教育勅語、その内容に問題がないという話を、大学の研究者たちから何度も聞いています。それでは「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)という教育勅語に従ってもいいのか、理解に苦しみます。 かつて木下尚江は教育勅語をずっと批判し続けてきましたが、次の文章においては、言葉以外の表現を使って批判しています。 ―――――――――――――――― 木下尚江「山居雑感―運動会」『平民新聞』1号、1907年1月15日『木下尚江全集』第17巻、260~263頁)より抜粋。 僕が此の伊香保の山へ引き起した4日目11月3日のことである。宿の直ぐ東に隣れる小学校に運動会があると云ふので僕も見に行った。 (……) 四十格恰の小さな痩せ猫背の男の、曲つた肩を聳やかして学校の玄関を出たのが校長で、正面に据えたる卓子に、洋服の威儀を正して一同を見渡した。低い音の風琴に合はせて乱調子の「君が代」が二度合唱されると、校長は其の携へ来れる細長い紫包を恭しく解いた。現はれ出でたる白木の箱を再び開けて一個の巻物を取り上げた、『勅語を奉読します』の一語を合図に職員も生徒も来賓も皆な手を下げ首を垂れて最敬礼と云ふものを行ふのだ。 校長は例の猫背を一杯に反らして声高らかに誦み上げる『一旦緩急あれば』と云ふ所に至て、校長の声は震いを帯びて凛々と響き渡る。満場シンと水を打つた様に静まり返つた。 僕に蹤(つ)いて来て居た宿の黒犬がワンワン吼(ほ)へたので、何処の小児か五六歳の、初冬の山風に鼻汁垂らしたのが泣き出した。静かにせよと僕は杖の頭で犬の顔をなでやつたが、何と聴き取つたのか、今度は僕の面を見上げてワンワンと更に声高く吼え立てた。幸に犬の声は此の厳粛な礼拝に何の妨害を与ふることも無く、校長の奉読は物の見事に終了した。 *「最敬礼と云ふものを行ふ」「此の厳粛な礼拝」という表現にも注意を! ーーーーーーーーーーーー 教育ニ関スル勅語:教育に関して与えた勅語。以後の大日本帝国において、政府の教育方針を示す文書となった。一般的に教育勅語(きょういくちょくご)という。1890年(明治23年)10月30日に発布され、1948年6月19日に国会の各議院による決議により廃止された。 |
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