実に不愉快な番組だった。
『月刊OUT』は心性的に2ちゃんねるにつながっていたのだと確認できただけでも良しとしよう。

「ウェルメイドでなきゃ認めねぇ!」「俺達の理解できる解りやすいものでないと認めねぇ!」って、もうそんなのスレッド立てて匿名でやれよ、と。
この時間ほど、実名で語ることの無様さを感じたことはない。

宇野さんの言ってた「表現の課題」って、何だったの?
高畑さんがそれを無心に追い求めていたのは事実だ。
文化人ぶって、とかまた2ちゃん臭いみっともない結論で終わったが、『山田くん』以降14年も映画を作れなかったのは、もちろん「表現の課題」を追い求める余りジブリを干されていたからに相違ない。

そしてその姿勢は『ホルス』から1ミリも揺らぐことはなかった。

そんな苦闘を微塵も理解しようとしない、アホ三人(まぁ宇野さんは除くか)の感想垂れ流しは、確かに「非文化的」だった。
『ホルス』は歴史的に意義があって、ジブリ時代以降は意義がないというのは、軸がブレブレだ。
むしろその表層的な批評こそ、まさに「スノビズム」以外の何物でもない。
深淵を覗いた人間が深淵に睨まれた瞬間だ。

巨匠が最初評価を受けるためにウェルメイドで収め、やがて自分の「表現の課題」を実現するべく、どんどん異様な造形を成すようになるのは、芸術上の定石ではないか。
それを「オナニーだ!」と安易に決めつけることなく、俯瞰で、どれだけの挑戦をしようとしていたのかを分析する視線がないと、芸術批評もまた成立しない。

「オナニーは認めねぇ!」っていうのは、『月刊OUT』でほざいてろ。
アニメをお前らのちゃちい想像力に押し込めるな。


アニメ文化が行き詰まっているのは、こういうところにも原因があるのだろう。
アニメは歴史的にずっとダメだったのかも知れない。