日本の稲荷様の実態
イナリさんについては、「稲荷といふも狐なり、狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。
その歌の文句を読むと、稲荷はキツネで、キツネは稲荷、オンナワラベがハーヨイ~ヨッ~、ということだ。
え?、それじゃ、何も判らない・・・。そうそういうこと。判らないようにしてあるのが稲荷様の醍醐味、主文、お題目となっている。
「触らぬ神に祟りなし」!、と形容されているがお稲荷さん、というわけだ。
なぜ稲荷か。このところ「元少年A」の超党話題で、国会審議の「集団的自衛権」審議が止まって・・・いないが、それほどの話題性で、世を駆逐している。
このブログでも再三取り上げて書いているが、さすがに自著、「木嶋佳苗」被告の生い立ち2012/2/20/の記事~には、及ばない。
依然として「木嶋佳苗」シリーズは、ここの閲覧数トップで、怪奇的事件がある度に、一緒に閲覧される。ともにお稲荷さんの加護のもとに成長したニュースである。
それが急転直下の様相を呈している。あろうことか、パンデミック発売本(太田出版)のコピーが、公然とネット上にアップされ、それを「焼こうが煮ようがお好きなように」、というコンセプトで面前に晒された、という事件が昨日報道された。一発逆転を狙っている。
さすがに、そこまでのタスクホースは考えられなかった。やり方は非合法だろうが、「アッパレ」としか云い様がなかった。
[参考記事] 元少年Aの手記をネットにアップ
イナリさんについては、「稲荷といふも狐なり、狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。
その歌の文句を読むと、稲荷はキツネで、キツネは稲荷、オンナワラベがハーヨイ~ヨッ~、ということだ。
え?、それじゃ、何も判らない・・・。そうそういうこと。判らないようにしてあるのが稲荷様の醍醐味、主文、お題目となっている。
「触らぬ神に祟りなし」!、と形容されているがお稲荷さん、というわけだ。
なぜ稲荷か。このところ「元少年A」の超党話題で、国会審議の「集団的自衛権」審議が止まって・・・いないが、それほどの話題性で、世を駆逐している。
このブログでも再三取り上げて書いているが、さすがに自著、「木嶋佳苗」被告の生い立ち2012/2/20/の記事~には、及ばない。
依然として「木嶋佳苗」シリーズは、ここの閲覧数トップで、怪奇的事件がある度に、一緒に閲覧される。ともにお稲荷さんの加護のもとに成長したニュースである。
それが急転直下の様相を呈している。あろうことか、パンデミック発売本(太田出版)のコピーが、公然とネット上にアップされ、それを「焼こうが煮ようがお好きなように」、というコンセプトで面前に晒された、という事件が昨日報道された。一発逆転を狙っている。
さすがに、そこまでのタスクホースは考えられなかった。やり方は非合法だろうが、「アッパレ」としか云い様がなかった。
[参考記事] 元少年Aの手記をネットにアップ
2015年6月23日 6時0分 東スポWeb 神戸市の連続児童殺傷事件で元少年Aといわれる加害男性(32)による手記「絶歌」(太田出版)の出版が批判にさらされている中、何者かがネット上に手記全文をアップロードし、波紋を呼んでいる。
終わったハズの連続殺傷事件から18年にして新たな逮捕者が出てしまうのか。21日にネット上にアップされたのは「絶歌」をスキャンしたとみられるファイルだ。表紙から裏表紙まで全300ページに及び、ダウンロードできるリンクアドレスが「2ちゃんねる」などに張られた。投稿者は「個人的に楽しんでいただいても、拡散していただいても構いません」と説明し、掲示板やツイッターなどで一気に拡散された。 (引用記事〆)
それにまつわる自著記事にはこんなことを書いた。
「どこだったか忘れたが、フォックス博士の講義でドクター・フォックス効果、という有名なジョークがある。ハーバード大のマイケル・サンデル教授のような一見聡明な井出達のプロフェッサーが聴衆生徒を前にして嘘の大芝居を演じ、生徒たちを、まんまと新理論?を信じ込ませるという筋書きである。
そんなことを思い出したが、いま起きているリアル事象は、すでに本の販売も驚異的で、その桁も尋常ではないはずだ。まったく、それを私に云わせればアベノミクスの錬金術と同等で、そこいにらヒラヒラ舞っている「木の葉」を狸が頭に載せてお呪いをかけると、あっというまに「日本銀行券」に化けるメカニズムとそっくりなのである」。
それが稲荷様、というわけだ。この場合は狸にしてあるが、どちらも一流の呪い師ということで甲乙つけがたい。
で、稲荷様の主食はなんだと訪ねると、皆一様に「あぶら揚げ」と応える。これには随分と参った。
あんた、それ何時見たのキツネが油揚げ食ってるところ・・・。
それが稲荷様、というわけだ。この場合は狸にしてあるが、どちらも一流の呪い師ということで甲乙つけがたい。
で、稲荷様の主食はなんだと訪ねると、皆一様に「あぶら揚げ」と応える。これには随分と参った。
あんた、それ何時見たのキツネが油揚げ食ってるところ・・・。
そうさな~、朝、畑仕事に行ったときさ、一鍬入れたとき、自分が振り下ろしたクワの音と、もう一つ別のクワの音がするんだ。山麓の奥の方で姉さんかぶりをした若い娘が、クワを持って振り下ろしているのさ。今時、なかなか感心な娘がいたもんだ。自分の弁当も、ろくに作れねーで、コンビ二で620円のカツ丼弁当食ってるご時勢だからな~。
いやいや一寸待てよ、まさかその娘、藍染絣に朱色のたすき、してたんじゃないだろうな。手甲脚絆の草鞋はいて。
そうそうね、少しばかり違うがほとんど同じだ。
とこが違う?
たすきの色がさ、白だ。むかしから神聖な色は白ときまっている。
おいおい、まてよ。その娘、稲荷さまの娘っこ、だなんていいだすんじゃないだろうな。
ブー、外れ。イナリじゃない、竜宮のリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(龍宮の乙姫の元結の切り外し)なんだ~。
アホ、冗談にもほどがある。嘘いうなら「リュウグウノツカイ」程度にしとけ。
いや、それでさ、三日三晩やりまっくてさ、みろよ、クマができしゃってさ。
頬がげっそり痩せ細ったその顔に正気はなかった。
その宴席で、酒宴だ。でもな2・3杯しか飲んでないのに、しこたま酔っ払った。メチルアルコール飲まされたんじないかな~、と思ってさ。最近中国で、それ飲んで死んだやつがいるって聞いてるしさ。
注(化学物質が入った安い密造酒。インドで密造酒に混入。日本でも第二次世界大戦後の混乱期には、安価な変性アルコールを用いた密造酒によるメタノール中毒もしばしば起きている)
それで戻ってきたら、おいら自分の畑に居たんだ。そんで、今朝の明け方に夢見てたんだ。それが赤いヒラヒラの衣着てた若い16・7の娘がね、お酌しながら何か食ってんだ。その酒の肴に、たしか油揚げだったような気もするが、匂いがないので油揚げかどうかははっきりしないがね。
(稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司や稲荷寿司に使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではい。検索ウィキぺデア)
じゃそれ夢なんだな。
ああ、夢・・・か、それにしゃ 前立腺あたりが・・・。
男は、そういいながら下半身を擦りがらニタッと笑った。
画像
チュニジアで発見された紀元前4世紀のフェニキア人のデスマスクはニヤリと笑っている。紀元前8世紀頃、古代ギリシャの詩人ホメロスは顔をゆがめさせる薬を使ったサルデーニャ島の儀式殺人について記録している。
説明ページ
http://www13.plala.or.jp/corakira/index6644.html
三長稲荷(みつおさいなり)・伝
私が住んでいる家の近くの杜に「三長稲荷」という旧字名の土地がある。かつては信仰対象となっていたであろう土地だったが、バブル全盛のころ、宅地造成の歯胚に合い森は更地宅地に造成された。ぼほ一山の1町歩の面積だ。
その山は、古来より言伝えがあり、名のとおり三人の長(おさ)が居た、または棲んだ土地である、という話を訊いたことがあった。
その北、約500メートル先には、「稲荷台」という字名地名もある。その畑から鏃(やじり)も出土している。また、杜の入り口らしき所には「道祖神」の祠が祭ってあり、古来より、「偉い人」が棲んでいたと思われる痕跡があった。
その山の頂には十文字状に掘り込んだ穴がある。
縦横十字状だが、詳しくしらべてみたところ北の方位が僅かに傾いていた。形と言い、方向といい、それが何を意味しているのかまったく判らなかったが、ある日、陰陽師「安倍 晴明」の本を読んでいて、それと思われる施設にたどり着いた。
それが「霊台」という方位と、年間サイクルをカウントする天文施設であることが判った。とすると、それが作られた時期は安倍晴明の年代、もしくはその前ということになる。
安倍晴明は、延喜21年1月11日〈921年2月21日〉 - 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉、平安時代の陰陽師。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。官位は従四位下・播磨守。ということで、鎌倉時代の文武ともに大変革期であったことと一致する。そこから平瓶(ひらか)の焼き物が出土していて、古墳時代より栄華を極めたことが、それらのもので類推できた。
なにより「稲荷様」を鎮座することによって、その地を清め、そして人知及ばざる聖地に仕立て上げるという、手の込んだ時代変遷が、ありありと読み取れる。
その神聖地年代を数えてみれば少なく推定してみても、1700年前のこと、として思いを馳せるが、現在では、その前の道路を車が頻繁に走行している光景を見ていると、だれもそこに1700年前の日常があった、とは思いもしない。
その山は、今では夏草が繁茂し、造成したときの岩肌が部分的に見えるだけで、風が吹くと葦の穂先が風に揺れている。それは1700年前とまったく変わらぬ景色のはずだが。
※注
稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。
狐は古来より日本人にとって神聖視されてきており、早くも和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場する。宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、「三狐神」は「サグジ」と読む。
時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。
上記されているように稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。
江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。
稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。
他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司や稲荷寿司に使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。(検索ウィキぺデア)
関連記事 http://www13.plala.or.jp/corakira/index0302.html
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