2018-05-23

父は72歳の5歳児になった

父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。

2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。

母は介護家事仕事疲弊していた。介護士の人が母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中カバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。

父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理日曜大工植物の世話が好きで、グルメワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。

認知症タンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶能力の衰退も、人格活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自ルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的認知症の症状だ。

父は毎日カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。

父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。

父は毎日ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本ドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。

父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からいからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からいから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受け手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からいからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。

ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。

父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力無自覚で、物事因果感情の律し方も分からず、大人監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。

実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ認知症とはそういう病気だ。

父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。

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