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キリスト新聞とクリスチャン新聞

2018年05月21日 | ネットメディア・クリスチャントゥデイ
キリスト教界の老舗の新聞に、キリスト新聞とクリスチャン新聞というのがある。この2紙はキリスト教界の中でもバックが違うので、本来は記事内容に違いがあった。

ところがクリスチャントゥデイ問題では全く歩調を合わせているように思える。当ブログでは今後この2紙の記事内容をいろいろと検討していくつもりだが、出ぞめに2紙の記事の一部が逐語的に同じであったものを紹介したい。

ここまでくると、裏で繋がっているとしか思えないのだが。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-05-22 22:04:48
2紙の記事の一部が逐語的に同じであったらどうだと。どちらかが盗用したといいたいのか。
Unknown (><)
2018-05-23 10:40:04
盗用でないなら何だというのか?逐語的に同じであれば盗用が疑われる確実な物証。盗用でないなら同一ソースから取ったのだろう。同一ソースなら出店があるはずだ。もし出典があるなら、その出典を明記すべきであろう。出典の明記もないのだ。記事盗用は倫理的にNGであるはずだ。信頼性をなくさせる。偶然一致は全く考えられない。他紙盗用を疑わせる。盗用でなければ何なのか。
7.新聞各社に対して (公開質問状)
2018-05-23 10:41:59


質問6
この度の「石橋声明」から始まる一連の報道において非常に不可解な点がある。2018年2月9日「クリスチャン新聞」の記載内容が、2018年2月8日付「キリスト新聞」の記載内容と、句読点に至るまでほぼ完全に一致するのはなぜなのか(下記の【参考:記事比較】の通り)。合理的な理由として考えられるのは、(1)時系列的にみて「クリスチャン新聞」が先行する「キリスト新聞」の記載内容を盗作した、あるいは(2)「キリスト新聞」と「クリスチャン新聞」には「共有原稿」がある、(3)その他の場合、があるだろう。
(1)の場合であれば、報道倫理上から「盗作」は許されざる行為であるはずであるから、「キリスト新聞」は「クリスチャン新聞」を何らかの方法で訴える用意があるか、お聞きしたい。また、訴えないなら、その理由もお聞きしたい。
(2)の場合であれば、なぜ両社が「共有原稿」を持っているのか、となる。共有原稿があったのか、なぜ共有していたのか、その理由を、両社にお聞きしたい。
(3)のその他の場合も考えられよう。ぜひ、その理由を明確に述べていただきたい。

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