■曜日の来た道 (その2)
前回の「曜日の誕生」に続いて今回は「曜日の旅」の話をいたします。
バビロニアで生まれた曜日の概念は、新バビロニア王国の滅亡とともに消え
てしまっても不思議ではありませんでしたが、なぜか今でも使われています。
それも細々とではなく、世界中で。
ではどうやって広がっていったのか、それが今回の話です。
BC597 新バビロニア王国のネブカドネザル2世によってユダヤ王国の民がバ
ビロン他のバビロニア地方に連行される事件が発生。世に言うところの「バ
ビロン捕囚」です。
このとき捕虜として連行されたものは、3000人。後に更に 10000人以上が連
行されました。
それからおよそ60年。アケメネス朝ペルシャによって新バビロニア王国が倒
されBC537 にバビロン捕囚が解かれました。60年と言えば2~3世代分の時間。
バビロン捕囚が解かれて故国に帰還した 42000人を越えるイスラエルの民の
大部分は、バビロニアでの生活しか知らず、バビロニア風の生活習慣にどっ
ぷり浸かった者たちばかり。
彼らの帰還とともに、ユダヤの人々はバビロンで生まれた、7日間の1週間
おも持ち帰ることになりました。そして彼らの生み出した聖書には、世界が
生み出されるまでの「7日間の物語」が織り込まれることとなったのです。
ということで、本日はバビロニア生まれの曜日が、バビロニアが滅びた後も
生き残ることになった話までと致します。続きはまた次回。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2006/11/04 号
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