日大、蘇った!27年ぶり21度目V 内田監督涙「ちょっと長かった」

2017年12月18日6時0分  スポーツ報知
  • 27年ぶりの優勝を果たし、内田監督(前列中央)を中心に喜びを爆発させる日大の選手たち(カメラ・石田 順平)

 ◆アメリカンフットボール 全日本大学選手権決勝 第72回甲子園ボウル(17日・甲子園球場)

 日大(関東1位)が関学大(関西2位)を23―17で破り、27年ぶり21度目の優勝を果たした。第1クオーター(Q)開始早々7点を先制されたが、第2Qに宋旻宰(そうみんじぇ、1年)=日大豊山=のタッチダウン(TD)で逆転すると、守備陣が相手の反撃を抑えて逃げ切り。関東勢の連敗も10で止めた。大会MVP、年間最優秀選手(ミルズ杯)は日大QBの林大希(1年)=大正=が獲得した。日大は来年1月3日のライスボウル(東京ドーム)で、社会人選手権王者と日本一をかけて対戦する。

 27年の時を経て、フェニックスが再び甲子園の空に舞った。試合終了の瞬間、日大の赤いユニホームが一つの塊になった。雄たけびを上げるコーチ、選手。どの目も赤い。「ちょっと、長かったですね…」。内田正人監督(62)の声が詰まる。90年の前回優勝時はコーチとして見守っていたが、次の優勝がまさかこの日になろうとは思いもしなかった。主将のDL山崎奨悟(4年)=知徳=は「前の優勝の時は生まれていませんでしたからね。きょうは人生で一番うれしいです」と涙をぬぐった。

 全国屈指の名門も昨季は関東リーグ4位。今季、内田監督が復帰すると、選手に厳しい練習を課した。毎日の練習前にはトータルで2500ヤードのダッシュが必須メニューに。それまでになかった厳しさから20人ほどが退部した。山崎は「やめた中には大事な選手もいましたし、やめようとする選手もいましたけど、勝ちたいから日大に来た。練習はきつかったけど、まとまってきました」。内田監督も選手と対話を重ね、不満を吐き出させた。一つになったチームは3年ぶりに関東を制し、東日本代表決定戦で東北大を下して甲子園へ乗り込んだ。

 組織力の強さで優位とみられていた関学大を止められたのも、走り込みの成果があったからこそだ。第1Q1分すぎに先制TDを許したが、12分にWR林裕嗣(1年)=佼成学園=のTDで追い上げ、第2Qには宋が16ヤードを走ってTD。守備でも山崎を中心に相手に重圧をかけ、ファンブルなどミスを誘発。最後まで足は止まらなかった。「用意していたことをできたことが勝てた要因だと思います」と山崎。名将とうたわれた故・篠竹幹夫監督の後を受けて2003年に監督に就任して初の甲子園制覇となった指揮官は「コーチ、選手を非常に誇りに思っています」とたたえた。

 次の舞台は社会人王者と日本一を争うライスボウル。前回出場の44回大会(91年1月)では松下電工を破って頂点に立った。社会人優位とみられるが山崎は「思い切ってやれば勝機はあります」とひるんでいない。日本一奪回で真の名門復活へ。フェニックスはさらに高く舞う。

 ◆日大フェニックス 1940年に創部。ライスボウル(日本選手権)4回、甲子園ボウル21回、関東学生リーグ35回の優勝を誇り、国内のアメフト界をリードしてきた。チームカラーは赤、白。「フェニックス」はオール日大「不死鳥倶楽部」に由来する。部員数151人。

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