9月1日になると、1923年の関東大震災とともに朝鮮の白い服の人々が、目の前に浮かんでくる。当時、国家権力は"不逞朝鮮人・過激主義者"という仮想の敵を作り上げ、民衆の不安や恐怖心を煽ることに必死になっていた。
日本近現代史における「朝鮮人虐殺」を問いつづけていきたい。コーヒーを飲みながら、少し書いてみた。
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朝鮮人虐殺は、主に国内の問題として捉えられてきた。その限りでの国家責任・民衆責任が議論された。しかし植民地朝鮮の抵抗運動への弾圧が朝鮮人虐殺の最終的な狙いだったことを考えれば、従来の研究ではまだ十分に解明されていないところがある。
視野を広げて朝鮮の植民地解放運動に注目してみたい。
1920年の尼港事件、間島事件、青山里戦闘など、満州東部の間島における独立軍 (朝鮮) の抗日武装闘争と日本軍との衝突と、その後の日本国内における朝鮮人虐殺との関連性について考察を深めていく必要がある。 また、関東大震災の時、亀戸事件と甘粕事件はなぜ起きたのか。それらの事件と朝鮮人虐殺は一つの根源から発生した事件だったにもかかわらず、従来の研究においてはその関連性の解明が十分とはいえない。
当時の思想界・文学界の論者たちはこの事件を注目して、数多くの評論、感想、証言、文学作品を残しているが、この問題を総体的に捉える視点の欠如のため、従来は断片的にしか扱われてこなかった。
たとえば、〈国家責任〉という時、具体的に何を指すのか、〈民衆責任〉という時、その民衆は主に誰のことなのか、そして事件の根底にある思想的背景を、日本国外との関連という視点で捉え直す必要がある。その関係を確認した上で、国内の思想弾圧の問題などを検討し、立体的に問題をつかみとっていくことが求められる。
日本国家は軍主導の帝国主義の拡張によって支えられてきた。日本国内での在郷軍人会の組織化、学校教育における国家主義思想、軍と天皇制国家との関係などの諸矛盾が集約して爆発したのが、朝鮮人虐殺といえる。
さらに朝鮮人虐殺事件をアメリカやドイツなどは、どう向き合い、どう捉えていたのか、それについても検討を要する点があると考える。 |
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美しくない、我が国の汚点です。
[ 短足おじさん ]
2016/9/1(木) 午後 10:10
返信するこんばんは。虐殺の日は知りませんでした。ショックです。
暗いニュースばかりで、精神的に参っています。
土曜日に転載させていただければと思います。
[ テンちゃん ]
2016/9/1(木) 午後 10:44
返信するおじ様
せめて、忘れないよう語り継いでいかなければいけませんね
2016/9/1(木) 午後 11:21
返信する> テンちゃんさん
マイナスの記事ばかりで申し訳ありません。
のんびりと進まれて下さい
2016/9/1(木) 午後 11:23
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