文者の庵

-MONJA NO IORI-

脇役を降りて主役になる、そして自らの物語を

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幼い頃は綺麗事が大好きだった。誰もが好むような道徳やストーリーを好んだ。努力の話、正義の話、愛のある話。ある時、挫折をして綺麗事を嫌った。世の中は皮肉や悪意に満ちていると思った。


ある時、BARのマスターに言われた。「君はスピリチュアルな世界とか信じられるかい?」人生のドン底にいた僕は答えた。「信じません。理屈でわからないものを信じられないんです。」マスターは答える。「それは損してる。どうせなら何かを信じられる人の方が人生良くなるよ。」


人生のドン底。自分の描いていたレールというか道からコースアウトした僕は何となく働き口を見つけて、たまに酒を飲んでは日々を過ごしていた。


「会う度に良い表情になってくる」「何か良い事があったなってわかるよ」BARのマスターは僕の何かしら表情や仕草から状況を読み取っていた。


自己啓発とかスピリチュアルとかそういった類のものを完全に信じた訳ではない。でも、未来を信じる姿勢、相手を信じる姿勢がその人の運命を左右する事がある。


僕はいただけない少年時代を過ごした。悪い脚本を渡された。お前はダメな奴だ、お前に能力は無い。お前は嫌な奴だ。そんな中、新たな脚本を渡してくれた人達がいる。お前は良い奴だ、お前は頑張っている、良い未来が待っている。


振り返れば、この人生という舞台でまともな役を貰えない日々が続いた。だけれども、僕の振る舞いを見て良い役をくれた人がいる。そして、今僕は僕自身で僕の脚本を描きたいと思った。他の誰でもない、僕が生み出す物語を。


言葉は不思議で人を地獄へ落とす時があれば、踏み止まらせる効果もある。奮い立たせる事もある。僕は言葉を磨いた方が良い、言葉を選んだ方が良いと思う。きっと、あなたが発するささやかな言葉に救われる人がいる。逆も然り。最後はその人自身の言葉が生まれて来るのを助ける事。



長い時間が経って、振り返れば優しい人達がいた。僕の物語はまだ続く。幼き頃に多くを奪われた事、諦めずにいたら多くの人に与えられた事、そしてこれからは過去の自分のような絶望の中の人に物語や役割を与えていく事。


人生の中に物語を見つけよう。きっと、簡単では無いけど複雑に絡まった事柄が一つの線に繋がる時がある。その時が皆さんにも訪れますように。