次の日。
まだ全国的に休日であるコトをいいことにしてオレは自室のベッドでゴロゴロとネコと共に朝の一時を過ごしていた。
……だが。
脳裏には昨日の出来事が鮮明に浮かび上がり、睡魔を呼び寄せてはくれない。
実際、アレは事実だったのか、それともオレの妄想だったのか。つまりは夢の中の出来事ではなかったのかと……確認したい衝動に駆られるが、今更ハルヒに電話したところで「はぁ? 何言ってんの?」という反応が返ってくるのは明白であったし、朝比奈さんに電話するのは……非常に恥ずかしい。朝比奈さんにとっても答えづらいことだろう。優に数十分はお互いに無言で過ごすであろうコトは想像に難くない。オレとしてもそんな時間は過ごしたくはないし、第一に通話料金の無駄遣いであり、急を要するであろう誰かと誰かの通話を無言の会話で通信帯域を浪費するのは通信システム上に於いて小さな妨害活動とも取られかねない。つまりは世間に対する小さな犯罪のような気もしなくはない。
確認するのであれば相手はハルヒにするというのが妥当なる帰着であろう。
しかしだ。
事実であったのであれば「何を確認しているの? 厚かましい」と言われるのが明々白々であるし、もし妄想であったのであれば「ははぁん。そんな変態だったのね? 今後の付合いは考えるわ」という反応により以後数年間は墓穴に入って世間から途絶された生活を送らなければならないであろうコトも想像に難くない。
ということで、携帯を前に「It's to be? or not to be?」と英語だったか歴史だったかで覚えさせられた単語の羅列を脳裏でリフレインさせていた頃……不意に携帯が鳴った。
吃驚して飛び起き、慌てて携帯をみると……長門からのメールだった。
「なんだ。長門か……なんだぁ?」
メールの文面はこうである。
『公園にて待つ』
……時間指定のない内容に暫し戸惑う。
というか、文章は主語と述語と形容詞と修飾詞で成り立っているという国語の授業の内容をメールの送信主に説明したい衝動をこらえて、文面の意味と長門の行動を推測する。「まさか?」
世間的にはベッドから起き出すには遅い時間であっても、人と会うには早すぎる時間帯である。
そしてもしやとは思うが、既に相手は公園にいるのではないかという疑惑が湧き上がる。 まだ、肌寒いこの時期。
寒いからといって暖を取ることもしないであろう人物が相手であるという事実に……オレは慌てて飛び起き、ささっと洗顔、歯磨きを終えて……台所にテーブルの上にあったオレ用の朝食を無視して……トースト用の食パンを一切れだけはちゃっかりと口に咥えて飛び出した。
パンを食べながら自転車のペダルを踏みつけて思う。
これで、後から「……○○時に」なんてメールが来たら笑ってやる……と。
やはりというかなんというか、取り敢えずは笑わずに済んだらしい。
済んだのだが……オレは自転車を押しながら立ち止まっていた。
いや、戸惑っていた。
長門の服装は見慣れた制服ではなく……なんというか婦人用コートを着ていた。襟元と袖口と裾の辺りにフェイクファーが飾られている……ちょっとアダルトティックなコート。もちろん婦人用コートの下は制服であることも予想はできるのだが、襟元の雰囲気が「下は制服ではありません」と物語っているようで……兎に角、いつもと違う雰囲気の長門が公園のベンチの前で佇んでいた。
「……長門。ここでいつから待っていた?」
第一声が呼び出した内容を問うモノではなかったのは……誰が責められよう。
何故ならば……いつもの長門ならば両手は重力に従い下に伸びているはずなのに、右手は襟元が必要以上に開くのを抑えているようであり、左手は腰のあたりでコートを締め付けており……一言で形容するのであれば「寒そう」と物語る体勢であったのだから。
だが長門からの返事はいつもの如く無言であり、オレは自分の考えを音声にして長門の反応を期待することにした。
「……ひょっとして、ここでメールを打ったのか?」
無表情な顔が数ミリ、上下に動く。肯定と。
「なんでまた? 部屋で待っていればいいのに。……ここで待ちたかったのか?」
肯定。
「その格好と……なんか関連があるのか?」
肯定。
「用事というのは……ここでは駄目なのか?」
肯定。
「じゃ、オマエの部屋に行こう」
肯定の仕草をし、長門はいつもの如くすすっと先を……歩かずにオレの横、どちらかと言えばやや後方について歩く。指先がオレの肱辺りの上着をそっとつまんでいる。
傍から見れば……早朝デートにも見えなくもないだろうとは思うのだが……長門の格好が歳不相応な婦人用コートであるために…世間一般からはどの様にみられていたのかはオレ自身も確信は持てずにいた。
そんな戸惑いは……部屋のドアを開けた途端に何処かへ飛び去っていった。
最初は間違い探しのようで「あれ? 何かが違う」と思っただけだったが、すぐに違いは判った。
コタツがない。
カーテンもなかったこの部屋に最初に入ったときから存在を確認していたコタツがなかった。
あるのは……巨大なマシュマロのような白い布団。
そして窓にはレースのカーテンがある。いや、それは途中からあったか? と疑問に悩むオレの後ろで衣擦れの音がした。
振り向くと長門がコートを脱いでいた。
いや、それはいい。部屋に入ったらコートは脱ぐべきだからだ。
ごく一般的な常識である。
だがコートの下は……非常識極まりないことに下着だけであった。
しかも胸と下の……体育的な表現で両足の付け根周辺が剥き出しの下着だけの姿。
目を下に落とせば……ストッキングだけは穿いているのがオレに一安心……させてはいない。なんだ? その膝上が蝶々だか薔薇だかの模様が入った赤と黒のストッキングは?
膝下が黒一色だからいつものニーソックスかと思っていたオレには手榴弾のような威力を放っている。
いや。問題はストッキングではない。
「長門っ! な、なんだそれは? そのコート……じゃない格好はなんだ?」
「……このコートを売っていた通信販売のサイトの広告説明文によると『アナタの可愛い奴隷を裸で散歩に行くときに最適。暖かく、中のフェイクファーのインナーが奴隷ちゃんの性感帯を刺激します。裸体の外と中から暖めて、奴隷ちゃんを風邪から守ります』とあった」
いやだから聞きたいのはコートの説明文ではなく……って、どこの通信販売サイトですか? そのコートを売っていたのは?
「……実体はただの降雪地域向けの婦人用コートだった」
いや、それはいいから。……というか何気に悔しそうなのは何故でしょうか?
幾つかの言葉を呑み込み、質問をし直す。
「その……コートの下に着ているのは?」
「……これ? この下着はビスチェ。この星のヨーロッパと呼ばれる地域で19世紀と分類されている時間帯に於いて開発された下着。身体の形態を補正する機能を持った下着、つまりファウンデーションとして開発された。単純に言えばブラとウェストニッパーとガーターベルトが一体化したもの。スリーインワンとも表現されている。更に細分化して言及するならば、コレは肩紐付き、オープンカップビスチェとサイトでは分類されていた。但しオープンカップというのは大まかな部類に過ぎず、正確には過ちでありシェルフカップブラの機能が付随されていると表現した方が適切。なお肩紐はウエストニッパー部分の背中側から繋がっており、ブラ部分について言及すればバルコニーカップブラのオープンカップタイプと表現することも可能だろう。主たる素材は綿。全体を覆っている飾りである赤のレース部分は絹でできている」
いつから長門は下着専門大学の講師になったのかと思うほどに男であるオレにとって未知の単語が流れるように出てきた。
一部矛盾していたような気がするのは気のせいだろうか。いやいや。そんなコトはどうでもいい。
オレが聞きたいのはそれらの素材とかデザインとか種類名ではない。
何故にそんな格好をしていたのかと……
長門がビスチェと呼んだ下着はきちんと機能を発しているらしく、長門の可憐な胸を更に可憐に、胸の桜色の突起は寒さの所為か春に芽を出したクロッカスのように上を向き、細いウェストをそこはかとなく締め上げて、腰を可愛ゆく強調している。ついでにそのしたにある秘裂にもより一層の無垢なる印象をこれでもかとオレに放って……いや、そんなことを事細かく分析し描写している必要はない。断じてない。いや、するべきなのか?
その間にも……オレの疑問が疑惑となって脳裏に留まる。
ひょっとして……また長門が暴走したのかと。昨日の出来事も?
いやいや。それはない。それならばもっと別な状況になっていただろうと勝手に推測する。なんの根拠も論拠もなかったが。
オレがオレ自身の中に湧き起こる疑念と自己回答に動作を停止していた間に長門は脇を通り過ぎ、巨大マシュマロのような布団の間に身を沈めた。
「……お願い。来て」
来いと言われれば行きますが……布団に身を沈める長門の背中は可憐であり、その背中の下にあったお尻は可愛かったと思った余計な感慨を脳内の何処かに仮置きしてオレは布団の間に入った。
途端に長門は振り向く。
……直後に無表情な顔の各パーツを数ミリ程度だけ動かし、「むっ」としたのだろうとオレが分析する隙も与えずに、長門は布団の中でオレの服を脱がし始める。
オレが先程までの疑念と感慨を脳内のどこに置くのが適切なのかという思考作業が終了する前にオレは布団の中で裸になっていた。
……そして疑念と感慨をどこに配置したのかは忘却してしまった。
長門が……布団の中でオレを見上げる長門の瞳に大粒の涙が飾られていたために。
「長門?」
続く言葉を発することはできなかった。
「……アナタに告げるべきコトがある。だけど今は……」
長門がオレの首に手を回した。触れているのか触れていないのか注意しないと判らないような羽毛のような感触。
そして唇が重なって……長い間が過ぎてから……離れた長門の唇から小さな言葉が発せられた。
「……お願い。来て。ワタシの中に」
オレは長門の言葉に従った。
布団の中は……まるで無重力空間のようだった。
長門の肌は寒そうな格好をしていた所為か、少し冷たかったが……やがて遠赤外線懐炉のようにゆっくりと熱を発していった。
そして、終わるまで長門の指先がオレの身体の何処かにずっと触れていた。
まるで羽毛でできているかのような感触で。それはなんというか……オレがいることを確認するかのようだった。その指先の感触が変わったのは一瞬だけ。オレが長門の中に入ったときだけ……ほんの少しだけ力が入っていた。
全てが終わり……オレは布団の中で長門と向き合っていた。
オレの右腕の上に長門の頭がある。左手は腰のビスチェに触れている。
だが……腕には羽毛でできたクッション程度の重さしか感じていない。左手もビスチェの中は羽毛か低反発ウレタンだというような感触しか感じてはいない。
長門? オマエは本当に今、オレの腕の中にいるのか?
まるで眠っているかのように目を閉じていた長門は……不意に目を開けた。
そして小さく発した1つの言葉でオレの脳内を全てリセットさせた。
「……ありがと。これで指示に従える」
暫し躊躇した後でオレは疑問を返した。
「なんの指示にだ? それにオレに伝えたいコトってなんだ?」
「……始まりは3日前。その時、涼宮ハルヒに何かが起きた。以前から幾つかの兆候は観測されてはいたがハッキリとした『爆発』とはならなかった。だが、3日前にそれは突然、起きた」
爆発? 長門が言うのであれば、それは情報爆発か?
「……現時点から過去の状態を分析すればそれに繋がる予兆はあったのだが、我々はそれを通常のことだと分析していた。だが、3日前に続き2日前に大規模な爆発となって現実となり、昨日の出来事へと繋がった」
って! 昨日のことを知っているのか?
……知っているよな。長門ならば知っていたとしても不思議ではない。
「……昨日、アナタと涼宮ハルヒと朝比奈みくるの間で何があったのかまでは詳細には知らない。だが、どの様なことがあったのかは分析できる。そして我々は確信した」
何を確信したんだ?
「……現在、涼宮ハルヒは『妄想爆発』を継続させている」
妄想っ!? アイツが爆発させているのは欲求不満だけではなかったのか?
あれ? 妄想? 平たく言えば欲求不満でいいのでは?
「……以前は願望と欲望を実現させるために情報を爆発させていた。大規模な爆発は最近は見られなかったが、ごく小規模な爆発を時折していた。だが、今回の『妄想爆発』と比較すればそれらは無きに等しい。そして以前は論理的だったとも言える。今回のは……本能的でありかつ無秩序」
酷く迷惑でかつ解決は不可能な気がしてきた。
……いつものような気もするが。
「……そしてその爆発は情報統合思念体にも影響を及ぼした」
なんですとっ!
「……情報統合思念体は今回の爆発の分析に取り掛かった。情報爆発を観測し分析することで自律進化の可能性を探るべく。だが、情報爆発ではなく妄想爆発であったが為に……論理的ではなく本能的であったがために……情報統合思念体の一部が変質してしまった」
……ハルヒが数万光年先にまで影響を及ぼしていたとは驚きだ。
というか、呆れる。
呆れる対象をハルヒにすべきか情統合思念体にすべきかは取り敢えず保留しておくが。
「……結果として情報統合思念体は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースである私達によって今回の爆発の主原因の根源と推測されるアナタと接触し、原因の根源を探ることとした。だが……」
はい? オレが原因?
「……しかし、私の目的は涼宮ハルヒの観察であり、アナタは涼宮ハルヒの周辺人物とカテゴリされている。従って情報統合思念体はアナタとの接触専用のインターフェイスを用意することとなった」
長門の小さな唇の端がコンマ数ミリだけ歪んだ。悔しそうに。
「……私は抗議した。だが、方針の変更は成し得なかった。だが、私は更なる抗議に情統合思念体は私に1つの役目を与えた」
なんだ? それは?
「……対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースがアナタとの『接触』に使用可能かどうか。さらに付与すべき性能、もしくは改変すべき形状、或いはもっとも好ましい状態とは何かを調査するコトにした。そのためにアナタと……『接触』するに至った。そしてこの『接触』は私の意志でもある」
一気に言ってから長門は……うつむいた。心なしか耳が紅い。
……何か長門が重要な単語を言ったような気がするのだが、オレは情報統合思念体とやらがどういう風に変質したのかを考えていて、どの単語なのかまでは思いはよらなかった。
というか、考えられない。
今回のハルヒや朝比奈さんや長門の行動の原因がオレにある?
何故だ? 何処で? どういうコトでそうなったんだ?
「……『接触調査』の報告は先程終了した。そして……方針は変更されなかった。私には……それが悔しい」
オレの思考とは別に長門の報告は終わった。
その後の長い沈黙を破ったのはオレの言葉だった。
「……オレに伝えたいコトってそれで終わりか?」
コクリと頭が数ミリ動く。
「そうか。ありがとう」
何故かは判らないが、オレは長門に感謝した。そして頭を抱き寄せた。
考えてみれば、昨日の出来事が存在したということは確認できた。
今朝、アレほど苦悩していたというか意味もなく悩んでいたことの1つは解消した。
後は…… 後は? どうする?
ハルヒの『妄想爆発』とやらが継続しているというのであれば、その爆発を止めることができれば……いつもの怠惰な日常に戻るのではないだろうか?
今と以前とで比べるならば……以前の方が良い。
……今現在の方が良いという気も若干はするが、やはり以前の方が気楽なような気がする。
オレとしてはやはり以前の方が良いと……朧気に思った。
「……ありがとう。いま、情報統合思念体に1つの役目を進言し、許可され、命じられた」
って、オレが取り留めなく考えている間に?
まぁ長門だからな。納得するよ。
「なんの役目だ?」
「……アナタの知識と身体のメンテナンス。つまりは今後、アナタの身に起こるであろう様々な出来事をできうる限り平滑に処理できるための情報の提供と身体のメンテナンスを施したい。……許可を」
懐かしい単語だ。
秋のコンピューターゲーム合戦での不正を正すために長門がオレに発した単語。
オレはあの時と同じ感覚で軽く返した。
「よし。やってくれ」
長門は数ミリグラムの微笑みを浮かべて……オレの手を取り、胸へと誘った。
「え?」
「……ココを触っていて。すぐに済む。目を瞑っていて」
オレの両手の人差し指と中指の間に長門の胸の突起がある。そして長門は自分の両手の中指をオレの耳へと差し入れた。
慌てて目を瞑る。
視覚と聴覚が一時的に遮断され……巨大マシュマロのような布団の中で平衡感覚も喪失しかけている。
つまり……原初の海に浮かぶプランクトンのような無重力感覚の中。しかし両手の触感は長門の存在を告げ……不意に唇にも長門の唇の感覚が……
小さな舌がオレの口の中に入ってくる。
そして長門の髪の香りが鼻腔をくすぐっている。
五感の殆どを長門の支配下に置かれている。
だが……不安ではない。
……どこか、生まれる前に戻ったような感じだ。
そこは……どこだっただろうか?
不意に耳から長門の指が抜かれ、急に現実へと引き戻された。
「終わったのか?」
もう一度戻りたいという気持ちに嘘はない。だが、それを求めるのは……過ぎた冗談だろう。
「……知識のインプットは終了した。身体のメンテナンスはこれから。じっとしてて」
それから長門は……オレの身体を舐め回し始めた。
小さな舌でゆっくりと、愛おしむかのように時間をかけて……
特にオレのを口に含むときは時間をかけていた。
オレは巨大マシュマロの布団の中で……得も言われぬ時を過ごした。
最後に……長門はオレの身体を洗ってくれた。
バスルームでシャワーを流し続けて……自分の手に泡を立てて、手で洗ってくれた。
もう二度と会えないような……そんな不安がオレの心の何処かで声を上げていた。
全てが終わり、バスルームを出た途端の長門を呼び止めてしまった。
「……なに?」
いや、ちょっと不安になっただけだ。
「……その不安は多分当たっている」
つまり?
「……私からアナタに接触することはない。情報統合思念体がアナタに伝えるべき情報が発生したとき伝達役は私ではない」
どういうことだ?
疑問を露わにするオレを見上げ、そしてゆっくりと目を閉じてからオレの身体に抱きついてきた。
何故かオレは……長門が身に付けていたビスチェが既に乾いていたことで……あぁ、ここは長門の制御空間だったんだな。とどうでも良いような、遙か以前に常識としておくべきようなことを思い浮かべていた。
「……先程言ったとおり。今後の伝達役はアナタ専用のインターフェイスから為される。私からアナタに接触することはない。そうなっただけ」
無表情な……いつもどおりの無表情な長門の透明度宇宙1の瞳から……大粒の涙が溢れ落ちている。
オレは思わず長門の頭を抱きしめた。
何かを言うべきなのに何も言えずに……
オレは服を着て帰ることにした。
1人になって色々と頭を整理したかった。
整理しきれるかどうかには全く自信がなかったが。
「……送っていく」
思えば長門が送ってくれるなんてコトは……今まではなかったような気がする。
その行為が逆に今後、長門と会えなくなることを決定するかのようでオレは断ろうと思わず手を伸ばした。
その手が……図らずもコートを着た長門の胸を押し触るような格好となり……オレの手に柔らかな感触を残した途端、長門は玄関先の廊下に音もなく崩れ落ちた。
まるで淡雪が降り降りたように……
そして笑ってオレを見上げて……小さく言った。
「……このコートの性能が嘘ではないと実感した」
オレは……その時の長門の笑顔を忘れない。
初めて自転車に乗れたときのような子供のような笑顔を……
直後に無表情に戻った起き上がったことも忘れない。
そして考えなしに言った言葉は……やっと言葉という形になった音声はオレの本音だ。
「長門。オマエからオレに告げるとことはないと言っても今後のオレはオマエに言いたいこともあるだろうし、相談したいこともロッキー山脈なりに存在するだろう。だからオレはオマエに相談するし、電話もかけるし、会いに来る。それに昼にオマエは部室にいるんだろう? 放課後にもだ。だったら、その時言葉にできなくても態度で示してくれればいい。最初は判らなくても……いや、永遠に判らないとしてもオレはオマエを見ている。見続けている。だから……そんな寂しいことをいうな。頼むから」
長門は変わらず無表情な顔のまま……小さく「ありがとう」と囁くように言ってくれたことも忘れない。
長門に公園まで見送られてからオレは全力で自転車を漕いだ。
何故か悔しかった。何故か空しかった。
家に辿り着き、噴き出した汗をもう一度シャワーで流し……自室のベッドでゴロンと横になる。
何が起こった?
いや、それはハルヒの妄想爆発だと告げられている。
どうしてそうなったのかが判らない。そして原因が判ったとして、どうやったら元に戻る?
解答を導く方程式を与えられないままに答えを求められた留年学生のように悩んでいても答えは出ない。
既に手持ちのカードは粗方、手から滑り落ちている。
残るカードは? と考えていたときに携帯が鳴った。
メールだ。
その相手は……図らずも残り1枚のカード。古泉一樹だった。
『相談したいことがあります。お時間を頂けますでしょうか?』
渡りに船だ。魚心に水心、夫唱婦随……は意味も使うし、古泉相手には使いたくもない。
メールの最後には『これから伺います』とあった。
合うのか? 電話でも構わなかったのだがと思う間もなく妹が部屋のドアを開けて不可解なことを言った。
「キョンくん。誰か来たよ〜。女の人〜」
はて?
涼宮や朝比奈さんや長門ならば名を告げるハズだ。あぁ、鶴屋さんでも知らないはずはない。ただし、妹の記憶能力が確かだとは断言できない。我が血を分けているだけにアテにならないことだけは保証する。
だが……玄関に出たオレは妹の記憶力というか忘却力を疑わずに済んだということだけは誰かに感謝したい。
玄関にいたのは……見知らぬ美女だった。
即座に「新しいインターフェイスか?」と脳裏の動きの弱い脳細胞が告げていた。