オポチュニティがあるなら締切までに勉強すればよい ─ チャンスを引き寄せるアピールと仕事術

こんにちは。Twitterではところてん@tokoroten)として活動している中山心太です。
昨年(2017年)気が付いたら社長になってしまい、自社サービスを開発する資金を稼ぐため、さまざまな会社からお仕事をいただいております。

デキる男のサテライトオフィス

この2月に「5社同時に働いてみて分かったこと」というブログ記事を書きましたが、今はさらに増えて同時に6社の仕事をこなしており、曜日ごとの内訳はこのようになっています。

  • 月曜・火曜
    • 半導体検査装置の研究開発、C++で画像処理
  • 水曜日
    • 隔週:SI企業の機械学習部門のメンター、顧問
    • 隔週:ECサービス会社の顧問
  • 木曜日
    • モバイルアプリ用のミドルウェア開発会社で、レコメンデーションや予測ロジックの研究開発、Jupyter、Python
  • 金曜日
    • 隔週:音楽ベンチャーの新規事業開発支援
    • ゲーム会社でゲームディレクター、Unity、C#

これに加えて、自社サービスの開発として、AndroidアプリをJavaで作っていたり、Chrome ExtensionをJavaScriptで書いていたりします。

「どうしてそんなにバラバラな仕事をしているの?」とよく聞かれますが、私のなかでは「全部一緒じゃん」という感覚です。なぜそのような感覚なのか、私自身のプログラミングに対する原体験から始まる経歴を簡単に紹介し、複数の現場を回す仕事術、そして今取り組んでいるプロジェクトの背景にある個人的な体験を話したいと思います。

ゲームにハマり、ロボットをプログラミングしたかった10代

自分がプログラミングを面白いと思ったのは、プレイステーションのカルネージハートというロボットシミュレーションゲームからでした。当時は小学生でしたが不登校で、フリースクールに通いながら、カルネージハートでロボットのプログラムを延々と書いていました。

中学校に入ってからは保健室登校という形でかろうじて通学していました。保健室登校の1年で、中学校の3年分の全部の教科書を読み終え、2年生から教室復帰し、理科と数学だけ常に満点というよく分からない学生生活でした。英語や国語の時間は、カルネージハートの机上プログラミングに励んでいた覚えがあります。

小学校はほぼ不登校、かつ中学校も半分しか通っていないので、30歳を過ぎた今でも大半の漢字が書けません。それでもまぁ何とかなっています。かな漢字変換は偉大です。

高校生になって、飲食店のバイトで得た資金でPCを自作し、本格的にプログラミングを始めました。画像処理をしたり、ゲームの処理エンジンを作ったり、いわゆる「テレホタイム」にはネットゲームの「ウルティマオンライン」ばかりしていました。

そのころ同人ゲームを作ろうと、サークルを作って試行錯誤していたのを覚えています。ゲームは結局のところ完成しませんでしたが、そのとき「(ゲームが)面白いとは何か?」という難問にぶち当たり、脳科学や認知心理、哲学といった本を乱読しては「よく分からない」と頭を抱えていたことも含めて、とても良い経験でした。

自分の根底にあるモチベーションは、この頃からあまり変わっていません。「面白いゲームを作りたい」「ロボットのAI(プログラム)を作りたい」というものです。

面白いゲームを作るには人間を知らねばならず、人間を知るためには統計やビジネスを理解しなくてはいけない。AIを作るには認知科学や哲学を知らねばならない。そう考えていろいろと手を伸ばした結果が、今の働き方につながっているんじゃないかと思います。

同人ゲームで「一気通貫」な体験をする

大学では電子工学を学ぶかたわら、任天堂ゲームセミナー(9カ月間の長期インターン)に参加し、神田の任天堂オフィスに通い詰め、講義にはほとんど出なかったため留年しました。それで5年次には奨学金がなくなることが確定したので、生活費を工面するためIPAの未踏ユースに応募しました。

修士二年の夏に、ふと「大学生なんだからコミケに参加しなくてはいけない」と思い立ち、冬のコミケに応募しました。その後、当選の通知が届いたため、研究室に一週間泊まり込み、修士論文を書いてるフリをしながら、寝食の時間以外はすべてコードを書くという生活で、Howitzerというパズルゲームを完成させました。企画から開発、Webの制作、頒布、サポート、ユーザの反応をみてバージョンアップするところまですべてを一人で行い、これは今から振り返っても貴重な経験でした。

会社に就職して何らかの仕事に就くと、こういったプロセスのどれか一つに携わり、その仕事を何年か続けます。場合によっては、ずっとその仕事を続けていきます。多くの人にとって、複数のプロセスに携わることはまれなのです。

同人ゲームを一人で作って頒布したことは、ゲーム制作のプロセスすべてを体験するとても良い機会でした。後にゲームディレクターになったときにも役立ちましたし、今の私に大きな影響を与えています。

リリース後、1年半かけて細かくバージョンアップを繰り返しました。完成版のころにはもう就職していたためCDをプレスしようと思い立ち、500枚と価格があまり変わらないのでつい1,000枚を発注してしまい、今でも自宅に在庫の段ボールが転がっています(1箱100枚)。

Howitzerは、今でもインディーゲーム配布サイトPLAYISMから無料でダウンロードできます。

無限に連鎖をつくり出す落ち物パズル Howitzer| PCゲーム、インディーゲームならPLAYISM

研究よりも「お金を稼ぎたい」という強い気持ち

大学では、高校から趣味でやっていた画像処理が「電子透かし」に使えるということで、情報セキュリティの研究室に2年次から在籍し、そのまま学部・修士と情報セキュリティを研究しました。

卒業後も通信会社の研究所で、ハニーポットを運営してマルウェア(コンピュータウィルス)を収集したり、集まったマルウェアを逆アセンブルして挙動を調査していました。しかし、研究所では、ハードウェア(電話交換機など)を開発・導入するプロセスがソフトウェアにも適用されており、研究成果を事業導入するまで1年半をかけていました(かなり昔の話で、今も同じかは分かりません)

マルウェア研究は約2週間で賞味期限が切れるため、この研究を続けても事業には貢献できないと判断しました。思ったより「お金を稼ぎたい」という気持ちが自分の中に強いことにも気付き、これからの稼ぎ頭になるであろうビッグデータ部門に異動させてもらいました。

とはいえ研究所では事業に関連するデータがなく、ちゃんとしたデータを求めてソーシャルゲームの会社に転職しました。最初は社内のデータ分析処理基盤に携わり、その後、広告の効果測定の集計を皮切りに、少しずつゲームの分析を行うようになりました。自分の書いているコードがお金に直結しているということは、とても良い経験でした。

既存ゲームのバランス調整や立て直しをデータに基づいて行っていたところ、リリース前のゲームのバランス設計も任されるようになったのですが、データ設計だけでは面白いゲームを作れないと悟り、ゲームを企画する側に回ることになりました。

ビッグデータの仕事をしたかったはずが、気付いたらゲームディレクターになっていたのです。不思議なものですが、自分の中では「面白いゲームを作りたい」ことと「ロボットのAIを作りたい」ことの2つのモチベーションで動いていたので、特に違和感はありませんでした。このとき学んだ体験については後述します。

6社同時に働く仕事術

その後、より高度なデータ分析を行いたくなったためEC関連ツールのベンチャーに転職し、リアルタイムの予測エンジンを作ったほか、事業全体のアーキテクチャの設計や、経営計画、営業、新規事業開発と、やれることは全部やって退職しました。そして起業して新しいコミュニケーションツールを作ることにしました。

起業するにあたって、当面は無借金で行くことを決めました。自社サービス開発のためにエンジニアをフルタイムで雇用していることもあり、私とエンジニアの二人分の給与+サービス開発の外注費用を支払うべく、必然的に6社の仕事を同時にこなすという働き方になってしまいました。

5社同時に働いてみて分かったこと」でも書きましたが、週に1回だけ訪問するという働き方は、必然的に難易度が高いコア業務だけが降ってきます。その結果として、一つの会社からフルタイムの仕事をいただく状態よりも、単価を引き上げることができました。

加えて、基本的に在宅勤務をしないことを自分に課しています。というと聞こえはいいですが、自宅はおもちゃだらけで気が付くと遊んでいるので、職場に行ってモードを切り替えないといけないというのが本心です。その空間に行くことで、脳みそを強制的に切り替えています。

一週間でのオフィス環境の遷移

「勉強すればできるように勉強する」ことで不意のチャンスをつかむ

複数の仕事を受託するには、対応できる技術が必要です。しかし、前もってすべてを習得しておけるわけもありません。不意に訪れる仕事のチャンスに「できる」か「できない」かの二分法で考えていては、大半は「できない」にカテゴライズされてしまい、そこで話が終わってしまいます。

私は「問題が起きてから勉強すれば間に合うように勉強しておく」という方針を採っています。これを実現するには、業界が「どのような構造になっているのか?」といった地図、専門家は誰か、どのような論文を読めばいいのか、どのようなキーワードで検索すれば解説にたどり着けるのか、といった情報を収集しておく必要があります。

そのため、暇を見つけてはさまざまな分野の本を読むようにしていますし、大学生の頃にはウィキペディアを読み続けて1日がたっていたこともよくありました。この方針で勉強しておくと、問題を次のように分解して考えることができるようになります。

  • (すでに習得している技術で)納期までに完成できる
  • 勉強すればできるし、その時間を入れても納期までに完成できる
  • 勉強すればできるが、納期には間に合わない
  • 自分にはできないが、誰ができるのかは知っている
  • 自分にはできないし、誰ができるのかも知らない
  • 今の科学技術ではできない

こう分解できれば、不意に訪れたチャンスに対して積極的に手を挙げることができます。もし納期に間に合わないならスケジュールを交渉できるかもしれませんし、誰ができるか知っていれば共同開発を提案できるかもしれません。

私は、ビッグデータ関連の部署への異動でも、異動が決まってからビッグデータの勉強をしていました。ソーシャルゲームやEC業界への転職もそうでした。オポチュニティがあるなら、締め切りまでに勉強すればいいのです。自分なら締め切りまでにできるという確信があれば、あとは根性の世界です。

Connecting The Dots ─ 点を面にする

不意に訪れるチャンスをつかむには「できる」「できない」ではなく、「勉強すればできるか?」という視点を持つことが重要です。それでは、そのチャンスが訪れる状況を作るにはどうすればいいのでしょうか?

かつてスティーブ・ジョブズはConnecting The Dotsという言葉を残しました(次の動画の5分10秒あたり)

ここでは、点が線となってつながるかどうかは事後にならないと分からないため、自分の経験が将来につながると信じて、学び続けることの重要性を説いています。

これは学習(インプット)だけでなく、アウトプットにも適用できる、と私は考えています。そしてアウトプットにおいては、ある程度計画的に行うことができます。

私は、「メディアアートをやりたい」という学生が、作品を一つ作って評価されず、作るのをやめてしまう、という例をたびたび目にしています。一方で、一つの作品が高く評価されてしまったがために、ずっと同じものを改良し続け、「その作品しか作りたくない人なのだ」と周りから見られてしまい、チャンスを逃してしまっているであろう人も目にしています。

上手くいっている人は、自分が作っているものを「作品」というパッケージにまとめて、明確に区切りを付けて公開し、それを何度も繰り返しています。その結果、その人が何を作りたいのか、どう表現したいのか、どのようなことができるのか、といったことが作品群を通じて見えてきます。

作品を一つしか公開していない状態では、その人がどのようなものを作れるかはわかりません。しかし2つ、3つと公開していくと、自分が望むものをその人が作れるかどうかが分かってきます。そして、外部から作品制作の依頼が舞い込んでくるようになるわけです。

これはメディアアートだけでなく、一般の仕事でも同様です。

私は会社を辞めたタイミングでブログを作りました。そしてビジネス回りの記事をいくつか書いておきました。それが、現在の6社同時に働くという状態につながっています。

もとより、私がデータ分析やゲームディレクターの仕事をしているということは、これまでの活動を通じて広まっていると認識していました。そこで、ビジネス回りや会社の仕組みといった記事を投入すれば、「データ分析」「ゲームディレクター」「ビジネス」の三軸がそろい、点が線になり、面になると考えました。

その結果、社内の技術コンテストの審査員といったスポット案件に始まり、データ分析部門の立ち上げ支援や、新規事業の開発、機械学習周りのR&Dといった継続案件をいただくようになりました。

あなたが持っている作品やスキルを、そのままの形で必要としている人はそうそういません。しかし、自分を点ではなく、線や面でアピールすることができれば、話は変わってきます。相手の欲しいものが面の中に見つかるかもしれません。自分をいかに多軸でアピールするか? これは仕事を得る上での大きなテクニックになります。

新しいコミュニケーションツールの設計

このようにいくつかの仕事を受託しながら、自分の会社ではVeinという新しいグループウェアのサービスを作っています。私には、コミュニケーションについて考える強烈な体験が過去に何度かあり、今のグループウェアやコミュニケーションツールにはいくつかの機能が不足しているのではないかと考えたのです。

通信会社の研究所にいたころ、Yammer(企業向けのクローズドなSNS、2012年にマイクロソフトが買収)の運用に一時期携わっていました。また、ソーシャルゲーム会社ではIRCを経てChatwork、ECベンチャーではSlackと、いくつかのコミュニケーションツールを利用してきました。

その過程でずっと気になっていたことが2つあります。

  • なぜ、オープンなチャンネルでは約2割の人しか発言しないのか?
  • チャンネルで発言しない人は、なぜ「チャンネルですればいい話」をDMで送ってくるのか?

オープンなチャンネルでのコミュニケーションでは直接の話し相手だけでなく、チャンネルにいる同僚にもコンテキストが共有できるように発言しなければなりません。パブリックに向けて文章を書くことは実はかなり難しいスキルで、なかなか普通の人にできるものではない、ということなのではないでしょうか。

最近のベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子供たち』(新井紀子著、東洋経済新報社、2018年)でも、まともに文章の読解ができている学生は、約20%であることが示唆されています。

AI vs. 教科書が読めない子供たち | 東洋経済

社会全体としては文章の能力が高い人は限られているのに、文章について難しいスキルが要求されるツールを導入して業務改善を行うのは、何かおかしいと感じています。私は、ゲームディレクターとして全体の8割に向けたゲームを作ってきました。グループウェアだって、同じ方向性のサービスがあってもいいはずです。

全体の8割に向けたゲームの作り方

ゲームディレクターの仕事を通じて学んだことは、自分が面白いと感じるゲームを、世の中の多くはそう面白いと思わないということです。逆に、自分がツマラナイと感じたゲームが、広く受け入れられたりもします。

隣の部署のゲームが完成間近で、テストプレイを社内でするということがありました。参加させてもらったのですが、これがまったく面白くありません。触っていて気持ちよくなく、ストレスで頭が痛くなるほどでした。しかし、リリースされてみると売上は私が担当したゲームの数倍にもなりました。

なぜ、あのようなゲームが売れるのだろうか?と、必死になって考えました。SNSなどで、自分のゲームと隣の部署のゲームがそれぞれどんなユーザ層に評価されたのかを調べたところ、私はゲーム好きに向けたゲームを作っていたのだ、ということに気付きました。

よくゲームで遊ぶ人は、ゲームだからこそ頭を使い、難しくテクニックが要求されるゲームを良しとします。一方、あまりゲームで遊ばない人にとって、ソーシャルゲームは一種の暇潰しであるため「ゲームでまで考えたくない」となるわけです。そして、後者の方が圧倒的に大きいマーケットなのです。

この体験を経て、私は自分の直観や感覚は信じるものの、それがどのようなペルソナの人にどのように受容されるか? そのペルソナの人はどれくらいいるのか? までを含めてエミュレーションして思考するようになりました。

コミュニケーションの非言語化への流れ

新しいコミュニケーションツールを作ろうとした背景には、コミュニケーションについて考える強烈な体験がありました。

私はFPSゲーム(主人公本人の視点で行動するアクションゲーム)が好きで、2011年ごろはバトルフィールド3でよく遊んでいました。このゲームでは、Battlelogと呼ばれるSNSとゲームが融合しており、ゲームの戦績を簡単にSNS上に公開することができました。

このSNSで、私はゲーム中に知り合ったフランス人とつながっており、英語でコミュニケーションを取っていました。あるとき、私が公開したゲームの戦績に、フランス人がLikeを付けてくれました。お互いに母国語がわからなくてもLikeで理解しあえたことは強烈な体験となり、「BattleField3にみる自己表現としてのゲームプレイ」として勉強会で公開しました。

  • 文章を書かなくても、ゲームプレイによってコミュニケーションのためのコンテンツが生成される
  • 言語を介さずに、ゲームの結果だけでコミュニケーションできる
  • Likeは言語を超えて、非言語的なコミュニケーションが主体になりうる
  • これまで流行したSNSの進化を振り返っても、言語やコンテンツに依存しない形に進歩している

それから5年がたち、顔写真自動加工アプリ「SNOW」や、ゲーム実況サイトTwitchの成功なども踏まえて「情報発信の簡易化の流れ、そして受動的情報発信へ」というブログ記事にまとめ直し、資料も公開しています。今なら、リップシンクアプリの「Tik Tok」や「musical.ly」の説明も加えられますが、それはまた何か別の機会にしましょう。

Veinの話

さて、そういうわけで、私は最近はVeinというサービスを作っています。この記事が出るころにはティザーサイトが出ているといいなーと思っています。

コミュニケーションには、先ほど書いたように言語的なものと非言語的なものがあります。企業は表向きには言語的活動を通じて動きます。SlackやChatworkといったチャットツールは企業の「動脈」として機能し、言語的なグループウェアはどんどん増えています。

言語的なコミュニケーションは、必ずしも良いことばかりではありません。形式知化された情報の交換は容易ですが、暗黙知の共有は容易ではありません。加えて、チャットに参加できない多くの人は、暗黙知を形式知に変換できず、情報を交換することができないと考えています。

そこで、暗黙知を暗黙知のまま交換できる非言語的なコミュニケーションツールはできないか? 人の言語能力に依存しないグループウェアが作れないか? と考えた結果がVeinです。

Veinは英語で「静脈」という意味です。非言語的なコミュニケーションを通じて社内コミュニケーションの「静脈」を担いたい、という願いを込めてVeinというサービス名にしました。

Veinは自分が見たウェブサイトの情報や、同僚が見たウェブサイトを共有するグループウェアです。端的に言ってしまうとビジネス向けのソーシャルブックマークサービスです。しかし、非言語コミュニケーションに対して味付けをしており、他のサービスとは一味違ったものになっています。

リリースされたら、ぜひともお試しいただけると幸いです。

最後に

これまでの経歴や体験についていろいろと書いてきましたが、これはあくまでも私の生存者バイアスにすぎず、並行世界の多くで私は失敗しているでしょう。ましてや不登校児童の成功譚などでは絶対にありません。私が現在のように活動しているのは偶然にすぎず、再現性があるものではありません。それでも、何かしら気に留めておいてもらえれば幸いです。

執筆者プロフィール

中山心太(なかやま・しんた) @tokoroten / tokoroten / Tokoroten Nakayama

tokoroten

電気通信大学大学院電気通信学研究科博士前期課程修了。通信会社の研究所や、ソーシャルゲーム会社を経て2017年から株式会社NextInt代表。著書に『仕事ではじめる機械学習』(共著、オライリー、2018年)、『キズナアイ 1st写真集 AI』(寄稿、KADOKAWA、2018年)など。ブログは「ところてん – Medium」。感想やお仕事の依頼は@tokorotenまでご連絡ください。

協力:鹿野桂一郎(技術書出版ラムダノート)