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【埼玉】

ユダヤ人収容所の子どもが描いた絵 熊谷で27年ぶり展示

10歳の女の子が楽しかった遊園地の思い出を描いた絵=野村路子さん提供

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 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所に残された子どもたちの絵を集めた「テレジン収容所の幼い画家たち展」が六月七日から、熊谷市の八木橋百貨店八階カトレアホールで開かれる。同展は川越市在住のノンフィクション作家・野村路子さん(81)が一九九一~九二年、八木橋百貨店を皮切りに全国二十三カ所で巡回展を開催し、大きな反響を呼んだ。二十七年ぶりに出発の地での開催となる。野村さんは「当時、絵を見た子どもたちが親になって来てくれたら」と話している。 (中里宏)

 展示する絵は、チェコ北部のテレジン収容所に収容された子どもたちが、親と引き離され、飢えに苦しむ中で描いた。遊園地など楽しい思い出を描いたものや花の間を自由に飛び回るチョウに思いを託した絵がある一方、飢えの中で食べ物を描いたり、ナチスに処刑されたユダヤ人を描いたりした絵もある。

 生存者の取材を続け、多くの本を出版している野村さんによると、テレジンに収容された十四万人以上のユダヤ人のうち、子どもは約一万五千人。餓死や処刑者の出る極限状況の中で、大人たちは監視の目を盗んで、捨てられた包装紙や書類などを集め、子どもたちに希望を持たせようと絵を描かせた。

 教えたのは女性画家のフリードル・ディッカー。「あなたたちには名前がある。ドイツ兵が番号で呼ぼうと、お父さんとお母さんが愛情込めた名前を書きましょう」「あしたはきっといい日になるわ」と子どもたちを励まし続けたという。

 多くのユダヤ人はここからアウシュビッツなどの絶滅収容所に移送され、生き残った子どもは百人。フリードル先生も犠牲になった。ドイツ敗戦後、テレジン収容所跡から、四千枚もの名前の書かれた絵が見つかった。

 野村さんは一九八九年、旅行で訪れたプラハのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で偶然、子どもたちの絵に出会った。「この絵を中高生の自殺が問題化している日本で見せたい」と国立ユダヤ博物館にかけ合い、絵の写真を持ち帰った。

27年前の本紙記事などを手に「絵の意味は古くなっていない」と語る野村路子さん=川越市で

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 九一年四月、八木橋百貨店で開いた展覧会の初日、受け付けに追われる野村さんに四、五歳の男の子が歩み寄り「ぼくのおやつあげる」と何度も言ってきた。男の子が見たのは豚にフォークが刺さった絵。「描いた子はおなかがすいていたのねと言ったんです」とそばにいた母親は泣き出したという。「絵の持つ意味は今も、ちっとも古くなっていない」と野村さんは言う。

 展示は絵の写真パネルと写真資料など約百六十点。十二日まで。九日と十日の午後には、テレジンの子どもたちが残した詩の朗読やミニコンサートなどが開かれる。入場無料。

 

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