『コミュニティ』と聞くと、思い浮かぶのは地域コミュニティなど、場所的共同体のイメージではないでしょうか。
今回出会ったこちらの本は、そのような『コミュニティ=地域コミュニティ』について書かれた本ではなく、『コミュニティの根っこ』について書かれており、
あなたにとってのコミュニティとは?
考えるめっちゃ良い書籍でした。
書籍は
WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE
直訳すると
私たちは孤独だが1人ではない。
目次 [非表示]
インターネットが社会を「なめらか」に
著者の佐渡島さん@sadycork は、漫画家・小説家・エンジニアなどクリエイターのエージェント会社コルクの代表です。
@sadycork は会社の経営はもちろん、コルクラボ@corklabという『コミュニティを学ぶコミュニティ』を運営されています。
そんな著者は、そもそもインターネットの普及により社会のあり方が大きく変わり始めている、と書きます。
それをすごくわかりやすく、こう書いています。
インターネットは社会を「なめらか」にしている。
わかりやすいのはAmazonです。
インターネットが普及していなかったアナログ社会では、欲しいと思ったら、モノが売っている店を探し、その店に行く。
行っても在庫があれば買えるが、なければ注文して、店から連絡をもらって、再度行き、やっと手に入れていた。
「欲しい」と「使う」の間にいくつもの工程がありました。
しかしAmazonを使えば、欲しいと思ったらクリック1つで翌日家に届きます。
そして今ではAmazonエコーが登場し、PCやスマホの操作をせずとも話しかけるだけでモノが翌日家に届きます。
これは常時インターネットに接続しているからこそなせることで、社会になめらかさを生みました。
しかし、このインターネットの存在がコミュニティに大きな変化を与えています。
アナログ社会では、『地域・家族・職場』この3つのコミィニティがほとんどすべてでした。
この3つは、情報・距離ともに短く狭い、という特徴があるので、優先されるのは『あなたがどうか』ではなく、その『コミュニティがどうか(ルール・習慣)』です。
これは良い点では、ルールや習慣を守ってさえすればコミュニティの1人として安全を担保してくれます。
しかし一方で、それらを自分たちの「やるべき」こととして、周りに同調圧力をかけて、周りも実践するように仕向けていきました。
そしら個性を押し殺しながらも自らを納得させてきました。
これは”奴隷の幸福”と呼ぶそうです。
型にはまり、役割を強制的に与えられている方が楽で居心地が良いそうです。
これがインターネットの普及で社会が「なめらか」になり、コミュニティも変わりました。
インターネットが与えたモノは、情報の爆発と可視化だと著者は書いています。
コミュニティを変えた情報の爆発と可視化
情報の爆発とは、誰もが感じている情報量が圧倒的に増えていることです。
総務省の発表によると、2002年のインターネットの情報量を10とすると、2020年は6000倍の6万にもなっているそうです。
情報量が急激に増えているいまは、情報が多すぎてほぼ伝わっていないそうです。
インターネットは社会に「なめらかさ」を与えましたが、情報の伝達は「なめらか」になるどころか、多すぎて不自由になっているというのが現状だそうです。
しかし一方で、インターネットは個人に力を与えました。
これまでの情報・距離が狭かったコミュニティでは、年長者であり権力者がすべてでしたが、インターネットの普及により情報が爆発的に増えたことで、これまで抑えられてきた小さな声(情報)がインターネットで可視化され、共感を呼び、大きなうねりになっています。
それが世界中で急速に広がっている#MetooやLGBT運動に象徴されています。
そして、インターネットの普及で個人が強くなることで、もう1つ変わったものがあります。
それは価値です。
「どこに属しているか」よりも「何をやっているか」「なぜやっているのか」
これまでのアナログ社会の価値とは、『どこに属しているか』『なにを持っているか』でした。
その主なものは会社です。
会社というコミュニティが自分が何者かを表してくれていました。
しかし、そのような『従来の終身雇用がある会社コミュニティ』に対して著者はこう書いています。
定年まで働いて、その後、同僚たちとは滅多に会わない。
40年近い時を捧げても、そのコミニュティの外に出てしまうと、絆が切れてしまう。
僕は、そんな生き方は寂しいと思った。
しかしインターネットの普及とともに、このような従来型コミュニティ(会社)に人生を捧げることに対しする不安や不満という小さな声(情報)が可視化され価値観が変わり始めています。
そして終身雇用の崩壊とともに、『どこに属しているか』『どこの会社で働いているか』ということが自分を表してくれなくなる時代がやってきています。
これらに変わる共通通貨は、自分が『何をやっているか』『なぜやっているのか』です。
共通するところにインターネット上などからコミュニティが生まれ始めています。
いつまでも会社という看板を使ったスタイルに慣れていると、環境が変わりやすい今、一瞬で役に立たなくなってしまいます。
TwitterやFBを使って、自分の看板を少しずつ作っている人は、環境が変化しても影響力は落ちない。
今の時代には、ネットの中で実績を確実に重ねたほうが、キャリアとしてはかえって安全だと思うのです。
著者は書いています。
この点において、ブログは群を抜いて優れていると僕は感じています。
FBやTwitterは、日常に対して反射的に投稿してしまうことが多々あります。
しかし、ブログはそんな日常に対して、反射的に思ったことを文章にしなければならず、また履歴書のように残ります。
メールよりLINEやSlackなどチャットが主流になりつつあり、情報のやりとりのテンポが早くなっていますが、『なにをやっているか』『なぜやっているか』を感情だけでなく伝えるには、まとまった文章が必要です。
そして、自分について語ることは、自分の居場所を自分で知る行為だと著者は書いています。
ほとんどの人が、その行為をおろそかにして、他人の目的地を自分の目的地にしてしまっていることもまたネット社会への過渡期だから起きていることです。
しかしそれではコミュニティ入れても、コミュニティの中で安心・安全に過ごすことはできません。
コミュニティに安心・安全は欠かせません。
人は、人との間で生きていく
僕も10代のころは、家族、学校という2度にわたるコミュニティの崩壊を経験し、自分の居場所がわからずさまよっていました。
あの頃の僕は『コミュニティ=自分を傷つけるモノ』だと感じており、コミュニティに安心や安全があるなんて考えられませんでした。
そんな僕を変えてくれたのは旅と妻、そしてコミュニティでした。
23歳で初海外の世界一周で、自分の居場所を知ることができました。
そして、著者と同じく、結婚し家族ができたことで、社会の中での居場所を生み出すことができ、妻との関係は、僕に非常に大きな自己肯定感を与えてくれました。
そして、旅で、仕事で、ボランティアで、趣味で出会ってきたコミュニティが僕に人生の喜びをもたらしてくれました。
僕はコミュニティの崩壊を経験しましたが、一方で、コミュニティに恵まれ、愛され、育てられてきました。
だからこそ言えるのは、
「人は、人との間で生きていく。」
WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE
久しぶりに面白い本に出会いました。
常時ネットに接続している超情報化社会のなかで、SNSなどから周りの綺麗な情報が切り取られ届き、孤独を感じやすくなっている現代です。
孤独を感じるのは人間ですから仕方ありませんが、人は生きていくためにコミュニティが必要不可欠です。
そのために、自分の居場所を自分が知り、提示することによって、これまでにない居心地の良いゆるやかなコミュニティとつながってられるのではないでしょうか。
コミュニティとはなにか?
この本は僕たちに問いかけます。
書籍にはこう書かれています
家族以外に仲間がどれだけいるか。
それが、人生の喜び、幸せを決めるのではないか。
人は、人との間で、行きていくのだ。
僕にとってコミュニティとは、
『人生の喜び』
あたなにとってコミュニティとはなにですか?
コミュニティについて考える上ではもちろん、コミュニティを運営する人にとってもかなり良書です。
そしてなにより、『おわり』のエピソードが最高です。
あれがコミュニティのすべてを物語っています。
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