朱と闇と白煙の世界。

 空は地獄のように朱く、地はゴツゴツした岩だらけで闇に沈み、不気味な白い何かが空で凍っていたり、不定型な月を象っていたり、地を湯気のように流れていたり、渦巻いていたり……

 地獄が最終駅ならその2つほど手前の駅で途中下車したような場所である。

 どういう訳で飛ばされたのかは……佇むハルヒの手元を見て解った。

 あのツインズがオレを襲ったときに使った短刀が手の中にある。ついでに鞘から刃が抜かれている。さらについでに記述するならばソレは長門が位相転換を凍結したとかで封印していたはずである。

(涼宮ハルヒが私が施した位相転換凍結を破壊した)

 だろうな。

(結果としてあの刀が内包していた高次位相転換波が開放。私達はこの次元に飛ばされた)

 って、どの次元だ? ここはドコなんだ?

(推定するに……天獄界)

『つまり座敷童女達の世界です』

 長門とのテレパシーによる脳内会話に割り込んできたのは古泉五妃である。

 そういや、オマエは妖使いだったな。この世界に来たことが……

 あるのかという疑問は頭の中で形にならなかった。

 何故ならばっ! 振り返ってみた古泉五妃の姿が異様だったからであるっ!

 いつぞや見た、西洋風の甲冑に身を包み、手には槍というか長刀のような武器を携えているっ!

 なんだっ? その姿は?

『どうやらコレがこの世界でのボクの正装のようです』

 五妃は脳内で答えてから次の言葉は音声にして発した。

「ですから、皆さんの姿もこの世界用に変わってますよ?」

 

 皆様。一応、この世界での全員の姿をお伝えしておこう。

 ハルヒはセーラー服っぽい西洋風の甲冑に身を包み短刀を手にしている。

 朝比奈さんはふわふわしている僧侶というかシスターっぽい服装で細長い七色の杖を手にしておられる。

 長門はいつぞやの映画の中というか文化祭で着ていた暗幕マントに黒の鍔広トンガリ帽子に短い杖というか棒を持っており、何故かマントの下はセーラー服っぽい僧服であった。

 鶴屋さんはセーラー服っぽい僧侶服であるが、朝比奈さんとは若干デザインが違い、動きやすそうである。一言で形容すれば修行僧というか戦闘僧侶っぽい姿であろう。

 朝倉は……セーラー服っぽい甲冑ではあったがハルヒのとは微妙にデザインが違い、見た目としては優等生らしきデザインであるのだが、よく見ればスカートが剣の集合体であった。

 佐々木は……どういう訳か気品漂う白のセーラー僧服であり、雰囲気としては賢者っぽく、杖と盾を装備している。

 御厨雛SEは……何故かというかやはりというか誤解を恐れずに形容すれば『悪の女王サマ』っぽい姿である。

 そしてツインズは……えーと、和装のお姫様っぽい姿であった。

 これで全員か?

「御自身の記述を忘れておられるようですが?」

 古泉。冷静に指摘するな。言いたくないんだよ。

 しかし……なんなんだ? この西洋風の甲冑の上に着流しというか和服を羽織っているのは? 誰のデザインだ?

『ご理解しているでしょう? それとも言いたくないんですか?』

 脳内で指摘するなっ!

 ああ、解っているよ。全てハルヒだ。ハルヒの頭の中のデザインだろうよ。

 それにしても……なんというか北高専というかそれぞれの着ていた制服をどっかのゲーム会社がおざなりにRPGのキャラのコスチュームにデザインしたような格好は安直だと思うのだが。

 ついでにそれぞれの様子というか態度を述べさせて頂けるのであればだ。

 朝比奈さんは怯えてきょろきょろと辺りを見渡し、長門は黙然として何処かに視線を固定し、古泉は諦観しているというか驚き呆れ顔の表面に微笑を貼り付け、鶴屋さんはオバケ屋敷に入ったばかりの元気が溢れる女子高生っぽい感じであり、佐々木は純粋に驚いているようだが怯えてはおらず、朝倉は空気を読まずに浮かれており、御厨雛SEは「別に驚くことでは無かろう?」と言わんばかりに憮然というか平然としており、ツインズは未だに寝惚け眼でありながら少なからず驚いているようである。

 オレはといえば、事態というか状況が飲み込めないのは当然としながらもどこかしら諦めていた。

 何故か?

 敢えて描写しなかったヤツの様子が原因である。

 ソレが誰かなんて韜晦するのは止めよう。

 言うまでもなく、ハルヒである。

 ハルヒは新しい玩具を貰った子供のようにというか、スポットライトを乱反射するミラーボールのように瞳を輝かせて、迷惑すぎる過剰なまでに元気なオーラを周囲に撒き散らしていた。

「キョンっ! 何コレっ? ここは何処? アタシ達は何すればいいのかしらっ?」

 なんか自分がRPGのキャラになったかのような幻視的な状況を心底から楽しんでいる。

 心の奥底の構造というかDNAの設計図というか全細胞のミトコンドリアレベルで一般人と精神構造が違うんだろうな。コイツはよ。

 

 呆れ顔で確認してやる。

 ハルヒ。ここが何処だか解っているのか?

「解んないわよ。っていうかあのね。キョン。何故こういう状態になったかというコトとかここが何処なのかというコトより何をすべきかを考えるべきよ。きっと邪悪な存在がアタシ達を呼び寄せたのよ。だったらすべきコトは解るわよね?」

 さっきの疑問はどうなった? それを世間では矛盾というんだ。

 何をすべきかだと? 全く以て解らない。何をどうするってんいうんだ?

「んもう。邪悪を根絶やしにしてこの世界を平らげて平和を呼び戻すのよっ! そうよ。アタシ達はこの世界を救う勇者なのよっ!」

 はあ? 何処をどうしたらそういう考えが浮かぶんだか。

 まあ、とことん前向きなのは認める。ソレだけだが。

 オレとしては呆れ顔を顔に浮かべるだけだ。

(呆れるよりもするべきコトがある)

 なんだ? 長門。するべきコトって。

(涼宮ハルヒが手にしている短刀はツインズ達がアナタに預けた短刀。それを涼宮ハルヒが持ち続けていた場合、この先の予測が不能となる)

 つまり?

(あの短刀を涼宮ハルヒから取り上げるべき)

 そうか。っていってもだな。アイツは一度手にしたものは全て自分のものだと言い張るような女だぞ。部室もそうだし。コンピ研から強奪したパソコンもそうだ。市内探索ツアーで見かけたガラクタも買い込んでは手放さないものだから部室に要らんものが増えていくのはオマエも知っているだろう?

(代わりの武器と交換すれば手放すと考えられる)

 どんな武器だ?

『それはアナタがデザインするべきでしょう』

 あのな。古泉。そんなに簡単に言うな。オレのデザイン能力なんぞ小学校低学年の夏休みの宿題である風景画で限界は判明しているし自覚もしている。

『どんなデザインでも構わないと思いますよ。アナタがデザインした武器ならば涼宮さんは喜んで交換に応じると思われますが?』

 もう一度言う。そんなに簡単に言うな。それにだ。オレがデザインしたとしても誰が造ってくれるって言うんだ?

『心配には及ばない。コレを見てくれ賜え』

 脳内に響いた佐々木の声に従い、視線を向けてやると……驚いたことに佐々木が持っている杖の先がいつの間にやら七色の宝石というか宝珠で飾られ輝いている。

 どこで拾った?

『別に拾ってなぞいない。心の中で「飾りが欲しいな」と思ったらこうなった。どうやらここは心で思うだけで具現化する世界らしい』

 なるほどね。

『だからキョン。君が心で思い描いたモノが君の手に現れるだろう。君が涼宮さんが欲しがると思う宝剣を思えばいいのさ』

 何故だろう。どうしてこんなに環境に順応するのが速い人間が揃っているんだろう。

『それは……まだ解説が必要ですか』

 ああ、古泉。オマエの解説は必要ない。要はハルヒだろ? ハルヒが望んだからこそこういう人間が揃っているんだろうな。

『それよりも速く宝剣とやらを具現化した方が良いと思うが如何だろう?』

 解った。解っている。冷静に指摘しないでくれ。佐々木よ。

 

 深呼吸で溜息を誤魔化し、目をつむってオレは精神を集中……するのも途中でバカバカしく感じられたので、適当に思い描いた。

 直後、オレの手にずしりとした質感が。

 目を開けてみると白銀の地金に七色の宝珠が飾られた両刃の長剣が。

 ……どっかのゲームで見たようなアイテムのデザインだというのは考えないことにする。

 

 おい。ハルヒ。

「何よっ? って、アンタ。随分と攻撃力のありそうな剣を持っているじゃない」

 そうだな。ものは相談だが、こういうのはオマエが持っていた方が良いと思うんだが。どうだろう。オマエが今持っているショボイ短刀とコイツと交換しないか?

 ……というオレの台詞は最初の「オマエ」あたりで声にはならなかった。

 何故かという疑問は無意味である。

 相手はハルヒだ。

 オレの台詞を全く聞かずに行動で示していた。

「あのね。そういうのはアタシが持ってこそ威力を発揮するのよっ! キョン、さっさと交換しなさいっ!」

 ……と、オレの手から七色宝剣を奪い、短刀を投げてよこしやがった。

 この直情径行女めっ!

 まあ、いい。目的は達成した。

 

 さて、次はどうする?

 という疑問もハルヒの前には意味をなさない。

「けど、移動手段がないわね。どっかに馬車とか……あ、あったっ!」

 ハルヒが指差したのはオレ達の背後の岩陰。そこに4頭の白馬……じゃなくて白馬っぽい美女の半人半馬の……ケンタウロスっていうんだっけ? が曳く馬車があった。

 何でもありだな。この世界は。

 ある意味ハルヒ向きである。

 

 馬車は見た目には軽自動車程度だったのだが……中に入ると案外広い。

 中央に囲炉裏があり、天井から竹と鉄でできた自在鉤とかいう道具の先に鍋があり、その周囲に全員が座っても余りある空間があり、そしてその奥には和風の二段ベッドが人数分以上あり、さらに奥の部屋には倉庫があり、ありとあらゆる食材が冷蔵庫でもないのに適度な温度と湿度で相当数、存在していた。

 つまり、軽自動車の中に鶴屋家の庵よりも、いや、あの真夏に合宿した孤島の別荘並みの広い空間が存在していたのである。

 ……物理法則を無視しているのも程がある。

「キョン。まさかと思うけど疑問の海の底に沈んでいるんじゃないでしょうね?」

 あのな。ハルヒ、オレはこう見えても極々普通の一般人なんだよ。

「そういうのはね。一般人って言わなくてガチガチの常識に縛られているつまんない人間って言うのよ。少しはこういう状況を楽しみなさい」

 楽しめる訳がないだろ?

「いいえ。楽しむのよっ! アンタと2人で行ったあの不可思議な……」

 ハルヒは急に言葉を止め、そっぽを向いた。

「いいから楽しむのっ! 団長命令よっ!」

 はいはい。解りましたよ。

 

 

 それから暫く……

 馬車に全員が乗り込み、思い思いに過ごしている。

 とは言っても、好き勝手に過ごしているのはハルヒだけであり、他はハルヒの相手をしていない時間はほぼ囲炉裏の周辺にいた。

 そしてハルヒが何をしていたのかというと……

 囲炉裏部屋の木の襖を開けると……何故か温泉プールがあり、鶴屋さんや朝比奈さんとか古泉とかと競泳したり、その隣の襖を開けると麻雀部屋があったり、卓球部屋があったり、ビリヤード部屋があったり……まあ、とにかくハルヒが望んでいたであろう空間が出現してハルヒ主導の下、ほぼ全員が入れ替わり立ち替わり、遊び相手を仰せつかっていた。

 だが、ハルヒの相手をなるべく回避して、なおかつ冷静にしていたのもいる訳で……それが誰かと記述すれば、長門である。

 長門は暗幕マントと鍔広トンガリ帽子の姿のままで、御者台に座り周囲を警戒していた。

 視線は前方に固定したままだったが。

 余談だが長門の代わりは主として佐々木が努めていた。

 そして不必要に浮かれていたのは……朝倉であった。

(ねえねえ、キョンくん。変なのがでたらさ、瞬殺していい? 撲殺していい? 刺殺とか惨殺程度だったらいいよね? 抹殺とか虐殺とかはしないでおくからさ、せめて轢殺とか撃殺ぐらいはいいよね?)

 あのな、朝倉。形容詞のレベルが順不同である。それに全ての選択肢に『殺』の字が入っているのはやめてくれ。

 まあ、いい。攻撃は許可する。だが、ボスキャラっぽいのは倒さないように。ここでの事情を確認したい。

(はぁい。雑魚キャラは瞬殺しておくね。ボスキャラっぽいのも虫の息程度にするのと止めを刺すのだけは任せてよね)

 はあ、疲れる。

 

 気疲れしていたオレは木の襖に背を預けて、反対側の空間でダーツを楽しむことに勤しんでいるハルヒを眺めていた。

 こんな空間に来ているというのに、心底楽しんでいる。

 アイツにとって疑問とか常識とかは基本セットじゃなくて単なるオプションパーツなんだろうな。

『そんなコトより……思い出しませんか?』

 ん? 古泉か。なんだ? 何を思い出せっていうんだ?

『あの冬山の……不可思議な山荘です』

 山荘?

『思い出しませんか? ボク達が閉じ込められてしまった山荘を』

 ああ。あの吹雪の中の山荘か。

 そういえばあの時、長門が倒れて…… ん? 何かが心の中に引っかかっている。なんだ?

『その疑念はボクには解りませんが……とにかくあの山荘に似ていると思いませんか?』

 えーと。何か思い出せそうだったんだが……まあ、いい。何が似ているって?

『あの山荘では何でも思いのままに出てきました。食事の材料も、温泉も、暖かい部屋とベッド。そして娯楽施設。この状況はあの山荘にそっくりです』

(違うところもある)

 古泉の脳内通話を遮ったのは長門のテレパシーだった。

 何が違う?

(あの空間は私に負荷をかけた)

 そうだ。あの時、長門は熱を出して倒れてしまった。

(だが、この空間は……)

 横目で見ると長門はぐるりと視線を回してから、再び前方に視線を固定した。

(私に負荷とならない。むしろ快適だともいえる)

 快適なのか? どういう風に快適なのかは解らないが、負荷がかからないのは良いことだ。

 そうだろ? 不快よりは快適な状態が一番さ。

(そうも言ってはいられないだろう)

 ん? 今の声は……御厨雛SEか?

(そうだ。私の両脇を見て欲しい)

 言われてみると……御厨雛SEの両脇にいるのはツインズだ。

 どうかしたのか?

(彼女達は衰弱している)

 なんだとっ!

 慌てて近寄ると……ぐったりとしている。眠いのを耐えているのかと思っていたのだが、随分と具合が悪そうだ。

 いつからこうなった?

「少なくともここに来る前は単に疲労からの睡眠と判断できた。だが今は明らかに衰弱している」

 そんなのは見て解る。だが? どうしてそうなった?

(不明だ)

 あのな。こんな事態で脳内に話しかけないでくれ。声にすればいいだろ? 御厨雛SE。

(脳内でなければ話せない内容だからだ)

 それはどんな内容だ?

(落ち着け。ここは彼女達の本拠地。故郷だ。本来ならば元気になって然るべきだが、逆の事態が起きている。つまり……)

 つまり?

「何騒いでんの?」

 話しに何の脈絡もなく割り込んできたのは……言うまでもなくハルヒである。

「どしたの? なに? あっ! ツインズちゃん達っ! 凄い熱じゃないっ!」

 慌てたというか勢いづいたハルヒが近くの扉を開けると……完全看護用みたいに病室がそこにあった。

 一大事だが、誰も気にしないようなのでもう一度、オレが言っておこう。

 何でもありだな。この馬車は。

「キョンっ! 何うすらぼんやりしているのっ! さっさとツインズちゃん達を運びなさいっ!」

 解ったよ。と、御厨雛SEと共にツインズを抱きかかえ、ベッドに下ろして視線を上げると……ハルヒの姿が一変していた。

 どういう風に変わったかと……念のために記述すれば、白衣の女医っぽい姿に瞬間的に衣装替えしていた。

 おいおい。オマエが診ようってのか?

「当然でしょ? ワタシは団長なのよっ!」

 団長が医療行為をしても良いってんなら、応援団は医者志望のヤツらで溢れかえっているだろうよ。

「どいて」

 言い返したげなハルヒを押しのけて入ってきたのは長門である。

 ……いつの間にやらコイツも医者っぽい姿に。いや、どちらかと言えば看護婦っぽい姿である。

 そうだよな。ハルヒよりは長門の方が医療行為には相応しい。いつぞやは阪中の御犬様達を治療したしな。ハルヒも長門ならばと役目を譲ったらしく元の衣装に瞬間衣替えしている。

 頼むぞ長門。

「治療を施すのは私ではない」

 ん? では誰が治すって言うんだ?

「私が対処しよう」

 と、艶やかなる声に振り返ると……御厨雛SEが白衣をまとっていた。

 白衣の下は相変わらず「悪の女王サマ」っぽい衣装のままだったが。

 大丈夫なのか?

「任せてくれ。これでも地球人類の内部構造は既に情報を取得している」

 って、おい。ツインズは人類ではなく妖怪……とは口には出せない。

 御厨雛SEは診察台に乗っているツインズを診て、熱などを測っていたのだが……顎に手を当てて思案している。

 大丈夫なのか?

「大丈夫だ。治療法を思考している」

 思案投首状態にも見えるんだがな。

(こんな所で蔑むな。アソコが疼いてしまうじゃないか)

 おいっ! そんなコトをテレパシーで返すなっ!

「ん。やはりコレしかあるまい」 と御厨雛SEは自分の襟を掴むと左右に引き裂いた。

 何をする? こんな所で。

「っ! こらっ! キョンっ! 見るなっ!」

 オレの疑問はハルヒの張り手と共に何処かへ吹き飛ばされた。

 オレ自身も囲炉裏部屋まで吹き飛ばされてしまったがために。

 

 念のために御厨雛SEが何をしたのかを記述すればだ……

 単に授乳しただけである。

 ベッドに腰掛けて両腕でツインズを抱きかかえ、両の乳房というか乳首をツインズの口に含ませていた姿は聖母のようにも見えた。とは古泉五妃の解説である。

 信用はしないが、信頼はしてやろう。

(随分だな。だが蔑みなのかどうかは微妙だな)

 あのな御厨雛SE。オレの表現を一々分類しなくていい。それで? ツインズはそれで回復したのか?

(強制的に体力の回復を図った。体力だけは回復しているだろう)

(御厨雛SEの言うとおり。だが、原因を解明しない限りこのまま)

 割り込んできたのは長門か。原因は解るのか?

(不明。この世界が彼女達の故郷であることは確か。故郷で回復しないのは不可解)

(それについては私が先程言いたかったことだ)

 何を言いたい?

(この世界そのモノが変質している可能性がある)

 変質? どういう風に変ったというんだ?

(それは不明だ。以前の『この世界』を知っている訳ではないのでな)

 ええいっ! 使えそうで使えないヤツめっ!

(それは随分な蔑みだな。あん。感じて……)

 もういい。

 

『では私の方から解説してみましょう』

 呆れたオレの脳裏に別の声が響いた。言うまでもなく古泉五妃である。

 勝手に解説していろ。

『了解しました』

 視線の端で相も変わらない仮面の微笑が御厨雛SEがツインズに授乳している姿を捕らえているのが確認できた。

『彼女達の話に因れば現実の世界が「重なり合う2つの世界」という状態だったはずです』

 ああ。確かにそんなコトを言っていたな。

『そしてこの天獄界もその影響を受けていると』

 えーと。そうだ。だからオレの許に来たと言っていた。

『つまり、「重なり合う2つの世界」の影響により、この世界が変質してしまった』

 なんだと?

『そのように分析するのが妥当だと思いますが、如何でしょうか?』

 あのな。分析だけなら……

 というオレの脳内ツッコミは妙に浮かれた朝倉の割り込みによって形にならなかった。

(出たわよ)

 何が出たと……

 馬車から顔を出したオレは声が出なかった。

 遥か先の黒い岩山の稜線から何かが空に浮かぶ不定型な月を掴もうとしているかのように手を上に伸ばしている。。

 まるで山が自分の椅子かのように腰掛けて背をこちらに向けているといえばデカさがお解り頂けるだろうか。

「キョン。何を驚いているのよ? ……何アレ?」

 いや、オレにも解らない。

「そう? そうね。決まっているわっ! アレこそがラスボスよっ!」

 おい。さっきオレに投げかけた疑問は何処に行った?

「そうね。確かにラスボスだと思うわ」

 安易に同意するな。朝倉……げ。

 オレが何故に息と共に言葉を呑み込んだのか。

 振り返り見た朝倉が返り血だらけであり、なおかつ、馬車の周りには雑魚キャラっぽい小鬼というか亡者というかとにかく地獄の雑魚っぽいのが死屍累々と……

(やぁね、キョンくん。そんなに誉めなくても)

 誉めてはいない。急に脳内で囁くな。朝倉。

(そう? じゃ蔑んでいるの? いやん。感じちゃう)

 だから脳内で桃色なる吐息混じりに話しかけるな。コレは何だ?

(見たとおりの雑魚キャラよ)

 いつの間に……まあ、いい。そんなコトは今となってはどうでも良いことだ。

「幾ら倒しても虫の息になるだけで死なないの。ラスボスを倒さないとダメみたい」

 だから急に脳内会話から現実会話へと変えるな。

 後ろのハルヒが喜んでしまうじゃないか。

「やっぱりっ! 行くわよっ! キョンっ! アイツを倒してこの世界を救うわよっ!」

 だから性急に攻撃しようとするな。先ずは体制を整えてから……

 などという至極真っ当なるオレの意見をハルヒが聞く訳もなく、次の瞬間にはハルヒは飛びかかっていった。

 文字どおり空を飛んで。

 ……いつからアイツは飛翔能力を手に入れた?

「おや? まだ涼宮さんに対してそのような疑問を持つのですか?」

 余計な疑問に対して解説を始めようとするのは……言うまでもなく古泉五妃である。

「ここは天獄界。誰かが望めば望むモノが具現化する世界なのです。そのような世界で涼宮さんがどの様な姿形、あるいは能力を発揮しようとも不可思議なコトではないと思うのですが?」

 解っている。アイツだったら現実世界でも「飛べる」と思ったら飛んでいるんだろうからな。

(ええ。それを阻んでいたのは涼宮さん自身の常識なのですから)

 だから脳内会話に急に変えるなっ!

 聞かれて困る単語が入っているのは認めるが。

「ふふふ。ではボク達がするべきコトも既にお解りでしょう?」

 ああ。解っているさ。解っているけど戸惑うんだよ。オレはごく普通の一般人なんだからな。

「だが、猶予はない」

 不意に現実音声で割り込んできたのは長門である。

「先に行く」

 まるで幽霊のように浮遊してハルヒの後を追っていく。

 悪い。ハルヒの防御を頼む。

「任せて」

 流石は長門である。あっという間にハルヒに追いつき、ハルヒの後方でボスキャラが放つ攻撃を弾いている。

「さあさあ。キョンくん達も行くっさ」

 背中を叩くのはいうまでもなく鶴屋さんである。

「ツインズちゃん達の警護はあたし達に任せるにょろよん」

「そうだね。僕達は戦闘には向いていないようだ。ここで見守らせて貰う」

「私も残ろう。心置きなく戦ってくれ」

「御武運を祈りますぅ」

 鶴屋さんと佐々木と御厨雛SEがツインズのために残るらしい。

 ついでに朝比奈さんも。

 まあ、朝比奈さんは最初から戦力としてアテにしていないし、力業なら御厨雛SEがいれば充分だろうし、それに佐々木の頭脳と臨機応変なる鶴屋さんがいれば充分すぎるな。

(頭脳関係で私を評価しないというのは蔑んでいるのだな? あん。感じて……)

 だから、こんな時に悶えるな。御厨雛SE。

 

 解った。

 とにかくオレが行けば良いんだろう?

 意を決して飛び上がる。

 が、やはりオレは常識に頭まで漬かっている一般人のようだ。

 長門の足元にも及ばないのは当然として、ハルヒのようにも飛べやしない。

 地面に平行して移動しているだけ。

 しかも速度は……普通に歩いた方が早そうだ。

「手助けが必要なようですね」

 なんだ? と振り返ると古泉五妃が翼の生えた美女ケンタウロスに跨って飛んでくる。

 それはずるくないか?

 っていうかそれはケンタウロスなのか? ペガサスなのか?

(お忘れですか? ここは天獄界。全て思うままに存在するのです)

 解っているっ! オレは常識人で一般心なんだよっ!

 そんなにひょいひょいと順応できねーんだよ。

「ではアナタにも」

 古泉の声が終らないうちにどこからか飛んできた美女ケンタウロス・ペガサスがオレをひょいと背に乗せた。

 ふう。助かった。

 しかしなかなか乗りにくい。暴れるような飛び方だ。

 オレは慌ててペガサスの首……じゃなくて美女ケンタウロスの上半身部分に抱き着いてしまった。

 直後っ!

「てめえっ! 何処を触っているっ?」

「しばくぞっ? それとも叩き落とされたいかっ?」

 あれ? その半疑問形は?

 顔を上げると……振り返ってオレを睨んでいるのは赤城さんと水城さんの顔。つまり顔が2つ。つまりは美女ケンタウロスが双頭になっている。

 あれ? オレはいつの間にこんなコトを望んでいたというのだろうか?

「疑問はもっともですが……」

 横にいる古泉が駆る美女ケンタウロス・ペガサスの顔も……赤城さんと水城さんの双頭であった。

「彼女達は元々、この世界の住民だと……以前に申し上げたはずですが?」

 えーと。そうか? そういうコトなのか? ていうか、何故に両方が水城さんと赤城さんなんだ?

「それは彼女達同士が一体不可分だと心底思っているからでしょうね。それより……」

 それより?

「そろそろ手を離した方が宜しいかと思うのですが? ボクとしましてもボクの目の前でアナタが他の方の胸を触り、弄り続けているというのは快いモノではありません」

 ん? 五妃に指摘されて改めて自分の手の位置を確認すると……美女ケンタウロスの胸の部分にオレの手が位置している。ついでながらかなりのボリュームであり、かつ心地よい弾力であった。

「だからさっさと手を離せと言っているだろっ?」

「身体に言わねえと解んねえんだな?」

 直後っ!

 オレは五妃が駆る美女ケンタウロス・ペガサスに思いっきり蹴飛ばされた。

 結果として当然ながら空中にへと。

 そして地面へと落下……しなかった。

 飛ばされたオレをキャッチしたのは朝倉である。

「はあい。アナタの朝倉ちゃんよ」

 あのな。こんな場面で耳元で囁くな。背中から抱き着くな。というか胸を押しつけるなっ!

「なによ。じゃ、もう一度、コッチに乗ってよね」

 朝倉が器用にも赤城さんと水城さんの双頭の美女ケンタウロス・ペガサスの背に乗せてくれた。

 えーと。言いたくはないが感謝してやろう。ありがとよ。

「どう致しまして。じゃ、涼宮さんの援護に行くね」

 朝倉はそのまま空を勢いよく飛んでいき、ハルヒの援護に向かった。

 ふう。器用なヤツだ。

「それよりも戦局を分析しましょう」

 冷静に言うな。まあ、解説は任せる。

「正体不明のラスボスの攻撃を涼宮さん、長門さん、朝倉さんが戦闘天女の如く応戦しています」

 無闇に突っ込むハルヒを長門が防御して、朝倉が押し返そうとしているように見えるがな。

「いずれにしましても膠着状態です」

 確かにな。

「では、ボクが揺動しますからアナタはあの敵の急所を一撃し、さっさと倒して下さい」

 あ、の、な。簡単に言うなと何度言えば……

「気にすることはありません。何処を突いてもあの敵は倒れるはずです」

 なんだと? それはつまり……

「ええ。涼宮さんがそのように望んでいるからです」

 どうしてそうハッキリと断言する?

「ここは天獄界。誰もが望んだことが具現化する世界です。その世界であのように涼宮さんが苦戦するはずがありません。涼宮さんが望めば小石1つであの敵は倒れるでしょう。ですが、倒れてはいない。これはつまり……」

 あー。解った。ハルヒがそう望んでいると言いたいんだな。

「その通りです。では……」

 古泉五妃は仮面の微笑みを残してハルヒの背後を回って敵の向こう側へと移動していった。

 はあーっ。溜息を吐きたくなるオレの心情がお解り頂けるだろうか。

『そうそう。言い忘れていました』

 なんだ? 五妃、この期に及んで何を言い忘れた?

『この際、ボクの短刀もお使い下さい。アレもなかなかこの世界では威力を発揮するはずですよ』

 あのな。そんなコトを言ってもこの世界の何処に……

「ほらよ?」

「無くすなよ?」

 何故か、美女ケンタウロス・ペガサスの水城さんと赤城さんから古泉がオレへと移譲した短刀を手渡された。

 何でこんな所に? というか何故アナタ達が持っていたのでしょうか?

『お忘れですか? ここは天獄界。何でも望んだモノは……』

 あーっ! もういいっ! そんな解説は聞き飽きたっ!

 

 ハルヒと長門と朝倉が応戦している間に横から古泉五妃が襲いかかった。

「そこな敵よ。我が力を思い知るがいいっ!」

 流石は妖使いである。1人でハルヒ達に匹敵するオーラを放ち、ラスボスの動きを留めた。

 ハルヒ達、3人の戦闘天女攻撃と古泉五妃による妖使い攻撃という2方面からの攻め手にラスボスの注意は集中しているようだ。

 さっさと近づいて……だが? 何処が急所だ?

 何処でも良いとは古泉に言われてはいるがやはりそれらしき場所が急所なのではないだろうか?

 何せ『ハルヒが考えている』という急所だ。足の小指とかでは納得しないだろう。

『ツインズから言伝がある』

 なんだ? 御厨雛SE。今は忙しい……ん? ツインズからだと?

『邪険にするな。感じてしまうではないか』

 だからソッチに話を振るなっ! ツインズからの言伝を的確にかつ手短に話せっ!

『解った。ソイツの急所は胸の中央と喉仏だそうだ』

 なんだ? 2つだと?

 まあ、運良くというか、都合良くというか、誰かが書いたシナリオ通りというか、手許に天獄界御用達らしい刀が二振りあるんだが……

 深く考えるのはやめておこう。

 

 オレは地表すれすれに美女ケンタウロス天馬を駆り、ラスボスの足元から急上昇っ!

「義理無く、意義無く、道理も無く、何の因果か知らねえし、ハッキリ言ってどうでも良いから、とにかくさっさとくたばりやがれっ!」

 胸の中央に五妃から授かった『妖刀 妖使い』を、喉元にツインズから授かった『聖刀 天獄』を突き立てた。

 (念のために記述するが刀の名前と称号はオレの独断と偏見である)

 

 天獄界の全てを振るわせるような断末魔の絶叫を放ちながらラスボスは砂が崩れ落ちるかのように……細かな粒子となって四散していった。

 

 最後に余計な一言を放って。

『……何故だ? 何故、我を倒す? 涼宮ハルヒ。我はオマエの根源。天邪鬼なるぞ。この重なり合う2つの天獄界でオマエの意に従い重なり、荒神となったというのに……』

 天邪鬼がハルヒの根源ね。なるほど。

 って、感心している場合じゃないっ!

 そんな重要事項かつハルヒにひた隠しにしている事を断末魔の叫びとはいえあっさりと言うなっ!

 と、苦情を申し立てようにも相手は既に四散して存在してはいない。

 振り返り見たハルヒは……満面の笑みから、吃驚顔へと表情を急変させていた。

 

 

 ……と、気づいた時には部室にいた。

 オレは弁当を前にして、椅子から飛び上がったような体勢。

 他の面々はそれぞれに吃驚して立ち上がって、「あれ?」という疑問を顔に貼り付けたような表情。

 天獄界は何処に消えた?

 いや、それよりも確認すべきコトがある。

 慌てる足取りで向かったのはハルヒ。つまりは部室の隣の倉庫。

 そこに短刀を手にしたままぼんやりと立っているハルヒがいた。

 大丈夫か?

「え? なにが? あたしだったら何ともないけど?」

 ハルヒは短刀を鞘に収めてぽいとガラクタの上に投げた。

「さっ! 昼休みの時間は限られているんだからさっさとテストを終えて楽しまないと。ほら。あたしは大丈夫だから」

 嘘つけ。オマエがそんなに大人しいかった事なぞ……

 

 いや。疑問を口にするのはやめておこう。

 それからはそれぞれに昼休みを過ごした。

 ハルヒが考えたツインズの仮入団テストはあのデカいアップライトピアノの連弾となり、ツインズはあっさりとクリアした。

 そしてハルヒと五妃のオセロと五目並べとチェスの同時進行競技が白熱しつつある。

 ……のだが。

 何故だろう。

 このどこかしら白々とした雰囲気は。

 オレは弁当をハルヒの指示により移動した団長席で食い終えて、まったりと全体を見渡していた。

 誰が何をしているという訳ではないのだが、何処かしら部室の空気が上滑りしている。

 

 そしてそのまま昼休みが終り、午後の講義になってもハルヒの雰囲気はそのままであり、珍しい事に講義が終ってもハルヒはぼんやりと空を眺めていた。

 

 

『動乱の木曜日 夜編』へ続く

 

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