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「スマート工場」はスマートか?

先日、大阪で日本学術振興会の「プロセスシステム工学143委員会」という名前の会合に参加し、スマート工場に関する短い講演を行った。日本学術振興会には、産学協力のための研究委員会というのが多数あり(https://www.jsps.go.jp/renkei_suishin/index2_2.html)。プロセスシステム工学はその中で143番という番号になっているので、関係者は頭文字をとって「PSE143委員会」と略称で呼んでいる。

プロセスシステム工学といっても、なじみがない読者も多いと思う。これは化学工学の一領域である。『化学工学』(Chemical engineering)とは、化学プラントの設計論を研究する工学である。そのうち、『プロセスシステム工学』とは、プラントの全体システムの設計と制御に関わる技術分野だ。わたし自身も若い頃はその分野に携わっていたが、すでに実務から離れて随分経つ。それなのに久しぶりに呼ばれて講演などをしたのは、今回の議論のテーマが「スマート化技術で変わるプラント・工場」だったからだ。

「スマート化技術」とは何か。それが今回のテーマだが、先に少しだけ、化学産業に関連する話題に触れておく。

今回の委員会では、わたしを含め3人の講演があった。わたし自身の講演タイトルは
次世代スマート工場の新しい設計手法 ~ 生産システムズ・エンジニアリングを目指して ~
で、最近の組立加工系の工場に起きている新しい技術的な流れについて、紹介するものだった。その上で、過去10年ほどの間に起きている、日本の化学産業の大きな構造的変化についても触れ、今後の化学プラントの設計手法も変わって行かざるをえないだろう、と言うお話をした。

その変化とは、簡単にいって、大量生産的なバルクケミカルから、多品種化した機能性素材に、日本の大手化学企業の収益源が移っていることだ。扱う製品が流体から固体に変わり、さらに生産形態が大量見込み生産から、少量多品種の受注生産にシフトしている。この変化は過去15年ほどの間に顕著になった。このことが化学工場の操業のあり方にも、設計のあり方にも、大きなインパクトを及ぼすだろう。しかし従来の化学工学・プロセスシステム工学は、その変化の準備が十分できていないように思われる。

化学産業は下流への進出とともに、離散的な『ディスクリート・ケミカル』というべき生産システムへと変貌していく。その工場の操業の中心には、MES/MOMの発展系として、『中央管制システム』が来るだろう、とわたしは予測している。その上で「ディスクリート系にも適用できる、新しいプロセスシステム工学が望まれる」と話を結んだ。

この話が、参加された委員諸賢にどれほどアピールしたかはわからない。

一般の組み立て加工系の機械工場では、機械装置などにセンサーや通信機能を取り付け、状態監視や予防保全に活用すると動きが数年前から活発になっている。またロボットを導入して、人手の作業を極力自動化したり、AIでパターン認識を活用する動きも盛んだ。こうした動きを総称して、「スマート工場」とか「スマート化技術」とよんだりしている。高度な連携制御やMES(製造実行システム)の話題も増えてきた。

しかしそもそも、化学プラントの世界では、機械装置や配管のそこかしこに、流量計や圧力計などのセンサーを設置して、その信号を中央制御室に持ち込み、原料や製品の状態をリアルタイムに監視統制する仕組みを、もう何十年も前から実現している。センサーと制御システムは、ベンダーが違っても通信できるのが当たり前で、誰もつながるかどうかの心配などしない。人手による作業も極端に少ない。

そのような意味では、機械加工組立て系の分野が、ようやくプロセス産業のプラントに、工場のスマート化の面でようやく追いついてきた、とも言える。AI技術の活用については、化学系でもまだまだこれからだが、それはどの産業にとっても似たり寄ったりの状況であろう。

ではなぜ、今さら化学産業でスマート化技術についての討議が行われるのか? それは端的に言って、スマート化と言う言葉が流行語のように技術の世界を席巻しつつあるからだ。

しかし、わたしの知る限りでは、『スマート』の公式の定義は、存在しない。

ある調査によると、スマート工場に関連する研究論文数は、2014年ごろから急激に増えている。これはドイツが2013年に、「インダストリー4.0」を推進する白書を公開したことが、きっかけになっていると思われる。この白書の中には、スマートな機械とスマートな製品、との概念が二本立てで出てくる。

ところで、「スマート工場」とか、スマートな製造など言葉の源流をたどっていくと、「スマートシティ」という言葉が先行したいることに気づく。

では、スマートシティという概念が生まれるきっかけは、何だったのか? それは、実は「スマートメーター」だった。それまで、各家庭に据え付けられていたのは、単純な電力計、あるいは水道やガスの流量メーターだった。そうした電気式・機械式のアナログメーターに、小さなチップが装着され、計量した結果を蓄積したり、通信で報告できる機能を持つようになった。これがスマートメーターの始まりだ。

スマートメーターは、確かに従来の単なる計測メーターに比べれば、スマートだろう。ではスマートシティーとは、従来の都市に比べて、どこがスマートなのだろうか。

繰り返すが、「スマート」という言葉には、広く受け入れられた学問的定義があるわけではない。みんな思い思いの意義づけを込めて、勝手に使っているのだ。

単純なアナログの機械や計器にチップをつけてデジタル化し、記録や通信機能をつけることを「スマート化技術」と呼びたい気持ちは、よくわかる。そうなった機械は、古い機械よりもスマートではある。あるいは、単なる据え置き型の工作機械よりも、カメラの視覚センサーを備え、多機能的に動くロボットも、たしかにスマートではあろう。だからロボットを導入することが、スマート化技術だという。たいへん結構。

だが、一つおうかがいしたい。産業ロボットは、本当にスマートなのだろうか?

鉄腕アトムほどの知能を誇るなら、確かにスマートだといえよう。だが鉄人28号のように、リモコンで人が操作するだけならば、上手に使わない限りスマートとは言えない。

昨年見学した、ある工場を思い出す。そこでは双腕ロボットを何台も並べて、ある精密な計量的作業にあてていた。双腕ロボットは、胴体に両手がついていて、なんとなくとても人間的に見える。そして賢そうだ。だが、工程をしばらくじっと見ていると、一つの動作中に動いているアームは、つねに1本だけなのだった。一緒に行った機械屋が、「これって、何で双腕ロボットを使っているんでしょうね」とつぶやく。かりにロボットがスマートだとしても、そこの双腕ロボットの使い方は、ちっともスマートに思えなかった。

スマートとは何か。それを知りたければ、「スマートでないもの」を考えてみると、多少のヒントになる。そして、ここでは道具や機械などの単体ではなく、人間をその要素に含む仕組み、すなわち「第2種のシステム」(法政大・西岡教授の命名による)のふるまいを対象に考えてみよう。工場などは、典型的な第2種のシステムである。

スマートではない、とは、たとえばこんなことである:

(1) 現状が分からない:ふるまいの全体状況が、リアルタイムでわからない。例えばドアをバタンと閉めて部屋の外に出てしまうと、中で何が起きているか、働いているか止まっているのかすら、わからない。これではスマートとは、言えない。

(2) 過去は忘れる:過去のふるまいの記録が残っていない。あるいは、記録は残されていても、簡単に検索や分析ができない。これではスマートとは、言えない。

(3) 先を予見しない:先にどうなるかを予見しないで、ふるまう。そんなことをすれば障害につきあたるのは明らかなのに、やってしまう。そんなことをすれば障害にぶち当たるのは明らかなのに、やってしまう。これではスマートとは、言えない。

(4) 目的意識なく、受動的で後手後手:主体的な意図や、目的意識を持つことが、スマートさの1つの条件であろう。リモコンで命じられたかのように受動的で、ただその場その場で降りかかるリクエストに、後手後手で応じているだけでは、スマートとは言えない。

(5) 問題に気づかず放置する:何か局所的に問題が生じても、全体としてそれに気づかず、放置されたままになってしまう。あるいは正常であるかのように、ふるまいが続く。その結果、当然ながら解決に時間がかかり、影響がさらに波及してしまう。これではスマートとは、言えない。

(6) 価値に結びつかぬ無駄な動きだらけ:先ほどの双腕ロボットの例のように、立派なリソースを持っていながら、価値を生み出すような働きは何もしない。立派なリソースを持っていながら、価値を乱すような働きは何もしない。ムダについては、世の中に言説がたくさんあるから、これ以上は深入りしないが、無駄なふるまいは明らかに、スマートとは、言えない。

(7) 学びの枠が狭く、似たような失敗を繰り返す:経験に学び、そこから改善すること。あるいは先人の知恵や技術に学び、それを自分のふるまいに活かすこと。これが賢さの源泉である。ところが、「学び」の枠組みが狭く、視野や注意が固定されてしまうと、自分の失敗から上手に学ぶことができない。そして似たような失敗をくりかえす。こうした例を、周囲で見かけたことはないだろうか? これではスマートとは、言えない。

以上の7点について、反対概念を考えてみると、スマートさの中核が見えてくる。それは、次のようなことだ。

1. 現在を正確に把握
2. 過去を記憶
3. 将来を予見
4. 意思と目標を実現すべく計画
5. 問題にすぐ気づき解決する
6. 無駄なことはしない
7. 経験から学び、学びの枠を柔軟に拡げる

一言でまとめるなら、「全体を考えて判断し、自律的にふるまう」である。こうした人がいれば、賢い人だと思うだろうし、こうした仕組みを見たら、スマートだな、と感じる。

こうした基準を元に、たとえば工場ならば、「指示のスマートと実行のスマート」、あるいは「機械のスマートと、製品(もの)のスマート」といったテーマを敷衍することができる。が、例によって長くなってきたので、また別の機会に書くことにしよう。

「全体を考えて判断し、自律的にふるまう」のだから、部分部分が自律的でも、全体を見て判断できる仕組みがなければ、スマートとは言えない。つまり部分的なスマートを積み上げたって、全体がスマートになりはしないのである。そして、たとえ全体を見て判断する仕組みがあっても、自律性、すなわち自分自身のビジョンがなければ、やはりスマートとは言えない。

こうしたことを含めて、あらためて「スマートさ」を考え直すべきときに来ているのではないだろうか?


by Tomoichi_Sato | 2018-05-26 11:24 | 工場計画論 | Comments(0)
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