社会格差というものが日本で騒がれ始めたのは1990年代の終わりでしたが、それはアメリカやイギリスといったアングロサクソン諸国での出来事であり、なんとなく他人ごとのような空気がありました。
しかしその頃から日本にも格差は存在しており、親の教育レベルは相続資産として子どもの将来にも大きな影響を及ぼしていたのです。
今日の日本では戦前に比べれば生まれた家庭による格差は小さくなり、様々な職業に就くことが可能ですが、父親の職業・収入、教育レベルが子どもの教育や職業に影響を及ぼすという傾向は変わっていません。
さらにこれは日本だけではなく、イギリスや北米でも同じような調査結果が出ています。
教育というのは家庭の環境に左右されますので、子どもが高学歴になる家庭というのは、親自身が高学歴で勉強をする習慣があったり、教育を尊重する文化というものがあります。ところが子どもが高学歴にならない家庭では、親に教育の効果を理解する文化がありません。学歴を得る手段が近くにあったとしても学問を尊重する文化がないのですから、そういった手段に近寄ることが後押しされませんし、手助けもされません。
こういったわけで低学歴な親の子どもは高学歴になることはなかなか難しいのです。
かつてはそれが高等教育によって逆転できることもあったのですが、現在の日本では実質賃金の減少によって家庭で教育にかけられる予算がどんどん減っています。
一方で年収が高く教育熱心な親は子どもを私立の学校に通わせて高い水準の教育を受けさせるようになっており、ますます格差が広がっているのです。これは特に首都圏で顕著です。
▼「普通のサラリーマン」ができなくなる
またこれは日本だけではないのですが、先進国では高い報酬を得られるホワイトカラーの仕事がどんどん限られるようになっています。知識産業が進んでいますから、高い報酬を得られるのは企画職であったり、戦略を考える人、データを分析する人、プログラムを設計する人といった専門性が要求される仕事です。
かつてはホワイトカラーでも様々なマネージメントの仕事や調整の仕事というのがあったのですが、合理化が進み、そういった人員はどんどん減ってきています。
またシステムやAIの導入により、そういったホワイトカラーの仕事はこの先さらに減っていきます。
つまりかつてのようにある程度の大学を卒業しさえすればそれなりの報酬が得られるという社会は終わりを遂げているのです。
高い報酬を得たければ、より専門性の高いスキルを身につけなければなりません。しかしそういった教育は誰にとっても手が届くものではありません。
先進国では2000年以降格差がどんどん広がっています。
特に中流以下の人々の実質賃金は下がっている国が多く、生活が苦しくなっている人が増えています。
またアメリカやイギリスのように製造業の仕事が海外に出てしまって、いわゆる「普通のサラリーマン」ができる仕事というのがどんどん減っています。その一方でIT系の企業に勤める人たちの報酬は製造業の人たちの2倍、3倍という状況です。
しかし知識産業というのは製造業のようにたくさんの人が必要なわけではないので、仕事はそれほど増えていないのです
日本は若干のタイムラグがあるのですが、恐らく今後はアメリカやイギリスのようにホワイトカラーの仕事が減っていき、知識産業に携わることができる人とそうでない人との間で格差が大きくなっていくはずです。
その際に格差に大きくかかわってくるのが教育です。
しかし高い報酬を得るのに必要な専門的な教育にはお金がかかるため、誰にでも提供できるものではなくなってきています。
親自身がこれからの時代を生き抜ける仕事の潮流を理解し、必要な教育を子どもに受けさせられる収入があるかどうかで、子どもの将来が決まっていくのです。