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自宅の書棚に置かれた『ウェブ進化論』がたまたま目に入り、もう 12 年も前の当時、大きな話題となったこの書籍をパラパラと再読してみることにした。
12 年後の「ウェブ進化論」
1990 年代のインターネット勃興期から 2000 年のネットバブル崩壊を経験し、その後、Google の株式上場や日本の Livedoor 事件など、良くも悪くもインターネットやウェブが再注目される中、Amazon などのネット通販の隆盛とともに、シリコンバレーからの「現在進行形の現実」として、「ロングテール」や「ネットのあちら側/こちら側」といった新しい概念の定着に一役も二役も買った名著だ。
ただ、当時と異なるのは、著者・梅田望夫氏が「後半生の大仕事」として関わった「はてな」の取締役をすでに退任していたり、
こんなインタビュー記事や、
それに対するこんな反応を見ることができたり、
梅田氏の最近の活動(と言っても3年前)に照らしながら読めたりすること。
「未来予想図」の評価
本の中身は、
- 次の10年(~2016)に、ハードもソフトも通信回線も検索サービスも含めて、IT に関する必要十分な機能のすべてを誰もがほぼ無料で手に入れられる
- プロフェッショナルな表現者が多数現れて、それぞれが旬に応じた報酬を得るようになる(今ほどの SNS の隆盛は、執筆時の想定外かもしれないが・・)
- ネットの世界に「住む人」と「使ったこともない人」の間の溝がどんどん大きくなる(実際には、「サービスを提供する人」と「受けるだけの人」の差になっているようだが・・)
- すべてのものが知的につながって、経済の神経系ができ始める(IoT や人工知能(AI)、評価経済社会のことか)
- ネットの「あちら側」から公開される API が世界を席巻する(Google などが開発する自動運転車用 AI も該当するだろう)
といったことが豊富な事例とともに紹介されており、12 年後のいま読み返してみても、「確かに、そのような方向で進んできましたね」ということになるから、すごく核心を突いているように感じられる。
このようなネット世界の発展を端的に表し、本書の中心ともなっているのが、第1章に出てくるこちらの図だろう。
「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」という低価格化(無料化)に向けた「三大潮流」が相乗効果を起こし、そのインパクトが閾値を超えた結果、リアル世界では成立し得ない三大法則がネットの発展に寄与する、ということ。
第1の法則
顧客の個人情報や購買履歴情報などを、ほぼゼロに近いコストで収集・分析できるようになり、「次に欲しいもの」「次に知りたいこと」などを推定できる「全体を俯瞰する視点」が得られる。
第2の法則
ネット上に自分の分身(ブログなど)を作り、リアルな自分が働き、遊び、眠る間も、その分身がネット上で稼いでくれる状態が得られる。
第3の法則
ロングテールの発想で、たとえば「1億人から1円ずつ、合計で1億円を集められる」環境が整う。
この3つの法則は、12 年前にはまだ成立の初期段階にしかなく、部分的に実現していたに過ぎないが、12 年後の今となっては、個人の趣味・嗜好は完全に「あちら側」で把握されているし、ブログやフリマ、各種コンテンツ販売など、ネット上での副業(複業)も普通になり、クラウドファンディングなどで気軽にお金集めもできるようになっている。
そういう点で、このような潮流の予測と現実を 12 年越しで確認できたことは、何とも感慨深いものがある。
「総表現社会」は「総格差社会」の様相
一方で、こんな記述もある。
2005 年末時点で、日本で人気ブログを書くことで得られる収入は、アフィリエイトとアドセンスを組み合わせて、かなり頑張って月 10 万円がいいところだろう。
今となっては隔世の感があるが、現在はこれより1~2桁増えているため、わずか 12 年でネット広告のシェアやインフルエンサーと呼ばれる人たちが如何に増え、活躍の場が広がっているかが分かる。
また、ブログを含めた「総表現社会」が、以下のような式で捉えられている。
総表現社会 =「チープ革命」×「検索エンジン」×「自動秩序形成システム」
第1項の「チープ革命」は、「ムーアの法則」によって自然に進展していくし、第2項の「検索エンジン」についても、「知りたいことは検索!」というライフスタイルが広く定着しつつある。
問題は第3項の「自動秩序形成システム」だが、これは、テレビや新聞のように、たとえユーザが受動的であっても、役立つと思われる情報がどんどん提供されるメディアシステムのことであり、近年の AI の進歩によって、これも克服されつつある。
つまり、「総表現社会」は、すでに実現していると考えられる。
と、まぁ確かに「総表現社会」なんだけど、供給過多の側面もあってか、「表現」というよりは「総垂れ流し社会」になりつつある。
そして、淡々と「垂れ流し」を行う側の人(そのようなシステムを構築する側の人も含む)と、自分を見失うほど「垂れ流し」の洪水に飲み込まれてしまう側の人と、両者の差が明確化してきている、この 12 年のように感じる。「総表現社会」は、「総格差社会」のとば口にあるような気もする。
「高速道路」の先の大渋滞
著者と親交が深い将棋の羽生善治氏の含蓄ある有名な言葉も紹介されている。
「IT とネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」
これは将棋の世界の例えだが、将棋に限らず、プログラミングでもデータ解析でもどんな分野でも、いったん誰かが言語化してネットの世界に放り込んだ内容は、誰でも自由に共有して、誰でも自由に学習できるため、あとの世代になればなるほど、ネット上に整理し尽された情報を効率的に吸収して、(あるレベルまでは)前世代にすぐに追いつけるようになる。
その一方、世の中のニーズのレベルがそれに比例して上がらなければ、高速道路の終点まで走ってきた能力が、どんどんコモディティ化してしまう。
つまり、これからの世代は、「高速道路の終点」に早々と到達することは当たり前であり、問題はその先を「どう生きるか」ということになるわけで、この視点も今日の「生きる意味」と通底していて面白い。
結局は「自分探し」の中で書かれた1冊だったのかな
以上のように、とても面白い本だ。
ただ、その後の著者のちょっとした迷走ぶりや、7年以上前に出版されたこちらの本以来、 特に目新しい表現活動などがなさそうな点から、
『ウェブ進化論』は、著者の「自分探し」の中で出会った「ウェブ」という世界について、その時点の自分なりの答えを導き出すために書かれた本だったのかな、というように感じる。
著者はインタビューの中で、ストック型の生き方ではなく、自由な身でフロー型に生きることを志向している、と述べている。
職人のように1つのことを突き詰めるのではなく、仕事1つ1つを「プロジェクト」と捉え、人生の中で多種多様なプロジェクトを渡り歩いていく生き方だ。
また、別の著作では、
超一流 =「才能」×「対象への深い愛情ゆえの没頭」×「際立った個性」
という公式も提示されており、羽生善治氏のような「超一流」への羨望やある種の嫉妬のようなものがありながら、どれか1つ(たとえば、「没頭」項)でも1未満(or マイナス)であれば「超一流」になれないことを知っているため、「フロー型」人間として「超一流」に寄り添って生きていく決断をしたのかもしれない。
今や、日本のフリーランス人口は 20%とも言われており、米国など最早、2~3年後にはフリーランサーが 50%に達すると予想されている。
『ウェブ進化論』は、著者が身をもって「フロー型社会」の到来を予言すべく書かれた本だったのかもしれない。
12 年は、長いな。