2018-05-23

吉田寮

このようなタイトルを書く割に、全く京都大学のもの関係がない環境にいる人間であるが、

断片的に流れてくる情報から、私個人の考えのまとめとしてこの記事を書く。

現在築100年を超える吉田寮では、大学当局より新吉田寮(2015年入居開始)への移転を求められ、

過去数年にわたる団交が不調に終わった事により、最終的な退寮期限を当局に定められ、強制代執行を匂わす措置に対しての抗議活動が行われている。

この情報に初めて触れたのは、昨年の秋ごろにはてぶのタイムラインに流れたのを見つけたのが最初だった。

高校時代森見登美彦氏の「四畳半神話体系」を見ていた私は、あのバンカラ書生風の生活に憧れた事もあり、

そのような環境が消えるのはどうかと思い、以下の方法に対する結果を予測してみた。

文化財認定による宿舎保護、又は構造改修による現状維持

誰もがこの方法による現状保存を思い浮かべるが、逆になぜ誰もが思い浮かぶこの①の方法

未だに達成されていないのか。

a 文化財認定による保護を行うだけの価値がない、もしくは優先順位が著しく低い

b 構造改修が事実上不可能、又はほぼ新築と同額の予算がかかり、実際に予算を出す当局としては二の足を踏む構造改修費用である

c 何らかの改修を行うことにより、現況や新築した場合より学生生活に著しい制約が発生する

d ①は可能だが、単純に予算がない

恐らく何らかのアクションは試されている方法であるので、これは予測に過ぎないが

日本国内において築100年程度築浅(?)のたか木造宿舎に、保存価値はないとみられている可能性が非常に高く、

保護を得られない前提で耐震改修が必要となるが、所詮学生向けの安普請なので、耐震改修を行ったうえでのPL法責任を負う

稀有建設会社はこの世に存在しないと考えられる。また現在耐震基準で改修した場合は、ただ置石の上に支柱が立っているだけであろう

建物既存構造耐震数値を期待するのが馬鹿馬鹿しいので、外側だけ残して、内部総取り換え程度の改修(という名の新築工事を行う必要があり、

そのような自慰的保存を行うのであれば、新築の方が快適な学生自治寮としての環境を確保できる。

強硬策としての当局から勧告無視を行い、現状のまま生活を続ける

木造なので火事はともかく、地震による倒壊を免れない以上、そのような事態が発生した場合責任

誰も取ることが出来ないだろう。火災保険を運よく掛けられたとしても、現状の寮費¥2,500/月で済むのは難しく、

当局としても、大学財産であり、最終的な管理権を持っている宿舎に対する責任を負わざる得ず、

いずれ代執行は免れない。むしろこの何十年の間、自治会要請消極的に応じる形で、

具体的な行動を行わなかった当局の優しさを感じるのである

そしてこの「優しさ」どこから来たものなのか。

大学自治寮というシステムは、ほぼ国ないし大学管理の元、自治権を与えられた形で存在する。

自治寮における寮費は、あくまで与えられたインフラを最低限の予算運営する前提で考えられ、非常に安い寮費にて

大学生の生活の助けとなっているわけだが、インフラには当然耐久年数があり、減価償却を行わなければならない。

では、減価償却を行った場合の正当な寮費は幾らなのだろうか?

参考例として、真横に建てられた新吉田寮を参考にすると

この寮の建設には5億4千万円の予算が発生している。※京都大学2013年度の公共工事に係る入札結果等の公表より

当局が設定を希望している新寮費¥4,500/月と旧寮費¥2,500/月の差額は¥2,000/月で、

240名の入寮者がある場合、¥5,760,000/年の償却可能となる。完全な償却には約100年。

寮生活という物は、金で買える類のものなのであるインフレ率を考えず償却を50年と設定した場合は、

60年代後半から寮費を¥6,500/月に設定し、かつ数億の資金を適切に管理できる自治会運営可能であれば、

今日のような事態は避けられたと結論できる。実際は大人が与えてくれたインフラに対する運営自治権範囲活動しかしておらず、

仮に真の自治を求めるのなら、50年前から具体的なアクションを起こさなければ仕方がない状況だったのである

償却に約100年と設定し、実際に学業生活を考えなければならない寮生に対する当局恩情(というか管理権に付随する責任なのだが)を

もっと早くに受け止めるべきだったのではないだろうか。

最も、現自治会執行部の不幸は、過去50年の不作為による「負債」をすべて押し付けられ、

その抗いようのない現状に対して、抗議活動を行わなければならない環境にあるという事で、いささか同情するが、

実は当局の方が数十年「自治」の範囲拡大を行う為の実力を付けられるよう待っていたのではないのだろうか。

この現状を招いたのは過去吉田寮生活拠点を持っていた人間と、旧寮のイメージに囚われ、学業に専念しなければならない学生に対して、

無責任にも現状維持が素晴らしいと吹き込んだ学外の人間にもあるのではないだろうか。

多大な時間を浪費し、すでに自治会当局は物別れに終わっているようだが、せめて現状を認識し、新寮での条件闘争

移るべきであった。それさえせず、新寮における条件も当局により設定される始末なのである

私は高校時代かに吉田寮にあこがれていたが、この寮は少なくとも現在において誰に対する福祉責任を負っていないのに気づくのである

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