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キログラムの定義が変わる、そのとき何が起こるのか?

単位と科学の深い関係
2019年5月20日、130年にわたって質量の基準としてあった「国際キログラム原器」がその役目を終え、1キログラムは「プランク定数」という物理学の定数を介して定義されることになる。なぜ定義を変える必要があったのか? そこにどんな意味があるのか? 国際度量衡委員の1人であり、この度『新しい1キログラムの測り方』を上梓した臼田孝氏がその意義を語る。
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世界でもっとも厳重に保管された分銅

私は国際度量衡委員会という国際組織の委員をしています。この委員会はメートル条約成立(1875年)以来、改選を続けながら定数18人の世界の科学者がずっと活動を継続している委員会です。

委員会の役割は質量(キログラム)や長さ(メートル)など、計測の基準に関する科学的な課題やとりきめを検討することです。「すべての時代にすべての人々に」というメートル法の理念に則って、政治や国籍に無縁で普遍的な単位の維持に努めています。そんな委員の仕事のひとつに、毎年1回、パリ郊外の国際度量衡局に保管されている「国際キログラム原器」の管理状況を確認するという作業があります。

 

「国際キログラム原器」とは質量の単位である「キログラム(kg)」の基準です。白金とイリジウムの合金でつくられた円柱状の金属塊で、直径も高さも約39ミリメートルです。

そこにたどり着くには、3つの鍵の掛かった扉を開け(それぞれの鍵は別々の人が所持しており、3つが揃わないと開きません)、さらに金庫を開けなければなりません。そうしてようやく、ガラスの透明な容器に入っている「国際キログラム原器」を目にすることができます。そして委員同士顔を見合わせて「Still there.」(確かにまだあるね)と言って、また金庫を閉め、扉を閉めるのに立ち会います。

いったい21世紀のこの世の中で、ただの円柱状の金属塊にどんな意味があるのでしょう。その金属塊を100年以上にわたり、世界中から科学者が集まって確認しなければいけない理由とは何なのでしょうか。

絶対的な基準がゆらいでいる

皆さんの家庭にある体重計から、スーパーや小売店で肉や魚を計量するはかり、薬剤師が薬を調合する精密はかり、さらには鉄鉱石や原油などの輸出入に関わる大型のはかりに至るまで、世界中の質量にまつわる計測の基準はすべてこの「国際キログラム原器」が基準になっているのです。

ではもしこの「国際キログラム原器」という基準が変化したらどうなるでしょうか。世界中の質量の計測に関連のある測定結果が、それに準じてずれてしまうことになり、産業や経済に大きな影響と混乱をもたらすことになります。

国際度量衡委員は、そのようなことが起きぬよう、「国際キログラム原器」が破損したり摩耗したりしていないか、管理状況を確認する役割を負っているのです。

ところがどんなに慎重に扱っていても、その基準がわずかに変動しているらしいことがわかってきました。日常生活には影響しないほどの、ごくわずかな変化ですが、今日のハイテク社会にとっては無視できない変動です。科学の発展により、これまで無視できていた計測の微小なずれが見つかり、今後の科学の発展を阻害するおそれが出てきたのです。

国際キログラム原器が製作されたのは19世紀末、今から130年近く前のことです。当時の最先端の冶金工学などが導入されて製作された白金イリジウムの金属塊は、腐食せず、また摩耗にも強く、慎重に扱えば10万年は質量の基準として機能するだろうと期待されました。

ところがその後の計測技術の発展から、当時は予期しなかった変化が見えてきたのです。基準がずれてしまえば基準としての役目を果たせません。科学技術の進歩に対して基準が基準としての役割を果たせなくなってきたのです。

そこで今、計測に関わる世界中の研究機関が協力して、「国際キログラム原器」に代わる基準を開発しようと努力を続けています。そしていよいよ交代の時期が2019年に迫ってきているのです。

国際キログラム原器は19世紀末、当時最先端の冶金工学により製作された

新しいキログラムの定義

ここで、新しいキログラムの定義を紹介しましましょう。

キログラムの新定義
キログラムはプランク定数の値を正確に6.62607015×10のマイナス34乗ジュール・秒(Js)と定めることによって設定される

「プランク定数」とは量子力学においてエネルギーの最小単位と結びついた基礎物理定数です。恣意的に選ばれた国際キログラム原器ではなく、いつでもどこでも不変なプランク定数による、未来永劫不変な合理的定義と言えます。同時にこれまでの定義「国際キログラム原器の質量」に比べ直感的にわかりにくいことはいなめません。この定義では意味がさっぱりわからないという方も多いことでしょう。

キログラムの定義を別の言い方で表現してみましょう。

「1キログラムは波長633ナノメートル(赤いレーザーポインターの光に相当)の光子の約3×10の35乗個分のエネルギーと等価な質量」
 
「1キログラムは波長633ナノメートル(赤いレーザーポインターの光に相当)の光子1個が吸収されたときに約1.05×10のマイナス27乗メートル毎秒の速度変化を生じる質量」

これでもやはり直感的に1キログラムの重さを理解するのは困難です。しかし、ここで重要なのは質量を2つの表現で表すことができたことです。

プランク定数という、様々な物理現象に関わる基礎物理定数による定義だから、このように複数の表現が可能でそれらが相互に等価なのです。このような多様性を可能にすることは、基礎物理定数による定義の本質的なメリットなのです。

キログラムの定義が改定されるときには、同時に、電流の単位アンペアと物質量の単位モル、そしてこれら3単位とは独立に熱力学温度の単位ケルビンの計4単位の定義も変わる予定になっています。