部室の入り口付近で仁王立ちし、ビシッと御厨雛SEに指を突き立てるハルヒ。凍りつくその他一同(含むオレ)。

「キョン。誰なのソレ? 乗っ取ったとはいえ文芸部のOLである御厨さんはSOS団のOLといっても過言ではないけど、事情酌量でOLと認可しているのよ。その御厨さんの真似をしているなんて許し難い狼藉だわ。さっさと捕まえて突き出すわよっ!」

 何処に突き出すんだ? というか、やっぱり乗っ取ったという自覚だけはあったのか。ソレはソレで評価してやらんでも無いが、今はそんなコトはどうでも良い。

 誰か何か巧い答弁を考えてはくれないものか。

 と、見渡したところで、長門と朝倉は自分達の親玉である情報統合思念体の一部が直接来たということで硬直しているようだし、古泉五妃は思案投首といった柔和な笑顔のままだし、鶴屋さんと佐々木は「止めきれなかったゴメン」と現在の状況ではなく過去の状況に対して謝罪しているようで、朝比奈さんに至っては「何がどうしているの?」と戸惑いながらの思考回路が迷走中のご様子である。念のため記述すればツインズは疾うの昔に腕の中に退避済み。

 誰か何か言えよと思いながらも誰も言わないのでオレが重戦車に立ち向う歩兵の如き心境で弁解を試みることになるのである。

 えーとだな。

「なに?」

 オレは次の言葉を考えるよりも行動で示すことにした。

 いや、正確には言葉が出てこなかったので行動に移すしかなかったのであるのだが。

 とにかく、オレはすたすたとハルヒに歩み寄り、そしてハルヒの手を取って廊下へと。そして鶴屋さんと佐々木を部室の中へと促し、2人が部室に入ってからゆっくりとドアを閉めた。

 その間、ハルヒはワニのようにオレと御厨雛SEを交互に睨んで「ちょっ、なによ、離しなさいよ。アタシの質問に答えなさいよっ!」とか喚いていたがこの際、無視することに決めていた。

 そして廊下にハルヒと2人きりになってから……オレは深呼吸した。いや、盛大な溜息を吐いた。

「何よ。キョン。そんなに呆れたような溜息つかなくったっていいじゃない」

「あのな。自分が何を言ったのか解っているのか?」

 解っている。ハルヒが言ったのは事実であり、真実だ。

 何を言っていいのか解らないので質問で返すことにしたのだが……他に訊くべきコトはなかったのか? オレは。

「アタシが言ったこと? 中にいるのは誰かってコトだけじゃない。あの御厨雛っぽい人は誰なのよ」

「御厨っぽいとは失礼だな。少なくとも呼び捨てにするな。年上だぞ」

 昨日の要請から身体を作り上げたとしたら年齢は生誕1日であり、間違いなく年下なのだが、中身は何億年前から存在しているのか解らん以上は平均して年上なのは間違いない。と自分に言い訳する。

「年上なのはいいけど……なによ。何でアンタがあの偽物の肩を持つのよ」

「偽物ではない。あれは間違いなく御厨雛さんだ」

 言い切らないとダメだろうから言い切ったが……その先のことは考えてなぞいない。

「外見はそっくりだけど中身は絶対違うわっ!」

 うわっ。だからそう簡単に言い当てないでくれ。

「いいや。外見も御厨雛さんであり、中身も御厨雛さんだ」

 言い切るしかない。防戦一方である。

「なによっ! 御厨さんってのは性格を2つも3つも持っているって言うの。おかしいわよ。そんなの」

「オマエは外見で性格が全て解るのか?」

 何か糸口が見つかったような気がするが、取り敢えずすべきは反論である。

「一目でわかるわよっ! 昨日の御厨雛さんは『え? ここにいてもいいんですか? 苛めないで下さいね』っていうみくるちゃんの親戚みたいな性格だけど、今、中にいるのは『仕方ないから此処にいてやる。有り難く思え』っていうような尊大すぎる性格よっ!」

 そうか。同類はお互いを即座に見抜くという……いや、そんなコトはどうでも良い。

「よく見抜いたな」

 って、何を感心しているっ! オレはっ!

「やっぱり別人じゃないっ! どいてっ! 引っ捕らえて不審者として校内引き回しの刑にしてあげるわよっ!」

 そんな刑はない。いやそんなコトを指摘している場合ではない。

「ダメだ。あの人は別人かも知れないが御厨雛さんその人だ」

 うわー。苦しすぎるぞ。オレの弁解は。

「どういう意味よっ? 同一人物の別人格だって言うのっ?」

「そのとおりだ」

 それで良いのか? ええい。そのまま言い続けてやる。

「いいか。ハルヒ。中にいるのは昨日と同じ御厨雛さんだ。確かにオマエが見抜いたとおりの別人格だ。それはだな、色々あって……女のオマエには言いにくいことなんだが……とにかく多重人格を有しておられる。多重人格と言ってもそれぞれの性格が問題を起こすとかじゃない。とにかく別人格を持っているんだ。それで……」

 ん? ハルヒの眉が逆八の字から水平になっている。

 納得したのか?

「そう……だったの」

「ああ。そうだ」

「ええ。ボクの方から説明しましょう。もう一度詳しくね」

 部室のドアを開けて出てきたのは古泉五妃である。あー。解説好きの性格は不変だったんだな。任せる。

 古泉五妃がオレの後を受けて続けた嘘八百は以下のとおりである。

 御厨雛は文芸部のOLである。大学に進学し教養課程を専攻した。それは一重に母校に戻って文芸部の顧問に就任し、寂れがちであった文芸部を再興するためであった。しかし……ある時、女性としては耐えがたい事件が起こり、大学を卒業したものの教師となる気にはなれなかった。

 さらに、傷ついた心が人格を2つに分けてしまい教員となる夢も諦めようと思った。

 失意の中に時を過ごした。

 しかし、ある時、何気に母校を訪れてみると、長門が1人で本を読んでいた。たった1人の文芸部。しかし、廃部になっていない。それが希望に小さな火をともした。時折、部室を訪れると色々なモノが増え奇異な状況になっていたが、それでもただ1人の部員である長門は楽しそうに本を読んでいる。そして、機関誌を発行したのを知り、やはり非常勤講師として母校に戻るコトに決めた。

「……ということなのです。つまり、昨日の御厨さんが本来の御厨さんであり、今、中に居られる御厨さんは『事件から逃避するために御厨さんが創り出した理性と理論のみの性格』の御厨さんなのです。お解り頂けましたか」

「そうなの……」

 ハルヒが大人しくなっている。珍しい。

「で、でも、何で昨日言わなかったのっ? そういうコトだったら……」

「涼宮さん。彼は御厨さんのことをよく知っておられた。昨日、無理矢理にここに連れてこられた段階で人格が入れ替わる兆候が見られたのです。ですから、一時避難させた。ですが、やはり人格が入れ替わってしまい……ひとたびアノ性格になるとなかなか元には戻りません」

 脳内では部室の中の様子が佐々木の能力によって垣間見れた。

 実際、御厨雛SEはしょげていた。自信満々だったのがハルヒに一瞬で見抜かれ、さらにたかが有機生命体であるオレと古泉五妃にフォローされているという状況が堪えているのかも知れない。

「ま、そういうことだ。納得したか?」

「アタシ酷いことを言っちゃったのね……」

 目の前のハルヒもしょげている。

 えーとだ。この場合はどっちを先に元気づけたらいいんだ?

 明るさのゲージは2人とも残り少なくなっているようだが、取り敢えずはハルヒが納得した。ソレだけで充分だろう。

「アタシ……謝ってくる」

 ハルヒがドアを開けると……そこにっ! 御厨雛SEが仁王立ちしていたっ!

 思わず、オレと古泉五妃は固まってしまったが、ハルヒは殊勝にも素直に頭を下げた。

「ごめんなさい。アタシ酷いことを言っちゃったみたいで……」

「気にすることはない。これは私の中の問題だ」

 御厨雛SEはそれだけ言うとすたすたと去っていった。

 少し寂しそうな背中を見送ってから……ハルヒが大人しい声でオレに命令した。いや、懇願した。

「キョン。お願い。御厨さんについていって。午後の講義の代返とかはアタシの方で何とかするから」

 ん。わかったよ。

 そうだ。結局、購買で買えなかったんだろ? オレの弁当を食べていいぞ。

「ありがと。じゃ、お願いね」

 世にも珍しいしおらしいハルヒに見送られてオレは御厨雛SEの後を追いかけた。

 

 ……のだが。

 どういう訳か。相手は階段下で待っていた。

 何故ここに?

「ん? 君と涼宮ハルヒとの会話を聞いていたのでな。君の手間を取らせることもあるまいと待っていた。それだけだ」

 そっぽを向いて呟くように言う。

 んー? なんか変わってきたのか?

「では、移動するか」

 何処に?

「人目のつかない場所へだ」

 と、不意に抱きしめられて、キスをされたっ!

 直後っ!

 ぐるりと視界と平衡感覚が回転したと思ったら……収まり、見渡すと何処かで見た風景。というか部屋だった。

 ここは?

「先代の御厨雛の部屋だ」

 あー。確かに。少しだけ見慣れた感じがしている。

「先程、鍵も預かっているのでな。ここだと余計な邪魔も入るまい?」

 えーと。何をするつもりだ?

「確認したい。私と先代とでは何処がどう違うというのだ?」

 はあ。まだ自覚していないのか? 性格だよ。

「性格は目には見えまい? 何故に一目で解ったのだ?」

 あのな。性格ってのは顔に出るんだよ。(そうか?)

 それに言葉遣いがまるっきり違うし、何かに対する反応自体が違いすぎる。

 それにハルヒは人知を越えた存在というか、人知と常識を遥か後方に置き去りにしてぶっちぎって周回遅れにしているようなヤツだ。一目で解るというのは当然だろう。

「確かに。君が預言したとおりだった。だが、未だに納得できない」

 納得しろ。それが現実というヤツだ。

「それで私はどうすればいいのだ?」

 ふう。何もしなくて良いさ。さっきの古泉の解説を聞いただろ? 性格を元に戻す。じゃなくて御厨雛さんに近付ける必要はない。今のままでいいんだよ。

 オレの説得をどう聞いたのか、どう理解したのかは解らないが御厨雛SEはしょげきっている。

「しかし、それでは私が納得できない。これではまるで私が負荷であろう? 私は君達を助けるために来たはずなのだから。納得できないのだ」

 悪いけど納得してくれ。それが一番なんだ。

 

 ……などと小一時間ほど、堂々巡りの会話というかコミュニケーションをしていた時。

 不意に呼び鈴が鳴った。

 誰だ?

 

 出てみると……そこにいたのは誰あろう。

 森園生さんと黄緑江美里さんであった。

 森さんはいつものと言うか見慣れたメイド服であり、黄緑さんはやはり見慣れた制服であったのだが……

 どうしてココに?

「古泉から連絡がありまして。そしてこちらの黄緑様のご協力も得て、この場所が判明しましたので参上致した次第です」

 えーと。そうですか。

「誰だ? その2人は? いや1人は解るが」

 えーとだな。何で知らない?

「御厨雛としては接触はないはずだからな。その2人は」

 あー。そういうところは律儀に設定を厳守しているんだな。確認するだけ無駄だった。解った。説明する。

 森園生さんは古泉が属する組織の一員。時には完全無欠なるメイド。時には朝比奈みくる誘拐犯を笑顔で脅しきったほどの気迫の持ち主であり……

 ……オレが知っているのもそれだけだな。

 黄緑江美里さんは知っているよな?

 カマドウマ事件の依頼者であり、生徒会の書記を務めて長門とアイコンタクトしていたりする……って、コトはオマエの関係者だろう?

「ああ。そうだ。しかし何の用だ?」

 御厨雛SEはあっさりと認めながらも怪訝な顔をしている。

 そういえばそうだ。何の用ですか?

「私達はこちらの御厨雛様への御指導を施すために参りました」

 はい?

「そのためにお願いしたいことがあります」

 初めて黄緑さんが口を開いた。

 なんですか?

「私達も傍女として頂きたいのです」

 はい?

「こちらの御厨雛様に御指導致すためには是非とも傍女として私、森園生とこちらの黄緑江美里様を認定して頂きたいと思っている次第です」

 どういうコトでそういう次第になるのでしょう?

 それにですね。傍女っていうのはオレの腕の中にいるツインズ達が認めないといけない訳で、そのためにはオレとですね……

「それは既に承知しております」

「先ずはこちらで……御厨さんはそこでお待ち下さい」

 2人に手を取られて連れて行かれたのは隣の部屋。

 つまり、鶴屋さんのウェディングドレスが散乱している部屋である。

 

 そして、部屋に連れられて、ベッド前でたたらを踏んでいるオレの後ろで衣擦れの音がした。

 

 以後のことを詳細に語る必要はあるまい。

 敢えて形容すれば、森さんの肢体はしなやかでかなり引き締まっており、それでいながら柔らかく、あるべき所にはあるべきボリュームが存在し、全てを総括して言葉にまとめるのであれば女アサシンというかくノ一の頭目というか、憧れの体育会系女上司というか……

 とにかく、日本刀のような御方であった。

 

 対して黄緑江美里さんは春の日射しのような御方であり、存在感が絹のレースというかベールというか……

 肢体の印象としてはタンポポでありながら、存在すべき所は必要なる分だけ存在し、柔らかくあるべく所は何処までも柔らかく……そして何処までも存在感を消して、必要なる時に必要なる度合いで存在感を表しなされる……まるで妖精のような御方であった。

 

 その2人とのひとときは……『木漏れ日の中の凄絶なる時』という矛盾した題をつけておくべきだろうと何気に思った。

 

 そして……

 居住まいを正し、メイド服と制服でベッド脇に正座されて、深々と頭を下げられ懇願された。

「これで私達を傍女として認定して頂けますでしょうか?」

 オレとツインズはベッドの上で疲労困憊の体を晒していたが、2人に礼をされ、よろよろと姿勢を正し、深々と頭を下げずにはいられなかった。

「どうぞ。よしなに」

 オレとツインズが異口同音に了承すると2人は満足げに頷き合って立ち上がった。

「では、私と黄緑様は御厨様を御指導しに参ります」

「ご機嫌麗しく」

 2人を見送った後でオレとツインズはベッドに倒れ込んだ。いや崩れ落ちた。

 なんだ? 何故にこうなっている?

「解りませぬ」

「あのお二方も天女の資質に……」

 あー。解った。解りすぎている。

「しかし、何故に宿主様の周囲にはこれほどの……」

「天女の資質の方々が居られるのですか?」

 その疑問はオレが問い質したい。誰に訊いたらいいのかは判らんが。

 

 それでも整理しておこうか。

 涼宮ハルヒは『喧騒なる天女』、佐々木が『静寂なる天女』、吉村美代子ことミヨキチが『聖清なる天女』

「その三方が他の方々よりも飛び抜けておられます」

 ああ。そうかい。それでだ……

 朝比奈さんと御厨雛(初代)は『愛恋の天女』だったな。

 長門と古泉は天女ではないのか?

「長門様も涼宮ハルヒや佐々木様達が居られなかったら天女と呼ばれるには充分でしょう」

「認めたくはないのですが古泉五妃様も同様でしょう」

 で? 長門と古泉の名称は何だ? オマエ達がつけるとしたら。

「長門有希様は『賢護の天女』と名乗られるのが相応しいかと」

「古泉五妃様は『戦闘天女』と名乗られるのが相応しいかと思われます」

 長門が賢護は解るが古泉は……ああ。暴走族狩りとかしていたんだから「戦闘天女」ってのは当然と言えなくもないな。

「鶴屋様は『賢良の天女』と呼ばれるべき御方。そして朝倉さまは……『殺戮の天女』とでもお呼びした方が宜しいかと」

「失礼ながら朝倉様の心の奥底には恐ろしいモノが渦巻いておられると感じています」

 あー。確かにな。鶴屋さんのも納得するし、朝倉涼子のも納得する。朝倉にはオレは2度も殺されかけているし。

「それでも今は宿主様には完全服従されています」

「私達も宿主様のお力をひしと感じている次第」

 あー。誉めるな。誉めても何も出ないし出す気もないし、それに朝倉は根本的にはオレの力ではなく情報統合思念体のだな……まあ、いい。

 それでだ。森さんと黄緑さんは?

「森様は……『戦陣の天女』とお呼びするのが相応しいかと」

「古泉様より戦い慣れというか気迫が鋭いと見受けられます」

 確かにな。笑顔のままで放ったあの気迫は凄まじかった。朝比奈さん誘拐犯どもがそそくさと退散したからな。

 それで黄緑さんは?

「あの方は……いまひとつ正体が掴めませぬ」

「敢えて申せば『春霞の天女』とでもお呼びするのが相応しいかと」

 ああ。言い得て妙だ。それでいい。

 

 ツインズ達と天女の称号を確認しあっていた時、頭に声が響いた。

(報告すべきコトがある)

 賢護の天女、じゃない長門か。なんだ?

(そういう称号は私には必要ない)

 解った。ツインズ達の識別コードだ。気にしないでくれ。それで? 報告って何だ?

(アナタのお弁当のこと)

 オレの弁当?

(開けてみたらハートマークが山盛りだった)

 はーとまーく? って、あーっ! あの弁当はミヨキチが作ってくれた弁当だったっ!

(涼宮ハルヒは複雑な顔をしていた)

 はあ。何と言うべきか。すっかり忘れていた。

『それについてはボクの方から補足を』

 古泉か? なんだ?

『ミヨキチさんが作られたというのは一部修正しました』

 どんな風にだ?

『アナタの妹さんの家庭科の授業で自作の弁当を持参することになっていたことにしました。そして同級生、つまりはミヨキチさんと共同で作られたと。そしてハートマークの山盛りは単なるお遊びだろうということに』

 ああ。そうかい。だが……今日帰ったら妹かミヨキチにどんな味だったのかと聞かれるんだろうな。

『それについては僕から伝えよう』

 んん? 佐々木か? そんなモノどうやって伝えるってんだ?

『忘れたのかい? 僕は君と感覚をシンクロさせることができることを』

 ああ。そうだったな。でもどうやって?

『暫く目を閉じては貰えないかな』

 言われるままに目を閉じる。

 と、目蓋の裏に弁当の姿がっ!

『これがミヨキチ作のお弁当だよ。可愛らしいハートマーク山盛りだ。そしてそれぞれの味が……』

 目蓋の裏の映像の弁当に箸が伸び、おかずを摘み上げて……うおっ! 味がっ!

『ふふふ。申し訳ないが僕が半分ほど食べさせて貰った。涼宮さんはこのお弁当の半分と朝比奈さんのお弁当を。朝比奈さんは御厨さんのお弁当を……感慨深げに食べていたよ』

 そうか。そうだよな。朝比奈さんは全て知っているんだし、たぶん、御厨さんと一緒に朝作ったんだろうからな。

『そうだろうね。そして話を元に戻すとだ。このミヨキチ作のお弁当は中々の出来だと思うよ』

 確かに。これはかなり上出来の部類に……

 しかした。味だけは判ったが実際に食べている訳ではない。味覚は満足しても身体の方はそうではなく、胃の辺りから不服が音となって零れた。

 あー。腹が減った。

『それについては僕の方からは如何ともし難い』

 そりゃそうだ。まあ、味が判っただけでも有り難い。感謝する。

『お腹が空いておられるところで申し訳ないのですが、こちらの方に来て頂けますか?』

(指導が終りましたので御確認下さい)

 不意に頭の中に響いた声はツインズ経由の森さんと朝倉テレパシー経由の黄緑さんの声だった。

 直後っ! 壁から透明な手が伸びてっ! ええっ?

 あっという間に壁をすり抜けて隣の部屋。つまりは御厨さんの部屋へと移動した。

 な、何が起こった?

「すみません。こちらの御厨様の力と私達の傍女としての力を使わせて頂きました」

「それではどうぞ。御確認下さいますか?」

 森さんと黄緑さんにひらりと手で示された先には……床に平伏している御厨雛SEの姿が。どういう訳か息が荒い。衣服もそれなりに乱れており、視線が胡乱。そして何処かしら艶かしくなっている。

 何がどうした?

「別に大したコトではありません」

「私達は傍女としての役目を果たしただけのことです」

 にこやかに笑う森さんと黄緑さんの衣服には一切の乱れはない。

 だが……森さんのゆっくりと自分の指を舐める艶やかなる唇からチロリと伸びる舌と黄緑さんの自分の笑う口を隠す指先の間から垣間見えた舌先の動きが……オレに何かを悟らせた。

 あー。何となく解りました。あくまでも何となくですが。

「それではご緩りと」

「私達はお暇致します」

 2人は深々と頭を下げられてまるで何事もなかったかのように部屋から出て行った。

 残ったのは……何故か艶かしくなった御厨雛SEとビックリ眼のツインズと呆気にとられているオレ。

 そして……

「先程は失礼しました。つきましてはこの身を持って謝罪の意を表したく……」

 不気味なまでに低姿勢な御厨雛SEにオレは思考を停止した。

 

 それからのコトは……敢えて言うまい。

 それでも何かの言葉で表現すれば……初代のソレを濃厚なるホットミルクのようなひとときだったとすれば、御厨SEとのソレは濃厚なるシナモンティーのようだったと言っておこう。

 高慢なる御厨SEが完全服従となった様は……ある意味、そそられることなのだろうがただ単にオレは思考が混乱し戸惑いっぱなしであった。

 当然ながらツインズも終始、戸惑いっぱなしである。

 

 あの2人。凄腕だというのは解った。

 何の凄腕なのかは敢えて言わない。

 

 そして全てが終り、ツインズが平伏すSEを傍女と認定した。

 ちなみに称号は『深渓なる天女』となった。

 意味を尋ねると「水は高きところより低きところに流れますから」とか言っていた。

 なるほどね。高慢だったのが従順になったんだからな。

 

 しかし。あまり急に変わられても再びハルヒに疑われるので、ハルヒの前では以前の性格を演じるように命じておいた。

 それでもだ。この御厨雛SEの急変振りには戸惑いが頼みもしないのに湧いて出てくる。

 早々に退散することにした。

 

 部屋を出ると減りすぎた腹が反乱を起こしかけるほどに不満の音を立てたが口に入れるモノは何もない。御厨雛(初代)であれば淹れてくれたお茶だけでも至福の時を過ごせるのだが。しかし、あの人には(大)とか(初代)とかの補足名称がつきまとうな。

 どうでもいいけどさ。

 さて? 反乱の鬨の声を上げる腹を手で押さえても時間的には家に帰るにはまだ早い。

 駅前でハンバーガーでも食べようかと思い、一歩進んだところで隣の部屋のドアが開いた。

「御主人様。ささやかながらお食事の用意が調っております。宜しかったら如何でしょうか?」

 オレを御主人様と呼ぶのはメイド服姿の森さんだった。

 

 

 部屋に入ると花嫁衣装群は壁際に片付けられ、ベッド前に卓袱台があった。その卓袱台の上には……何故か弁当箱が。微笑む森さんに促されて弁当箱の蓋を開けると……

 なにっ?

 さっき佐々木の感覚同期によって得たミヨキチ作成の弁当とそっくりっ!

 ハートマーク山盛りの弁当であるっ!

 こ、これは? どうやって?

「そっくりですか? ふふふ。大したコトではありません。女の子が思いつくバリエーションなんてそんなに多くはないんですよ」

 そうですか?

「ふふふ。白状しますと、鶴屋様がタイミング良く写メールして下さいましたので、真似て作ってみました」

 はあ。なるほど。鶴屋さんね。鶴屋さんなら納得できる手際の良さだな。

 あれ?

 もっと驚くべきコトがあるような……

 そうだ。さっき隣の御厨雛SEの部屋を出てオレが出るまでの間にこんな弁当をよく作れましたね?

「ふふ。そんなコトですか。御飯とかは出来合いのモノです。他の材料は新川に命じて届けさせました。そして届いたのが私が部屋を出た直後でしたからこちらの部屋のキッチンで仕上げた。それだけで御座います」

 はあ。新川さんがね。

「あっと。そうそう。新川に解らないような細かな女の子特有の品々は黄緑様が届けて下さいました」

 黄緑さんが?

「ええ。同じに部屋を出たとは思えないほどの手際の良さでした」

 んー。まあ、情報統合思念体のインターフェイスとしては空間移動もできるんだろうからそんなには疑問ではないが……やはり、絶妙なタイミングはあの人らしい。そしてあまり表に出ないところも。

「まるで春の霞のような方。味方して頂いているうちは頼もしき方です」

 確かにね。だが、黄緑さんがオレとかはともかく長門の敵になるとは思えないな。何となくだけど。

「どうぞ。お茶とお味噌汁で御座います。お味噌汁はインスタントですが御容赦下さいませ」

 森さんは卓袱台の横でポットから淀みない仕草でお茶を淹れ、インスタント味噌汁を仕上げて弁当の横に置いた。それでも刻み入れているネギは生であるのがポイントが高い。

 何のポイントかは知らんが。

 しかし、改めて思う。森さんは完全無欠なるメイドであるのだなと。

 そして弁当はコレまで食べた全ての弁当の中でもトップ・オブ・ザ・センチュリーに輝くほどだったと……いや、朝比奈さん弁当と一、二位を争うほどだったと脳内の何処かに記憶しておこうかと思うほどの美味さであった。

 

 弁当を食べ終わり、オレの腹の鬨の声も納まった。

「お口に合いましたでしょうか?」

 ええ。美味かったですよ。堪能しました。

「それは何よりでした。あ、お茶を淹れなおしますね」

 森さんがお茶を淹れる仕草もまた完璧で、見取れてしまうほどであった。

 朝比奈さんも森さんの仕草を見たら、弟子入りしたいと思うに違いない。

「それほどのコトでは。誰かに教えるほどではありません」

 そうだ。森さん。

「はい。なんでしょう?」

 訊いていいことなのかどうかは解らないのですが……

「何なりと。今の私は貴方様の傍女で御座いますれば全て包み隠さずお答え致します」

 いえ、そんな大層なことではないのですが……森さんは非常勤講師としてSOS団の顧問になっていたんですよね。この3月まで。どうして非常勤講師を辞められたんですか?

「それについては……答えたくても答えられないんです」

 ダメですか? 『組織』の極秘事項とかですか?

「いいえ。違います。単に私の中に記憶がないだけで御座います」

 記憶がない? え? それってつまり……

「ええ。私も『2年前の世界』の住人でして、この『2年後の世界』では混乱して戸惑うばかりです」 

 あー。そうでしたか。

「私の記憶では古泉は『一樹』という男子高校生のハズなのですが、『組織』の記録では『五妃』という女子高専生になっていました。古泉が戸惑い混乱していた時、私は別の場所にいましたもので、彼の……いえ、彼女の助けにはなりませんでしたが」

 新川さんとかは?

「新川や多丸などはこちらの『2年後の世界』の住民となっていました。今や私と同じ感覚を有しているのは『組織』内部では古泉だけと申し上げても良い状況です」

 変わらぬ微笑みで事情を話す森さんの瞳には……少しだけ寂しさが滲んでいたように思う。

「ですが、貴方様が古泉と同じ感覚をお持ちになると聞いた時は安堵致しました。それこそこの身の全てを捧げても構わないと思うほどに」

 森さんの瞳に……別の光が宿っている。見ているこちらが恥ずかしくなると言うか、居心地が落ち着かなくなるような……そんな柔らかな光が。

「そして今回、事態急変の知らせにはこの身が踊りました。不謹慎ですが」

 事態急変? ああ。御厨(初代)から御厨SEに変わったのをハルヒが一発で見抜いたことか。

「ええ。少しばかり張り切りすぎてしまいました」

 微笑む森さんの顔には曇りは一片もない。

 というか、どうやったらあんなに高慢ちきな御厨SEがあんなに従順になったのか……オレには方法も手段も思いつきませんよ。

「ふふふ。それには黄緑様にも手伝って頂きましたし……詳細な方法は」

 方法は?

 森さんは唇を弦月型に変えて艶やかなる笑みをオレに向けた。

「……『女の秘密』ということに」

 ……解りました。

「ふふ。実を言うと大したコトではありません。情報統合思念体としても涼宮様に見抜かれたというのは困った事態のようでしたし、それで黄緑様のご協力もつつがなく得られました。そして人知を越えた能力方面は黄緑様に対処して頂き、私は身体の方で……」

 意味深なる微笑みで言葉を続けた。

「中身がどうであろうと身体そのモノは私達と同じ有機生命体ですから、同じ女として弱いところは熟知しています」

 解りました。それ以上はいいです。そういうコトだと納得しておきます。

「はい。では、そういうコトで」

 しかし……

「なんでしょう?」

 どうして、オレなんかと……とまでは言ったが、関係したのですかという言葉は口からは出てこなかった。

「そうですね。あの世界の『機関』とは違い、この世界の『組織』には私としましても馴染まないというか所属しているという気がさほど起こりませんでしたし、何より……」

 何より?

「目に見えぬ『組織』よりは目に見える『貴方様』にこの身を捧げた方が……実感は湧きますから」

 微笑みのままに目を伏せる。心なしか頬辺りが赤らんでいるかのような……

「私も、そして黄緑様も『初めて』でしたからどうなるかは……解りませんでしたけどね」

 は? 初めて?

「はい。こういう事態は初めてで御座いますれば」

 意味深すぎる笑顔である。というか、はぐらかされた。

「ふふふ。やはり『女は度胸』で御座いますね。初めてでも腹を据えてコトに当たれば何事も成し得ます」

 初めてで御厨SEが……いえ。何でもないです。えーとですね……

 思わず、雰囲気を変えようと話題を変えるコトにしたのだが、次に口から出た言葉は剰りにも下世話だった。

 あの森さん……お年は幾つですか? いえ、何となく同い年かなと思った時もあったモノで……

 森さんはビックリ眼でオレを見ていたが、やがて邪気のない笑顔で答えた。

「それは禁則事項で御座います」

 あー。やっぱりね。

 

 

 

 それからは……

 森さんとは雑談をして過ごした。

 なんというか、話題には事欠かず、さり気なくツボを押さえた会話は……この世界に来てから初めてと言っても良いほどにオレの心の緊張と疲労をほぐしてくれた。

 会話しながら、たぶん御厨雛さんコト朝比奈さん(大)と森園生さんとは同い年ぐらいなんだろうなと何気に思った。

 

 

 夕方になりマンションの部屋を出ると……ドアの前に御厨雛SEが待っていた。

 随分とタイミングがいいな。

「いや、気配で解ったので……見送りに出ただけだ」

 言葉遣いが元に戻っている。

 瞬間的に森園生さんの眉がきりりと動き、御厨SEに対峙しそうになったので慌ててオレが訂正した。

 いや、こういう言葉遣いでいいとオレが指示したんですよ。

「そうでしたか。改めて御指導致さないといけないかと思ってしまいました。御容赦下さいませ」

 深々と頭を下げる。その様子を目で見て御厨SEは真似をして頭を下げた。

 そして頭を上げた時……何故か顔が赤らんでいる。

 えーと。どうした?

「たかが有機生命体に頭を下げるなんて屈辱的だ。屈辱的なのだが……」

 視線が胡乱になる。そして言葉の端が微妙に艶っぽいイントネーションになっている。

「何故かそれが……屈辱的だと感じるとそれが快感になっていく。これが傍女というものなのだろうか?」

 えーと? そんな効果はあったっけ? って、そうか。そんなコトが朝比奈さん(大)の時にあったな。

 確かy=m/(x+n)とかいう数式だったな。

「そうか。なるほど。そういうコトならば納得する」

 言葉ではなかなか納得しないが数式だと納得するんだな。まあ、いいけど。

「それで……すまないが、お願いしたいことがある」

 なんだ?

「抱擁してはくれまいか?」

 抱擁って……まあ、いいさ。そんなコトぐらい。必然性は全く感じないがすることにしよう。

 仕方なしに抱きしめると……抱きしめられた分だけ艶やかなる唇から吐息が漏れ出している。

 微妙に身悶えするのがオレの煽情を掻き立て……って、何を言っている。

「ありがとう。これで実感できた」

 なにが? というか耳元で囁かないでくれ。

「ふふふ。この情報統合思念体の一部である私が君の奴隷、いや傍女となったことを」

 んー。ま、実感できたのは何よりだ。これでいいか?

「ああ。それでは……夜に来てくれるのを待っている」

 艶やかなる仕草でウインクして御厨雛SEは自分の部屋のドアを開けて……投げキッスまでしてから部屋のドアを閉めた。

 ふう。何気に疲れるお人だ。いや、人ではなかったが。というか、夜に跳躍する先があの人になるのか。っていうか、今夜も跳躍しなければならないのか?

 まあ、約一名だけ跳躍したい先はあるのだが……

「それでは参りましょう。下に新川が待っています」

 何故か冷たい声と強ばった笑顔で森さんが促した。

 

 エレベーターの中でも森さんは何処かしら冷たい気配を放っておられたが……不意に振り向くと戸惑い気味の笑顔を向けられた。

 どうしました? 何か用でも?

「すみませんが……私も抱きしめては頂けませんか?」

 はい? えーと。はい。解りました。

 戸惑いながらも森さんのしなやかで引き締まっていながらも出るべき所はしっかり出ている身体を抱きしめる。

 途端にっ! 森さんの何処かしら冷たく硬い気配が……暖かく柔らかい気配へと……いや、色香を放つようにっ! ほのかに薫りたつ体臭というか心地よい香りがオレの理性を溶かしそうに……いや、自重しろ。ここはエレベーターの中だっ!

「ふう。ダメですね」

 オレの胸をゆっくりと手で押して抱擁を解いた森さんは小鳥の吐息のような声で囁いた。

「御主人様に抱きしめられると……世界を全て敵に回しても一緒にいたいと思うようになってしまいます」

 困惑気味の笑顔を小鳥のように傾げられた。

 ちょうど、1階について扉が開くと森さんはするりとオレの腕の中から廊下へと身を躍らせた。片手で扉を押さえて、もう片方の手をくるりと回す。

「どうぞ。御主人様。現実の世界へ」

 つまり? 森さんにとって夢の世界だったというコトだろうか。

 

 

 マンションを出ると新川さんが黒塗りの車のドアを開けて待っていた。相変わらずのギャルソン振りである。新川さんの執事らしい仕草に誘われるままに乗り込もうとした時、高そうな欧州車が黒塗りの車の後ろに止まった。

「やあ、間に合いましたね」

 出てきたのは古泉五妃だった。そして静かに微笑んでいる佐々木は後部座席からオレを見ている。どこかしら呆れているような雰囲気でもある。

 古泉五妃は仮面のような微笑みを森さんと新川さんに向けていた。

「新川さん、森さん。ご苦労様です。彼はボクの方で送りますから」

「そうですか。ではお願い致します。私達はこれで失礼致します」

 新川さんと森さんは慇懃なる礼をしてから車で立ち去られた。

 何故か……森さんは名残惜しそうな顔だと思ったのはオレの自惚れだろう。

 

 

 

 そして……

 ひょっとしてこの『2年後の世界』ではオレは手当たり次第に関係しなければならないという暗黙のルールが存在しているのではないかと……何気に不安にもなった。

 

 

 

 

『混乱の水曜日 夜編』に続く

PREVIOUS | NEXT