自分が自分を嫌いになった10代半ばの頃から、自分の行動原理は他人だった。
人間関係の中で劣等感や、傷つく事が多かったので、その悔しさをバネに何かを頑張り、同じ思いをしたくないのでその他の事を頑張ろう。その為に何か行動を起こそう。
ずっとそう思って行動をするようにしていた。
しかしここの思考の道筋が間違っているかもしれないと感じるようになった。
劣等感を感じる自分と、行動を起こす自分は違う自分なんじゃないか。
行動の帰結に他者から評価される為に、という赤色の引き金がついて回る。
ここにあるのはあくまで他者の目線であり、その行動は自分の糧にはなり得ない。なぜなら、自分が嫌いな事をやらされているのだから。
インプットしても、情報がマイナスの感情に包まれ、後には全く残ら ない。
行動したという事に満足して無駄になる。やってもやっても効果が出なくて途方にくれる。
ならば自分を好きになり自分を認めよう。よく言われる言葉だが、
自分はこの言葉が大嫌いだ。こんな厚顔無恥な言葉は無いと思っている。
自分から進んで望んだ事。本当に好きな事を語れる人が心底妬ましい。好きな事をやっている、という無邪気さが自分を追い立てる。
どちらかを選ぶ時が来たと思った。
自分を好きになり自分の為に生きるというかつて軽蔑していた豚の生き方か、今のまま他人の為に、という下らない理想を抱き続けるか。
おそらく後者の方法を取れば自分で自分を殺さねばならない時が来る。
かつて嫌いだったモノに自分がならなければいけないという茶番。