まず池田信夫氏発言
2014年09月21日12:34朝鮮人は日本人の同胞だったまだ野尻美保子氏のように錯覚している人がいるので、うんざりするが確認しておこう。戦前の朝鮮半島は日本の領土であり、朝鮮人は日本人の同胞だった。したがって中国やアジア太平洋での侵略戦争について、朝鮮人は加害者だったのだ。志願して戦場に行った24万人の朝鮮人の軍人・軍属は、彼女の思い込んでいるように「給与がもらえる仕事から排除されて軍に志願した」のではない。・・・
彼らはなぜ、日本軍に志願したのだろうか。洪思翊は「今の朝鮮は独立国としてはやっていけない。日本と一緒に大きくなり、国力をつけてから独立しよう」と語ったという。
韓国人は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だった必要なのは戦争の謝罪ではなく「感謝と慰労」だ2014.09.24(水) 池田 信夫特に朝鮮半島には徴兵制がなかった(戦争末期にできたが出征しなかった)にもかかわらず、志願兵の募集には、最大50倍の志願者が殺到した。当時の新聞は、その熱気を「兵役志願 三千名を突破す」などと伝えている。朝鮮人志願兵制度実施が発表されるや半島同胞の間に一大センセイションを巻き起こし、十六日夜から十七日にかけて熱誠溢れる志願者がどつと繰出し京城憲兵隊、京城憲兵分隊、龍山憲兵分隊の受付は問合せの電話や志願者との応対でほかの仕事は全然手がつけられぬ有様だ。(『大阪朝日新聞』南鮮版1938年1月18日)もちろんこの時期の朝日新聞は御用新聞だったので誇張はあるだろうが、陸軍の志願兵募集に対して80万人もの応募があり、延べ24万2000人の軍人・軍属が日本軍に参加して、2万2000人が死んだ。彼らの英霊は、靖国神社にまつられている。朝鮮人兵士は、決して食い詰めていやいや志願したのではない。・・・
2013年11月21日10:26「創氏改名」についての誤解日韓問題は複雑なので誤解が多い。アゴラで書いたように、その多くは日本の戸籍制度が原因になっている。「創氏改名で民族の誇りを傷つけた」という話もそうだ。創氏改名は強制ではなく任意で、1940年に受け付けが開始されてから半年で、80%以上が創氏を届け出た。名前を日本式に変えたほうが有利だったからだ。当時、朝鮮人から出たのは、「日本名に変えても内地に本籍を置けないのでは『内鮮一体』にならない」という不満だった。
次に当時の国会議事録
第81回帝国議会貴族院予算委員第三分科会(内務省、文部省、厚生省)議事速記録第二号
昭和十八年二月二十六日(金曜日)午前十時九分開会○水野錬太郎君・・・それから民心を把握することが必要であると云ふことの御話がありましたが、それは其の通りでありますが、時に依ると総督府の上の方の人はさう云ふ考を持って居るかも知れぬが、地方等へ行って下級の人等が、動もすれば朝鮮の人に圧迫を加へると云ふことがあることもなきにしも非ずであります、殊に一昨年でしたか、あの姓氏令、即ち名前を変へると云ふことがありましたが、何でも非常に成績が好い、殆ど八割迄日本人の名になったと云ふことがありましたが、それが果して彼等の衷心から出たのならば宜いのでありますが、時に依ると警察の圧迫に依って斯う云ふ風にしたのである、或は学校の生徒等が動もすれば父兄がさう云ふ圧迫を受けるからさう云ふ風になったのであると云うやうな不平も聞くのでありますが、此の頃はどうですか、さう云ふ方面は余り無理にやって居らないのありますか、何でも前総督の時には大分さう云ふ方面に力を入れたと云ふことでありますが、今日はもう自然に任して居られるのでありますか、それは如何でありますか、其のことを承りたいのであります・・・○政府委員(田中武雄君)・・・それから次は創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官辺の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りましたので、揣(はか)らずも自分がさう云ったやうなことに対しまして責任の地位に立ちましたので、さう云ったことに対しまして間違って居ることがあるならば是正をして参りたいと考へまして、色々事実の真相を調べて見たのであります、必ずしも絶対にさう云ふことがなかったとは申上げ兼ねまするのでありまして、一部遺憾な事例もあるやうであります、併し将来は左様なことのないやうに、適正に運営して参りたいと斯様に存じて居ります、特に志願兵制度等に付きましては、総督の言明でありました、新聞に何十万志願者があったと云ふようなことを余りに書くことは、一面に於て由なき宣伝のようにも見えるし、又それがために道の競争と云ふやうな心理を誘発する虞れもあるから、一切新聞に書かすなと云ふことを厳命されました、確か今年は何倍あったと云ふやうなことは新聞には一切書かさなかったと記憶致して居ります、・・・帝国議会会議録検索システム 国立国会図書館
またこういう文書もある
昭和二〇、三、六
朝鮮及台湾在住民政治処遇に関する質疑応答
内務省管理局
十二 創氏制度実施の理由並に之が結果(利弊)如何内鮮一体皇国臣民化の進展に即し名実共に皇国臣民たらしむべく其の希望により創氏し得るの途を開きたるものなり。実施に際し末端に於て多少行過ぎたる嫌いなしとせざるも大多数は其の希望に依り進んで創氏し皇国臣民たるべき決意を愈々固め現在に於ては内鮮融合一帯の上に好結果を齎しつつありと信ず。・・・
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レファレンスコードB02031291000(16枚目)本邦内政関係雑纂/植民地関係 第六巻
枢密院会議筆記
昭和十六年三月十九日(水曜日)午前十時五分開議
聖上臨御
出席員
原議長
鈴木副議長
大臣
近衛内閣総理大臣 五番
金光厚生大臣 七番
秋田拓務大臣 八番
橋田文部大臣 十一番
小林商工大臣 十二番
河田大蔵大臣 十三番
村田逓信大臣 十四番
石黒農林大臣 十五番
小川鉄道大臣 十七番
柳川司法大臣 十八番
顧問官
河合顧問官 廿一番
石井顧問官 廿二番
有馬顧問官 廿三番
窪田顧問官 廿四番
石塚顧問官 廿五番
清水顧問官 廿六番
南顧問官 廿七番
奈良顧問官 廿八番
荒木顧問官 廿九番
松井顧問官 三十番
菅原顧問官 三十一番
松浦顧問官 三十二番
潮顧問官 三十三番
林顧問官 三十四番
深井顧問官 三十五番
二上顧問官 三十六番
大島顧問官 三十八番
小幡顧問官 三十九番
竹越顧問官 四十番
三土顧問官 四十一番
伊澤顧問官 四十二番
闕席員
親王
雍仁親王 一番
宣仁親王 二番
崇仁親王 三番
載仁親王 四番
大臣
平沼内務大臣 六番
東条陸軍大臣 九番
松岡外務大臣 十番
及川海軍大臣 十六番
顧問官
金子顧問官 二十番
眞野顧問官 三十七番
委員
村瀬法制局長官
入江法制局参事官
以上各件に付
大橋外務次官
松本外務省条約局長
以上「ブルガリア」国の日本国、独逸国及伊太利国間三国条約参加に関する議定書承認の件外一件に付
副島拓務省管理局長
碓井朝鮮総督府事務官
梁井台湾総督府文教局長
以上朝鮮教育令中改正の件外三件に付
報告員
堀江書記官長
書記官
諸橋書記官
高辻書記官
二十五番(石塚)政府は来る四月一日を期し初頭普通教育に付て内外地を通じ大体に於て同一制度を設けんとせらるるは多年御研究の結果に基くものと信じ茲に賛意を表す。此の上は制度の運用に付て慎重御考慮を煩したし。凡そ何事も之を一定の基準に従はしめんとするには或は足踏を為さしめ或は駈足を為さしめ以て一線に並行せしむるの要あり。而して其の間に多少の無理の生ずることなきかを本員は痛く憂慮するものなり。樺太に付ては総ての制度概ね内地同様なるを以て疑問の余地なきも朝鮮台湾に付ては之と稍々趣を異にす。而して朝鮮に付ては先年来既に内鮮共学の原則を実施し来れるも台湾に於ては公学校尚存続し今回之を国民学校に統一せんとするものなるを以て茲に二段の進歩を為すことと為るなり。国語を常用する者とせざる者との区別を撤廃し教育の当初より専ら国語に由らしめんとするに付ては無理の点なきか。之を支障なしとする確たる御説明を承りたし。次に氏名の変更は当人の願出に由り許可せらるる制度にして内地に於ては濫りに許されざる所なるに朝鮮台湾に於ては或は児童入学に際し内地流の氏名に改称せざれば入学を許可せずとし実際上之を強制すると同様の趣なるやに聞く。尚朝鮮台湾に於ける新聞ラヂオ等言論の取締に付ても兎角の非難を聞く。斯の如きは新付の民を統治する上に於て適当なるか多大の疑問あり。児童入学に対し果して改姓を強要するが如きことありや否や併せて伺ひたし。
八番(秋田)
今回内外地を通じ初等普通教育を国民学校令を以て一貫せんとする建前に付ては御賛成を得たるも其の運用に付充分に注意を加ふべしとせらるるは尤なる御意見なり。外地初等普通教育の実施に付ては充分に注意し御趣意に添ふことと致したし。御質問の第一点に付て今回台湾の初等普通教育機関は之を一率ならしめんとするものなるが既存の学校に付ては充分沿革を重じ現状を維持することを原則とすべし。内地人児童の多く入学する国民学校と本島人児童の多く入学する国民学校とは事実上区別を生ずべく本島人の児童教育に付ては其の生活の環境、風俗、習慣等内地人と趣を異にするを以て慎重なる考慮を払ひ台湾統治の根本精神に悖ることなきやう留意すべし。而して此の点を律する為新に総督府令を以て特段の規則を制定し教科の課程、授業の時間等を定め主として本島人の入学する学校に於ては修身、国語の時間を多くし些かも無理を伴はしめず滑かに教育を実施し延ては統治の上に心配のなきやう致す所存なり。第二点に付て朝鮮に於ては姓を存するのみなりしが昨年二月氏の制度を創始し本人の希望に由り内地人式の氏を設定することを許し台湾に於ては本来氏の制度はありたるが曩に戸口規則を以て内地人式の氏に改むることを認めたり。其の孰れに在りても統治の実情及民の希望に応ぜんとする趣旨に出でたるものにして之を強制するが如きは統治の本旨に沿はざるものなり。而るに実情に於ては必ずしも非難の声なしとせず。今後は些かも無理を生ぜしむることなきやう注意を加ふべし。但し台湾に於ては氏の変更を為したる事例未だ千百未満にして朝鮮に於けるとは稍々趣を異にす。何れにするも国民学校令施行に伴ひ強制的に氏を設定し又は変更せしむるが如きことは断じてなからしむべし。尚朝鮮、台湾に於ける新聞ラヂオの取締に付ても充分注意を加へ民をして怨嗟の声を放たしむることなきやう戒心すべし。
二十五番(石塚)
御説明に依り大体諒承せり。朝鮮人にして改氏名に反対するものは多く上層の者にして下層者は寧ろ之を歓ぶものの如く現に内地に居住する下層者中には松平、藤原等の氏を称ふる者多し。此の如きは相当の取締ありて然るべきものと思料す。併せて茲に希望を述ぶ。
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レファレンスコードA03033794700(10~13枚目)枢密院会議筆記・一、「ブルガリア」国ノ日本国、独逸国及伊太利国間三国条約参加ニ関スル議定書承認ノ件・一、「スロヴァキア」国ニ帝国公使館新設ノ件・一、朝鮮教育令中改正ノ件・一、台湾教育令中改正ノ件・一、大正十二年勅令第三百四十三号台湾ニ於ケル官立公立ノ小学校又ハ公学校ノ訓導ノ失官ノ件改正ノ件・一、明治四十一年勅令第四十五号樺太ニ於ケル小学校ニ関スル件
志願兵の人数など
採用年 採用人員 採用兵種 入営部隊昭13年 400 歩兵、輜重兵、高射砲兵 第19及び第20師団〃14年 600 同右 同右〃15年 3,000 同右 第19及び第20師団、関東軍(輜重兵のみ)〃16年 3,000 歩兵、輜重兵、高射砲兵、野山砲兵 同右〃17年 4,500 全兵種 朝鮮軍、関東軍、北支軍〃18年 5,330 同右 内外各地軍備考本表の外に3,893名の臨時特別志願兵(学徒兵)あり
年次別 採用数 志願者数
昭和13年 400 2,946
〃 14年 600 12,348
〃 15年 3,000 84,443
〃 16年 3,000 144,743
〃 17年 4,500 254,273
〃 18年 5,330 303,394
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レファレンスコードC13070002800(2・3枚目)朝鮮軍関係史料 2/2 一、朝鮮人・志願兵・徴兵の梗概 一、朝鮮に於ける戦争準備 一、対韓交渉の参考
そんなんじゃ、白馬鹿さんは経済オンチで、高橋洋一氏に対する記事が「個人的な恨み」と取られてもしょうがないよね。www
そんなに「スヒョン文書」の火消しで忙しいの?
そういえば、元朝日の植村隆さんは西岡力さんや櫻井よしこさんには噛みついたけど、池田信夫さんに対してはまだ訴訟おこしてなかったね。次は池田信夫さんですか?
アハハハハ
そうそう、しまむー班長が教えてくれたけど
平昌五輪ネタは一部で殺気立つからタブーらしいね。
まあ、「韓国単独で頑張れ!」って話さ!
平昌の市民団体が騒ぎおこして、また揉めそうだけどね。
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ