- アメリカ政府の公務員の夫の言葉「残業代?そんなの出ないよ。今も、今までもずっと」
- アメリカの“ホワイトカラー”の管理職、専門職は、残業代の適用除外
- 「報酬が不満だったら転職する」と語るアメリカ人
「残業代ゼロが当たり前」と語るアメリカ人の夫
今、国会で働き改革が議論されています。特に注目されているのは、年収が1075万円以上の専門職を対象に、残業代が出ない「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を導入することです。
導入されれば、残業をしても無駄なので残業をしなくなる。いや、むしろ乱用されてサービス残業の温床になる、と見方は様々です。
でも、皆さん、アメリカのサラリーマンは残業代ゼロが当たり前って、ご存じですか?
という私も、実は知ったのはわずか2年ほど前です。日本の働き方の見直しについて記事を読んだり、調べたりしているうちに、アメリカでは「ホワイトカラー・エグゼンプション」、つまり年俸制が当たり前であることを知り、アメリカ人の我が夫に恐る恐る聞いてみたのです。
私「もしかして、残業代ってついてないの?」
夫「残業代?そんなの出ないよ。今も、今までもずっと」
アメリカの連邦政府の公務員である夫は、さらっと返答。これまで、議員の秘書、NPO、法律事務所など転職を重ねてきていますが、その中で一度も残業代が出たことがないというのです。
私は日本で普通にサラリーマンとして十数年働いていたので、「これだけ長時間働くんだから残業代もらって当然でしょ!」と思っていました。そして、夫の帰りが遅い日があっても、残業代ぐらい当たり前についていると思い込んでいたのです。
夫「アメリカでは、固定給のいわば"サラリーマン"は、年俸が決まっていて、それを12分割して月給になったり、24分割して2週ごとにもらったりするんだ。だから、残業代はゼロが当たり前なんだ」
アメリカの公正労働基準法で、週40時間以上の仕事に対しては、通常の時給の1.5倍の残業代が支払われることになっていますが、管理職や専門職などは、この適用除外(Exempt)となっています。だから、「ホワイトカラー・エグゼンプション」なのです。
(ちなみに、「ホワイトカラー」とは「白い襟」という意味です。製造業者などが着る作業着の「ブルーカラー」とは違い、白いシャツのスーツを着てオフィスで働くというイメージからついた言葉です。)
「管理職や専門職」というと、本当に一部の偉い人に限ったことのように聞こえますが、アメリカでは、時給で働いている人が6割、固定給は4割です。四大卒も全体の3割程ですから、大学を出て、残業代の出ない年俸制の仕事に就くのは、当たり前のような感覚です。
「報酬に不満だったら転職」
では、残業代が出ない我が夫は、なぜもっと早く帰って来ないのか?日本ほどではありませんが、夫は、朝9時から5時の仕事ではありません。今も朝7時半から夕方6時ぐらいまで働いています。そこで聞いてみると、
夫「そんな時間じゃ、仕事が終わらないからね」と一言。
私は、こうした日本とアメリカの働き方の違いは興味深いと思い、知人や近所など50人ほどのアメリカ人に話を聞いてみましたが、殆どの人が「サラリーマン」、つまり残業代の出ない仕事でした。しかも、週40時間で仕事が終わっているという人もいなかったのですが、それに対する不満は聞かれませんでした。
「報酬に不満だったら転職するんだよ」
転職が当たり前のアメリカ。労働市場の流動性が、その根底にあるようです。ただ、期待された成果が期待された期限までに出ればいいわけで、遅くまで残業する日もあれば、早めに切り上げる日もあると言います。
"職場にいることが大事"な日本
「日本は、職場にいること自体が重視されるよね。本当に意味のある仕事をしているかどうかは別として、会社に長くいる時間が大事みたいだ。家庭より仕事が大切。奥さんより上司の言うことを守らないと、という印象を受けた。アメリカでは、そんなことしたら、離婚されちゃうよ」
日本で働いたことのあるアメリカ人は、上司が帰らないと部下が帰りにくい状況を知って驚いたといいます。
「日本は職場で『もっと仕事しないと!』という会社のプレッシャーを感じるけど、アメリカは『早く家に帰らないと!』という家庭のプレッシャーを感じているんじゃないかな」
残業を減らして、家庭の時間を増やし、生活の質を高めることを目指す働き方改革。そこには制度改革と同時に意識の改革が不可欠です。残業することのインセンティブを減らすことは、その一歩となるかもしれません。
あるデータによると、日本人の年収のおよそ4分の1は残業代といいます。
それを見たアメリカ人は、こうコメントしていました。
「日本は、そんなに残業代出るの?だったら残業するよね」
アメリカは、結果が勝負。どんなに頑張っても、残業しても、結果が出なければ、その頑張りは日本ほど評価されません。日本も仕事の経過ではなく、最終的な成果を重視する社会になっていく必要がありそうです。
(在米ジャーナリスト 笹栗 実根)