先週は国内外で大きな事件があった。海外では、5月24日(木)にトランプ大統領が米朝首脳会談をキャンセルする書簡を出した。国内では、日大アメフト事件で22日(火)と23日(水)に、日大選手、日大監督・コーチのそれぞれの記者会見があった。また、加計学園問題では22日(火)に「愛媛県メモ」が国会に提出された。
それぞれまったく無関係な事件であるが、トランプ、日大、愛媛県それぞれのマスコミの対応・報じ方という視点から見ると、興味深い比較が出来る。それぞれについてみてみよう。
まず、トランプ大統領の米朝首脳会談のキャンセルについて。これは、22日に行われた韓国・文在寅大統領の会談前の記者会見で示唆されていた(https://www.cnn.co.jp/world/35119600.html)。その後の展開は、トランプ大統領のツイッターを見るのが一番わかりやすい。
24日に書簡付きのもの(https://twitter.com/realDonaldTrump/status/999686062082535424)と記者会見付きのもの(https://twitter.com/realDonaldTrump/status/999695988813189120)が公表されたが、これを見ればキャンセルにいたる背景説明はほとんど十分である。
加えて、アメリカ政府高官による背景説明(http://www.afpbb.com/articles/-/3175923?pid=20160087)を読めば、北朝鮮が中国との首脳会談以降に、急に交渉のハードルを高めてきたことがわかる。そして、キャンセルの決め手は北朝鮮側の相次ぐ約束違反だったことも分かる。
もっとも、これも書簡を見ればわかるが、交渉の道は閉ざされたわけではない。これもトランプ流の交渉術のひとつ、なのだろう。
実際、北朝鮮はかなり焦ったようで、すぐに反応した。仲介役の韓国も必死で、会談キャンセルが言われた後、すぐに南北首脳会談を行った。そこで、北朝鮮は再度米朝首脳会談を希望、それにトランプ大統領も応じるようだ(https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1000174070061813761)。
トランプ大統領は、軍事オプションをちらつかせながら、いつでも会談を辞めてもいいというスタンスだ。それに引き換え、金正恩は自ら米朝首脳会談を頼んだ側である。この構図では明らかにトランプ大統領側が有利である。当初の予定通りの6月12日か、遅れても少し間をあけて米朝首脳会談が行われる可能性がある。もちろん、トランプ大統領はいつでも席を蹴れる立場なので、予断は許さないが。
こうした話は、トランプ大統領のツイッターをみていればだいたいわかる。悲しいかな、トランプに関する日本のマスコミ報道は、ほとんどトランプ大統領のツイッターを訳しているだけなので、見る必要はない。もし、金正恩氏もツイッターをやれば、世界中のマスコミはほとんど要らなくなるだろう。外交では、当事者の意見が一番重要だが、ツイッターによってそれに誰でもアクセスできるようになり、媒介者としてのメディアの存在意義はかなり少なくなりつつある。
第二に、日大アメフト事件。22日に行われた日大学生の記者会見は、ネットメディアで生中継された。この件では、米朝報道とは違い、マスコミは従来の役割を果たしている。というのも、マスコミの役割のひとつに、事件当時者に記者会見を行う場を提供し、その意見を聞く、というものがある。
今回の日大学生の記者会見は日本記者クラブが設定したようなので、一定の役割は果たしている、と言えるわけだ。
ただし、会見ではマスコミ各社から「誘導尋問」のような引っかけ質問が多く出された。これにはマスコミ内部からも一部批判が出る始末だった。さらに、学生が20才であることから、顔の撮影を遠慮してもらいたい旨の事前告知があったが、大手各社はそれをまったく無視していた。のちの報道をチェックすると、外国のマスコミはその要請を考慮していたので、改めて日本のマスコミの悪しき姿勢が目立ってしまった。
さて、すでに話題になっているが、23日の日大監督・コーチの記者会見は突っ込みどころ満載だった。監督・コーチの話の前に、司会者を務めた日大広報部職員の体たらくがなんともいえなかった。
彼は、共同通信社出身の人であるが、やはり日本のマスコミの古い部分をそのまま体現していた、といえよう。上から目線でマスコミを恫喝していたが、自分の方が先輩だから、という態度が見えすぎていた。たしかに、同じ質問ばかりであることにいら立つのも理解できるが、謝罪の場であの態度はないだろう。
その次の日には日大学長による記者会見が行われたが、さすがに例の広報部職員は姿を現さなかった。肯定的に例の職員の役割を考えるなら、日大コーチが質問に耐えきれずに「白状寸前」であったのを、身を挺して防ごうとしたのかもしれない。