プロゲーマー、ときど氏 「東大卒のプロゲーマー」として知られるときど(本名・谷口一)氏(32)が語る、麻布中学・高校(東京・港)時代の思い出。麻布時代ビデオゲームにはまったときど氏だったが、実はゲーマーであることに強いコンプレックスを抱いていた。それを取り払ってくれたのも、やはり麻布の自由な校風だった。(前回の記事は「東大卒のプロゲーマー 麻布で学んだ『自由と責任』」)
ゲームにのめり込み、成績が一時、落ち込んだ。
学校の成績はパッとしませんでした。入学直後は1学年300人中、100番ぐらいでしたが、そこから徐々に下がっていき、気がつくと200番前後が定位置に。ただ、勉強しなかった割には、よくその位置でとどまっていたなとも思います。小学生の時にものすごく勉強したので、その時の蓄積や、その時に身に付けた勉強のノウハウが役に立ったのではないでしょうか。
高校に上がると、先生も生徒もだんだん受験モードに切り替わっていきました。中学の時に一緒に遊んでいた友達も、みんな塾に通い始めます。私も、高校に上がって塾に入り直しました。
ただ、ゲーム中心の生活は相変わらずでした。学校が終わると、塾に行く前にゲームセンターへ。塾が終わるとまたゲームセンターへ。家に帰ると疲れて寝るだけ。それでも勉強時間は増えたので、学校の成績は徐々に上向いていきました。
振り返れば、小さいころから勉強を頑張ってこられたのは、ゲームのおかげだと思います。小学生の時は、親にゲームソフトを買ってもらうためにテストで満点を目指し、麻布時代はゲーマーに偏見を抱く世間を見返してやろうという気持ちが、勉強のモチベーションになっていました。
今もあまり変わっていないと思いますが、私の子供のころは、「ゲームなんかやっているやつはダメなやつだ」という社会の偏見がものすごく強かった。少なくとも私自身はそう感じていました。
私にとっては、ゲームはスポーツなど他の様々な活動と同様、子供が自己肯定感や成功体験を養う手段に過ぎなかったと思います。でも、多くの人はゲームをそうは見ていなかった。だからこそ私は、自分が大好きなゲームを悪者扱いされたくない、ゲームへの偏見をただしたいという思いで、勉強を頑張ったのだと思います。
高校2年の時、米国で開かれたゲームの世界大会に出場し、優勝した。
「自由を標榜する麻布は、他の高校に比べてマイノリティーに寛容な風土があった」と話す 中学時代は地元のゲームセンターが主催する大会で、よく優勝していました。高校生になると、ハイレベルな大会や全国規模の大会にも出場するようになり、そこでもかなりの好成績を収めていました。
高校2年の夏、現在、世界最大の格闘ゲーム大会として知られる「エボリューション」の第1回大会が、米国で開催されました。今はラスベガスの目抜き通りにある立派な会場で開かれていますが、当時の会場はロサンゼルスのどこかの学校の体育館。それでもゲームの世界大会が開かれるというのは画期的で、親を説得して旅費約20万円を出してもらい、ゲーム仲間と一緒に出場しました。
私がエントリーした格闘ゲーム部門には約250人が出場。対戦相手の実力もわからない中、トーナメント戦を勝ち上がり、日本人同士の決勝戦にも勝って、なんと優勝。チャンピオンベルトと賞金20万円を手にしました。
優勝はもちろんうれしかったのですが、勝ち負けを抜きにしても、参加して本当によかったと思っています。一言で言えば、世界が広がりました。
例えば、会場に入った時に、年上のチームリーダーから、「お前、ちょっとあの外国人に友好の印としてあいさつして来い。麻布だから英語ぐらい話せるだろう」とか言われ、生まれて初めて外国人と会話しました。非常につたない英語でしたが、こちらの言いたいことが何とか伝わると、それがとてもうれしくて、英語を勉強するモチベーションが一気に上がりました。
しばらくして、英語の授業でスピーチをする課題があり、エボリューションで優勝した話をしました。実は、大勢の前でゲームの話をしたのはこの時が初めてでした。
それまではやはり、ゲーム仲間以外にゲームの話を堂々とすることには非常にためらいを感じていました。ゲーマーへの偏見を気にしていたからです。でも、そんな私の心配をよそに、私のスピーチを聞いた先生は、「すごいじゃないか」と褒めてくれました。
当時、ゲーマーや、いわゆるオタクに対する社会の偏見はとても強いものがありました。麻布でもまったくなかったとは言いませんが、それでも自由を標榜する麻布は、他の高校に比べてマイノリティーに寛容な風土があったと思います。
一浪して東京大学理科一類に入学した。
大学は東大しか考えていませんでした。父親が東京医科歯科大学の出身で、卒業後も退官までそこで教授をしていましたが、その父が子供の私に向かって、「俺は東大に行けなかったんだよな」という話をいつもしていました。それが、私に対する「東大に行け」というメッセージに聞こえたのです。
でも、高3の時の模試の成績から判断すると東大合格は厳しい状況で、案の定、浪人しました。
浪人してからも相変わらずゲームセンターに通っていました。むしろ、浪人して早々の模試で東大合格圏内に入ったため、この状態を維持すれば間違いなく合格すると確信し、再びゲームに熱が入りました。朝から夕方まで予備校で勉強し、午後6時からゲームセンターに入り浸り、帰宅は午後11時。入試の2日前までゲームセンターに通っていました。
東大時代も数多くのゲーム大会に出場していました。また、ちょうどその頃、プロゲーマーという職業が生まれました。私は最初、大学院に進み普通に就職しようと考えていました。周りがみんなそうするからです。しかし、しのぎを削ってきた仲間がプロになるのを見て、「ここでプロゲーマーにならなければ、きっと後悔する」との思いを強め、東大大学院を中退してプロゲーマーになる決心をしました。
昨年のエボリューションでは、2600人超がエントリーした「ストリートファイターV」部門で、決勝で世界ランキング1位の米国人選手を破り、見事優勝。賞金約400万円を手にした。
最近、「eスポーツ」という言葉がよく聞かれるようになり、ビデオゲームが五輪の種目に採用される可能性も議論されています。
ひょっとしたら自分が日本代表として五輪に出られるかもしれない。そう考えると、とてもうれしい半面、自分だけがずっと応援していた売れないアーティストが、急にメジャーになって自分の元から離れていってしまうようでもあり、ちょっと複雑な気分です(笑)。
今は麻布にも「e-sports同好会」というのができて、生徒がeスポーツを思う存分楽しんでいるようです。人目をはばかるようにやっていた私からすれば、隔世の感が否めません。ようやく時代が追いついた。そんな感慨深い気持ちです。
(ライター 猪瀬聖)
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