08:00
アメフト部よりも広報部のほうが強そう!

日大アメフト部選手による危険プレー問題に関して、大きな動きがありました。22日、当該の危険プレーをした選手当人が、記者の前に立ち、実名を明かす形で会見に臨んだのです。経緯を細かに語り、他人のせいにはせず、保身を捨てて臨んだ、立派な会見でした。自分が同じ立場ならとても臨めなかったであろう、厳しい場でした。

この動きは内●正人氏(※柴ではなく田)、日本大学、そして日大広報部にとっても想定外のものだったのではないでしょうか。当人コメントが漏れることはあると思っていたでしょうが、まさかあそこまでオープンに、言うなれば「捨て身」で向かってくるとは。彼を追い詰めた指導は「やる気が足りない」「闘志が足りない」というものだったと言いますが、これほどの捨て身で戦える選手のやる気や闘志を引き出せなかったのならば、それは指導者側の力量不足でしょう。

逃れようもない監督責任だけでなく、指導者・教育者としての評価も地に落ちたと言っていい。指導陣には選手が持つ本当の強さがまるで見えていなかったのですから。そのことは今の激流のなかで改めて問われることはないでしょうが、指導者・教育者として「恥じ入ってもらいたい」そのように思います。彼の強さを正しく引き出せていたら、こんなことにはならなかったのだ、と。

あのプレー自体はなかったことにはなりませんが、この日の会見で見せた勇気は、再び同じことは繰り返さないだろうという希望を持たせるものでした。追い詰められたときにどうなってしまうかわからない無辜の人より、大きな後悔を抱えた人のほうが信頼できるという考えかたもあるでしょう。この日の勇気が、険しい再出発の道を切り拓くことを祈ります。



ここまで立派な会見をやられると、心象という面ではもう挽回は効きません。悪の日大、悪の監督という世間の風はもうおさまらないのです。どっちを応援したいかと言われたら選手のほうに決まってます。今ここで「でもタックルしたのワシじゃないし…」「ワシも正直ビックリした…」などと言っても火にガソリンのポリタンクを投げ込むようなもの。なので、ある程度「悪」という世評は諦めるしかありません。

ただ、勝負はまだ決していません。もとより守備側である「日大=内●氏=常務理事=日大広報部」サイドは、刑事裁判の可能性まで見据えてディフェンスラインを設定しています。アメフト部がどうなろうが選手がどうなろうが知ったことではないが、我が身は絶対に守り抜くという割り切りがあります。誰だって「傷害罪」の犯人にはなりたくないですから、その気持ちはわかります。恥も外聞も構っていられません。絶対に犯罪者になるのはイヤなのです。

もちろん最初からそこまで割り切っていたわけではないでしょう。選手当人の陳述書にも割り切る前の名残というものが見受けられます。試合後のハドル(※アメフト用語/ミーティングといった意味合い)では監督が「こいつのは自分がやらせた。こいつが成長してくれるんならそれでいい。相手のことを考える必要はない」「周りに聞かれたら、俺がやらせたんだと言え」という言葉があったといいます。同様のコメントは当日の試合記事にも添えられており、当初は「自分が被る」という気持ちが内●氏にもあったと見受けられます。(※のちにこの類の発言は反則行為の容認は本意ではないとして撤回)

ただ、拡散された動画により、1プレー目の反則が極めて危険であり、衝撃的なものであることが世間に知れ渡ってしまった。そして相手方の怒りというものも極めて大きなものだった。「これを被ったら自分が潰れる」と察し、「指示はしてません」「そんなつもりじゃありませんでした」「選手のカンチガイ」ラインでガッチリと守りを固めたのでしょう。それが人の上に立つ者の態度なのかと突っ込まれると「小者っすなぁ…」とは思いますが、我が身かわいさは人情です。理解はできます。

↓もう監督も辞めたし、タックルしたのはワシじゃないし、アメフト部なんかなくなっても平気だし、あとは裁判所から呼び出しがなければこのまま逃げ切りの算段!


スルガ銀行なら「絶対に早期退職させるな」って指導がお上からくるところなのに!

ワシがワシに辞表を提出してワシが受理すれば話はトントン拍子!



心象という部分では想定外であり、手痛い打撃であったでしょうが、実は守備側はまだ十分に守れている手応えがあるのではないかと僕は思っています。いやむしろ、この会見によって守りが固まったと思っているフシさえあるかもしれません。何故かというと、選手当人の陳述書には、守備側にとっていくつかの都合がいいポイントがあるからです。

まず指示の有無について、監督本人を追い詰める決定的な言葉は陳述書には出てきませんでした。選手側は「監督指示」と受け取っているものの、実際に選手に向けられた言葉の大半はコーチによるものであり、監督の言葉はコーチからの伝聞によるとされる「相手のQBを1プレー目で潰せば出してやると言われた」というものと、「相手のQBを潰しに行くんで使ってください」という選手当人からの言葉に対して監督が「やらなきゃ意味ないよ」と応じた部分くらいです。解釈を限定していったのはコーチによる補足であり、当初からの筋立てである「解釈違い、乖離」という線は、引きつづき維持されているのです。

そして、その「解釈違い」の線を強調する材料として守備側が重宝するであろうものが、試合中に受けたというコーチからの指示です。陳述書にある「本件で問題になっている1プレー目の反則行為の後、2プレー目が終わり、コーチに呼ばれてサイドラインに戻った時に、コーチから『キャリア(ボールを持っている選手)に行け』と言われました」という部分は、試合前の指示はルール無視のラフプレーを意図したものではない、という守備側の主張を下支えすることに使われるでしょう。ルールのなかでMAX激しくいけという話であり、ボールを持っていない選手にまでいけという意図ではなかった、と。実態は「アレじゃ露骨すぎるぞ」という注意だったかもしれませんし、注意で済ますんじゃなくて引っ込めろと言われそうではありますが。

そのあたりに手応えを感じたからこそ、FAXの機械ごと燃えそうな勢いになっている日大広報部・炎のコメントも出てきたのだろうと思います。あのコメントは大きく燃え上がってはいますが、選手当人の陳述書を受けて、「彼が言っているように、ワシ悪くないよな?な?」と的確に念押しをする構成となっており、この日得た優位をガッチリ固めようという意図を感じさせるものです。何も考えず、燃えるために出したわけではなく、意図を持ってしっかり出してきたものだろうと。

↓短いながらも、守備側が得た優位を絶対に逃がさないという強い意志を感じさせる炎の日大広報部コメント!
会見全体において、監督が違反プレーを指示したという発言はありませんでしたが、

※全部聞いたけど、「監督は」怪我させてもいいなんて言ってなかったよな?の念押し


コーチから「1プレー目で(相手の)QBをつぶせ」という言葉があったということは事実です。

※「コーチが」言ったんだよな?監督から直接聞いてないよな?監督は本当にそんなこと言ったのかな?ちなみに誰コーチが言ったかという点は名乗るのもアレだし不明瞭にしておくぞ、という念押し


ただ、これは本学フットボール部においてゲーム前によく使う言葉で、「最初のプレーから思い切って当たれ」という意味です。

※「潰せ」はサッカーとかでもよく言ってるよな?という念押し


誤解を招いたとすれば、

※「アイツの誤解だよな?」という念押し


言葉足らずであったと心苦しく思います。

※もっとちゃんと伝えればよかったけど、コッチとしてはあんなことするとは思ってなかったので「悪いとは思ってません(心苦しいだけで)」という念押し


また、●●選手が会見で話されたとおり、

※アイツが言ってたことだから水掛け論ナシで事実として扱っていいよな?の念押し


本人と監督は話す機会がほとんどない状況でありました。

※「監督は」言ってないよな?そもそも話してないもんな?の念押し


●●選手と監督・コーチとのコミュニケーションが不足していたことにつきまして、反省いたしております。

※コミュニケーションと信頼感が多少薄れてきていたのは残念、もっとお互いに話し合えばよかったね、悪いとは思ってないけど、という念押し



なんかもう、ファックスでやり合うんじゃなくて、法廷でやったほうが早そう!

「今言ったな!言ったな!」をガマンしきれないスピード感!

日大広報部、徹底抗戦の構え!

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

危機管理広報の基本と実践 [ 浅見隆行 ]
価格:2700円(税込、送料無料) (2018/5/23時点)



このコメントから見えてくる守備側のイメージは、「可能な限り『潰せ』という言葉の解釈で争う」という第一防衛ライン、「伝聞を重ねるなかで解釈が乖離していった」という第二防衛ライン、「最悪の場合は『コーチがやりました』での尻尾切り」という最終防衛ライン、という三段構えなのかなと思います。

潰せ=怪我させろという意味ではない、よくある檄に過ぎない、と全面的に裁判所が認めればベスト。いやいやコーチの発言と合わせ技で反則指示と受け取られても仕方ないでしょうとなっても、監督の真意と、それを伝えたコーチの解釈、受け取った選手の解釈が少しずつズレているんです、みんな少しずつ悪かったねとなれば許容範囲。最悪の場合でも、監督と選手のコミュニケーションの希薄さを強調しておくことで、「言ったのはワシじゃない、コーチです」「タックルしたのはワシじゃない、選手です」で押し切る。政治家で言うところの「秘書がやりました」路線を見据えているのかなと。

その意味では、この戦いの行く末は「コーチがどちらにつくか」というところで大きく形勢が動くのかなと思います。現状、コーチは矢面に立たずにいる状況ですが、日大広報部は着々と「コーチがやりました」路線を地固めしつつあることに気づいているのでしょうか。選手と監督との間で直接のやり取りが乏しかったと選手側が言っているのをいいことに、コーチ・選手間の問題にされそうになっている、そのことに。コーチも本意ではないのなら、少しでも早く勇気を振り絞らないといけないところに事態は進んでいます。

大学という閉鎖空間で「未来」を人質に取り、判断力を失わせるほどに追い詰める。それはパワハラであったり、マインドコントロールであったりと同じ構造だと思いますが、トップの意図を部下が勝手に「忖度」で拡大して無法に走るという、日本社会の澱がミルフィーユのように重なっている。この残念な出来事を社会の教訓とするには、指導者と選手、あるいは上司と部下、そこに横たわる上下関係的なるものを取り除いていくことが肝要だろうと思います。

監督が偉く、選手が下なのではない。

上司が偉く、部下が下なのではない。

組織が偉く、個人が下なのではない。

それぞれに役割が違うだけで、それぞれが人として対等である、その当たり前のことが強く認識されなければ変わっていかないだろうと思います。僕も会社では上司に逆らえない、まさにこうした構造の渦中で追い詰められるタイプであるからこそ、余計に強く思います。遅まきではあるけれども、選手が振り絞った勇気が、そうした現状を打破していく一助となってほしいと思います。誰も幸せになっていない事件だけれども、せめて「こういうのはアカンわな」という社会の意識を形成することにつながれば…そう願うものなのです。やれと言われたらイヤでも不本意でも従わなければいけない、そういうことがなくなり、自分の意志を貫いて生きられる世の中を目指して。




そもそも日大広報部ってあるのかしら!いわゆる「捨て垢」だったりして!