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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 144 Viewpoint <16> Inspire

 アレックス・プロヤスの「ダークシティ」(1998年/米国)は傑作だが、ベースドオン「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984年/監督・脚本:押井守)であることは隠しおおせようもない・・っていうか、隠すつもりも別段ないらしく、ダークシティの秘密があばかれる終盤のショッキングなカットはビューティフル・ドリーマーの友引町の秘密があらわになるカットにそっくりだ。

 これは「これこのとおりこの作品の元ネタはあの作品であり、私はそれにインスパイアされてこの映画を作りましたが、それを恥じる気も隠すつもりもありません」という監督の見得であり、更に積み上げたものだけでも充分勝負できる筈だという自信のあらわれであろう。

 ところでウォシャウスキー・マトリックス・兄弟が神とあがめ奉ったためか、最近押井守は人気急上昇中だが、ちょっと前までは一部のカルトなマニアだけが注目しているアニメ作家でしかなかったのだ。
 ために「アニメ」「うる星やつら」というだけでこれを馬鹿にし見もしなかった映画評論家(自称?)が多かったと思われる。

 ためにダークシティがそれなりの評判を取ったときにも、それに元ネタがあったという事を知らないまま、あれこれ知った風なことを言う人間が多かった。
(ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」(1998年/米国)が公開された時に、『これに感心してる人は「ダーク・シティ」を見ていない』としたり顔して語っている人間がいたが、映画の相似を語るならここで一言でも「ビューティフルドリーマー」について触れるべきだろうと思う。つまり本人こっちは見ていないのだ)

 とはいえこれは怖いことだ、この世の誰にせよ制作された映画をすべて見ることなど出来ない、にもかかわらず「あれを見てないでこれを語るか!」というつっこみには容赦がない。言われたことに一理あるならば、そして特に映画について何ごとか語るのが商売である人間であるならば面目が立たない。

 ではどうするよ? ということだが、つまるところ、古典、名作、評判の映画は「とりあえず見ておけ」と言うしかないだろう。
 「そこまではなかなか見られないよね(ニッコリ)」でごまかせる映画ならメンツがつぶれるまでにならない(かもしれない)

 「視点」について15回語ったところで急になんの話を始めたのだ? という向きもあるかと思われますが、続きは次回「視点」の最終回でお答えいたします。


2004年09月29日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部