文者の庵

-MONJA NO IORI-

フリーライダー

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インターネットのSNSを覗くとよく若くして健康な体で「働かなくても良い」とか「生活保護で良い」とか「ダラダラしていたい」とか書いてある。気持ちは割とわかる。働く事は大変な事だ。体力は使うし、人間関係には気を使わなければならない。貰えるお金も生活できる範囲でしか貰えない事は頭を使えばわかる。

 

僕も完全にフラフラしかけた事があるし、そういう言論には少し賛成してしまっていた時があるのだが、結局そういう事を発言していた人達でさえも本を出したりして形はどうあれ働いているし、社会参加している。本当に何もしていないで自室に引きこもっている人も本当にいるのかもしれないが、それはそれでつまらないのではないだろうか。

 

働かずに社会に乗っかる人の事をフリーライダーと呼ぶらしい。インターネットを見ると完全なるフリーライダーを目指してサラリーマンを批判するような芸風(?)の人も出てきて物議を醸している。僕の考えでは、確かにそういった生き方は賢い生き方だと思うが少しずる賢い生き方かもしれないなと思ってもいる。

 

他人の金で生きるとか、何もせず生きるとか言うのは簡単だ。もしかしたら本当に実行できるかもしれない。ただ、それは誰かの労働による犠牲で成り立っている。要は身近な所で言えば、スーパーマーケットの仕事を回している人、コンビニエンスストアを回している人、飲食店を回している人などがいるから成り立っている。

 

今の世の中では機械化やシステム化が進んでいるから、誰かがサボって「俺は自由に暮らすよ」という事も勿論可能だろうが、それは誰かがやっているからサボれるという事を忘れてはいけない気がする。だから普通に働いている人とサボっている人は同等の価値ではないと思う。

 

勿論、何もしていない人も何もしていない人で事情があったりもする。若い頃は凄く働いて稼ぎ終わったからもう働いていないとか、リスクを取って事業を当てたからリタイアできたとか、体や心に病気を抱えているとか。だから、そこまで簡単な問題ではないとは思う。

 

ただ、健康体で働けるのに働かないで普通に働いている人を小馬鹿にしてるのは少し違うかなと思う。自分は働いてない、働けない、働かないと選ぶのは個人の勝手の部分もあるかもしれないが、働いている人がいるから社会は成り立っているという事を忘れると今は食えてても途中でひっくり返る事もあるかもしれない。要は謙虚さが大切なのではないだろうか。

 

働く事を諦めたい人間の気持ちもわかるし、働く事で得られる喜びや賃金などの対価についてもわかる。僕自身まだまだ何をやっているかわからないような部分もあるし強いコメントは控えるが、誰かがいるから成り立っている事を自分も利用しているのに根本的に馬鹿にしてはいけないかなと思っている。