「ち、ちょっと、キョンっ! どうしちゃったのよっ!」

 その怒鳴り声はハルヒか?

 悪いが静かにしてくれ。生徒用玄関で騒ぐな。

 既に視界は霞んでいる。というか、目蓋を開ける体力すらない。

 体力ゲージが0コンマ数桁下に1があるかどうかなんだ。

「何いってんのよっ! あ、そこの谷口と国木田君っ! キョンの具合が大変だから代返しといてっ! 担任には医務室で寝てるって言っといてっ! 古泉君っ! 悪いけどワタシかキョンと同じ講義があったらノート取っといてねっ! あと有希とか涼子にもノートと代返頼んどいてっ!」

 音量から察するにハルヒのがなり声が校内の隅々まで届いていると思われる。

 代返は無と帰すだろう。

「何言ってんのよっ! 大丈夫。傷は浅いわ。絶対に帰ってみせるわよっ!」

 何処にだ? 家に帰るのか?

「元の姿によっ!」

 ドタドタという足音だけが脳内に響く。

「さあ。着いたわ」

 ここはドコだ?

「ワタシ達の聖地。部室よっ! さあ、ちょっとココに座ってて」

 何かにオレの身体を預けてハルヒは何処かに消えた。

 と思ったら直ぐに帰ってきたらしい。足音と何かを引き摺る音が……

 バタンバタンと何かが床に倒れた音の後でオレの身体は宙に舞った。

 なんだ?

 スプリングマットの上に投げられたと気づいたのは背中から着地して、数度バウンドしてからだ。

 ふわりとかかったのはタオルケットか毛布か何かだろう。

 ハルヒ。もう少し、丁寧に扱ってくれ。いまのオレの身体は割れ物注意という張り紙が必要なレベルだ。

「それだけ言えるなら、少しは安心ね。待ってて。何か元気が出るモノを作るからっ!」

 ふわりとタオルケットか毛布をもう一枚、オレの身体の上にかけてから、再びドタドタという足音をドップラー効果そのままにフェードアウトして辺りは静かになった。

 

 何処か遠くで何かの講義の声が微かに聞こえる。

 小鳥の囀りも聞こえてきた。

 ああ。この世とやらはこんなにも静かだったんだな。

 このまま心安らかに終わりを迎えるのも……

 

 ……などと、三途の川の渡り方と天国と地獄の門番への質問と回答例を思い描き、復習していた時、ドタドタという足音が接近時のドップラー効果と共にクレッシェンドしてきた。

「さあ、買ってきたわよっ! ちょっと待っててねっ!」

 オレの反応の有無など無視してハルヒの行動音は隣の部屋へと消えた。

 何をしている?

 その疑問は直ぐに消えた。

 包丁がまな板を叩く音。何かを煮ている鍋の音。何かを炒めている音。

 ああ。なんか料理しているんだな。

 まあ、コレまでの経験からしてハルヒの料理がまずかったことはない。

 料理自体は怪しい無国籍料理っぽいのが多いが、味に関しては信頼できる。

 鼻腔をくすぐる、よい匂いが漂ってきた。

 ああ。こんな感じで毎朝を迎えたいモノだ。

 目を開けたらいるのはハルヒではなくて朝比奈さんなら天国だと積極的に勘違いしたい。

 いや、今居るのはハルヒだけだと認識はしている。

 いいじゃないか妄想するぐらい。

 

「じゃーん。できたわよっ! さあ、キョン食べなさいっ!」

 食べなさいって言ってもだな。オレは起き上がる体力はない。目蓋を開けるのもおっくうなんだ。

「仕方ないわね。食べさせてあげるから。団長を使うなんて罰金モノよ。後で覚悟しておきなさいっ」

 ああ。解ったよ。ん? 何だコレ? 旨いな。

「特製海鮮炒飯よ。たっぷり5人前ぐらいは作ったから。あと、コレが煮豚。生姜醤油味で仕上げてあるわ。そしてコレがニラ野菜炒め。ついでにコンソメで炊いた鶏そぼろと味噌スープ」

 ん? 最後のは味噌汁なのか? 洋風スープなのか?

「何でも良いから食べなさいっ! 熱い? ゆっくり噛み締めるように食べてね。そうそう。一口ずつ」

 頭の下にあるのはたぶんハルヒの膝枕だろう。

 だらしなく開けた口に一口大の料理とか、スプーン一杯分のスープとかが淀みなく放り込まれてくる。

 不思議なことにむせることなくオレの喉は全てを胃の腑へと送り込む。

 胃の方も軽く許容量をオーバーしているはずなのだが、受け入れている。

 

 何故か?

 そんなの決まっている。ハルヒの力だ。またこんな無意味なことに能力を発揮してやがるな。ハルヒのヤツは。

 だが……

 まあ、こんな方向の能力ならば誰にも迷惑はかからないだろう。

 問題はオレの体調と内臓だけだ。

 プラスアルファで体重ぐらいだな。

 

「食べた? 満足?」

 満足だ。体力回復まではまだ時間がかかるだろうがな。

「キョン? 昨日のパーティの後、何してたの? こんなに体力を消耗するようなこと?」

 あー。それはだな。オマエと佐々木の能力の御陰でアチコチと……なんて言える訳がない。

 別に何もしてないさ。

「うそ。あの鍋を食べてこんなになっているのはアナタだけよ。きっと」

 当て推量でものをいうな。多分当たっているだろうが。

 そうだな。きっと美女というか美少女達に囲まれて身体が嬉しすぎて拒絶反応でもしたんだろう?

 鍋も旨かったしさ。

「そうよね。ま、昨日はいろいろと忙しかったのは確かよね」

 そうだ。それだけさ。

「ん。ま、とにかくもう少し寝てなさい。ワタシが傍にいてあげるから」

 ありがとよ。

 

 そしてそのままオレは眠りについた。

 

 

 不意に……脳裏に声が響いた。

(何をしておられますか?)

(涼宮ハルヒの膝枕で寝ている。熟睡)

(あーあ。入るに入れない雰囲気なのよね)

(そうなのかい。ま、お邪魔なんだにょろね)

(ですよね。でも顔色を窺いたいですよね。心配ですよね)

 ん? 部室にはいないようだが……どこだ?

 

 後で谷口などに聞いた話だが……

 部室前の廊下で鶴屋さん、朝比奈さん、長門、朝倉、古泉が物憂げな表情で空を見上げていたらしい。

 なんでも写メに撮った写真が「メランコリック・シスターズ」として出回り、高価で取引されたとかされなかったとか。

 谷口の噂だから信用はいまひとつだが。

 

「おや? 皆さん、何をしておられるのかな?」

 その声は……佐々木か?

「佐々木さん。どうしてココに?」

「古泉君。ごきげんよう。なに、大学の講義が本格的に始まっていないモノでね。昨日の今日で忙しなくて申し訳ないところなのだが、部室にも随分とお邪魔していないなと思ってね。こうして参上した次第だ。それで皆さんは何を?」

「ん? そだね。メランコリック・ラバーズってな気分を味わってみていたところさっ!」

「ふふふ。鶴屋さんなら『ラバーズ』ではなくて、せめて『ウィドー』では無いのかな? それでキョンは中にいるのかい?」

 

 まだオレの目蓋は開いていない。

 しかし、視覚野には映像が飛び込んでくる。部室の外の映像が。

 ひょっとしてコレは……佐々木の視覚か?

 

 目の前のドアがガチャリと開く。2枚重ねのスプリングマットに横たわっているのは間抜け顔のオレ。そしてオレを膝枕してこっくりと船を漕いでいるハルヒ。

「ごきげんよう。涼宮さん。キョンがどうかしたのかい?」

「んが。……あ、佐々木さん。どうしたの? その格好」

「ふふふ。この格好ならば怪しまれずに構内に入れると思ってね。ここは色んな学校の制服が入り乱れているだろう? これは僕の高校時代の制服だよ。ついこの間まで着ていたのだが、たった数週間でコスプレしている気分に浸ってしまうのは何故だろうね」

 ハルヒはオレには見せないような清々しい笑顔でコッチ(佐々木)を見ている。

「似合ってるわよ。そうね。校内美少女コンテストならベスト5には入れるわ。ワタシが保証する」

「ベスト5ならばココにいるメンバーだけで独占できるだろうね。そして僕は選に漏れるだろう。別に謙遜している訳ではないよ。今ココにいる7人の中にいるだけで充分なのさ。僕はね。それで……」

 佐々木の視界にオレの顔がアップになる。

 なんとか妹に『ミイラ』と呼ばれていた状況は脱しているようだ。

「キョンはどうかしたのかい?」

「ああ。キョン? 今朝会ったら、ひどい顔色だったのよ。慌ててココで寝かせて、料理作って食べさせた訳。何とか復活してきたようね」

「そうだったのかい。しかしだ……ふふふ。団長ともなるといろいろ大変だね」

「そうね。団員の体調管理も所掌業務だったなんて初めて知ったわ。団長をこき使った罰は後でゆっくり考えるコトにするけどね。あら、みんなどうしたの?」

 皆が部室に入ってくる。

「わあ、疲れている様子ですけど、そんなには顔色悪くないですよね?」

 ははは。朝比奈さん。そんなに心配なさらなくても良いですよ。

「みくるは心配性だねっ! んー。そだね、ハルにゃんの看護が効いたのかな?」

 そういうコトにしておきますか。鶴屋さん。

「……体力低下はまだ見られるが、心配するほどのレベルには達していない」

 オマエは冷静だな。長門。

「ですよね。古泉君がミイラみたいだったって言うから、心配してしまったじゃないですか」

 あー。オマエには心配というのが似合わないぞ。朝倉。

「今朝はまるでミイラみたいでしたよ。冗談抜きで。それで涼宮さんが頑張られたのですから。ここまで復活されたのは全て涼宮さんの看護の賜物でしょう」

 んー。まとめ役は古泉、オマエに任せる。

「まだ、寝てるのね。かわいい。まるで赤ちゃんみたい」

 はははは。朝比奈さん。アナタにそういわれるような顔ではありませんよ。オレは。

 あー。佐々木。オマエまでオレの顔を覗き込むな。自分の顔のどアップは遠慮したい。

 

 声に出せないのがつらい。

 しかし、佐々木の視界に因ればオレは熟睡中だ。なんでココまで意識が?

(涼宮ハルヒによる情報固定と思われる)

 その声、じゃないテレパシー通信は長門か。どういう意味だ?

(涼宮ハルヒはまだアナタが熟睡している。いや、熟睡すべきだと考えている。従ってアナタの身体の『情報』は『熟睡』モードに固定されている。涼宮ハルヒが許可、あるいは解除しない限り、このまま)

 それは……ちょっと困るのだが……

(しかし……不可解)

 なにが?

(昨夜の……いや正確には夜明け前の状況からアナタの疲労度は推測できる。だが、古泉五妃から聞いた今朝のアナタの状況は……不自然。推測と状況が合致しない。最後に転送されだのは誰の所?)

 そうか? そういえば……オレの部屋に辿り着いた時に何か在ったような無かったような……

(なに?)

 いや、誰か2人。オレの部屋にいたような気がする。

(誰? 妹さん? 妹さんの知合いと推定するミヨキチこと吉村美代子さん? その2人?)

 脳裏に2人の顔姿が浮かぶ。

(まさか? 妹さんと?)

 いやっ! 断じてないっ! それはないっ! いくら何でもそんなにオレは無節操ではないっ!

 それにだ。そうだったら妹があれだけ驚くことはない。

 それに夜明け間際にミヨキチがオレの部屋にいることも有り得ないっ!

 間違いなく別人だ。

(そう。ならば『要調査確認事項』として記録しておく)

 そうか? そうだな。オレの命に関わりそうだ。

 切っ掛けを見つけたら調査、確認してくれ。

(了解)

 

「しかし、この料理は……大量に作られたのだね」

「ははは。ちょっと頑張って作っちゃった。勘張りすぎて余っちゃったわ」

 佐々木に問われてハルヒは少しだけ恥じらっているようだ。

 ……その顔はオレには絶対見せない顔だなと、何気に思う。

「では、ちょっと味見を……んん。美味しい。涼宮さんをお嫁さんに迎える男性は幸せ者だね。きっと世界一の幸せ者だ」

 あまり誉めるな。佐々木。ハルヒが図に乗ったらどーする。

「ははは。誉めないでよ。誉めても何も出ないわよ。それに佐々木さんの相手だって幸せだと思うわよ」

「僕はどうかな? 既に知っておられると思うが僕は生来から欲望というモノが希薄な質でね。高校時代のクラスメート達にも『佐々木さんは愛人タイプね』と言われている始末だ」

「なによ。それ。失礼なクラスメートね」

「怒ってくれてありがとう。でも僕自身が納得している所でも在る。僕は欲望、特に独占欲というのが希薄でね。愛しい人に恋人とか奥さんとかがいても構わないと思ってしまう。ただ……悲しいと思うのは奥さんとか本命さんが愛しい人を独占しようとして僕に会うのを止めさせてしまう可能性だけだね。その時には……僕の気性としては諦めてしまうのだろうと思う」

「ダメよ。そんなの。いい? 佐々木さん。愛とは奪うモノなの。奪い取るモノなのよ。奪い取れなくても時々会うぐらいは認めさせないと。ワンサイドゲームが無理ならシーソーゲームにするのが恋愛のフェアプレーっていうモノなのよ」

 ハルヒ。オマエの論理には一貫性がない。というか破綻している。

「じゃ、その時は協力をお願いしたい。奪い取るのはボクの性に合わないから、時々会えるように交渉するときには涼宮さんに協力をお願いしても良いかな?」

「任せなさい。佐々木さんはSOS団の重要な団員なんだから、団長であるワタシが掛け合って、本妻さんだか本命さんだかに月に1度、いえ、週に1度以上の逢瀬の機会を認めさせてあげるわっ!」

 自信満々な顔だ。確かにオマエが弁護人になったら現行犯でも無罪になってしまうかもな。

「皆さんはどうだい? 恋愛については涼宮さんが弁護人としては最適のようだ。いや、団長として団員の恋愛まで面倒を見てくれるというのは実に得難い存在だと思う。如何だろう?」

 そんなに誉め上げるな。佐々木。ハルヒの伸びた鼻が成層圏を突き破るぞ。

「そだね。んじゃ、アタシも頼もうかな? 良いかな。ハルにゃん」

「任せてよ。鶴屋さん」

 あーあ。自信満々な笑みだ。鶴屋さん、アナタまでハルヒを乗せなくても良いじゃないですか。

「ほら。みくるも頼んどきな。有希っこも。涼子っちも。古泉君も。みんな、あたしより恋愛ベタな気がするっさ。良いよね? ハルにゃん」

 鶴屋さんの手引きされたような口調に、何故か全員口々にハルヒにお願いしている。

 あー。コイツはきっとSOS団のチラシに「恋愛相談受け付けます」とか書き込みかねないな。後で注意せねばなるまい。

 ん? そのハルヒは何故か、鳩が豆鉄砲、パンダが笹で叩かれた、猫が削り節の海で溺れかけたような顔をしている。

 さらには「あれ? なんか変ね? なーんか、言い間違ったというか早まったような……そんな気が? あれ?」と小さく呟いている。

 そしてだ。鶴屋さん以下、ほぼ全員が意味深な笑いを浮かべている。

 長門はほぼ無表情なので除外……いや。長門もなんか笑いを堪えているような無表情だ。

 何が起こった?

 わからん。

 女どもの恋愛話は理解不能だ。

 

 その後は……

 佐々木以下全員がハルヒが造り散らかした料理の残りを平らげ、台所も片付けた後で……

 何故か、どういう訳か、全員でオレの寝顔を見ている。

 佐々木が一歩引いた位置で全員を見ているので……その視覚を送られているオレとしては……目蓋を開けたくない心情である。

 ハルヒが『熟睡』モードにオレを固定しているのは、今となっては有り難いコトに思えてきた。

 

 そのハルヒが突然っ!

「あ、いけないっ! 次の講義、ワタシが発表しなきゃならないんだったっ!」

 いつもの素っ頓狂な声を張り上げた。

「ああっ! ゴメン。みくるちゃん代わって。そうね、あと1時間ぐらいは目を醒まさないと思うから。それに喉が渇いているようだったら何か呑ませて。そうね。みくるちゃんの母乳でも良いわよ。じゃ、ゴメンみんな、キョンを頼むわっ!」

 ドタバタと足音がフェードアウトしていく。

 こうして、オレの枕はハルヒの膝から朝比奈さんの膝へとバトンタッチされた。

 ありがとう。ハルヒ。

 この恩は一生忘れん。

 いや、それだと高利貸し並みに利子が付きすぎる気がする。

 覚えておくのは……来月ぐらいまでにしよう。

 

 

 とは言え……

 何故か全員、意味深な笑顔である。何が起こるのか?

「みくるっ。キョンくんに母乳を飲ませないとキョンくんの目が開かないかもにょろ?」

「えっ?」

「そうですね。涼宮さんが言ってしまった以上、実行しないと……このままである可能性は高いはずです。そうですよね? 長門さん」

「ええっ?」

「そう。涼宮ハルヒが条件付けをした」

「えええっ!」

「あーあ。あたしにはノート取ることしか命じてくれないのが悲しいわ」

「いえ、私もそっちの方が……」

「実行するならば早い方が良いかもしれないよ。朝比奈さん。僕が予想するに戸惑っていたら涼宮さんが戻ってきて違う条件に変更するかも知れない」

「違う条件って……?」

 全員が意味深な笑みで答えを返した。

「さあ? アレか、それともあんなコトか……」

 朝比奈さんの顔が青ざめていく。そして「ふひー」と諦めの溜息1つして、意を決しられたようで制服を脱ぎ始めた。

 

 そして……

 オレの唇に柔らかく、そこはかとなく硬く、そして程よい弾力の……胸の突起が……

「あ、呑んでくれてる。嬉しい」

「ふふふ。可愛いもんだにょろ」

「まるで赤ちゃんですね。そう思いませんか? 長門さん」

「……微笑ましい」

「あー。あたしも母乳、出ないかな。嫉妬しちゃうわ」

「うん。やはり朝比奈さんだと絵になるね。僕としては羨ましいほどだ」

 皆勝手な感想を言っている。

 しかしだ。

 オレの唇は朝比奈さんの乳首にフィットし、なおかつ喉は飲み乾すために存在しているかのように、聖なるミルクを胃の腑へと……

 なんだ? この非日常は?

 どうしてこうなったんだ?

 朝比奈さん。アナタはどうされてしまわれたんですか。衆目の中、オレに母乳を飲ませるなんて。

 それに……

 昨日の例に従えば、朝比奈さんは母乳を出すと身体の中からフェロモンが……

 ……ん?

 あれ?

 そういう気配が一向に出てこない。

 佐々木の視界によると朝比奈さんの横顔に浮かんでいるのはフェロモンの類ではなく……母性本能?

 そして他の皆の顔にも同じような感情が浮かんでいる。

 朝倉までも神妙な顔をしている。

 その表情を一言で表せば……和んでいる?

 

 えーと。

 平和だと意味もなく思う。

 

 そうだ。平和だ。それで良いじゃないか。

 昨夜とか夜中とかのことは一種の気迷いごとだ。

 こういう時間の方が普通なんだ。

 

 

 断言してから思う。

 普通ではない。

 一介の男子生徒が上級生から授乳されて、なおかつ同級生とか、しかも全員女子生徒に見られて和まれている。なんてことが全世界で普通にあったら来訪した宇宙人が『この星では変な宗教が流行っている。銀河連邦への参加は100年ほど見合わせよう』なんて事にもなりかねない。

 なったとしても誰も困らんが。

 

 

 とにかく居心地がむず痒い。

 早く終って欲しい。

 

 そしてその時は……きっちり1時間後に訪れた。

 朝比奈さんの母乳をオレが飲み乾した後。

 ぽんぽんとお腹というか胸というかとにかく胴体を程よい強さで叩かれ、朝比奈さんが子守歌らしき調べを口ずさんで、皆をメルヘンチックな世界へと誘っていたその時っ!

 

 ドタドタという足音と共に1つの禁則が崩壊してしまったのであるっ!

 

「みんなっ! 喜んでっ! 森園生さんの代わりの顧問を見つけたわっ!」

 ハルヒの万力のような握力にがっちりと手首を保持されて強制的に任意同行されてきたのは……誰あろう。

 

 朝比奈さん(大)であった。

 そしてこの時代の朝比奈さんが目を見開いて注視している。

 

 なんてコトだ。

 全世界、全ての時間トリップモノの小説とか映画の設定を揺るがす出来事がSOS団全員の目の前で起こったのである。

 

 本人同士の遭遇。

 

 ハルヒ。

 なんてコトを引き起こしやがったんだ。

 

 

『騒乱の火曜日 午後編』へ続く

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