現在のところに来た当初辺りは、トンデモ環境でこの世の地獄を見る思いをしつつ、己の「一念の方向性」を常に注視し努めてきた。
これまでの経験上、相手が「変わる」ことになるキッカケはむしろ自分自身の「一念」にかかってるのを実感してたからだけども。
この「地獄を見る思い」というのは「他化自在天」にすっかり虜になってた人からによる「要求」であったのだけど。
現象でいえば、オレの居心地のいいようオマエが合わせろ!という趣旨の要求だけども。
「噂」を聞くまでもなく、他の人には嫌われてるであろうことが容易に伺えて、僕が誰にも何も言ってないのに「大丈夫?」と心配された。
まぁどこにもいる性分の人かもだけど。
「他化自在天」といっても、どうやら人によって全く同質というわけではなく「程度の個人差」もあるようだなぁと薄々感じてる段階かな~と感じてるんですが。
話を聞くまでもなく、親から虐待に近い厳しいしつけをされてきてたようで、数日後に本人から聞かされたけども。
その内容たるや、およそ「親」の自覚が欠如してるとしか思えなく、「怒る」どころか哀れみの心境が芽生えた。
この人には「見守る」のを基本に、こちらは基本的に「要求行為」は避け、僕は「感応」を重視する接し方に努めた。
これで数日後には、少しぎこちないながらも普通の会話が成立するようになった。
そして現在では、僕も長短あるから、短所を自主的に補ってくれる存在となった。
その経緯を周囲の人は案外と注目してたようで、「感応」はその人だけに留まらずに、周囲からの信頼を一気に集めることとなり、今では7割が「順縁」のような状態です。2割以上がどちらでもなく無関心。「逆縁」のような存在は1名のみ。
今でも「逆縁」の状態になってる人というのは、日常的にパワハラを行っているようで、複数人から話が入ってる。
今から二ヶ月前に、今のところで初めて「キレ」ました。
当然その人に、です。
大勢がいる中で「キレ」たものだから、初めてここで怒ったからビックリしてみんな僕と相手を見てたのだけども。
その後、ウエの人にはこれまでの経緯を詳細に話し、事情は理解してもらえて、今は逆に「パワハラ」を行ってた人が僕の顔色を伺ってる状態です。
ウエも同僚が同じような思いをしていたのを知ってたのでしょうね。
さて、そうした段階だけど「他化自在天」でも「なんのため」が重要です。
『法華経の兵法』を学ばせることで、なにも「第六天の魔王」でいる必要性がなくなることでしょうから。
法華経の行者を守護する働きとなった「他化自在天」というのもあるのでしょう。
それが御本尊様に描かれてる「提婆達多」でしょう。
過去の経験ではそういう人が実際いました。何人も。
場所が違っても本質は同じで、今いる環境で「応用」してるだけなんです。
「変わる」かどうかは相手しだいなんです。
変わるか変わらないか、それは相手の自由意志。
もう一人の「第六天の魔王」のような人は、僕がきてからまもなくご自分から「いなくならざるえない環境」をご自分で構築した後、総スカンとなって自ら出ていきました。
危うく僕も被害に遭う直前のタイミングで自然にそうなったんです。
「法華経の兵法」とは、相手に「仏界の生命」を感応させようとする行為のあらゆる方便と実感してるんです。
以前から「感応」と言ってるのは『「仏界の生命」をあなたはどのように感じますか?」という実質的問いかけです。
これに「順縁」なら、御本尊様に描かれてる諸天善神のように、法華経の行者を守護するが如くの態度へ変化するし、「逆縁」ならば、福運をただ食い潰していくだけで、やがてその場にいられないほど福運を食い潰し、視界からいなくなる現象が起きるんです。
どちらを選ぶかは相手の自由意志の自己責任になるんです。
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