲い、店の家賃も五十倍にはね上がった。

彼は日系二世の夫人と三男一女をかかえ、再起の気力を失い、死を思い詰めていた頃であった


入信後は美容院に加え写真店を開き、一家に明るさを取り戻した。


アンデス山脈が南北に走り、かつてインカ文明が栄えた太陽の国・ペルー。首都・リマは砂漠
の中に建設された公園都市である。


日本語とスペイン語が堪能なキシモトさん夫妻はペルー人の中に入って、妙法を弘め広布の道
なき道を切り開いていった。

彼は砂漠を抜け四千㍍の峠を越え、ウアンカヨ、クスコへ、またエクアドル国境に近いネグリ
トス、アマゾン上流のジャングルの町・イキトスへと二十時間、三十時間とかけて一軒また一
軒と個人指導に歩き、手作りで人材を育てた。


彼が「ペルー人以上にペルー人の心がわかる」と評されたのは、地道な"一人"との対話をかさ
ね心を通わせていったからであろう。

しかし、草創期である。誤解と中傷と批判の烈風をうけ、苦難と忍耐の連続であったに違いな
い。

六四年七月、ペルー日蓮正宗が発足。

六六年四月二十日に機関紙「ペルー・セイキョウ」が創刊され、彼は自分の写真店を提供し、
有志と無償で製作にあたった。

それすらも彼の個人的商売と間違えられ「キシモトの作る新聞はくさい新聞だと陰口をたたか
れ悔し涙をこらえていたようだ。


七四年三月、ペルーを再訪した私は彼に激励の短文を贈った。

『人の批判するは、その人の自由であり、

私は私の信条のもとに、ただ行動をもって進みたい』

一週間の滞在中、炎天下で二千人の同志との記念撮影のころから私は熱と腹痛に襲われた。

キシモト理事長は予定変更を勧めた。しかし私は"ペルーの同志に次はいつ会えるかもしれない
"と覚悟を決め予定どおりに行動した。

NSP主催の世界平和文化祭にも招かれて出席したが、リマ市あげての大市民祭として大成功
を博した。

フィナーレの時、私が「ついに勝ったね」と祝福すると、彼は目をうるませていた。

リマでの公式行事にキシモト夫人が同行してくれた。

私の妻も一緒であったが、夫人の質素で清楚な服装が一度も変わっていないことに気づいた。

生活を控え目にし、ご主人と残ったお金をすべてペルーの文化活動に投じてきたのであった。
夫妻の不断の労苦が文化祭に花咲いたのである。

私は彼の功を讃え一首を詠んだ。

『妙法の
ペルーの王者
君起ちて
アンデス広布の
朝日昇らむ』


同年五月、彼は創価国際功労賞に輝いた。

その後、動脈硬化で体調を崩したと聞いたが、七七年四月、聖教新聞のリマ特派員のカルロス
・シマ君(現理事長)と共に来日した。

懇談した時、彼はあらたまった口調で「ペルーに骨を埋める覚悟は出来ています。最後の仕事
はペルーの同志が安心して信心に励めるよう文化会館を建設することです。

それまでは休むわけにはいきません」とキッパリと言った。

私はせめて滞在中は故郷の沖縄にも帰り、ゆっくり体調を整えるよう念を押した。そして彼に
背広と夫人への指輪を託し、一句を添えた。

『長寿にて
仕上げの信心
尊けれ』


一九八一年六月二十七日、キシモト理事長は逝った。享年六十八歳。


私は訪問中のシカゴの地で訃報に接した。シマ君からの報告によると、脳血栓で倒れ、静養中
、良好に向かっていたが、残念ながら逝去された。


念願のペルー文化会館の用地も決定し、座談会で「生涯、退転してはならない」とメンバーに
渾身の激励をして入院している。

逝去の一週間前、シマに対し病床で正座をして「ペルーの広布を頼みます」と後事を託した。


家族には「私を支えてきたのは骨と血のほかは、ペルーの人びとの幸せを願う気持ちだけであ
った」と最後の一言を残し、大満足の表情で霊山に旅立っていったのである。


葬儀には延べ一万人が各地から馳せ参じたと聞く。

尊号は「本修院清道日輝居士」と賜った。私はシカゴで彼の冥福を祈り、葬送の歌を詠んだ。


『忘れまじ
ペルーの天地に
咲き薫る
君が歴史は
永遠に光りぬ』


一昨年の八四年三月、私はキシモトさんの追善の思いを秘めてペルーを訪問した。彼が夢に描
いていたペルー文化会館はまことに見事な出来栄えであった。

緑の庭は「キシモト庭園」と決まり、私は家族とともにテープカットに臨み、若木を記念植樹
した。


長男はNSP青年部長、次男はベネズエラの青年部長、三男は文化祭の音楽部門の総指揮をと
った。

三人とも大学を卒業し、とくに次男はペルーの最優秀の学生に選ばれ、ベネズエラの経営学研
究所(日本の大学院に相当)を出て、最大の建設会社の経理部長として活躍。

長女も婦人部幹部である。私は夫人に次の歌を贈った。

『偉大なる
父のあとをば
母子らで
ペルー広布の
歴史は光りぬ』


リマ滞在中、ベラウンデ大統領から「ペルー太陽大十字勲章」をいただいたが、私は真っ先に
彼の胸に飾ってあげたかった。

(昭和61年5月7日)
 

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