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須田城二ノ丸の広間で須木江、 屋久攻略のための軍議が開かれた。 城主、佐武良三景次(さたけ よしぞう かげつぐ) を上座に、重臣の諸井吉郎政安、仲島源助成次を 相向かいに、茅部城から樫井(かしい)三十郎正重、 豊地城からは高木十蔵尚芳も列席し、その下座に 佐武家臣四人が続き、更に今回初めて本城から 梶谷内膳佑宗善が加わった。 今や神保家を取り仕切る梶谷左兵衛の嫡男で、 本城からの援軍を率いる身ということで、 良三が気遣って自ら上席を勧めたが、 「いえ、新参の身故、ここで結構にござる」 と末席に腰を下ろした。 良三と吉郎、三十郎を除けば、列席の家臣達は 皆、宗善と同年代の若者だが、彼らと比べても 実戦経験の少ない宗善には遠慮があった。 (虎の威を借る狐と思われては敵わんからな・・・・) 先代惟道の拡大路線を受け継ぐ梶谷左兵衛 からの指示によって、東部の須木江領攻略は、 東部の要の須田城、佐武方が主力として北の茅部、 南の豊地と共闘し、また、豊地城は南東の屋久を 相手に適時、須田城の加勢を得ることになっている。 当初、佐武方としては積極果敢に力押しの方針 だったが、援軍を得ても自勢力は限られ、須木江も また屋久の加勢を得て、戦力はほぼ拮抗している。 度重なる戦で決着がつかない以上、強攻一辺倒で 袋叩きに遭えば、その後の不利は必至である。 そのためにらみ合いも繰り返され、 戦況は膠着状態になっている。 とはいえ攻略を任務とする役目上、怠けるわけ にも行かず、戦略の転換、練り直しを考えていた。 そこへ梶谷左兵衛の嫡男宗善が、本城から援軍を もって加勢するという。 「古竹で協力しながら東部方面を任せ切るのは、 やはり本城として責任逃れの誹りは免れず、 遅ればせながら我が父左兵衛により、それがしに 向かうよう命じられました」 およそ三千の援軍派遣は、あくまでも左兵衛に よる差配という建前にした。 (評価は父上ですぞ。感謝してくだされよ・・・・) 三千の加勢は決して多いとはいえないが、 本城の規模からすれば妥当であり、 拮抗状態での増援は、やはり貴重である。 「我が方の軍略に幅が広がる。誠にありがたい」 と、良三は率直に喜んだ。 豊地勢代表の十蔵は闇雲な力押しに反対だった。 十蔵は古竹攻めの際、坂原の部下で足軽大将 として現場にいた。坂原の要求通りに力攻めに なれば、どれほど犠牲になったかわからず、 自身も終わっていたかもしれない。 (・・・・俺は大膳様ではない。俺は違うぞ・・・・) しかし、繰り返される援軍の負担を嫌って 短期決戦を望む主君義正の意向もある上、 十蔵自身、煮え切らぬ戦況に苛立ちもあった。 性分なのか、坂原大膳の影響なのか、 自身でもよくわからない。 十蔵が派遣に指名されたのは、峰口左京主従達が 古竹旧領を任され、新たに本城から与力三人が 加わったことにより、家中代表ともいえる十蔵の 立場、権限を引き上げようという義正の配慮 からだった。与力の手前、明言は無いが、 家中の誰にも明らかだった。 (・・・・殿は大膳様の代わりに俺を頼っておられる) 武将たるもの、命令に従って無難に立ち回っては 到底手柄を得るには至らない。己の活躍が己自身と 豊地勢、主君義正の評価に繋がる。結果、 「一気果敢に攻めるべし」 との強硬論に至り、同じく援軍の茅部勢代表、 樫井三十郎も同調した。 「にらみ合いになるのは、互いに先手の不利を 悟る故でござろうが、戦なれば多少の不利、 犠牲はやむを得ぬこと。無論、御当家に犠牲を 強いるつもりはござらぬ。ぜひ、我が豊地勢を 先鋒にお命じ頂きたい」 (俺は逃げぬ。俺自ら行くのだ。やましいことはない) 力攻めを強いるだけでなく、十蔵自ら先鋒を 願われては佐武方も反対しづらい。 (やはり大膳の直弟子か・・・・) と、剛将かくなるものかと感心するやら 気まずいやらの佐武方の諸井吉郎は、 「いやいや、豊地勢に甘えるわけにはまいらぬ、 先鋒はあくまでも我ら佐武方、 須田勢にお任せ願いたい」 と、建前を述べるまでになっている。 対して宗善は、 「まあ、お待ちくだされ、戦への意気込みは ごもっともにござるが、手堅くまいりましょう」 と、強攻策に待ったをかけた。 「手堅くとは如何なることにござろうか」 樫井三十郎が聞き返すと、 「既に御当家と御加勢の豊地勢、茅部勢共に 御活躍が続き、それがしの参加は今ようやくに して戦況に疎い故、事前によく伺って考えて まいりました。戦は勝つべく、即ち目的を達する ための手段にござる。手段は複数あって当然、 御当家の負担を避けるためにも、まずは外堀を 埋めるように、調略を用いることにしては 如何でござろうか」 と、内応と周辺外交を進めるべきと提言した。 佐武方としても、合戦前の調略は当然との 認識はあるが、諸勢力へも念入りとなると 手間も時間もかかり、成果を期待すれば 容易に月日が過ぎる。本城の手前、 無為に過ごしているとの誤解も避けたく、 結果として戦に比重が置かれていた。 特に客分である十蔵や三十郎の強硬論の中で、 戦を控え、避けるような言動は憚られる雰囲気で あったため、本城からの宗善の明快な提言は、 佐武方にはまさに我が意を得たり、だった。 「なるほど。では、具体策は如何に」 良三がやんわりと尋ねると宗善は軽く会釈し、 「では、図面を用意したので各々方、 近くに寄って御覧頂きたい」 宗善は立ち上がると良三の前方に進み、 再び膝を着くと、胸元から二十寸(約60センチ) 四方の、筆書きされた神保領を取り巻く 諸勢力図を広げた。 家臣達が良三に見えるようにしつつ、 図面の周りに間を詰めて坐り直すと、 宗善は扇子で図を指しながら、 「御承知の通り、須木江と屋久は対神保の同盟を 結んで対抗を続けており申す。古竹攻略の情況と 同様であり、正面突破が困難であることは、 これまでの経緯で明らかにござる。そこで、 遠交近攻策をもって北東勢力に須木江と屋久の 背後を突かせ、戦力を分散させて各個撃破に することが肝要かと」 須木江北東には佐倉、その南に赤西、 屋久の南に茜が控えている。 三十郎が渋い顔で、 「・・・・しかし内膳殿、須木江と屋久が小勢ながら 神保に対抗していられるのは、既に北東勢力とは 話をつけておる証左ではなかろうか」 「無論、後顧の憂いを無くした上でのことと存ずる。 されども、そこはやはり利害で動くもの故、 須木江と屋久が意固地になっておろうとも、 我らと関わりの無い北東勢力が、拡大著しい 我らへの対抗勢力に与し続けるか否かは、 今後の我らの活躍と働きかけ次第と存ずる」 人の移動も情報も日数を要するとはいえ、 諸勢力の内情はある程度は知ることが出来る。 今や全国で弱肉強食、群雄割拠の紛争状態に 突入し、北東勢力も例外ではなく、佐倉、赤西、 茜も、隣接する須木江や屋久と組みつつ、 北東方面で争っていた。 彼らもまた神保の進展具合を認識し、 こちらの出方次第で方針を変えるだろう。 「我が神保家はこのまま拡大を続け、 ある者は討ち滅ぼされ、ある者は降伏し、 あるいは同盟を組んで、遅かれ早かれ我らの前に その結果を示すことになり申す。我らとしては 効率よく手堅く、着実に勝ちを進めて 拡大あるのみにござる」 「・・・・それならば」 十蔵が口を開いた。 「たとえば、須木江を集中して攻める際に、 北方からも攻め込ませて、屋久へは北方から 牽制させて援軍を出せぬように仕向ける、 という具合でござろうか」 「然り、常に我らが有利になるよう、 先手を取るように仕組む。これには周辺勢力 との関わりが重要になり申す」 三十郎は頷きつつも、 「諸勢力との関わりで戦局が変わるのは分かるが、 北西の昭畑と二白以外、東南周辺はどこも 反神保として連携しておるのが実情、 これは説得に骨が折れそうですな・・・・」 宗善は口元に笑みを持って、 「これまでは反対勢力に与することが御家の 安泰に繋がっていたのでしょう。しかし、 神保の拡大によってそれが危うくなり、 既に不利を悟っておるはず。まずはこちらが 頭を下げて、やんわりと方針転換を促し、 協力すれば御家存続、そうでなければ滅亡の 自業自得にござる。いずれが良いかは明白」 諸井吉郎は腕組みしつつ、 「・・・・東南の諸勢力は小粒故に平定は可能だが、 問題は更に南の連中であろう」 まだ直接国境を接していない南には、 乙元(おともと)、戸成、川澄がある。 特に乙元と戸成は、南の海に面して神保に 迫る新興勢力として拡大を続けていた。 また、乙元は滅亡した乙羽の遠縁とも云われ、 神保に対して敵対意識を強めていると 推測されている。 「彼らがこのまま我らの拡大を看過するとも 思えぬ。おそらく既に警戒して諸勢力を唆して おるやもしれぬ。ということは、反神保が頑強 なのはそのせいかもしれぬ。そうなると諸勢力も 説得に応じるかどうか・・・・」 心配そうな吉郎に宗善は明るく、 「それは即ち、我らと乙元や戸成らのいずれに 与するか、ということに尽き申す。意気盛んな 我らに対抗して滅亡するか、協力して共に 繁栄するか。無論、力押しも手段にござるが、 ここはひとつ、手間を省き、我らの寛容さを示す 意味でも、説得はしておくべきと心得る。 あくまでも道義は我らにござる」 と、笑顔で答えた。 (・・・・これまでの援軍の甲斐が無いではないか) 度々援軍を率いて佐武方、須田勢に協力した 十蔵としては、宗善の提言に理解は出来るが 納得は出来ない。 「事前の調略は佐武方もやっておるそうでは ないか。ならば戦はその結果であって、 新たに調略が必要ならばその都度実行すればよい。 我らの敵は多く、やることも多い。 この期に及んで悠長に構えておれぬ」 十蔵としては、地味な援軍指揮の栄誉よりも、 豊地勢主力を率いて、真正面から敵地へ 攻勢をかけたい。 (戦を控えて須田城への援軍が無用であれば、 豊地勢は主敵の屋久攻撃に専念すればよい。 殿もその方が納得できるだろう・・・・) 「そもそも東南攻略は本城からの指示であって、 外交が必要であれば本城が率先すべきでは ござらぬか。外交の権限は本城にあるはず。 豊地勢であれ須田勢であれ、任せてもらえる ならばそのように明確にして頂きたい」 今回の宗善の加勢にしても、左兵衛の指示は 場当たりで曖昧であると、十蔵は遠慮なく 宗善に不満をぶつけた。苛立ちついでに、 (左兵衛は)老いては潔く退いては如何か、 と言いかけたが、さすがに遠慮した。 (我らは身命をかけて戦に臨んでおるのだ。 適当は迷惑だ) 豊地勢での十蔵の立場や活躍は、宗善も ある程度把握しており、軍議での意見対立は 覚悟していた。十蔵が坂原大膳同様の強気か、 大膳を反面教師として違う面を見せるかは 予想を測りかねていたが、遠慮のない十蔵に 宗善はさもありなんと苦笑して、 「これははや、どうも十蔵殿の申す通り、 我が父左兵衛としては、極力諸城に任せる一方、 常に関わりを持って協力を惜しまずという 考えで臨んでおり申す。そのため、状況によって 塩梅が変わることもござる。故に、逐一意見を 聴き、最善を選ぶという姿勢にござる。 不足不備についても遠慮なく指摘されたい」 左兵衛の差配が完璧でないことも宗善は 承知であり、それ故に補佐役としての 自身を納得させていた。 (・・・・左兵衛の腰巾着と云われようとも、 戦が無理ならば、それ以外で尽力するのみ・・・・) 対して十蔵は、これまで宗善との関わりは無く、 人となりを知らなかったため、立場を笠に着ての 横柄な言動を警戒していたが、予想に反して譲る 姿勢に拍子抜けした。だが、これを弱さと見るか、 用意周到と見るか、これも判断に 迷うところである。 (おそらく、その性分は、狸とも呼ばれる 親父殿の影響と、左京様に近かろうか・・・・) 峰口左京は強気の坂原大膳には静かに、 しかし頑強だった。単純明快、一本気な大膳に 対して、左京は常に迂回するような、一呼吸置く 姿勢が感じられた。大膳にはそれが苛立ちになり、 左京もまた大膳を鬱陶しく感じていたで あろうことは、格下としておとなしく側で 見ていた十蔵にもよくわかった。 (俺が大膳様、内膳殿が左京様・・・・? いや、そう簡単に決められぬ・・・・ 決めて欲しくもない・・・・) “大膳の直弟子” と評されるのも痛し痒しである。 「では、内膳殿、東南諸勢力への外交は如何される おつもりか。我ら諸城に任せるのか、本城が 受け持つのか、分担あるのか、明確にして頂きたい」 十蔵は憮然とした調子で宗善に問い質した。 宗善は軽く頷くと、 「他勢力への外交は当然、本城が受け持つのが 筋にござるが、申し上げた通り、須田勢、豊地勢、 茅部勢も、当事者として動くことに異存はござらぬ。 必要あれば本城に遠慮なく動いて頂きたい。もっとも、 その内容については逐一本城に報告願いたい。 互いに知らぬという事態は避けたい」 敵諸勢力へ誘いの最中に引き抜きがあれば 反発は当然で、外交は失敗になりかねない。 外交調略も順序と選択が肝腎であり、 仕掛ける側も連携が必要になる。 「承知した。我が殿にも伝えておこう」 と十蔵も応え、吉郎と三十郎も同じく、 「では、我らも独自に動くことに致そう」 「承知、城に伝えおき申す」 と、一同合意した。 頻繁に兵を引き連れる負担は本城も同様であり、 出来れば避けたい事態だっただけに、 外交や調略に比重を置く決議となったことに 宗善は安堵した。 (なれば、次は東南諸侯への呼びかけに 引き抜きだな。まずは手紙でも送ろうか・・・・) 宗善は須木江担当の須田勢、屋久担当の豊地勢に それぞれ書状を送ることを献策し、その内容を 伝えると十蔵は笑顔になって、 「それは名案にござる。それがしは戦さ場の 無骨者として細やかな書状は苦手故、 ぜひ内膳殿にお任せしたい」 これに吉郎も三十郎も同意して、 「本城の内膳殿が仕切れば手っ取り早い。 我らからもお頼みしたい」 と、宗善が書状を任されることになった。 須田、豊地、茅部それぞれ楽な上に、 責任を本城に負わせることが出来る。 これで進展すれば宗善の手柄となるが、 そうでなければ評価は下がり、“左兵衛の腰巾着” という陰口や蔑称は一段と広まるだろう。 (・・・・お手並み拝見ということか・・・・) 試されていると思うものの、 断る立場や状況ではない。 (有利と見て励むのが器量というものだ。 結果を出してやろうではないか・・・・)
by huttonde
| 2018-02-16 23:00
| 漫画ねた
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