むかしむかしあるところ、一人の母親と一人の子どもがいた。
 子どもは生まれたとき、真珠のように白い肌をし、焼きたてのパンのようにふくふくとした肉付きをして、優しげな茶色の瞳をきらきらと光らせて泣きもせずによく笑う、たいそう素晴らしい赤子だった。
 なんて美しく立派な赤子だろう、きっと将来、この子は素晴らしい青年になるだろう、と揺りかごの中で機嫌が良さそうに笑う、その赤子を見た誰もが口をそろえて言い、母親を羨ましがった。賛辞をささげられる母親も、その言葉を一つも疑う様子はなく満足げに聞いていた。
 ところがところが、世の中とは摩訶不思議な出来事の巣窟。
 その子が生まれて二週間たつと、稀に見る美しい子どもはなんと死人のようがりがりに痩せ、かびたパンのよう黄色い肌をして、目だけが不気味なほどとろりと大きい、そんななんとも醜く惨めな様子をした子どもに変わっていた。
 その変貌に周囲は驚いて、この子は妖精の取り替え子だよと口々に噂した。子どもの無残なかわりように、哀れなほどに狼狽した母親も半ばそれを信じているようだった。
 というのも、その地方には古くから、揺りかごに眠る美しい人間の赤子を、親がちょっと目を離したすきに、気ままな妖精達がつれていき、かわりに嫌らしい醜い妖精達の子どもをその揺りかごに入れておくのだという言い伝えがあったのだ。
 だからその子どもは、美しい子どもの時につけられた素晴らしい名前もすっかり忘れさられてただ「黄色い子ども」とみなによばれるようになった。
 

 その子どもは肌の色は確かに黄色で、いつまでたってもチビのままでちっとも逞しくも大きくもなろうとはしなかった。しかし少し落ち窪んだ大きな瞳は知性の色を宿し、はしっこそうな口元をしていて、実際によく機転が利いた。
 けれど、そんな利点を持っていたところで、周囲や母親の疑惑が薄れることはなかった。
 確かに、その子どもには疑うには充分なほど、不可思議なところが幾つもあった。牛や馬や羊を手足のように自在に操れ話ができて、家畜の群れを草原に連れていけば羊達も牛達も馬達もみな、子どもが吹く口笛にあわせて実に楽しげに飛び跳ねた。誰もその子どもが泣いたり怒ったりしたことを見たことがなく、その子はいつも笑っているか機嫌が良さそうに口笛を紡ぐかしていた。落ち込む様子など一度も見せずに、どんな悲しみの場でも一人平然としていた。
 狭い狭い小さな村では、子どものおかしな様子など一辺に知れ渡ってしまうものだ。子どもの疑惑は薄れるどころか、日増しに強くなるばかりだった。それでもその子はいつも辛い顔一つ見せずに笑うのだ。
 その母親には一人の姉があり、姉には自分の子と同じ年の一人の子どもがいた。姉の子どもは色白で背が高く美しく力強かった。母親はそんな甥子を見るたびに深いため息をついて自分の子どももああなるはずだったのに、と嘆いた。
 自分の背が小さいこと、肌が黄色いこと、赤子の頃と似ても似つかないこと、なにかにつけて母親がこぼすたびに子どもはやはり平然と
「確かに僕はみんなが言うように妖精の取り替え子なのかもしれないけれど」
 そこでいつも子どもは言葉を切って、誇るわけでもなく意地を張るわけでもなく、大きな瞳で母親を見上げた。
「でも、僕の方がいいでしょう? お母さん」
 それがその子の口癖だった。
 実際にその子はよくやった。畑の耕しも家畜の世話もこまごまとした家のこともお使いも計算も全部が全部、隣の従兄弟にも決して引けはとらなかった。そして、彼が母親にしてあげることといったら、世界を隅から隅まで探してもこうまで母親に尽くす子どもはいるまい、と思えるほど献身的で愛情に溢れていた。どこへでも行く春風のよう、自由気ままな子どもだが、母親の言うことだけはよく聞いたのだ。
 けれど、母親はその子がしてくれたことなど見向きもせずに、隣のたくましい甥子ばかりを見てため息を漏らす毎日だった。
 それでも、子どもはめげるということも落ち込むということも知らずに、いつもひょうひょうとして、さらにそれを母親に責められた。
「たとえ私が邪険にしたってお前はちっとも堪えていやしない。そんなのは、心のない妖精子のすることさ」
 もし、もし、その村に旅人が来たとしたら、そしてその言葉を耳にしたとしたら、あんぐりと口を開けて母親を穴があくほどに見つめただろう。けれどありのままの事実を見つめられる目を持つ、旅人はその村に来はしなかった。村人達は、あの母親がどんなつれない態度を子どもにとったのを目にしたって、ただ、無理もない、と首を横に振るだけだった。
 母親には子どものやることなすこと全てが、日に日に気に入らなくなっていくようだった。ある日、母親がいつものように、姉の子どもがどれだけ素晴らしく逞しいか語り、あんな子どもがもてればいいのに、とこぼしたところ、子どもはやはりいつもと変わらずに平然と聞いていて、最後に言った。
「でも、僕の方がいいでしょう? お母さん」 
 その言葉についにカッと母親が顔を赤らめて怒鳴った。
「なにがいいものかッ! お前があんな息子だったらいいと幾度私が思ったか分かっているかい? 私の子どもを返しておくれ! 忌々しい妖精っ子!」



 そんなある夏から秋へと変わる時分に、突然村に疫病が流行った。ばたばたと人が倒れていって、母親の姉もまた疫病に倒れた。見えないものに脅え疲れた村人は顔を暗くうつむかせた。けれど落ち窪んだ眼窩で村を歩く子どもが通ると、その顔をすうっと上げて子どもを見て、ひそひそと言葉をかわすようになった。
 ある日、子どもが牛を水飲み場に連れて行こうとしたとき、母親が牛小屋へと子どもを突き飛ばして外側から鍵をかけた。
 薄暗い牛小屋で子どもはしばらくなにが起こったのかわからないように地面に伏せていたが、やがて突き飛ばされた身体をおこし、どんどんと閉じられたドアを叩いた。けれど反応がないので、しばらくしてから尋ねた。
「どうしたの? お母さん。ここを開けてよ、出られないよ」
「そこにおいで。外には出せやしないよ。みんながあたしを白い目で見るんだよ。忌々しい妖精っごのせいで村に疫病が舞い降りたんだって。あんたが村に出るたびに疫病の種をばら撒いているって」
 その言葉に子どもはしばらく沈黙した。
「なんて厄介な子だろう。あたしの姉さんの子どもなんて、そんな贅沢はもういい。せめて、普通の子であったならまだ良かったのに」
 牛小屋に閉じ込められた子どもは、しばらく黙って母親の言葉を聞いていて、やがていつもよりほんの小さな声で尋ねた。
「でも、僕の方がいいでしょう? お母さん」
 扉の向こうで母親が閉じ込めたまま去って行く足音が聞こえた。けれど、急に足音が止まった。と、思った瞬間、小さな悲鳴と共に何かが地面に倒れる鈍い音がした。
 子どもは急いで耳をつけ、どんどんどんっと扉を叩いた。
「お母さん? お母さん? お母さん?」
 けれど返事はなかった。扉に張り付いて子どもは扉を叩き続けたが無益だった。自分の力ではどうにもならないと悟ると、子どもは振り向いて奥にのんびりと座っていた牛に向かってひゅう、と一つ口笛を吹いた。するとそれまで穏かな顔をしていた牛はすっくと立ち上がり凄まじい勢いで突進してきてその角でドアを壊した。
 ドアの破片と共に子どもは外に転がりだして、庭に倒れている母親を見つけて駆け寄った。意識を失い青ざめて震えている母親を、子どもは小さな身体でなんとか担いで家に連れていって寝かせた。母親の身体は火のように熱く、流行の病にかかったことに間違いはなかった。
 子どもは献身に献身につききりで看病をした。母親が何を望むのか分からないので、朝も夜もなくしてそのそばにいた。疫病がうつることは一つも恐れなかった。
 少しでも冷たい水を汲んでくるために、日に何度も井戸に走り、牛には一番上等な乳を搾って砂糖を入れて飲ませようとした。けれど母親は何も受けつけずに日に日に弱っていった。
 ある日、子どもはそれまで本当につきっきりでいた母親の元から、そっと離れた。母親はもう前後不覚になって眠っていた。
 納屋まで出てくると、子どもは生まれて初めて一粒分だけ、涙をこぼして泣いた。それから顔をごしごしとこすると、なんでもないことのように誰もいない空に話しかけた。
「もし僕が、ほんとに妖精の取り替え子だっていうんなら」ゆらあ、と目の前の空間が揺らいだ。それは何か不思議な、学者の頭でははかることができない事態が起こる前触れだった。けれど子どもは平然と続けた。「ちょっと出てきてくれないかな、妖精さんたち」
 白い光が辺りを飛び交い、灯篭のように揺れた。子どもはそれを見ても平然として手を伸ばして、淡い光がその手へと止まった。



 朝に部屋を出て行った子どもが戻ってきたときは、もう夕暮れになっていた。
 ドアがそっと開く音に、死人のようにぴくりとも動かなかった母親が身じろぎした。母親はまだ何が何か分からないような、その下にはくまが濃く刻まれた目をあけて、大儀そうに辺りを見やった。すると間近で幼い声がした。
「目が覚めた? お母さん」
 子どもがベッドのすぐそばにいて顔を近づけていた。自分の子どもであるのに、そんなそばで見たことはない母親は不思議そうな顔をした。
「もう大丈夫だよ、僕が治したから」
 子どもは珍しくはしゃいでいるように見えた。
「僕が治したんだよ。隣の従兄弟も治せなかった。僕が治したんだよ」子どもはまだ熱の余韻が残る母親にゆっくり尋ねた。
「ね、お母さん。僕の方がいいでしょう?」
 すると母親は事を認識せずにただなんとなくつられて、目の前にいる子どもに笑いかけた。子どもは初めて向けられる笑みに、にっこりした。そうしてひょいと爪先立ちになって熱っぽい頬にキスをして言った。
「大好きだよ、お母さん」
 そうして子どもは跡形もなく消えた。母親は夢現のままそのまま眠り、やがてすっかり熱が引いて目覚めたら、子どもはどこにもいなかった。
 村人達は疫病が突如として止んだことは奇跡だと口々に言った。なかには悪い妖精子が去ったことで病も共に去ったのだというものもいた。けれど大半の村人はさっぱり分からないとだけ言った。
 だけれど多分、誰もが知っていただろう。子どもがなにと引き換えに母親の病を治したのかを。あの子どもがどんな気持ちで、全てを選択したのかを。
 村人の一人は以前に子どもにたいして、妖精の母親が恋しくないのか、と悪意あるからかいをしたことを思い出した。その時に子どもが言った言葉も、思い出していたけれど、その村人はその言葉をずっと胸にしまっておくことにした。その時も子どもは大きな瞳でじっと見上げ迷いなく答えたのだ。
「だって、もし僕が妖精の取り替え子だとしたら、妖精は結局、僕を捨てて綺麗な子どもを持っていたんだろう。それでも僕を育ててくれるお母さんの方が、僕にとっては何倍大切なのか分からない」



 母親がすっかり病気から完治すると、家に突然、母親がいつも見て羨んでいた姉の息子がやってきた。疫病にかかって姉はあっけなくこの世を去っていた。甥子は遠慮もなく家の中にずかずかと入ってくると
「僕は母を亡くし、あなたのあの厄介者は消えました。僕はあなたの甥子であなたは僕のおばですから、これから親子のように暮らそうじゃありませんか。僕はあなたを母と呼びましょう」
 強い甥子はそういって家に住み着くようになった。
 甥子は、強い力も逞しい背も持っていたけれど母親には何もしてくれなかった。実の母親である姉の看病も放り出していた、と人づてに聞いて、母親はそれに納得した。
 それから母親はあれだけ焦がれた甥子の面倒を見るのをあっさりやめて、一人で暮らし始めた。近所の人はみな寂しいだろう、と不憫がったが母親はそんなことはなく、いままでで一番満ち足りている生活を送っていた。やがて母親は一人で年をとり、最後の死の床につき、後は静かにお迎えを待つまでになった。
 外では木枯らしが意地悪く窓を叩いて人を驚かせる、冬の寒い夜に母親はもう暖炉に焚き火を放り込む力もなく冷たいベッドで横になっていた。
 すると、とんとんとノックのように吹雪がドアを叩いた。寝たまま老婆がそちらを見やると、ドアがゆっくりと開いて、あの黄色い子どもが入ってきた。
 黄色い子どもが入ってきた瞬間、暗い部屋の中はぱっと明るくなり、冷たい空気は一気に春のように暖かくなった。子どもは枕元に近寄り、疫病から目覚めたあの時のように顔をとても近くに近づけた。
「ねえ、僕がいいでしょう? お母さん」
 しばらく老婆は子どもの顔を見つめて、やがてふっと笑ってこう返した。
「ええ、そうね」
 すると子どもは幸せな顔のままにっこり笑って昔と同じキスをした。
「大好きだよ、お母さん」



 そうしてこの話はおしまい。