頭いい人って思われたい人にオススメ、読むだけで賢くなる三冊!
いや、そんな虫のいい話はないよ、君。
こんなごとき惹句に惑わされてリンク記事に飛んではいけない。そんなことでは広く浅く小銭を稼いでいるような連中のいい餌食になってしまうぞ。気を付けるべきだ。
とはいえその気持ち、よく判る。
全国民がインターネット大作戦のまっただ中にいる現在、良きマウンティングをキメるには「頭のいい人」というステータスがものを言うからだ。それを得るには不断の努力が必要だが、面倒だし、我々はネットやソシャゲで忙しい。だから手っ取り早く読むだけで頭いい人になる方法を探し求めるのは自然なことなのだ。最低の動機だな。でもこれが人間というものでもあるから、私はそうした感情を一概には否定しない。
読んだだけで賢くなる本なんてものはないけれど、読むと賢くなった気になる本ならいくつか心当たりがある。
比較的新しめのものだと『サピエンス全史(上・下)』が良い。
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一頃は本屋に城壁が如く平積みされていて、書店の売りたい気持ちがひしひしと伝わってきた。そのコーナー規模もたいへん大きく、これに比肩する店頭キャンペーンはあの例の騎士団長が殺された小説が大々的に売り出されていた時くらいのものだった。好きなジャンルであったので、もちろん買い求めた。
サピエンス全史は上下巻でけっこうお高い。だがそれだけの価値はある本だ。教養は金で買えるのか。その問いに対する答えが本書だ。買える買える。余裕。
この本は、歴史的事実をそのまま提示するのではなく、著者による調理が行われているのが大きな特徴だ。無味無臭な複数の事実を結びつけて、ドラマティックに解釈するという手法だ。その手法を武器として、人間社会なるものがどのように成立し、維持されているのかという大きなテーマに切り込んでいく。著者による味付けが非常に濃い歴史本だ。もしかすると、解釈がダイナミックすぎることに戸惑う読者もいるかも知れない。歴史なのだから客観的事実の提示のみに留めて欲しい。解釈は自分でするものだ、という読者も多いだろう。その指摘には一理あるが、ひとつ大きな問題がある。面倒すぎることだ。
そもそも我々がこの本に手を出した動機を考えてもらいたい。歴史を学ぶのは一朝一夕にはいかないし、解釈だって生半可な知識でできることではないし、我々はネットやソシャゲで忙しい。素直にハラリ教授(著者)の知性に身を委ねて思考停止すればいいのである。読了したあとには全能感を獲得できる。飲み会で「人間ってのは穀物の奴隷なんだよ」などとニワカ知識を振りかざすのも良いが、相手がすでに同じ本を読んでいると恥をかく。流行本なのでたくさんの人が読んでいるはず。よく見極めよう。
またこの大著を読み終えるだけでも、けっこうな大仕事であることは覚悟しておいた方が良いかも知れない。
同じ系統で『銃・病原菌・鉄』を思い出す人も多いはず。
この本はあまりにも面白すぎたため、以降に大衆科学本ブームが起きてしまったほどだ。書店はサピエンス全史のコーナーにぬかりなくこれも並べていた。確かにまあ並べるだろうという本である。率直に言って『サピエンス全史』と似たような本だ。同じ企画書でふたりの学者に書かせたらこうなりましたみたいな雰囲気すらあるが、こちらの方が元祖にあたる。
一昔前の本だが、今でもまだ炭酸は抜けきってはいない。本書もたいへん影響力が強い。読んだあとは、聴衆を探して彷徨うことになるから、スノビズムに陥ってしまわないよう注意が必要だ。原則、こういった本の話は興味のない人にしてはいけない。それが悠久の時(40数年)を生きて得た私の結論だ。
個人的にもこの本には、シヴィライゼーションのような文明育成ゲームで、初期地形が不利すぎるのでいい地形になるまで何度もリセマラするのはまったく悪いことではないと確信させてくれたので感謝している。
多少乱暴にまとめて良いなら、本書の内容はこう結論づけることも可能だ。
運も文明のうち。
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さらに以前のものとしては、まあ探せばいろいろあるとは思うが、私を構成する十冊にも入っている『緑の世界史』、これをおすすめしたい。
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ただこの本は、前の二冊とは異なって、そう刺激的な本というわけではない。実直な知的興奮はあるが、エンターテイメント性という面では弱いかも知れない。
ただ間違いなく面白い本ではあるし、扱っている領域も先の二冊と重なっていて、併読するに適している。
あいにく絶版本。しかし中古で250円程度で買えるようなので、今ならお得だ。この感じだと古本ショップにもごろごろ転がっているだろうから、興味がある方は探してみると良いだろう。先人の知恵が小銭で買えるのは素敵なことだ。
さて。
こういった本を読み続けることで、頭が良くなった気にはなれた。そこまでは良いとして。ここから先「頭のいい人」をこじらせてしまわないよう、注意しないといけない。
知識を身につける人と、知識を装備してしまう人がいるのだ。これらは似ているようで全く違う。後者が問題だ。
装備するというのはどういうことかというと、要するに人を殴打する。
過ぎた知識自慢や、過激な警察活動、相手の無知に対する侮辱。これらの暴挙に出てしまうならその人はスノッブと呼ばれても言い訳はできない。スノッブと指摘されることほどつらいことはない。私も自分がスノッブであることがバレないよう、物言いには気を付けている。
読むと賢くなったような気になれる本は、先にあげたもの以外にも世にたくさんある。それらは自分を高めるために用いるべきで、モーニングスターがわりにするのはよろしくない。ということでこれから何冊か、教養本とあわせて読むべきものを紹介したいと思う。
スノッブに効く処方箋というわけだ。予防接種のように活用してもらいたい。
原則として処方箋本は「反面教師性」とでも呼ぶべき要素の有無で選んでいる。
人のふり見て、というやつだ。
では一冊目はこちら。
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文庫はエッセイ集だが、表題作としてこの小説が収録されている。中編作品。
若かりし椎名誠が、盟友の目黒考二に喧嘩で負けた腹いせに、味噌蔵に閉じ込めて活字断ちを強いる……というお話だ。
こんなものを軽い読み口のエッセイ集に収録しないでくれ、と言いたくなるほど活字中毒には刺さる小説だ。
目黒考二(作中ではめぐろ・こおじ)は、連続性視角刺激過多抑制欠乏症なるものにかかっている。常に文字を読み続けていないと生活に支障をきたすという奇病だ。活字中毒をよりひどくしたものだ。これを知った椎名誠は、めぐろ・こおじをだまくらかして監禁し、活字が読めない状況にしてやろうと目論む。なんという筋書きだ。普通思いつかない。
椎名誠も目黒考二も実在の人物であるから、ある種のメタフィクション的雰囲気も漂う作品だ。これをはじめて読んだ時、当時ネットがない時代で真偽を確かめることができず、シーナさんと目黒さんの関係を半ば本気で危ぶんでしまった。
現在、ネット上には当時を語った両者の対談も転がっている。それによると大半が創作であるらしい。だとしても目黒さんが愛書家であることは事実であるはず。小説では、めぐろ・こおじは新刊本が出ると、書店にすっ飛んでいって両手の紙袋がパンパンになるまでドカドカ買いまくる。このくだりは圧巻の一言だ。
椎名誠(作中ではおれ)の悪ノリによって増幅された活字中毒者の生態には、世の本好きたちも思わず半笑いになってしまうんじゃないだろうか。結局のところ、本を読みたいというのは性欲と同様欲望の一種なわけで、ギトギトしたものが根底にはあるはずだ。読書は知的な作業であるがゆえか、なんとなくそのあたりが覆い隠されているように思われるのだ。この小説では活字中毒がきっちり欲望として描かれていて、下品な短編小説を書いている時の筒井康隆を連想させないでもない。
はじめて読んだ時は「違う! 俺は確かに本好きアピールしてるけど、こんなヘンな買い方はしていない! 赤い笛吹きケトルだって持っちゃいない!」と逆上してしまった。かなり刺さった。
椎名誠を読んだことがないという方がもしいれば、是非この機会に本書に手を出して、かつての私のように複雑な気持ちになって欲しいものだ。
なお笛吹きケトルは作品中に出てくる小道具だ。
めぐろ・こおじは湯がわくと音が鳴るこのゆかいなやかんでインスタント・コーヒーを淹れ、明け方まで読書にふけるに違いない……と椎名誠に憶測されてしまうのだ。たいして意味のあるくだりでもないがどういうわけか、私がこの小説について一番印象深いのはこの赤い笛吹きケトルの場面である。読書とは不思議な体験だ。
ところが先の対談によると、この笛吹きケトル自体も創作なのだという。たいへん残念なお知らせだ。笛吹きケトルくらいは事実であって欲しかった……。
ちなみに目黒さんはこの小説が世に出てしばらくの間、「あの味噌蔵に閉じ込められた人でしょ?」と人から笑われたそうだが、このエピソードは面白すぎてずるいと思った。
この本を紹介している他の記事 *PV順に自動抽出されたもので、記事の書き手により選択されたものではありません 『銀河の死なない子供たちへ』~<編集者はかく語りき ・・・1> by.シミルボン編集部:やまねこ
すでに本コーナーでは何度か紹介されているようだが、貴重な処方箋なのでこちらでも紹介したい。
内容については今更説明しなくても良いかも知れないが、一応ざっとまとめると、本読み高校生四人によるトーク漫画だ。毎回古典から流行作まで幅広く書籍が取り上げられていく。四人の高校生はそれぞれ本に対する姿勢が異なるが、中でも主人公の町田さわ子は、日本スノッブ界の生んだ奇跡のキャラクターと言える。
さわ子は読書家と思われたいにもかかわらず、難解本はできるだけ読まずに済ませたいという(自分に)優しい女の子だ。いかにもなキャラクターなのだが、ここまで自分の欲求に忠実すぎると嫌な感じはまったくしない。
とにかく読んでいる最中、楽しいという感情が刺激され続ける漫画だ。こういった軽い笑いを通じて自分の中で肥大化した感情を相対化したり償却していくのは有益なことに違いない。
町田さわ子の言動に笑いながら気軽に読み進めることができるからつい錯覚しがちだが、要所要所で出てくる本読みあるあるネタ自体はけっこう鋭いのだ。痛くないのは町田さわ子のご人徳のおかげだ。日本スノッブ界の至宝に感謝だ。
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クズメガはWebコミック発の四コマ漫画。今回の三冊の中では、娯楽作品として一番素直に読める。
クズの主人公が文学少女に恋をして、その間にメガネが巻き込まれるという三角関係を描く作品だが、この説明は正しいのにどこかずれていて、実際まっとうなラブコメ作品として発展する余地は7話くらいには消失してしまう。そのあとは、この作者が得意とする低体温系ギャグ漫画になり、やがて少年少女たちによる自意識の長い旅がはじまる(多分)。
ヒロインの文学少女、織川衣栞は高校で馬鹿と思われるのが嫌で文学少女キャラを演じている。これこれ。我々スノッブが気を付けないといけないの。
織川衣栞のやらかし具合は突き抜けていて、しばしば読者の想像を軽く飛び越えてくる。そんな彼女も最初はおとなしく……というより、主人公にとっての憧れのクラスメイトという描かれ方をしているのだが、12話でいきなりいろんなものを露呈してしまう。優れたプロットだ。
12話を転機とした15話までの流れもよくできている。本コラムをここまで読むような方なら、ここで一気にヒロインに親近感がわくのではないだろうか。
今でも無料で公開されているからすぐにソク全話読めるのだが、ここには銭がある限り本を買っても良いと考える人が大勢いるという話なので、製本版を強くプッシュしたい。紙の本を買うメリットとしては行人(綾辻)の帯コメントと各種の描き下ろしがある。描き下ろしは大量だ。こうこなくちゃな、という感じの紙の本である。まあ描き下ろしは電子版にもあるだろうから、正味のメリットは行人の帯だけになってしまうが……。
同じ作者の『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』などを読んでも思うが、自意識の長い旅に出て、アバンダンド・ダークサイド・オブ・ヒストリーを積み重ねながら少しずつ当初の予定とは違うより価値のある何かを得る……というのがこの作者の得意技なんじゃないかと私には感じられる。痛ましいキャラたちを、こぬるく見守ってあげよう。