子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

そもそも「楽しい仕事」をさせないのが、日本帝国の仕組み。 カルト国家=日本帝国を滅ぼし、日本列島を再生させよう。

http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/16/021000005/052300004/ 

上記文抜粋
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男のストレス事情
「仕事が苦しくて辛いのは、自分が無能だからだ」とは思うな
東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授に聞く「ストレスの正体」【1】
2016/6/3 森脇早絵=フリーライター


働く男性が心の病に苦しむケースが増えているようだ。
 「男がなぜ苦しいのかって、それはひとえに、目に見えない暴力を受け続けているから。そこから逃げられないのは、こんなこともできない自分が悪いんだという『罪悪感』があるからです」。“女性装の大学教授”として知られる東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授は、男性の心の苦しみについてこう語る。
 「東大教授」「経済学者」という超エリートでありながら、自由に自分を表現する安冨氏だが、氏自身も、かつては男性特有の息苦しさを感じ続けていた。なぜ、現代の男性は生き辛さを感じ、苦しんでしまうのか。その根本的な原因を伺った。

息苦しさ、生き辛さの正体は「目に見えない暴力」と「罪悪感」

躁うつ病を含む気分障害の患者数の男女比は、女性のほうが1.7倍ほど多い(「厚生労働省 患者調査2014」より)のですが、自殺死亡率では男性が女性の約2倍(警察庁「自殺の概要」より)と圧倒的に上回っています。男性たちが生き辛さ、息苦しさを感じる原因は何でしょうか?



 人はどんな時に息苦しさを感じるかというと、目に見えない抑圧や暴力を受けている時です

 今、日本のサラリーマンにどのようなことが起きているかというと、例えばこんなことです。給料はちゃんと支払われているものの、意味のない仕事をやらされている。無意味な仕事を断りたいけど、そんなことは不可能だと思っている。転職の自由はあるはずなのに、会社を辞められない。目標を達成しても、一時的にはほっとするけれど、喜びを感じられない。むしろ、「次も失敗するわけにはいかない」という焦燥感の方が強くなってしまう…。

 こんなふうに、見えない何かに取り囲まれている感じなんですよね。むしろ、それらを守ることに必死になっている。これは、社会からのモラル・ハラスメントともいえます。見えない精神的暴力を受けているのと同じ。

 これはね、目に見える暴力よりも苦しいんです。目に見える暴力ならば、そこから逃げ出すとか、戦うとか、あるいは諦めて死んでしまうとか、何らかの結末がありますよね。

 でも、目に見えない暴力に取り囲まれていると、苦しみが終わらないんです。暴力や抑圧を受けていることを自覚できないので、そこから逃げ出すこともしないし、戦うこともしないし、死ぬこともない。

 だから、原因の分からない息苦しさ、生きづらさを感じてしまうんです。

 その根幹にあるものは、「罪悪感」。みんな、「こんなこともできない自分が悪いんだ」と思ってしまうんですね。

 よくサラリーマンたちの話を聞くと「私は恵まれている」「人よりはまだマシだ」「仕事なんてそんなもんだ」という言葉が出てくるんですけど、これこそが苦悩の本質。自発的にそう思っているから、どんなに息苦しく感じても、飲み込んでしまうんです。


みんな幼少期から「罪悪感を発生させる教育」を受けてきた

この息苦しい現状を打破するためには、どうすればいいのでしょうか?

 まずは、苦しいという事実を認識すること。でも、すごく難しいと思う。なぜって、それは、子どもの時からそういう教育を受けているからです。

 例えばね、両親の姿です。父親がぶつぶつ文句を言いながら会社に行って働いて、母親は主婦をやっている。そして「勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って出世しろ」と子どもにプレッシャーをかける。そういう両親のもとで育ったら、「家とはこういうもんだ。これが正しい生き方なんだ」と思い込みますよね。

 学校教育もそうです。学校に行くと、40人くらいの子どもがかき集められて、一つの部屋に閉じ込められて、じっと座らされるわけですよ。そこで意味の分からない勉強をさせられる。

 学校教育というのは、教わることの意味が分からないように構成されているんです。例えば、理科の教科書を開くと、最初にニュートン力学があって、次に気体・液体・固体の話があって、次に気象の話が出てきたりする。あれは物理学から見れば、滅茶苦茶な構成なんです。それぞれ前提条件が全然違うから、全く別世界の話。それを一緒くたにされたら、誰だって理解できるはずがないんです。

 でも、子どもたちは1つのセクションを2週間程度で学習しなくちゃいけない。理解できないものを、理解できないまま、「こういうものなんだ」と思い込まされる。これが蓄積されていくと、「理解できない私が悪い」という罪悪感が育ってしまうんです。

 もちろん、中には習ったことをちゃんと答えられる子もいる。でもね、それは、分からないまま答えているんです。分からなくても、無理矢理飲み込んで答える。それができればテストでいい点が取れるから、そういう子は「優等生」と言われます。

 でも、「理解できない」と言えば、「ダメな奴」と言われる。こういう環境に子どもを閉じ込めて、10数年間も勉強させることを、日本社会では「教育」と呼んでいるんです。

 このプロセスを経ると、次の三つの能力が身につきます。「難しそうな話が分からなければ、それは自分が馬鹿だからだ、と思う能力」と、「訳が分からないけれども、答えてみせる能力」、そして「大人しくじっと座り続ける能力」です。

 だから、みんな理不尽なルールだって受け入れてしまう。学校には、「ピンク色の靴下はダメ」「茶髪はダメ」とかいう意味の分からないルールがあるけど、「なぜダメなの?」と聞けば、先生は「そういう決まりだから」と答える。

 しかも学校って、外界の事情は一切関係なく、物事が展開していく場所なんです。両親が働いているのに、体操服を毎日洗えと強制される。明日までに雑巾3枚縫ってこいと言われる。福島の原発事故が起きた時だって、東京にも死の灰が降ったというのに、子どもたちは普通に学校に行きました。でも、もし休めば、先生だけじゃなくて、他の子たちからも非難されてしまう。

 そういう内的な論理だけで成り立つ「異常な空間」の中で、子どもたちは長い間過ごすわけです。すると、外の条件は一切考えず、内部のルールだけに従うことが身に付いていくんです。

 これで、みんな会社に入る準備が完了します。自発的に隷従するようになりますし、それを他人にも強制する「監視役」としても機能するようになるわけです。

そうなると、自分が本当は何をしたいのか、本当はどう感じているのかということが、分からなくなってしまいますね。

 そうです。それが分からなくなるように、社会全体ができているんです。「自分には意味が分からなくても、ルールだから従う」と言えば、「大人になった」と言われる。「私はそんなこと、おかしいと思う」と言えば、「大人になれよ」と説教を食らうわけです。


日本社会では、「立場」は尊重され、「人間」は尊重されない

社会人生活の中で息苦しさを感じ続け、40~50代になって限界が来てしまい、うつ病になったり、会社に行く気がなくなったりする人がたくさんいます。

 そういう人たちは、正常だと思います。会社の中で息苦しくなって、死にそうになっているというのは、正常だということです。

 逆に、息苦しくもなくて、平気にガンガン仕事をしている人の方が、完全におかしいのです。でも、社会構造は、そういう完全におかしい人間が「正常」に見えるようにできている。

苦しいということは、心のサインが出てきてくれたというわけですね。


「日本社会に特有の『立場主義』が、私たちをがんじがらめにしているのです」


 そうです。苦しさというのはサインです。自分の内面から出る、「お前の世界は狂っている」という気づきのサイン。

 しかし、自分の苦しさを受け止めることは、非常に難しい。そもそもなぜ苦しいのかというと、先ほどもお話ししたように「罪悪感」によるものです。

 罪悪感は、社会のシステムの根幹部分です。例えば、立場上、やらないといけない役があるとします。役を果たせば、立場が守られる。役を果たせなければ、立場がなくなる。これを私は「立場主義」と呼んでいます。

 日本の民主主義とは、「個人の平等」ではなくて、「立場の平等」なんです。つまり、いかなる「立場」も等しく尊重されないといけないけど、「人間」は尊重しなくていいというわけです。だから、日本人は立場を失うと、尊重されなくなります。立場を失えば、何をされても文句は言えないという状態になる。それが恐ろしくて、みんな立場を守り抜こうとするんです。

 その役を果たすエネルギー源が、「罪悪感」です。多くの人は、「私がやらないといけない役が目の前にある。それを放置することはできない」と考えるでしょう。なぜならば、役を放置すると、強烈な罪悪感が湧くからです。

 ちなみに、立場主義は日本特有のシステムですけど、世界各国それぞれに、形の違う「罪悪感発生システム」があるんです。

 中国ならばメンツ主義。彼らは、立場が失われても罪悪感を覚えませんが、友だちや親を助けないと罪悪感を抱きます。だから、立場上やらなきゃいけない仕事が目の前にあっても、「友だちとの約束があるから」と言って平気で放置する。逆に、友だちの約束をむげに断ることは、罪悪感が湧いてしまうからできません。

 ほかの国では、契約社会だったり、幸福で前向きなふり社会だったりします。どこの社会でも、何らかの「罪悪感発生システム」がある。残念ながら、これは人類社会の基本なんですよね。


まずは、苦しさを受け止めることが第一歩

日本では、教育によって「罪悪感発生プログラム」が埋め込まれ、人は罪悪感を抱きながら、立場を守り続けるということですね。苦しくても、そこから抜け出すのは非常に難しそうですが、どうすれば抜け出せるのでしょうか?

 簡単なことじゃないですね。まずは「苦しい」と感じることが第一歩です。苦しくて我慢できないということは、もう結末が近づいているということです。

 結末とは、例えば、怒ったり、反抗したり、やる気がなくなったり、病気になったり、徐々に体が衰えていったり、死んでしまったりすること。そのどれかの結末が近づいているんです。

 苦しさを感じて抜け出したいと思えば、束縛から逃れようとしたり、もがくことが必要になります。つまり、「苦しくて辛いのは、自分が悪い」という思い込みから抜け出そうとすることです。

 もちろん、こうなってしまった自分も悪いでしょう。でも、自分だけが悪いのではなくて、ほかにも悪いものがいっぱいあるんだと考え始めるんです。それは何だろう、何だろう、と考えて、自分自身の中にある「罪悪感発生プログラム」と向き合い始める。ここが、息苦しさから抜ける第一歩ですね。

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抜粋終わり



男は男で、延々と「罪悪感」を抱いて仕事をさせられる。

女性は女性で、悶々と家事を営む。

これでまともな社会ができるかよ。

終わろう日本天皇帝国。

再びはじめよう日本列島連邦を。



お読みくださりありがとうございます。

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