(Part1へ)
職業としての「社長」を自ら選び、活躍している人をお招きし、将来、経営層を目指す人々に、ご自身の経験を語って頂くトークセッション「Road to CEO」。今回は、賃貸情報サービスの老舗で、2005年に賃貸住宅ニュースから社名を変更したCHINTAIの社長、石川貴氏をゲストに迎えた。
司会、山中(以下、Y) 住友銀行の次にエービーシー(ABC)・マート、靴の流通で急成長した三木正浩さんの会社に行かれますが、これはそれこそ「B-ing」で見つけられたんですか。
いえ。たぶん転職って運命があると思うんですけど、私の実家の住所あてに手紙が来て、その中にエービーシー・マート、当時のITCという会社のDMがあったんです。「私はこんな生き方をして、こんな会社をつくりました。共に経営をやってくれる仲間を探しています」という内容だったんですね。
僕は(ITCが扱っていた)ホーキンスという靴を知っていましたし、もともと銀行を辞めた後、いつか社長になってやろう。ブランドが好きだからブランディングで食っていきたい、と思っていたので、「この会社は面白い、勉強したい」と、真っ先に応募しました。
当時40名ぐらい、同じ時期に20代後半から30代後半の方が幹部候補として入りました。
Y 行かれて、石川さんにとって最初のオーナー経営者に出会われるわけですが、どんな方でした?
「これが創業者というものなのだ」と思ったのは、「何でこの業界で起業したんですか」と質問したんですよ。そうしたら、何と言ったかといったら、「靴メーカーは馬鹿ばっかりだから、勝てるだろう」と。「社長、靴好きじゃないんですか」「好きなわけないだろう」と。それですよ、創業理由が。
その人がホーキンスという靴を、ロンドンのホーキンスの本社に行って、「俺に日本で代理店をやらせてくれ。俺だったら、あっという間にトップブランドにしてやる」と口説いた。5年ぐらいで本当にトップにし、そして靴流通チェーンとしてエービーシー・マートを築いた。僕が入ったときはたった10年ぐらいでしたけど、もうトップでした。
創業者は理詰めじゃない。いい計画が作れて、銀行から融資をもらって、顧客を一人ひとり丁寧なプレゼンテーションで口説くんじゃない。「このマーケットだったら俺は勝てる」という切り口、これは素晴らしい。自分はこんな人材じゃない。人間のレベルと質の違いに衝撃を受けました。
毎日が学園祭! 初めて実感した仕事の楽しさ
Y 入社して、看板ブランドのホーキンスをいきなり手掛けられるんですよね。
はい。入ったのが秋で、冬のキャンペーンのときに三木さんがいきなり「石川君が仕切ればいい」と。キャンペーンのキャの字も分からなかったんですけど、無我夢中で仕切りました。それから半年後ぐらいに主任にしてくれて、「部長と係長は上からサポートするから、お前がホーキンスのブランドを仕切れ」という話になりました。
Y 大抜擢ですね。
そうですね。当時の私は、ブランドをマネジメントするという会社に入った喜びと、銀行とはまったく違う、カジュアルな格好で行ける会社に行った喜びでいっぱい。しかも若い人ばかりの会社ということで、毎日が学園祭みたいで。
今も覚えているんですけど、家から出て駅まで自転車なんですけど、立ちこぎしているんです。遅刻じゃない、燃えちゃっているんです。駅の階段も走っちゃうんです。それぐらい会社へ行くのが楽しい。仕事って楽しいんだ、会社って楽しいんだと、社会人になって5年目にして初めて実感し、とにかく働きました。
司会、秋山(以下、A) オーナー企業も仕事がうまくできている間はいいですけど、途中から気に入られなくなったり、「白鳥は黒い」と言われたら「黒いですね」と合わせないといけないとか、そういうのがありますよね。
そうですね。やっぱり最後も喧嘩して辞めたんですけど、でも、それは余談ですね。業界の破壊者なので、既成の秩序は乱すんです、どうしても。人をあえて泣かすことも、あり得ないような取り引きも現実にはありました。ですが、そうでなければ価格破壊はつくれない。きれい事じゃない。
「この人の生き方は何なんだ。これは違うだろう。この人に気に入られていても、俺はこの会社でずっとはやれない」と、1年目から思い始めました。社長のことは今も尊敬もしていますけど、自分にはこれはやれないし、やりたくないと思って辞めました。
A そこで学ばれた一番大きなものって何でしょう。
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