古泉五妃は突き飛ばされたままの格好……ベッドの端近くで片膝を立てて意味深な笑みを浮かべていた。
見ようによっては魔女のような笑みを。
「以前にお話ししたと思いますが、ボクはある閨閥の一員。そして総本家は何処にあるのかも知られていない寺社。覚えておられますか?」
んー。一応、記憶の片隅には存在しているようだ。初耳という感覚はない。
「ありがとうございます。そしてその総本家の寺社に集う乙女達の能力。いえ、総本家で鍛錬される能力。それが……」
五妃が笑う。ハッキリと魔女の笑みと言い切れるような気迫が滲んでいた。
「妖使い。先程、そちらの方々が仰られたとおりです」
なんだと?
五妃の説明によると……
現代でも世間の片隅には妖怪の類が潜んでいるのだという。それらを見つけ出し、時には祓い去り、時には捕縛し、時には捕縛した妖怪を使役する。それが総本家の『力』なのだという。
「御陰様で社会、世間の頂点に存在される方々には恐れられています。その力故に閨閥が維持されている。恐れられているといっても過言ではないでしょう」
そういうコトなのか。
「そして……」
古泉は訳あり顔で笑う。
「そちらの方々は『幸運の証』。座敷童女さんたち。いやはや、その様な方々を宿らせておられたとは……アナタを見くびっておりました」
なんだかな。訳が解らんうちに宿っていたんだから、オレとしては有り難みは薄いんだがな。
「しかも、昨日の朝にボクとも出会っていたとは。なんとも自分自身の不明を恥じるだけです」
そうか? 何故に恥じるんだ? あの時点で解る訳がないだろう?
「いえいえ。ボクとしては恥じなければなりません。そちらの方々が言ったとおりボクは妖使いなのですから」
ということは、オマエも身体の中に何かを宿しているのか?
「いえ。ボクは身体の中には宿していません。ボクが使役しているのは……少なくとも身体は人間ですから」
え?
「赤城さんと水城さん。彼女たちは……ボクの一族の中での言い方で「半妖」なのです」
なんですと?
古泉の説明によるとだ。
あの2人は妖怪の魂が人間の赤ん坊に宿った半妖なのだという。
「一族の話では妖怪自体があまり世に出なくなったのは科学の進歩とともに人間が不可思議なモノを恐れなくなったとも言われています。結果として妖怪達の力も弱まり赤ん坊に宿らないと身体を維持できなくなった。そういう妖が赤城さんと水城さんなのです」
2人は自分自身が半妖だとは意識していないという。
「ですが、ボクの身体に流れている一族の『妖使い』の血が2人をボクに使わせている。それが総本家でのボクの評価です」
そういえば、始祖の生まれ変わりと言われているとか言ってたな。
「そして総本家が代々血眼になって探していたのが、そちら。幸運の証である座敷童女さんです。ボクとしましても……」
五妃は笑った。影のない澄み切った笑顔で。
「アナタにボクが手助けするという状況をボクの一族は認めざるを得なくなった。と予想できるこの事態は歓迎するばかりです」
ええい。ややこしい言い方をするな。つまり……簡単に言って『悪くない状態』ってコトだろう? 違うのか?
「ええ。つまりはそういうコトです」
だそうだ。そういうことで五妃を睨むのを止めないか?
「解りました」
「宿主様がその様に仰るのでしたら」
ツインズは五妃を睨むのを止めて……腕の中へと消えていった。
『でも……ここに隠れます』
『宿っているうちはそちらの方に引き摺り出されることもありませんから』
やれやれ。随分と面倒な条件設定がついていたな。
「ボクとしましてもその方が良いですよ。下手に出ておられると一族に睨まれますから」
オマエもややこしい条件付きだな。
さて。そういえば、何故ココにオレを連れ込んだ?
「昨夜、ボクの所に来られた時に何か尋ねたいことを仰ってませんでしたか?」
えーと。そうだ。何か聞こうとしていたな。
「そろそろ、思い出されてないかと、そう思った次第です」
んー。あ、思い出した。
オマエの『機関』、現名『組織』ではオレに関して何か変な能力があるという話はあるのか? 『神を作る能力』とか。
「ああ。そのコトですか。ありますよ」
あっさりと肯定したな。
「ですが、ごく少数意見です。アナタに『神を作る能力』があり、それを佐々木さんに試し、そして涼宮さんに用いた。結果としてアナタはアナタが望むとおりに退屈ではない日々を過ごしている。……でしたか。ボクとしては……まあ、あながち悪くない仮説だとは思っていますけどね。その御陰でボクとしましても退屈では有り得ない日々を過ごしていますから。このとおり……女性にもなれましたし」
オマエが言うな。オマエもその仮説を支持しているのか?
「どうでしょう。支持しようとしまいと事実は1つ。いや、涼宮さんの能力次第では『事実』すらも複数存在するのでしょうから」
はあ。オマエと話していると蒙昧模糊の霧の中に入っていくような感覚になるよ。
「では、もう一つ。面白い仮説をご紹介しましょう」
勝手に紹介しろ。オレは支持しない。
「この世界、『2年後の世界』こそが本来の世界である。という仮説です」
何だと?
「ボクが元々は……ボクとアナタの頭の中で元の世界と感じている『2年前』の世界は涼宮さんが作り上げた『理想世界』だという仮説です。これはアナタがボクを『男』だと認識していると報告した時に組織内部に発生した仮説ですけどね。結構、筋が通ってますよ」
古泉の説明に因ると……
今日は古泉の説明ばかり聞いているな。
とにかく、ともかく。説明を聞くことにする。
涼宮ハルヒは別な高校に入学したがオレを何処かで見かけて何故か気に入り、同じ高校に行くことにした。(世界改変その1)
だが、同じ高校に入学してみると中学からの知合いである佐々木と仲が良く、入り込む隙間がなかった。そこで時間を戻して佐々木を別の高校に進学させた。(世界改変その2)
しかし、今度は転校してきた古泉五妃と仲がよくなってしまった。そこで古泉を男の「一樹」と変えた。(世界改変その3)
だがしかし。今度は上級生である朝比奈みくると仲がよくなり、それを改変(その4)。さらに上級生の鶴屋さんとも仲が……(改変その5)、さらには文芸部員の長門と……(改変その6)
……取り敢えず、誰とも仲良くならない世界に辿り着いたが、それでも自分自身(涼宮ハルヒ)とは仲良くならない。
そこで……3年前(入学時点から起算して)に時を戻し、世界をごっそりと根本から新しくした。突拍子もない事態(校庭落書き事件)を引き起こし、下地から気を引く状況を作り上げて、同じ高校に入学。最初の自己紹介ではオレの直後にエキセントリックな内容を宣言し、気を引かせることに成功。そしてSOS団を設立。オレの気が何処かへ行かないように、改変前の世界でオレが一、二番気に入っていたと思われる長門有希を『宇宙人』、朝比奈みくるを『未来人』として強制入団。さらに古泉も『超能力者』として入団させた。念のために鶴屋さんは名誉顧問としておき、これでオレが気に入った北高関係者は全てSOS団関係者として、オレがSOS団から離れられないようにした。(改変その7)
……えーと。荒唐無稽ってこういう時に使う形容詞だよな。
「確かに。ボクとしてもそう思います。ですが……」
ですが? 何か在るのか?
「ボク自身としては納得するところもあります」
何処に納得する要素があった?
「以前の世界でのボクは……ボク自身に多少なりとも『苛ついていた』のは事実です。筆致が荒かったり、ボク自身のSOS団での役割というか性格には『不自然』さを感じていましたからね。無意味にアナタにウィンクしたり、妙に接近して話をしていたり。ああ、そうそう。コレはアナタが言った言葉ですよ」
何と言った? オレは?
「あのホテルで『底なし沼の泥に沈む』時の後、アナタはボクに言った言葉です。『この世界の方がオマエは生き生きとしている』。確かに以前の世界と比較してボクは肩の荷が数段軽く感じています。こんなに複雑な背景設定だというのに」
『組織』に属し、閨閥に属し、総本家からは始祖の生まれ変わりと目されている妖使い……だったな?
確かに一筋縄ではない背景だ。
「ですが、アナタが言ったとおりボクは生き生きとしている。これは……ちょっとした異常事態。ですよ?」
もったいぶった言い方をするな。
すると、なにか? オマエはこの世界の方が良いというのか?
何処の誰かとも判らない相手と結婚……。いや、何処の誰かとかは知っているが、自分自身の気持ちとかを無視した閨閥の掟に従って結婚するのか?
自分のものではない人生、一族に縛られた人生を肯定するのか?
「見合い制度に関してはボクとしましてはなんとも。それにそっちの方はなんとかなりそうですし」
ん?
「問題はこの『2年後の世界』は随分と『手を抜いた』状況であることは間違いない。そう思いませんか? 他の人々の記憶は以前の『2年前の世界』から確認した途端にこの『2年後の世界』の記憶になる。アナタの妹さんがそうでしたね。まるで映画監督の気紛れで台本を変えられてしまい、狼狽している役者のようにも見えます。如何でしょう?」
オレの脳裏に『超監督』と書かれた腕章をつけ、メガホンを振り回すハルヒの姿が有り有りと浮かんだ。
「いい? 確かに『アナタはこういう設定なのっ!』って前に台本を渡したけど、やっぱ止めるわ。この設定は無し。以前のアナタの設定に戻って。台本を渡す前の。忘れた? 思い出しなさいっ! とにかくこの台本というか設定はもう使わないからっ!」
……有り得ん。
有り得んが、何となく納得もしてしまった。
ハルヒならば有り得なくもない。
それでもだ。
反論はしておこう。
とはいえ、どうするか……そうだ。
この世界はハルヒが創り上げた世界ではない。いや、今の説に従えば、『2年前の世界』はハルヒが作り上げた世界ではない。
「それはどうやって証明するのです?」
オレは頭の中で整理して、納得してから……命令した。
妖怪ツインズに出てきて、さっき朝比奈さん(大)にした「重なり合う2つの世界」の説明を五妃にするようにと。
「解りました」
「それでは説明致します」
妖怪ツインズの説明を神妙なる面持ちで聞いていた五妃は何度も頷いていた。
「なるほど。でしたら、先程話した事も無駄ではなかったかも知れません」
何故だ?
「そうですね……。そうだ。以前アナタが体験した2つの12月18日。アレの『その先』で説明しましょうか」
んんん? あの話に先があるのか?
「あの12月18日にアナタは3人おられました」
3人? 過去から戻って朝倉に『刺されたオレ』と、それを『1月2日から戻ってみていたオレ』と……もう1人は何処にいる?
「その時点、長門さんが世界を変えた直後の時点で『家で寝ていたアナタ』が居たはずです。居なければなりません。そのアナタは何も知らずに学校に行き、何処かでスリップして長門さんが改変した世界に行かなくてはなりません。そうしないと……」
どうなるんだ?
「パラドックスが起きてしまいますから。つまり、長門さんが『改変した世界』に行き、鍵を揃えて過去に行くアナタが居なければ、それ以後の世界が存在し得ないのです」
そうか? そうだな。『1月2日の長門』が世界を元に戻して病院で寝ていたのは『刺されたオレ』だ。『1月2日のオレ』はそのまま元の1月2日に戻った。ならば? あの時点で『家で寝ていたオレ』は改変された世界に行かなくてはならないのか。
「そこでもう一つ。問題が発生します」
なんだ? 既にややこしい。簡単に説明してくれ。
「長門さんが残したプログラムで過去に戻ったのは……アナタだけです。光陽園学院に通っていた涼宮さんとボクは何処に行ったのでしょう? 眼鏡をかけた長門さんと、アナタを知らないで怯えていた朝比奈さんも」
それらはまとめて元に戻ったんじゃないのか?
「いいえ。『1月2日』の長門さんがワクチンを打った段階でもボク達は家で寝ていました。そして階段で転んだアナタの周りで慌てなくてはなりません。つまりあの時点でアナタ以外のボク達は1人しかいないのです」
つまり? 何が言いたい。
「その時点で『家で寝ていたアナタ』だけが『改変された世界』に行かなくてはなりません。そして『改変された世界』に存在すべき他の人間はその時点では居ないのです。何処にも」
つまり……改変された世界は全て創り出された?
「もしくは『改変された世界』とは『アナタが元から存在しなかった世界』。そしてその世界の長門さんが余分なアナタを引き取って、アナタが元の世界と勘違いするほどに周囲の記憶を造り替えた。周囲の人間全てに『アナタが存在する』という記憶を植え付けた。その様に解釈することもできます。しかしコレはかなり強引です。もっと簡単な方法がありますからね」
えーと。つまり何が言いたい?
「つまり『改変された世界』とは平行世界。元からパラレルワールドだった可能性があります」
なに?
「そして『その世界のアナタ』と、『12月18日の時点で家で寝ていたアナタ』が重なった。今のこの『2年後の世界』のボク達、朝比奈さんや、未来の朝比奈さんのように」
じゃ、『その世界のオレ』はどうなったんだ?
「たぶん……こうなっていたのでは?」
以下は古泉五妃の推測である。(注:オレ視点での記述である)
長門が残したプログラムを実行すべくENTERキーを押した。
直後っ! 眩暈が…… (ここで平行世界に飛び、重なっていたオレは過去へと飛ばされる)
あれ? なんだ? 元の部室じゃないか。(平行世界のオレの意識が元に戻った)
「ジョン。何がどうしたの?」
光陽園学院に通っているハルヒが尋ねた。この世界ではオレはハルヒに「ジョン」と呼ばれている。
「説明して貰えませんか?」
同じく、光陽園学院に通っている古泉一樹も尋ねてきた。
横で眼鏡をかけた長門がおどおどとオレを見ている。
ハルヒの横でさっきまで怯えていた朝比奈さんがキョトンとした眼差しでオレを見ている。
はははは。何だったんでしょうね?
それから……
オレ達は歩く爆弾娘、涼宮ハルヒに振り回される日々が始まった。
まあいい。何はともあれ、元の……退屈ではない日々が始まっただけなのさ。
(推測終わり)
……有り得ん。
「そうですか? 極めて自然な帰着だと考えますが」
それだとSOS団は平行世界の数だけ存在しなければならん。
「そうですね。そしてこうも考えられます」
もったいぶらずに先を言え。
「涼宮さんは『アナタに見いだされてSOS団を作る世界を望み、創り出した。それを長門さんが利用しただけ』だとも」
ちょっと待て。その世界を涼宮が創り出したんなら、どの時点で創ったんだ?
「さあ? その世界を創るのは……」
創るのは? 『創ったのは』じゃないのか?
「ええ。涼宮さんは『これから創る』のかも知れませんから」
そんなバカな。それだと時間軸がいくつ要るのか解らんぞ。
「お忘れですか? 涼宮さんは「みんなで宿題を仕上げる」という為だけに夏休み最後の2週間を1万5498回も繰り返したのを」
忘れもしない。お陰でデジャブというものの危うさが身に染みついた。
「あ……」
なんだ? 何を思いついた? 言っとくが背筋が寒くなるような話だったら言うな。
「いえ。あの時、朝比奈さんは未来との通信ができなくなっていました」
ああ。そうだな。それがどうした?
「ということは……あの『3年前』、つまり元の世界での4年前から過去に遡れないのも……やはり、涼宮さんが作った世界だからなのかも知れません」
なんだ? 何が言いたい?
「ボク達が『元の世界』と感じているのはやはり涼宮さんが創り出した『平行世界』の1つなのかも知れないと言うことですよ」
バカな……
オレはその後の言葉を見つけ出せなかった。
それでも……何かを言い出そうと見渡して、両腕にしがみついている妖怪ツインズと視線が合った。
そうだ。
それでも、この『重なり合う2つの世界』を何とかしないと。
このままではこの『2年後の世界』も『2年前の世界』も崩壊してしまう。
どっちが『元の世界』でどっちが『ハルヒか誰かが創った平行世界』なのかは、分離した後でゆっくり考えればいい。
違うかっ?
「そうですね。全身全霊を上げて賛成します」
ふう。だったらややこしいことを言うな。
「すみません。ですが、ボクとしましてもすっきりしました」
そうか?
「ええ。先程の2つの仮説、『元の世界は涼宮さんが新しく創った世界』と『アナタには「神を創り出す」能力がある』という説は……『組織』内の最重要機密事項でしたから」
なに? そんなコトをオレに教えたのか?
「ええ。今のボクにとっては『組織』も一族もアナタとの関係の前には芥子粒の1つにしか過ぎません。お疑いでしたら他の機密事項もお教え致しますよ。何が確認したいコトとかはありませんか? 現名『組織』、旧名『機関』がらみで」
えーとだ。聞きたいことは山とあるような気がしているが、聞かない方が良さそうな気も山々と感じている。
今は聞かん。後で聞くかも知れんが、今は聞かない。
「そうですか。それは残念です。尋ねられる時を楽しみにお待ちしてますよ」
本当に残念そうに古泉五妃は笑った。
そしてその五妃を妖怪ツインズが不思議そうに見ていた。
部屋を出て下に降り、古泉の車に乗り込んだ。
どういう訳か車には佐々木が居て、オレ達の帰りを待っていた。
「ああ。僕まで上に行くと混迷さが深まるだけのような気がしたものでね。ここで待たせて貰っていたのさ。実際……」
佐々木は目を細めてから言葉を続けた。
「……随分と困惑な状態と話に頭が混乱しているようだからね。遠慮したのは正解だと実感している次第だ」
佐々木よ。オマエの考えは当たっているさ。オレには一寸先が闇な世界がオマエにかかれば簡単な一本道なんだろうな。
「それほどでもない。だが、傍目八目という言葉は知っているね? 僕はそういう位置にいるからね」
そうかい。それではまた相談させてくれ。後でな。
「いつでも。僕としては君と議論するのは楽しい。どんな内容でもね」
ありがとよ。
そうそう。帰り間際に朝比奈さん(小)が見送りに出てきて「キョンくん。ありがとう。私以外の未来から来た御厨雛さんを見つけてくれて」と感謝してくれた。
御厨雛というのはオレが咄嗟につけた朝比奈さん(大)のこの世界での名前だ。
でだ、どういう風に説得したのかは知らないが、朝比奈さん(小)と朝比奈さん(大)は仲が良くなっており、ついでにオレと鶴屋さんがキスしていたのもなかったことにしてくれたんだか、気にしないようにしてくれたんだか。
とにかく、朝比奈さん(小)は気にしてはおられないようだった。
ふう。心の重荷の1つが下りた気分だ。
だが?
やはり車内で古泉五妃と佐々木に挟まれて移動している状況は天国なのだか地獄なのだかが判らない。
昨日と違い、五妃も佐々木も絡んでは来ない。
ただ、オレを挟んで肩が触れあう距離でオレの方を見て微笑んでいるだけ。
そして前席の赤城さんと水城さんに冷たく睨まれている。
ああ。妖怪ツインズは腕の中だ。
静かな時間。そしてオレにとってはどうしたらいいのかが解らない時間が過ぎ……オレの家に着いた。
車を降りる時も五妃と佐々木は意味深に微笑むだけで何も言っては来なかった。
正直に言おう。
美少女達に囲まれて一切の会話がないというのは……心底不気味だと。
家の玄関を1人で開ける。
こんなごく普通のことがこんなに心休まるコトだったとは思いもしなかった。
しかしだ。
この世界を司る神がいたとしたら……随分と忙しないシーンをオレに用意してくれたものだと思う。
玄関に入ったオレを出迎えたのは誰あろう。
妹の親友である美少女、吉村美代子。通称ミヨキチだった。
ミヨキチは「お帰りなさい」とオレの鞄を受け取ると……微笑んでそのままオレの部屋までついてきた。
えーと。何だこの状況は?
オレとミヨキチを台所付近で見送った我が妹は意味もなくにやにやと笑っており、そして夕飯の支度をしていた我が母親もちらりと意味深に笑っていた。
どういうことだ?
ミヨキチはオレの鞄を机の横に置き、ベッドに腰掛けたオレの前に……正座した。
えーとだ。何か用事があるのかな?
「あの……お願いがあるんですが」
はい。なんでしょう?
「5年待って貰えるのは約束して頂いたのですが……」
5年? えーと。ああ。昨日の夜。玄関先で約束したな。それで?
「いえ。あの、その……」
ミヨキチは頬を赤らめて視線を泳がせている。
なんだ? 何が起ころうとしている?
「キス……して頂けないでしょうか?」
言葉をやっとの思いで形にしたという感じで、ミヨキチは真っ赤になって俯いてしまった。
えーと。キス? それが5年待つというのとどういう関係が?
解らん。この世には解らんことがありふれていすぎる。
とはいえ……どうすればいい?
キスだよな。キスすれば良いんだよな。だが相手は妹の親友であり……あ。
そうか。あの妹のにやにや笑いはコレか。
と同時にもう一つ思い出した。
「宿主様が触れた相手は全て性的な興奮を得る」
妖怪ツインズの言葉。
つまり? つまりミヨキチに不用意に触れた途端、ミヨキチは……
いかん。いかん。いかんっ! そういう事態は避けねばなるまいっ!
オレの葛藤をどう取ったのか、ミヨキチは目を閉じて上、つまりベッドに腰掛けるオレを向かって顔を上げている。
無垢な唇が、化粧をしていないにもかかわらず艶やかな唇が、一切の穢れとはいまだ無縁な純粋な輝きの唇がっ! オレの行動を待っているっ!
あー。どうする? どうするオレっ!
しかだ。オレが行動を起こさねば何かが納まる訳もなく、仕方なしに行動した。
ミヨキチの頭を両手で包んで……キスをした。
ただし、ただしだっ! キスをしたのは無垢なる唇ではなく、綺麗な額に。
そして慌てて手を引く。
何も影響を及ぼしてないよな? 何もするなよ。妖怪ツインズ。と願いながら。
天からの光にこの身の全ての罪を指摘され、光の槍に突き刺されているような罪悪感に襲われているオレをミヨキチが瞳をゆっくりと開けて見た。
その瞳に涙が、真珠のような涙が浮かんでいるっ!
贖罪を願う罪人のような気分に沈んでいたオレをミヨキチの言葉が濯いだ。
「ありがとうございます」
ふーっ。いや、いい。今はコレが精一杯だ。
動揺している心を無理矢理落ち着かせてミヨキチを見つめる。
変な気分になんか……なってないよな? 衝動を引き起こしたりはしていないよな?
「なんか……頭を包まれた時」
包まれた時? どうなった?
「頭の中で光が輝きました」
はい?
「実感しました」
ミヨキチは光が弾けるように笑った。
「それが私の運命なんだと」
は? はい? どんな運命なんでしょうか?
いかん。妹の同級生相手に何故に慌てている? オレは。
「自信がつきました。5年後を楽しみにお待ちします」
あ、はい。そうですね。いや、そうでしたか。オレとしましてもそうして頂けると……
まだ事態の全てを飲み込めていないオレを残してミヨキチは階下へと戻っていった。
暫くしてからオレは大きく息を吐いた。
なんか疲れる。キスしかしてないのに思いっきり疲れた。
もう一度深呼吸してから腕の中のツインズに確認した。
なにも妙な衝動を引き起こさせたりはしなかっただろうな?
『してません』
『というよりも、私達の力は無効化されました』
なんだ? どうしてそうなった?
『ただ1つ言えるのは』
言えるのは?
『既にあの方、吉村美代子様は宿主様の全てを受け入れてられます』
はい?
『そして「天女の資質」の方』
てんにょのししつ?
『はい。稀におられるのです』
『私達と同じような力、能力を生まれながらに持っておられる方が』
あー。赤城さんとか水城さんのように半妖みたいなものか?
『そうですね。その様な感じです』
『ですが宿られているのは……言うなれば「無垢」なる魂』
確かに純真無垢だ。それは認める。
『西洋ならば「天使」とか「精霊」と呼ばれる存在』
『文字どおりの「妖精」として生まれた方です』
はー。なんかそういう設定は疲れるんだが。訳のワカラン設定はハルヒだけで充分だ。
『そうですね。吉村美代子様は涼宮ハルヒ様に匹敵する資質をお持ちです』
『そして先程、同席された佐々木様とも同じ』
はい? つまり?
『宿主様の周囲には「天女」様が3人おられる。ということです』
『つまり「喧騒なる天女」、「静寂なる天女」、そして「聖清なる天女」のお三方が』
えーと。もういい。コレ以上聞くと別の世界に飛んでいきそうだ。
それから暫くして……
妹が「夕食だよー」と呼びに来て、オレと妹とミヨキチと母親の4人で食卓を囲んだ。
母親の「何年かしたらこういう風景が普通になるのかもね」とか言っていたが、オレは黙って胃の中に夕食を詰めこむだけであった。
ミヨキチは赤くなり、妹はにやにやと笑っていたが。
その後は、昨日できなかった妹とミヨキチの定例家庭教師を務め、ミヨキチを夜道の途中まで送ってから、家に帰り、風呂に入って寝た。
今朝はミイラとまで言われたオレの体調はハルヒの押しつけがましい看護によって復活したとはいえ、その後の出来事は疲労を蓄積するには充分で、そらにミヨキチの一件が精神的疲労を顕在化させるには充分すぎた。
……単にオレが穢れていたが故の精神的疲労なのかも知れないが。
ベッドに横になったオレはそのままぐっすりと……
とは行かなかった。再び桃色の闇に包まれてしまった。
また今夜も跳ばされるのか。
『騒乱の火曜日 夜編』へ続く